第二章 秦の田舎でデバッグ作業
結論から言おう。
秦は、想像を絶するド田舎だった。
魏の都・安邑のような石畳の道もなければ、夜を照らす灯りもない。
あるのは、風に舞う土埃と、獣臭い風、そして「よそ者は殺して埋めちまえ」と言わんばかりの、殺伐とした視線だけだ。
正直、何度も帰りたくなった。
けれど、その度に懐の割符を握りしめ、「これは未開の地ではない、開発前の更地だ」と自分に言い聞かせて、なんとか都の雍までたどり着いた。
さて、ここからが本番だ。
俺は、この国の若き君主・渠梁との面接に挑んだ。
コネを使ってなんとかセッティングしたこの場。失敗は許されない。
だが、俺はいきなり本題に入るような真似はしなかった。
まずは相手の「器」を測る必要がある。
俺という劇薬を飲み込める胃袋を持っているか、それともただの凡庸な胃もたれ大名か。
一回目と二回目の面接で、俺はわざと退屈な話をした。
古代の聖王がどうだとか、道徳がどうだとか、儒家あたりが好みそうなカビの生えた理想論だ。
案の定、渠梁はあくびを噛み殺し、最後には居眠りを始めた。
合格だ。
もしここで「素晴らしい話だ」なんて感動するようなら、俺は即座に荷物をまとめて魏に帰っていただろう。そんなありきたりの思考回路では、俺のシステムは理解できない。
彼は、退屈な現状維持には興味がないのだ。
そして迎えた、三度目の面接。
人払いをさせた薄暗い部屋で、俺は渠梁と向かい合った。
「で? 今日もまた、昔話を聞かせてくれるのかね? 公孫鞅」
渠梁は頬杖をつき、気だるげに言った。二十代前半の若さだが、その瞳には野心と焦燥が混ざり合っている。
「いいえ。今日は『力』の話をしましょう」
俺はニヤリと笑い、一枚の羊皮紙を広げた。
「殿下、この国は遅れています。OSが古すぎる」
「オー……エス?」
「仕組み、です。隣国の魏や斉に比べて、秦は圧倒的に非効率だ。貴族たちは既得権益にしがみつき、民は私闘に明け暮れている。これじゃあ、いくら兵隊が強くても、国としては三流のままです」
俺は言葉を続ける。
富国強兵のリアリズム。
法による絶対統治。
身分に関係なく、功績ある者には爵位を与え、罪ある者は厳罰に処す。
それは、当時の常識からすれば、あまりにも過激で、血も涙もない提案だった。
だが、渠梁の目が、次第に熱を帯びていくのがわかった。
あくびの代わりに、身を乗り出してくる。
「面白い。……だが、それをやれば、貴族たちが黙っていないぞ」
「黙らせるのです。法という名の暴力で」
「民も反発するだろう」
「従わせるのです。結果という名の飴と、処罰という名の鞭で」
俺たちは語り合った。
日が落ち、月が昇り、また日が昇るまで。
俺の語る「法治国家」という名の妄想を、彼は「採用だ」と笑って受け入れた。
俺はついに、プログラマーとしての管理者権限を手に入れたのだ。
採用されたからといって、すぐにシステムが稼働するわけではない。
まずは、ユーザー(国民)へのチュートリアルが必要だ。
この国の人々は、政府の言うことなんて誰も信じていない。「どうせ口だけでしょ」という不信感が、根深く蔓延している。
そこで俺は、一つのイベントを開催することにした。
名付けて『木の棒を運ぶだけの簡単なお仕事』。
都の南門に、三丈(約七メートル)の木の棒を立てる。
そして、高札を掲げた。
『この木を北門まで運んだ者には、十金を与える』
十金といえば、庶民が数年は遊んで暮らせる大金だ。
当然、集まった群衆はざわめく。
「おいおい、何の冗談だ?」
「どうせ罠だろ。運んだ瞬間に逮捕されるんじゃねぇか?」
誰も動かない。予想通りだ。
俺は金額を吊り上げた。
「五十金だ! 運んだ者には五十金を与える!」
群衆がどよめく。
その中で、一人の男がおずおずと手を挙げた。
「……本当にもらえるんで?」
半信半疑の男が、木の棒を担ぎ上げる。
男は野次馬に見守られながら、南門から北門へと歩いた。ただの木だ。重くもない。
北門に到着し、男が棒を下ろすと、俺は待機させていた役人に目配せした。
役人は、男の目の前に、ズシリと重い金塊を積み上げた。
五十金、耳を揃えて即金払い。
その瞬間、都中に衝撃が走った。
男が歓喜の声を上げ、群衆が驚愕の悲鳴を上げるのを眺めながら、俺は冷ややかに思った。
これでいい。
これは慈善事業じゃない。刷り込み(インプリント)だ。
この国では、政府の言葉は絶対だ。
言ったことは必ず実行される。
報酬も、そして――罰も。
ルール(言葉)が現金(現実)になることを、骨の髄まで理解させるための、高価なデモンストレーション。
騒ぎを見下ろす城壁の上で、俺は西の空――魏の方角を見上げた。
メイ、聞こえるか。
俺は今、人々の常識を書き換えたぞ。
馬鹿げたショーだと笑うか?
だが、これで俺の命令一つで、国中が動くようになった。
基盤(土台)はできた。
次はいよいよ、古い建物の取り壊しだ。
貴族も、王族も関係ない。邪魔なバグは、すべて排除する。
俺は懐の割符を、服の上からぎゅっと握りしめた。
待ってろ。
すぐに、世界一窮屈で、世界一安全な国を見せてやるから。




