好きじゃないなんて言ってない
「たまに食事の支度で途方に暮れることがあるの。もっと料理好きになりたいわ」
水汲みのついでに井戸の側で友人たちと雑談を楽しんでいたケイトがそう零すと、ふいに甲高い声が割って入った。
「えぇ?ケイトったら料理好きじゃないの?」
「いいえ、料理はするしそれなりに好きよ。でも裁縫の方が好きなのよね」
急に割って入ったのはストロベリーブロンドの髪をしたモリーだった。
井戸の側は情報交換にちょうど良く、ケイト達は水桶を足元に置いて夕飯の献立や効率のいい調理方法を話していた。
その中でケイトが発した台詞を拾ったのがモリーだった。
ケイトは数カ月前に結婚したばかりで、相手は兄に紹介された大工のウィルだった。
背が高く寡黙、強面ではあるが、中身はいつもケイトを気遣ってくれる優しさがあった。
どうやらモリーはそんなウィルが好きだったようで、ケイトを一方的に目の敵にしているらしい。
『ねぇ、モリーとはどんな関係だったの?』
事あるごとに「ウィルはシチューが好きだから」「ああ見えて可愛らしい飴が好きよね」とさもケイトよりもウィルのことを知っているという雰囲気を漂わせてくるモリーに、ケイトは以前関係があったのでは、と疑問を抱いた。
疑問があればすぐに相手に確認せずにはいられないケイトは、すぐにウィルにモリーとどんな関係だったのか聞いた。
ウィルは首を傾げて考え込んで答えた。
『モリー……誰だ?』
『ストロベリーブロンドの……』
『あぁ、マルタおばさんとこの末っ子か。……挨拶したことくらいはあるか?』
『あらそう、仲が良かったと聞いたものだから』
『そうか。誰かと間違えてるんじゃないか?ああ、そんなことよりケイト、ここの飴の新作を買ったんだ』
ウィルの中で存在の認識すら危ういと判断したケイトは、ウィルが耳を赤くして差し出す飴を笑顔で受け取ったのだった。
そんな事を思い出していたケイトは少し黙り込んでいたが、何かを誤解したらしいモリーは更に声を大きくする。
「料理が好きじゃないなんて、ウィルが可哀想ね。体力仕事なのに不味い食事しかできないならあたしが代わりに作ってあげるわよ!」
モリーの言い方にケイトの周りにいた友人達が不愉快そうに眉を顰めた。
「ちょっとモリー、何で他人のあんたがウィルに食事を作るのよ?確かにマルタさんは料理上手だけど、あんた関係ないじゃない。それにケイトの腕も知らないで」
「料理が好きじゃないって、不味いんでしょ?それならウィルが可哀想じゃない!折角結婚したのに美味しい食事ができないなんてさ!」
ケイトが呆れて言い返そうとした時、ケイトの横顔に影がかかった。
左側が暗くなったことに気付いたケイトが視線を向けると、額に薄っすらと汗を浮かべたウィルが立っていた。
「ウィル、仕事はどうしたの?」
ケイトが声をかけるとウィルに気付いたモリーがウィルの左腕を抱き込んで一層甲高い声を出した。
「ねぇ、ウィルも美味しい食事がいいでしょう?あたしが作ってあげるわ!」
ウィルは不快そうにモリーの腕から乱暴に腕を引き抜いた。
モリーには何も言わず、視線も向けずにケイトに声をかけた。
「今日は早く終わったんだ。ケイトに早く会いたくて走って帰ってきた。帰ろう」
ケイトの足元にある桶を軽々と持ち上げると、ウィルは空いている手を自然にケイトに差し出した。
ケイトも少し照れながらその手に自分の手を重ねていつも通りに寄り添った。
「ちょっと待ってよ!」
完全に無視されたモリーが顔を赤くしてウィルを引き留めたがウィルは怪訝そうな顔をしていた。
「……さっきから誰だ?」
「は……?あたしよ!モリーよ!」
「知らん」
モリーの顔を見て黙り込むウィルに、モリーの顔色がどんどん悪くなっていく。
蒼白になるモリーを少し哀れに思いケイトはウィルに耳打ちをした。
「確かマルタおばさんのとこって言ってなかった?」
「あぁ。そう言えばそんな話もしたか。……帰るか」
少し考えたが、ウィルはモリーとの関わりを思い出せなかったのか、モリーに対して何も言わずにケイトの手を取って歩き出した。
「どうして!不味い食事より美味しい食事を食べたいでしょ?」
モリーが食い下がるようにウィルのシャツを掴み、仕方なく足を止めたウィルは少し首を傾げて言った。
「ケイトの作る飯は美味いぞ?」
「へ?」
「そうよね、ケイトの作るポタージュって美味しいわよね。作り方教わったんだけどあの味にならないのよね」
「分かるわ、あれはもうケイトの腕よ」
友人達がこそこそ話している声を聞いたモリーは口をパクパクさせて言葉を探していた。
「だって……料理好きじゃない……」
ケイトは呆れたように息を吐いた。
「裁縫と比較して裁縫の方が好きなのよ。私の仕事知ってるでしょ?」
ケイトが最近人気のあるクチュリエでお針子をしていることを思い出したモリーは唇を震わせた。
「そんな……だって……」
「それにね、料理ができないなんて一言も言ってないわ。ウィルに美味しいって思って欲しくて練習したんだから」
「……最初から美味かったぞ」
ケイトの手を握る力を少し強くして、耳を赤くしたウィルはボソッと呟く。
「嬉しい。ちょっと失敗してもいつも褒めてくれるから頑張れるのよ。ウィルの作るポリッジも美味しいわよ」
ウィルは照れたように下を向いて緩む口元を隠そうとした。
上背があるウィルが俯いても皆には見えていたが。
「珍しいわね、旦那が作ってくれるなんて」
「羨ましいわ、うちのも作ってくれなくてもいいけどたまには褒めて欲しいもんだわ。いつもうんでもなければすんでもないんだから」
うんうんと頷きあう女性達に更に耳を赤くしたウィルにケイトは微笑んだ。
「じゃあ、今日は二人でゆっくり夕食を作りましょうか。妹からカボチャを貰ったのよ」
微笑みあう二人にモリーはなおも食い下がろうとしたが、声が震えていた。
「でも……だって、料理が好きじゃないって……嫌いって」
「だからね、好きじゃないとも嫌いとも言ってないわ。練習もしたし、ウィルはいつも褒めてくれるし。でもウィルの方が手際がいいんだから途方に暮れることもあるわ」
「そんな……」
シャツを掴んでいたモリーの手がだらりと落ちた。
「皆で作業する時に作ることもあって必要だったから覚えたが、ケイトが喜んでくれるなら覚えてよかった」
「いつも褒めてくれるし私のためにも作ってくれるし、本当にありがとう」
ウィルはモリーの手が離れたことも気にせずにケイトを見つめ、ケイトもウィルを見つめ返した。
その様子を見ていた周りの女性達が叫んだ。
「ああこれだから新婚は!さっさと帰って、美味いとも不味いとも言わない旦那のために夕食作らないといけないからあたしらももう帰るわよ!」
「私もだわ。黙って食べるだけなのよ。ちょっとは褒めてくれると作り甲斐があるのにね!」
「本当、その癖たまに皿を片しただけで褒めて欲しそうに見てくるんだから鬱陶しいったらありゃしない!」
皆がモリーに背を向けて歩き出した。
ウィルも一度も振り返らずにケイトと共に歩き出す。
モリーは少し立ち尽くしていたが、重い水桶を持って家に向かって歩き出した。
初恋相手に認識すらされていなかった恥ずかしさと、失恋した痛みで鼻の奥がツンと痛んだ。
―後日、井戸端でのやり取りを聞いたマルタがモリーを叱り飛ばしたと皆が噂をしていた。
『毎回鍋を焦がすお前が何言ってんだい!しっかり母ちゃんのやり方を覚えな!』
それから数か月の間、夕食時になるとマルタの家からは焦げた臭いがしていたとケイトは噂で聞いたがウィルには教えなかった。
ウィルも興味はないだろう。
ウィルを信じてはいたがやはり感情としては面白くなかった。
これで関わらないでいられればいい、と子供の肌着を縫いながらウィルの帰りを待っていた。
終
パスタ好きじゃないって言う母の作るパスタがめちゃ美味なのが未だに謎です。
どこかで見たことある名前の人出てきてますがお気になさらず。
優しい人が特別な人には特に優しいのが好きです。
モリーには優しくないけど不審者と思っていたので冷たい対応。




