想い
【前回までの話】
一か月以内に赤鳳を攻め落とすしか未来はない。彼らは自分たちの現在地点を共有し、前へと進み出す。
また、ミツバはこれまで隠していたサクラの母親が既に亡くなっていることを伝える。やるせない気持ちになったミツバは、桜の木があるかもしれないと思い、サクラを引き連れて白燕の塔を訪れた。
遠路はるばる白燕の塔へ。
隠密部隊として戦闘のために白燕の前に来ることは多かったが、中に入るのは白燕が制圧された日以来だ。
門兵に通行証を見せ、塔の中へ。防護服を洗浄してから更衣室で脱ぐ。
その先にあるのは、あの頃と全く変わらない景色だった。
「待っていたぜ、ミツバ!」
そこにいたのは、白燕の仲間たちだった。二十人以上の隊員がミツバの帰塔を出迎えてくれていた。
「みんな……生きていたのか……」
「馬鹿野郎、こっちの台詞だっての」
思わず目頭が熱くなる。
肩を組まれたり、拳を突き合わせたり。色んな表現で、彼らはミツバを歓迎した。
黒鷹は白燕に対してかなりの厚遇をしてくれていたらしい。ソウマが奴隷的な扱いをしていたのを見たが、代わりにユキヤが庇ってくれていたのかもしれない。
それも当然、この後に控える戦いのための戦力になってもらわなければ困る、という合理的な考え方からだが。
そんな中、いつの間にかサクラがミツバの背後に陣取っていた。それに気付いた仲間が叫ぶ。
「後ろにいるのは……お、女⁉︎ ミツバが奥さん連れて帰って来やがった‼︎」
「違う! コイツは【紅蓮】だ」
「ぐ、ぐれん……? 【紅蓮】⁉︎」
ミツバ自身も最初は驚いたものだ。感情が追い付かない様子の仲間たちに対し、ミツバは静かに告げた。
「悪い、遊びに来た訳じゃないんだ。皆とは全部落ち着いたらゆっくり話そう」
ミツバはすっと歩き出し、仲間たちはそれを避ける。ミツバとサクラの背中を見つめていた仲間が、ぼそっと呟いた。
「なんか……変わったな、ミツバ。凄みがあるっていうか……」
凛と伸びた背筋。立ち姿が、どこかサクラに似てきていた。
□ □ □
ミツバは白燕の頃の記憶を頼りに、三五五層へと向かった。
白燕で学園区画と呼ばれていた層だ。その中央に位置する本館。その一番奥の部屋である校長室に、あの頃と変わらずにカモメはいた。
「よく来たね、ミツバ」
あの頃と変わらない。けれど、少しだけ歳を取ったように感じた。
「スギから話は聞いているよ」
カモメはスギと同様に、希望の塔プロジェクトを知っていた数少ない人物だった。
「ゆっくりとミツバの話を聞きたいところだが、今はそんな余裕はないね。単刀直入に話そう」
カモメは小さく首を振って告げる。
「ミツバ。残念だが、白燕の『種の保存』という役割は、百年以上前に失われている」
三百年という時間の流れは大きく、数々の想定外がそれぞれの塔に待ち受けていた。
コールドスリープして動植物を保管していたが、その電力消費量は並大抵ではない。何を諦めるかを判断し、『種の保存』を選んだ。
現実は残酷である。
「つまり、もうこの世界にサクラの苗は無いだろう」
『種の保存』の役割を担っていた白燕に無い。であれば、他の塔に存在する道理はない。
単純明快な事実。
それがいやに深く、ミツバの心臓を抉った。
□ □ □
帰り道、誰もいなくなった白燕のエントランスを二人は歩いていた。先導するように前を歩いていたミツバは、突如くるりと振り返った。
「悪かったな、サクラ。変に期待させるようなことしちゃって」
舞い上がっていた。冷静に考えれば、白燕の『種の保存』という役割が失われていることなんて簡単に想像が付いたのに。
思えばスギはそのことを知っていたはずだ。それでもわざわざ自分の足で向かわせた。そこには白燕の同胞と再会するとか、自分を見つめ直すとか、何らかの意図があったのだろう。スギはそういう人間だ。
なまじ希望を持ってしまったために生じた落差。それはミツバが今までに経験したことのない感情だった。
探していた本人よりも深刻そうなする顔をするミツバに、サクラは首を傾げた。
「あなたは……変ね」
「………………変か?」
サクラはほんの少しだけ眉尻を下げて、小さく頷いた。
「前も聞いた気がするけれど、なんでそんなに私に構うの?」
原発事故の責任者の末裔として忌避されていたサクラを、構う人間なんて少なかった。ましては同世代なんて、話す相手すらいなかった。
サクラにとっては、実に純粋な疑問。逃避行の果てに辿り着いた橙鶴で聞かれた時、ミツバが答えられなかった問いだ。
でも、その答えを出すのは、もう簡単だった。
「君が不幸な人間だと思うから。この世界で、一番」
その説明を待つように、サクラは沈黙する。
生まれた時から全身は放射能汚染されていて。
生まれた時から人々に忌避されて。
そんな世界で戦い続けて。仲間を失い続けて。
「だから君が報われた時、きっとこの世界は少しはマシになっているだろ?」
それはただのミツバの自己満足な理論。
「全然理解できないわ」
「だよな」
本人すらも笑ってしまうような、めちゃくちゃな論理だ。
けれど、それは限りなくミツバの本心。
「つまり――」
絶望に抗い続けたミツバが辿り着いた結論である。
「俺は、君に幸せになって欲しいと、思ってしまったんだ」
この世界は数多くの犠牲の上に成り立っている。
彼女は世界に絶望した。けれど、それでも歩みを止めなかった。
世界も他人も憎まず、ただ一心に戦い続けた。
その先にあるものが、幸福であって欲しいと想った。
そのために戦うと、強く心に決めた。
「たとえ世界が拒絶しても、俺は君と一緒にいる」
時が止まった。そんな気がした。
「ミツバは……やっぱり変だね」
サクラはいつものように、表情を変えなかった。
それでも、少しだけ声が震えていた。
「じゃあ代わりに、私がミツバを守るね」
それがサクラなりの精一杯の表現だった。けれど、ミツバは少しだけ不満げで。
「なんかそれ……微妙じゃないか?」
「どう……して?」
「なんか……かっこ悪い」
「……やっぱり、ミツバは変」
「サクラが変なんだよ」
そんな要領を得ないやり取りを、二人は黒鷹に帰るまで続けていた。
* * *
ミツバとサクラは黒鷹――ギンの研究室へ帰還した。
「ただいまー」
いつものようにホワイトボードに数式を記述していたギンは振り返ると、首を傾げた。
「何だよ、気持ち悪い」
「うん、気持ち悪い」
いつもよりも少しだけ高い声色と、二人の安心したような表情。そして、ほんの少しだけ近付いた物理的な距離感。
ぎょぎょっと目を見開いたギンは、おずおずと尋ねた。
「もしかして、君たち恋愛関係に?」
ミツバは鼻で笑う。
「恋愛? 何百年前の文化の話してんだよ」
二○四○年代、遺伝子検査の技術は発達し、既に「遺伝子的に相性の良い」相手を調べられるようになった。希望の塔プロジェクトでも当然採用され、今なおそれは残り続けている。男女別々のところで働いていることも多く、大人になるほど男女の関わりは減っていく。結果的に、恋愛という文化はほとんど廃れてしまった。
ミツバとサクラは、ギンをおかしな物を見る目で一瞥すると、『希望の塔プロジェクト』の冊子を開いて戦いに向けた作戦会議を始めた。
それから、彼らは総力戦に向けた準備を始めることになる。
彼らにとって人生で最も濃密な時間。一秒たりとも無駄にせず、ただ一つの共通目的に向かって邁進した。
ただ勝つために。強くなるために。
これは英雄譚なんて代物じゃない。
世界に、時代に、大人たちに翻弄された一人の少年の物語だ。
そして一ヶ月後、世界の命運を握る戦いが始まった。




