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絶望の起源

【前回までの話】

日本の各分野のエキスパートを集め、原発事故に立ち向かう。それが『希望の塔プロジェクト』だった。

 日本の叡智を凝縮した国家プロジェクトは少しずつ軌道に乗り、新たな命も芽生えていく。

 六つの塔は少しずつ高くなり、五十メートルを超えた。農家や酪農家も少しずつ暮らし始め、自給自足のサイクルも回り始めている。

 けれど、一つの懸念は存在した。

 積雪量が日に日に増加し、除雪が追いつかなくなってきたのである。

 また、除雪を繰り返しても塔の周りの放射線量は増えていった。

 そんなある日、田沼元総理から発表があった。

『半年後から、プロジェクト関係者の家族も、塔での暮らしを始めていただきます』

 いつかは来ると思われていた塔での生活。それが現実のものとなったのだ。

 これまでは希望の塔プロジェクトに深く関わる人々だけが暮らし、今後に向けたデータ収集が行われていた。だが、半年後からは関係者の家族や権力者など、これまでとは比べ物にならないだけの人口に増やしていくことになる。

 そして今後、基本的に塔から出ることはない。

 希望の塔プロジェクトの第二フェーズにして、最も重要な段階だ。

 ここで自給自足のサイクルを形成できなかった場合、時の経過と共にプロジェクトは瓦解する。

『それに伴い仮で暮らしていただいていたプロジェクト関係者も、正式に暮らしていく塔を決定します』

 では、どのように暮らしていく塔を決定するか。それは塔の長期的な役割で決まる。

 希望の塔プロジェクトの最終フェーズ――すなわち真の目的に向けて。


 希望の塔プロジェクトの真の目的は、『火星への移住』だった。


 六つの塔は役割分担をし、『ノアの方舟』の完成を目指すことになる。


 赤鳳せきほう:工学を発展させる。具体的にはスペースシャトルや人工衛星を作る

 青雀せいじゃく:エネルギー問題を解決する。具体的には核融合発電を実用化する

 黒鷹こくおう:情報・データを保管しつつ、情報工学を発展させる

 白燕はくえん:地球上の生命を保存し、地球の多様性を守る

 橙鶴とうかく:医学を発展させる

 緑鴉りょくあ:建築資材や食糧、核燃料を保管し、他の塔に分配する


 全てが順調に進んでいる。ほとんどの人がそう思っていた中で、楓だけが違和感を募らせていた。

「私が青雀じゃない……?」

 核融合発電と原子力発電は異なるとはいえ、同じ原子力分野だ。そのように考えてもおかしくはない。

 しかし、楓の塔は黒鷹。

 楓は事務局に確認を取ったが、黒鷹の原子力発電所の責任者を務めてほしいとの返答だった。六つの塔ではそれぞれで自給自足のサイクルが形成されている。確かにそのような原子力発電所の管理という役割は必要だ。

『原子力発電所の管理だけではない。君には黒鷹の塔の行政のリーダーを任せたいと思っている』

 行政のリーダー? いくらなんでも、買いかぶりではないだろうか。

 そう思った楓だったが、田沼の強引な猛プッシュに押し切られ、渋々引き下がらざるを得なかった。

「晴雪は白燕だったか。オレは橙鶴」

「てっきり俺は黒鷹だと思っていたんだが……ほら、気象予測もざっくり言えば情報工学ではあるし」

「確かに。少し不可解だな。でも、希望出したら検討するって書いてあるぞ」

 楓のように一部の人は事務局によって塔が決定される。だが、気象学の専門家である晴雪や理論物理学や数学の専門家である椿など、塔の役割に直接関わらない学者は研究内容などを考慮しつつ、ある程度自由に決めることができるという話だった。

 晴雪と椿はどこの塔に所属するか決めかねていた。

 その話を聞いていた楓は少しだけ考えて、頬を染めながら告げた。

「ねえ、一緒に黒鷹で暮らさない?」

 時の流れがゆっくりになる。

「椿も一緒に三人で」

 この意気地なしめ。そう思った椿だったが、まあそういうのは男の方から言うべきだよな、と心の中で納得する。

 晴雪の返答を待つ間に耐え切れず、楓は苦笑いしながら椿に話を振った。

「椿はどう思う?」

「……まあ、オレらは両親とも一緒に居られるから、黒鷹で暮らすのには賛成かな。晴雪はどうするんだよ?」

 晴雪は楓を見つめて答えた。

「ああ、一緒に暮らそう」

 その言葉に、楓はほっとした表情を浮かべ、椿は小さく口角を上げる。

 けれど、晴雪は静かに思考を研ぎ澄ましていた。

 何か。何か重要なピースが抜けているような感覚。


 全身の細胞で感じるこの違和感の正体は何だ?


 晴雪の心の内を、この時の楓と椿はまだ知らなかった。


   * * *


 その一週間後、とある事件が発生した。

 プロジェクトの一部の重要関係者にはオンライン通話でその報告会が行われた。黒鷹の運営を担う楓も、当然その会に呼ばれる。

 その内容とは、希望の塔プロジェクトが部外者に知られたという話だった。

 本来ならば大事件だ。ネットで拡散されでもしたら、大きな話題になってもおかしくない。

 けれど、田沼はその点は心配無用と説明した。

「彼らは『ネイチャーズ』という過激派の自然愛護団体です」

 ネイチャーズ。それは種子島原発事故から生まれた団体で、この時代の人々なら皆が知る存在だ。その名が示す通り自然を愛する者たちが集まった団体で、科学には絶対に頼らないという過激派の自然愛護団体。

 生活の全てを自然で構築しており、生活に必要な衣食住は全て自然から調達する。彼らは土地を移動しつつ生活をしていた。その過程で塔を見つけてしまったというわけだ。

 人々の平和な日々を奪った原発も科学。北海道で結成されたその組織の志に感銘を受ける者は少なくなく、ネットで大きな動きを見せた。

 最も話題になったのは、良い意味での話ではなかったのだが。

 北海道にいなかった本島のネーチャーズ志望者たちは、覚悟を見せるため「科学に頼らずに北海道に行く」ことを宣言した。スマホを海へ投げ捨て、木を切り船を作った。そして、津軽海峡を渡る決死の大航海を行った。

 結果、自然の過酷さに打ちのめされることになる。

 死者四十人。全滅だった。

 その出来事は大々的に報道に取り上げられ、多くの人が存在を認知することになった。それでも、徐々にその勢力は拡大し、今や数百から数千の規模になっていた。

 つまり、田沼がネットでの拡散の心配がないと言った理由は、彼らが通信機器を持っていないからだ。

「それでも、厄介なことに変わりはありません」

 瞬間、空気が変わる。

「始末しますか」

 田沼の冷たい言葉に、楓の顔が凍りついた。思わず、楓はミュートを外した。

「それは……殺すということですか?」

 そこに、感情というものは存在しなかった。

「はい。プロジェクトの邪魔ですから」

 ふざけるな。

「我々黒鷹の塔は、その対応に断固抗議します」

 咄嗟に言葉が出ていた。画面の前で、楓は拳を握る。強張った表情の楓に対し、田沼はふっと笑みをこぼした。

「それができる立場である、と?」

 田沼の卑しい笑みが、画面を支配する。

「どういう意味ですか……」

「まだ、今の権力構造を理解していないようですね。この希望の塔プロジェクトは、一つの塔では成立しないのですよ。このプロジェクトの中核を為しているのは、緑鴉の塔です」

 田沼は実につらつらと、雄弁と語り始めた。

「緑鴉の建築資材が無ければ塔は高くできない。核燃料が無ければ発電もできない。そして、その緑鴉の塔は工学に秀でた赤鳳と青雀に挟まれて守られている。この意味が分かりますか?」

 楓はようやく理解した。その作られた権力構造というものに。

 このプロジェクトは、おそらく最初から田沼のために生み出された。

 そして、赤鳳と青雀と緑鴉はグル。黒鷹・白燕・橙鶴は踏み台にすぎず、ただ搾取されるためだけの肥やし。全ては彼らが自在に掌握するための、作られた役割分業システムだった。


 赤鳳せきほう:工学を発展させる。具体的にはスペースシャトルや人工衛星を作る

 青雀せいじゃく:エネルギー問題を解決する。具体的には核融合発電を実用化する

 黒鷹こくおう:情報・データを保管しつつ、情報工学を発展させる

 白燕はくえん:地球上の生命を保存し、地球の多様性を守る

 橙鶴とうかく:医学を発展させる

 緑鴉りょくあ:建築資材や食糧、核燃料を保管し、他の塔に分配する


 この役割分担のパワーバランスがあまりにも崩れているということに、誰も気付けなかった。

 たとえ武力行使に出ても、工学に秀でた赤鳳と青雀には勝てない。科学兵器という名の暴力で蹂躙されるだけだ。

「詰んでいるんですよ、あなたたちの塔は」

 楓の顔が蒼く引きつる。呼吸が浅くなり、喉の奥に栓をされたような息苦しさに襲われた。

「(晴雪……椿……私はどうしたら……)」

 このままでは、悲劇が起こってしまう。

 けれど、その時はすぐに訪れることになる。

 塔の存在に疑いの念を持ったネイチャーズの一団が、赤鳳の塔に詰め掛けたのだ。アイクスで駆けつけた楓と晴雪と椿は、既に事が済んだ惨状を目の当たりにすることになる。

 拳銃による射殺。降り積もる雪が、鮮血に染まっていた。

 立ち尽くすしかない晴雪と、嘔吐を堪えるのに必死な椿の横を、楓が駆けた。

「まだ……生きてる!」

 楓は一人の若い男の前に膝から滑り込んだ。男は少しやつれているが、細目を開けている。彼の手にはよく手入れされた日本刀が握られていた。

「大丈夫です! 今、助けますから‼︎」

 楓の強い意志に返されたのは、拒絶の言葉だった。

「ふざけるな……誰が……科学の助けなど受けるか……」

 そうだ。

 彼らはネイチャーズ。科学を心の底から拒絶する者たち。

「我らの平和を奪った科学に命を救われるくらいなら、死んだ方がマシだ!」

 ああ、救うのは無理だ。

 晴雪がそう思った瞬間、破裂音が響いた。

「ふざけないでください」

 楓が、男の頬を思い切り平手打ちしていた。

 予想外の行動に、晴雪も椿も、その男すらも呆けてしまう。

「あなたがどれだけ科学のことを嫌いでも構いません。それでも、救われる命を捨てるのは違う」

 楓はぐっと息を飲んでから言い放つ。

「先人の血の滲むような努力と犠牲を、愚弄するなっ‼︎」

 これだけ感情を強く表に出した楓を、晴雪は初めて見た。その姿に、晴雪の胸がぐっと締め付けられる。

 泣きそうになりながら、楓は振り絞るように告げた。

「科学も、自然と同様に全ての人に平等なんです」

 男の意識が残る中で最後に聞いたのは、そんな言葉だった。


   □ □ □


 男は橙鶴の塔に運ばれて処置を施され、無事に目を覚ました。二○五○年代の科学力は、ヒトを簡単には殺さない。

 男はしばらく天井を見つめた後、静かに涙を流した。

「やはり、死とは怖いものだな」

 それを聞いた椿は、ポツリと溢す。

「それはそうだ。死を克服しようするのも、科学の大きなモチーベーションのひとつだからな」

 しばらくしてから、男は自身のことを話し始めた。

 名前は真田武蔵さなだむさし。ガタイの良い二十一歳の若者だった。

「でも、俺だけ生き残っても仕方がない。それなら、死んだ方がマシだった」

 それも武蔵の本心だった。ネイチャーズは実に仲間思いの集団で。けれど、楓はそっと語りかける。

「あなたたちの仲間も、まだ他にいるんじゃないですか?」

 楓は一つ先の未来を見ていた。

 武蔵を助けた理由。それはネイチャーズとの紛争を食い止めること。いや、紛争まで至らない。科学兵器を持たないネイチャーズでは相手にならないからだ。

 ネイチャーズの虐殺を食い止める。それが楓の大きな目的だった。

「あなたのお仲間を殺したことは、謝っても許されることではありません。それでも、これから同じことが繰り返されるのを黙って見ているわけにはいきませんでした」

 楓の考えていることはすぐに理解した。けれど、武蔵がどういう道を選ぶか。晴雪は想像がつかなかった。

「どうするつもりだ、楓」

 少し考えてから、楓は答える。

「ネイチャーズは黒鷹で引き受ける」

 その言葉を聞いた椿がすぐに口を挟んだ。

「ダメだ。それじゃあプロジェクトが瓦解する。希望の塔プロジェクトは綿密な計算の上で成り立っているんだぞ。数百の人が増えるだけで、数十年経過したら大きな差になる」

「……分かってる。分かってるけど」

 瞳が揺れる。そして、楓は小さく首を振った。

「いや、ごめんなさい。私が間違ってる」

 楓は武蔵に向かって大きく頭を下げた。

「ごめんなさい。考えなしに期待させるようなこと言っちゃって」

 武蔵は気にしていないといった様子だ。

「いい。あんたたちは自分らのことだけを考えていれば。俺たちも、自分のケツは自分で拭くさ」

 言葉を発しようとした楓を遮るように、武蔵は続けた。

「でも、アンタたちは命の恩人だ。もう命を無駄にするようなことはしない。復讐を訴える仲間たちもいるかもしれないが、必ず止めよう」

 武蔵は完治すると、感謝の言葉を告げて去っていった。

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