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希望の塔プロジェクト

【前回までの話】

副隊長ソウマを撃破したミツバ。満身創痍の状況を救ったのは、隊長のユキヤだった。

 彼らは黒鷹へ帰還した。ソウマらを厳重に縛り上げて連行する形で。大事な話があるからという理由で、ムツキも同行することになった。

「サクラ」

 帰りの道中、雪上を滑走しながらミツバは問うた。

「隊長のユキヤは、信用しても良い人間か?」

 それに対し、サクラは前を見据えたまま一言だけ答える。

「黒鷹で最も合理的な人間よ」

 黒鷹へ到着すると、ユキヤがいつも在中している隊長室の隣の部屋に案内された。そこは二十人程度が入るように椅子が準備されており、既に数人の人が集められていた。その中にはギンの姿もあり、既に独房からは解放されていたようだ。ミツバはほっと胸を撫で下ろす。

 さらに衝撃的だったのは、スギがこの場にいたことだ。白燕出身の彼がどうしてここに?

 しかし、それを尋ねる暇もなくユキヤが話を切り出した。

「さて、どこから話すべきか」

 ユキヤは懐から二冊の本を出した。その内の一冊に見覚えがあり、ミツバは必死に記憶の奥を探す。

「『希望の塔プロジェクト』というものを知っているか?」

 そうだ。サクラの部屋で同じものを見た。中は見せてもらえなかったが、表紙も全く一緒。

 そして、もう一冊は少し小さなサイズの手記だった。どちらも紙の端はボロボロに風化していて、かなり年季が入っていることが分かる。

「話は三百年前、原発事故の時代にまで遡る」

 十世代以上前。詳しく知っている者などこの場にはいない。

黒鷹(こくおう)白燕(はくえん)橙鶴(とうかく)赤鳳(せきほう)青雀(せいじゃく)緑鴉(りょくあ)。六つの塔は昔は協力していた、というのは歴史として学んでいるだろう。その骨格となっていたのが『希望の塔プロジェクト』だ」

 ユキヤは本を机の上に置いた。ミツバはその本に視線を落とす。

 タイトルは『希望の塔プロジェクト』。

 そこにあった「希望」という文字が、あまりにも場違いに感じた。

「六つの塔はとある目的のために、それぞれ役割を与えられて建てられた」

 巨大な塔を六つも建造し、人類は何を成し遂げようとしたのか。

「黒鷹の役割は『歴史を守ること』」

 これから述べられるのは、この絶望的な世界の黎明について。

 かつて掲げられた『希望』は、いかにして今の『絶望』へと至ったのか。


「これから、黒鷹が守ってきた歴史の話をしよう」


   * * *


 二○五○年。鹿児島県種子島で、世界最大の原子力発電所の稼働が開始された。

 それは当時の総理大臣の判断。化石燃料の枯渇を食い止める術は無く、代替可能な発電システムを構築することができなかった事による、苦肉の策だった。電力費高騰で苦しい国民の生活を救い、酷く低迷していた支持率を上げようという政治的な思惑も介在していたが。

「おめでとう、楓くん」

 発足式で総理大臣の田沼は、一人の女性に賛辞を送った。

「ありがとうございます、田沼総理。世間の風当たりは強いですが、これで少しでもエネルギー問題が良い方向に向かえば良いのですが」

 小柄で華奢。黒の長い髪を靡かせる女性の名前は、実松楓さねまつかえで。三十代前半で種子島原発の責任者という大役を任された。期待を大いに背負っていたことは間違いなく、次世代の若き女性リーダーとしてメディアにも多く露出していた。


 けれど、原発事故は起きた。


 キノコ雲が立ち昇ると、地球は放射能汚染された雲に覆われた。ありとあらゆる情報が交錯し、人々は迷い惑った。

 そんな中、原発事故から一ヶ月後、北海道鹿追町で一つの会議が開かれた。

 それは後に鹿追会議と呼ばれることになる。


「希望の塔プロジェクト、発足です」


 原発事故の責任を取って総理大臣を辞任したばかりの田沼から発せられた第一声は、そんな聞き馴染みのない言葉だった。


「この世界を救いましょう」


 その概要は、『六つの塔を建設し、人類絶滅から回避する』という想像を絶するものだった。

 集められた人間も非凡の集まりだった。資産家たちから多額の資金援助を受け、各業界のトップクラスの人間が集められた。

 まさしく世界の命運をかけた国家プロジェクトである。

 けれどそれは、世間には秘密裏に始まったものだった。

「一つ、質問よろしいでしょうか?」

 質疑応答の始め、一人の若い男が立ち上がった。

「なぜ、こちらの女性がいるのですか?」

 それは男の左隣に座っていた女性を指していた。

 真っ直ぐな黒い髪にすうっと通った鼻筋。微動だにせず、机の一点を見つめている。

 実松楓は世界崩壊の戦犯として、ネットで怒涛の如くに叩かれていた。その場にいる全員がそれを知っており、失踪や陰謀など様々な憶測が飛び交っているのも知っている。実に当たり前の質問だった。

 楓は小さく俯き、目を細めた。だが田沼は、実に冷静に答える。

「この塔で生きていくには原子力発電は欠かせない。過去のことを水に流せとは言わないが、彼女の能力はきっと役立つと思うがね」

 質問者の男は、その答えに満足したのか、すぐに退き下がった。

「そうですか。ご回答ありがとうございます」

 思いの外すぐに引き下がったことに、多くの人が拍子抜けした。ただ、司会者が進行を始めると、注意はそちらに引き戻される。それから質疑応答が終わると、将来の展望の話となった。

 前に立ったのは、最初に楓のことを質問した男だ。

「よろしくお願いします。気象学者の堂前晴雪どうまえはるゆきと申します」

 線の細いさらさらとした髪は、少し色素が薄い。鼻筋はすうっと通っていて、高身長。年齢は二十代後半くらいで若く、好青年という雰囲気だ。

 晴雪は数パターンのシミュレーション計算の結果をスクリーンで示した。

「温暖化も真っ青なくらい、平均気温は低下するという結果が出ていますね。あれ、ここ笑うところだったんですけど……」

 その言葉に、困惑とも苦笑とも取れないような声がひっそりと沸いた。

「いくつかの懸念はあって断言はできませんが……あと三年もすれば、放射能汚染された雪が降り続けるようになってもおかしくはないです」

 晴雪はそんな予測を複数の計算モデルから導き出した。当初は疑問視されていた予想だったが、それは結果的に的中することになる。特に晴雪が設計した新たなシミュレーションモデルは、他の追随を許さないほどに精度が高かった。

「仮にそうなれば、生物はじわじわと放射線に蝕まれていくでしょう。いつ症状として現れるか分からない不治の病にかかるようなものです」

 現状把握としてはあまりにも厳しい現実を突きつけ、晴雪は壇上を去った。

 それからは塔の建築計画などの説明がなされた。それぞれの専門家が現時点での内容を説明し、プロジェクトの全体像を知るのがこの日の意味だ。

 長時間に及ぶため、途中で休憩を挟んだ。その休憩が始まってすぐ、晴雪が口を開く。

「先ほどは申し訳ありませんでした。気を悪くしたかと思いまして謝らせてください。色々陰口とか言われるかと思って、先に手を打っておきたかったんです」

 トイレのために立ち上がった楓は、その言葉にピタリと動きを止めた。

「いえ……別に。お気遣いありがとうございます」

 まるで感謝していない抑揚のない声色で、楓は感謝の意を伝えた。そのまま立ち去ろうとしたところで、さらに呼び止められる。

「すみません、もう一個だけいいでしょうか? あなたからも直接聞きたかったんです」

 それは晴雪から楓への問い。

「何のためにあなたはここへ?」

 楓はすぐに答えなかった。

「純粋に疑問なんです。世界を滅ぼすような大きな失敗をして、よくここに来られたなと思って。俺たちが想像もつかないほどの誹謗中傷を受けたでしょうに」

 晴雪は包み隠すことなく、本音で話していた。忌憚のない真っ直ぐな声色で告げる。

「絶望しなかったんですか?」

 一方の楓も、動揺する様子はなかった。じっと目線を合わせた後で、ゆっくりと口を開く。

「絶望は、死ぬほどしました」

 けれど、その表情に曇りはない。

「でも、それは過去です」

 目を丸くした晴雪に、楓は静かに告げる。

「今は、自分に何ができるのかを考えています。何をしたら誰かのためになるのか、それだけ」

 その言葉を聞いた晴雪は、くすりと笑った。


「いいですね、あなた。好きになったかも」


   □ □ □


「なあ、姉貴。こいつ誰? なんで付いて来てんだ?」

「いや、なんか気に入られちゃって……モテる女はツライね……うん」

 プロジェクトのために用意された食堂。窓際の席で楓は苦笑いを浮かべた。それとは対照的に、正面の晴雪はニコニコしながら座っている。

「弟の椿くんだよな。僕は堂前晴雪。よろしくな!」

「ああ……はい、よろしくお願いします……」

「同い年だろ? タメ口でいいって」

 楓の隣に座っているのは弟の椿だ。さっぱりとした短髪で、楓に目元がよく似ている。

「椿も椿よ。なんで会議に出席しないの? それなのにご飯だけはちゃっかりいただいて……」

「だって今日は全体のオリエンテーションだろ? 面倒なだけだし。資料見れば話は分かるだろ」

 面倒見の良い姉と自由人な弟。それが晴雪の第一印象だった。

「椿は数学者兼、理論物理学者だったんだな。実績を見て驚いたよ」

 晴雪のその言葉に、楓の方が驚いた表情で返す。

「なんで知ってるんすか?」

「さっき調べた。好きな人のことを知りたくなるのは当然だろ?」

「何これ? 新手のナンパ? 最近ってこんな感じなの?」

 楓は呆れ、椿は蔑み、晴雪は微笑む。

「論文もちょっと目を通させてもらったよ。凄いな、俺には理解できないことばかりだった」

 その手放しの賛辞を受けて、椿は満更でもなさそうに口を尖らせた。

「まあね。昨日も一つの未解決問題を解決しちゃったからな」

「へえ、何について? 僕に理解できるかは分からないけど」

 興味を抱く晴雪を前に、椿はふふんと大きく鼻を鳴らした。

「歩いているとくるぶしソックスが自然に脱げちゃう物理について」

 言葉を失う晴雪を横目に、はぁとため息をついた楓が説明を加えた。

「この子は無駄な研究ばかりしているの。本気を出せば優秀なんだけどね」

 椿は釈然としない様子で、異議を申し立てた。

「無駄な研究なんてないさ。この世の全ての研究は、世界の理を解き明かすための過程に過ぎないんだから。逆に言うと、世界の理が解明された時、この世の全ての事象は意味を持つことになる」

 自身の哲学を語る椿と、まるで理解不能だと答える楓を見つめ、晴雪は小さく笑って告げた。

「なんだか、面白い姉弟だな。似ているけど、反対だ」

 どういう意味? と、ここでは楓と椿の息がぴったりと合った。


   * * *


 希望の塔プロジェクトは、猛烈な速度で進行した。

 半年で塔の設計を完成させてすぐに施工に取り掛かり、同時に原子力発電所の建設が始まる。大金を叩いて世界から膨大な資材と人をかき集めた甲斐があったというものだ。

 世界も激しく変動した。まず、ハイパーインフレーションを起こした。通貨の価値が各国で暴落したことが原因だ。企業はリストラ策を講じ、失業率も急上昇することになる。

 平民は酷く困窮したが、資産家たちは原発事故直後にインフレに対する充分な対策を講じており、むしろ資産を増やした。貧富の格差は過去に類を見ないほどに拡大し、街にはホームレスが溢れ返った。

 放射線の遮蔽効果が高い重金属はいつまでも高騰しており、それらを集めていた資産家たちは特に利益を挙げた。

 けれど、人々は少しずつ資産などに価値を見出さなくなっていく。先の見えない未来を思い描くより、今の幸せを大事にしようという考え方だ。それは世界を生き抜こうと考えている人間が異端、というところまで進んでいくことになる。

 ただ、世界の困窮とは対照的に、希望の塔プロジェクトは止まらなかった。

 この希望の塔プロジェクトは、世界に公開されていない超極秘プロジェクトのまま進んでいく。

 一ヶ月、一年と経過するにつれ、晴雪の予測通り徐々に世界の平均気温は低下した。

 そして原発事故からたった三年で、平均気温は十℃以上も下がり、二○五三年冬、ついに『ニュークリア・スノウ』が降り始める。

 それからは地獄だった。

 病人が例を見ない勢いで増え始め、徐々に死者が増加していった。原因の断定は容易ではなかったが、多くが放射能汚染によるものだったことは言うまでもない。

 人は放射線の恐怖に怯えながら暮らすことになった。

 シェルターに篭る者、諦めて今を楽しむ者。多種多様ではあったが、少しずつ世界の終末が近づいていることは確かで。

 それと共に、希望の塔プロジェクト内での楓に対する風当たりも強烈になる。結果的に、晴雪が最初のプロジェクト説明会でした布石の効果は一時的なものとなっていた。

 塔の建築は既に軌道に乗っており、プロジェクトに深く関わる彼らはもう塔の中で暮らし始めている。

「何か言いたいことがあるなら言えばいいのにな」

 陰口を言われていることなどすぐに分かる。それでも晴雪は頑なに楓の側を離れようとしなかった。

「いいよ、別に。前も言ったけど、私は過去のことは振り返らないの」

 楓は楓で気丈に振る舞った。少なくとも、弱みを見せることは一度もなかった。

 世間からは史上最悪の大罪人として祭り上げられた。あまりにも目撃情報が出ないことから「自殺した」というのが大方の予想となってからは、多少落ち着きを見せることになったが。

 どんな思いを楓が抱いているのか。それは当人にしか分からず、周りはそれを推し量ることすらできない。たとえ近くにいる椿や晴雪であっても。

 楓が席を外したタイミングで、椿がそっと晴雪に告げる。

「あれは半分本当で、半分嘘だよ」

 晴雪と椿も、何でも言い合えるような親密な関係になりつつあった。

「あの原発事故には、何か大きな力が働いていた」

 その突然の言葉に、晴雪は大きく目を見開き息を飲んだ。

「どういうことだ……?」

「不可解なことはいくらでもあった。どう計算してもメルトダウンするような状況にはならなかったことも、希望の塔プロジェクトの発足があまりにも早かったことも。今、オレたちの存在が世間にバレていないことも」

 他の人に聞こえない声で、椿は言い放つ。

「田沼は何かを隠しているぞ」

 その言葉を聞いて、晴雪の中であらゆる合点がいった。

『絶望は死ぬほどしました』

『今は自分に何ができるのかを考えています』

 楓が晴雪に告げたその言葉の裏側も見えた。

「だから姉貴はそれを突き止めようとしている。その妄執で姉貴は生きているんだよ」

 椿は目を伏せて悲しげに呟く。

「なあ、晴雪。なんとかして、姉貴を救ってあげられないか……?」

 けれど、晴雪はすぐに答えることができなかった。

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