第一話 ルイの優雅な日常の終わり
その日。ルイ・ボーヴォワールはいつものように堕落した生活を満喫していた。
ルイが中等学院を卒業したのが約一年前の16歳。スキップを駆使した結果、二歳年上の同級生たちに囲まれて校舎を後にした。
この国には、知識は貴族のものであって庶民は教育を受けるべきではない、という考え方がある。ほかに金銭的理由もあるだろうが、現状、学校に通う若者の大多数が貴族だ。
そのため、卒業後の進路は家業を継ぐか、嫁ぐか、親の手伝いにまわるか、高等学院に進むかの四つが基本である。
ルイが選んだのは三つ目の、親の手伝いをすること。学校の友達にも自分は親の手伝いをしなければいけないからと言って、寮から家に帰ってきた。
……だが実際のところは少し違う。ルイは両親に、「お前は賢いのだから高等学院に進め」と言われていたのだ。
その言いつけを破った理由は単純明快、めんどうくさかったから。
「ひまだなあ……」
今日は、ボーヴォワール家が属する土地の領主――簡単に言うとボーヴォワール家の上司である、デュフール家の次男に言語の授業をする予定だった。だが、先日行われた祭りの影響で屋敷内が大変なことになっているらしく、急遽中止になった。
というわけで今日は、両親も兄弟もいない広い屋敷で、何もせずに過ごしている。
「ひまだ……」
二度言ってみたが、別に暇なのが嫌なわけでは無い。むしろ喜んでいる。
ルイは、家庭教師こそしてはいるものの、その収入は貴族にしてはあまりにも少なく、現状ただの親のすねかじりである。
もちろんルイにだって、少しぐらい焦る気持ちはある。このまま何も為さずに死んでいくのかな……と感傷に浸ってしまう夜もあった。
だが、彼はいままでずっと頑張ってきたのだ。二歳も年上の級友と学力で張り合い、常に学年でもトップレベルの成績を収めてきた。なら一年ぐらいだらだらしても問題ない、なんならあと一年こうやって過ごしてもスキップしてるんだから問題ないだろうと、そう本気で思っている。
「暇だああああああああああ」
「うるさいです!」
……メイドに怒られた。一応雇う側のはずなのに。
「ルイ様。掃除の邪魔になりますので、廊下で寝っ転がるのはやめてください」
「……はい」
ルイの家は貴族にしては、そこまで裕福でない。メイドや執事も数人しかいないし、専属の料理人や庭師もいない。だから、
「そんなに暇なら玄関前の草むしりをしてきてください」
使用人と主人の距離が近く、こんなことも起こりうる。
「……せっかくの休みだから、もっとゆっくりしていたいんだけど」
「昨日も一昨日も休みだったでしょう。少しも働いてくれないんだったら、ゴミとして処理しますよ」
そのメイドの声に感情を感じられなかったから、ルイは急いで動き出した。届くはずもないのに、背後のメイドのため息を背中に感じながら。
「父さん。おかえりなさい」
ルイが庭で草と格闘し始めてから一時間ほど経過すると、ルイの父、エドガー・ボーヴォワールが帰ってきた。
家の前の道はルイが今いる玄関前からでも見える。それなのにエドガーが近づいてくるのに気づけなかったことから、いつの間にか草抜きに集中出来ていた事を自覚する。
「……ただいま」
父エドガーは寡黙な人間である。血のつながった息子でさえも、顔から感情が読めないほどに。
しかし、ある程度の付き合いがあれば、顔以外の部分から気分を推測することが可能だ。
たとえば今日は、歩くときに手持ちカバンが大きく揺れていたし、庭の門を開けるときも手際が良かった。ルイが引き抜いた雑草の山も屋敷に入るついでに回収してくれている。かなり機嫌がいい。
「ああ、ルイ」
「何?」
「今日は話がある。夕食後に書斎へ来てくれ」
そう言ってエドガーは、動揺しているルイと手持ちカバンを置いて、雑草の山を倉庫のほうに持って行った。
いつの間にか冷たくなっていた風が頬を撫でる。
……機嫌がいい、はずである。
そして、あっという間にその時は来た。
家にいた家族や帰りの遅くなった執事、メイドと共に夕食を食べたルイは二階の父の書斎へ向かう。
ぎし、ぎしっという音をひとつずつ数えながら階段を上った先には、見た目のほとんど変わらないドアが並んでいる。だがルイには、その中の一つだけ重く、大きく感じられた。
そのドアに手をかけるルイの脳内には、様々な想像が浮かんでいる。何せほぼ稼いでいないのだ。罪悪感もあるにはあるし、このままではいけないという焦燥感もある。
それらを「なんとかなる」という考え方だけで無視してきたルイにとっては、父からの呼び出しというのはなかなかに恐怖を感じるものであった。
流石に縁を切ったりはしない、と思う。あの顔面鉄仮面もなんだかんだ子供に甘い。だが、万が一、億が一……という想像が絶えない。
よし、明日から二つ目のバイトを探そう。そう決心してルイはドアをノックした。
ドアを開けたルイが最初に目にしたのは、彼の父ではなく、知らない女性だった。
身長は小柄で、体格だけ見たら14、5歳にも見える。だが彼女の纏う雰囲気が全力でそれを否定してくる。実際に何歳なのかが全く分からない。
彼女は少し薄い黒の髪をなびかせながら振り向き、ルイの方を向いてから、不敵に微笑んだ。
「やあ、初めまして。君は父親に用かい?」
「……そうですけど」
「なら、先にそっちの話を済ませてくれ」
そう言って不審者は来客用の、一番ふかふかの椅子に座った。
その特等席を密かに狙っていたルイと、自分用の回る椅子に座っているエドガーは目を見合わせ、同じことを思った。
……こいつ退出しないのかよ、と。
この僅かな沈黙を破ったのは父エドガーだった。
「ルイ。お前が中等学院を卒業してもうすぐ1年が経つな」
「うん」
「高等学院に進学する気は、まだ湧かないか」
「……うん」
「そうか」
ルイは少し気まずくなって、近くにあった掃除用の椅子に座る。当然ふかふかじゃないし回らない。
エドガーは相変わらず顔を変化させずに、背後にある棚から1枚の紙を取り出してきた。
「……なにこれ」
「王都にある高等学院の入学志願書だ」
「話聞いてた?」
ルイはふざけたのかと思ってエドガーを見るが、彼の視線はずっとルイの目に向かっている。手を胸の前で組んで両肘を机につく父は、至って真剣のようだった。
「お前が歳に似合わず頑張っていたことは充分に知っている。若い頃の二年いう長さを嫌という程見させられて、精神的にも肉体的にも疲れ果てたはずだ。だからこの一年、お前の怠惰な生活をこの家の皆が見逃してきた。だがな。お前がもう一年この生活を繰り返すのなら……過去のお前の努力の成果が消えてしまうんじゃないか?」
父の心配――それは、小さい頃の努力で掴み取った栄光である「二年飛び級」を、無為に消費してしまうのはもったいないということ。
当然息子にもその考えはあったが、今まで見えないふりをしてきていた。だって、いまさら行動に移すのは大変だから。それに……
「だったら父さんの仕事を手伝わせてよ。ぼくは、まあそりゃ、この一年適当に過ごしたけどさ。これから先何もしたくないって訳じゃないんだ。ただ進学は嫌だってだけで」
まあ信じなくても仕方がないかな、とルイは思う。一年間を何もせず消費したということは事実だから。
ただこの言葉は紛れもない本心で、進学以外の仕事を与えられるなら頑張ってみてもいいと、本気でルイは思っているのだ。
「今の仕事が、私と母さんだけで事足りているのは知ってるだろう?」
「……まあ、そうだけど……」
「つまり、君が息子さんのために新たな仕事を作り、それを与えればいいんじゃないか? エドガー」
例の見知らぬ人が放った思いがけぬ援護射撃に、ルイは風を感じるほど力強く頷いた。
急に仕事が多くなるのは嫌だから、少しずつ与えて欲しいとは思うが、それは後で伝えればいい。
とりあえず今は、自分の考えを正確に伝えてくれたことに感謝することにした。
「はあ……結局こうなるのか」
エドガーがこめかみを抑えながら、何か物騒なことをつぶやく。
ルイはふと、助けてくれた謎の人物が座る右側を見た。ほんの何気ない動作だが、その結果二人は目が合ってしまう。彼女はルイを視界に入れた瞬間、悪巧みが成功した子供のように、ニッと笑った。
――後にルイは、この時に視線を交わした事を酷く後悔することになる。
「ここからは私が話してもいいかい?」
「任せる」
「任された。……初めまして、ルイ・ボーヴォワール君。私は隣街で探偵をやっているものだ」
特等席から立ち上がったその人は右手で握手を求めてきた。半ば反射的にルイはその手を握る。
「今、君は思っただろう。『あれ、探偵なんて近くにいたっけ』と。知名度ほぼゼロなだけで、じつは存在していたのだよ!」
ルイは、「そんなこと考えてなかったですよ」という言葉を喉から出る寸前で止めた。喉から出る寸前で止めた、というフレーズがどうしてもしっくりこず、他に言い例えがあると信じていたルイの17年が完全に否定された瞬間だった。
「知名度が低い理由は単純明快。仕事が全くこなせず、そのせいでまともな依頼が降ってこないからだ。なにせうちの探偵事務所の従業員は私一人。実績もなければ給料を払う相手もいないというのが現状だ」
なんでそんな崖っぷちのやつが貴族である父を呼び捨てにしているのだろう。
「そこでだ、高等学院に意地でも行きたくないルイ・ボーヴォワール君よ! ……私と共に働かないか?」
「お断りさせていただきます」
「……だろうな」
「ちょっとまってくれエドガー。君は私の見方じゃなかったのか?」
ルイの困惑した視線と探偵の疑念に満ちた目線が、この部屋の主に集まる。
「……少し前の話だ。グランドスピアとの小競り合いがあったことを覚えているか?」
「うん」
隣国グランドスピアとルイたちが暮らすネシオン王国は代々仲が悪い。ほんの少しの原因で軍が動かされることもざらにある。
ボーヴォワール家は固有の土地を持っておらず、直属の上司ポジションでありルイのバイト先でもあるデュフール家から土地を借りて生活している。そしてデュフール家はグランドスピアとの国境に近い。
つまり、エドガーが言及した小競り合いにデュフール家とボーヴォワール家は巻き込まれているのだ。
戦力を持たないボーヴォワール家は傭兵を雇ってデュフール家に預けたはずである。ルイは傭兵探しを手伝ったから当時のことはよく覚えている。
ちなみに、ルイがバイト以外で働いたのはこれが最後である。
「あのとき傭兵を雇ったが……実はあの人数では、デュフール家の要請には足りてない」
「えっ」
「集められないことはなかったのだが、無理に雇うほどの財力はこの家にない。……だから、この探偵に頼った」
探偵を見ると、どや顔でルイを見つめ返していた。
なるほど、父はそこで探偵に借りができたらしい。
そして、どんな方法を使ったのかは知らないが、足りない傭兵をかき集めるだけの知力や財力が探偵にはあるようだ。初対面にも関わらず、頭悪そうだなとかかなり酷いことを思っていたことに、心の中で反省する。
「こいつが足りない傭兵に代わって前線に出て、暴れまわったんだ」
戦闘要員だった。反省した時間を返してほしい。
「結果、求められた以上の働きをする優秀な戦闘員を派遣したということでボーヴォワール家は追加報酬を受け取り、要請の半分にも満たない人数しか派遣しなかったことはチャラになった」
そして探偵はルイの想像よりずっと優秀らしい。
あと、半分以下の人数を派遣した父も父だと思った。探偵といるとルイの知らない父の側面が見られて、すこし楽しい。
「この家は探偵に大きな借りがある。一般庶民に助けられたままというのは貴族として体制が悪いが、適当な報酬を与えるわけにもいかない。おまけに今はお前の兄の学費もあって家計が苦しい」
「だから私が提案したんだ。幼少期から優秀で今はニートの息子を従業員として雇わせてくれって」
「お前にとっても悪くはない話のはずだ。受けてくれないか?」
再び父も加えて打診されると、ルイは弱かった。
「……いつまで?」
エドガーが返答を促すように探偵を見る。彼女は本当に楽しそうに笑みを浮かべた。
「とりあえず一年は欲しいかな。あ、この屋敷からはちょっと距離があるから住み込みになるけど大丈夫そう?」
「大丈夫です。給料は?」
「場合に応じてって感じかな。働きが良かったらボーナスは出すけど。……あ、生活費等は君の父上に払わせるから安心して。ほかに質問は?」
(国内であることは確定だから、ご飯がおいしくなさすぎるということはないだろう。屋敷からちょっと距離があるということは、頑張れば家に帰れるということだから最悪の場合は帰れる。戦闘面では信用できそうだし、まあ業務中に死ぬことはないと思われる。長期のインターンシップだと考えれば悪い話じゃないな……)
ルイは思考を加速させ、ついに結論が出た。
「その話、受けさせてもらいます」
「ありがとう! すごく助かるよ。なにせ私、探偵と銘打ちながらも頭を使うことが苦手でね。君のような頭脳派の仲間がずっと欲しかったんだ」
……今、こいつなんて言った?
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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