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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄地獄変シリーズ

婚約破棄地獄変 Rebirth

作者: AZ




 ある所にミモレット王国という国がありました。


 その国の名門貴族であるイタヴェール公爵家に、ハイデマリーという娘がいました。

 本名はハイデマリー・ハクサ・イタヴェールと言います。


 彼女は容姿だけは大層美しかったのですが、性格はとにかく短気で傲慢で嫉妬深く、とんだ問題児でした。

 おかげで家庭内でも、家族からも使用人たちからもことごとく嫌われていました。


 ハイデマリーは父親の根回しによって、王国の第一王子であるクルト・アラービ・キーウィンナーの婚約者という立場を与えられていました。

 嫌われ者の彼女は、自然の成り行きのように、同い年の婚約者に執着するようになりました。彼女は愛情に餓えていたのです。


 しかしクルト王子もまた、来る日も来る日もハイデマリーが偏執的な重い感情をぶつけてくることに辟易していました。

 彼女が愛されようと必死になればなるほど、クルトにはますます鬱陶しがられました。


 ハイデマリーはやはり誰にも愛してもらえませんでした。彼女の愛はどこまでも独りよがりで、誰も受け入れてくれませんでした。




 ……やがてクルトは、ハイデマリーとはまた別の一人の女性と運命的な出会いを果たします。


 その女性の名前はアミー・オマンジュ。

 貴族や王族であるハイデマリーやクルトとは違って、アミーは平民の出身でしたが、彼女は「聖女の魔力」という特別な力を持っていました。


 聖女とは、約八百年前に男性の勇者と共に世界の危機に立ち向かい、平和を取り戻した救世主の片割れ。

 一般的な魔道士を一万人、いっそ十万人揃えても尚及ばないと言われる程の絶大な魔力をたった一人で行使して、世界を救ったという伝説の偉人です。


 アミーにはその伝説の聖女と同等の魔力が宿っていました。

 彼女が人に対して祈りを捧げれば、病や傷はすぐに治り、体力がみなぎって仕事が捗り、更にはその祈りの力で人だけでなく植物もよく育ちました。


 ミモレット王国中の人々がアミーに感謝を捧げました。彼女は伝説の聖女の再来と持てはやされました。


 当然の流れとして、アミーの活躍は王侯貴族の目にも留まりました。

 丁度彼女と同じ年齢だったクルトもまた、これまた自然の成り行きのようにアミーに惹かれていきました。


 ……本来の婚約者であるハイデマリーのことを差し置いて。




 ハイデマリーは嫉妬と怒りに狂いました。

 突然現れた薄汚い平民の女が自分から婚約者を横取りしようとしているというこの状況を、傲慢な彼女が受け入れるはずもありませんでした。


 彼女はあらゆる手を尽くしてアミーに嫌がらせを繰り返し、クルトの近くからアミーを排除しようとしました。

 しかしそんな嫌がらせに熱中すればするほど、クルトはハイデマリーに対する嫌悪感を募らせ、ますますアミーの方へ心が傾いていきました。


 ハイデマリーがクルトの愛を独占しようとしてムキになればなるほど、クルトの心はハイデマリーから離れていきました。

 やることが酷すぎるのだから当たり前の話です。


 しかしハイデマリーは行動を変えませんでした。一切反省しませんでした。ただただひたすらアミーを憎悪し続けました。

 アミーさえいなくなればクルトはまた自分の方を振り向いてくれると本気で信じ込んでいました。元から大概嫌われていたというのに。


 仮にも王子の婚約者ともあろう令嬢がこんな愚かな娘では、ハイデマリーの父であるイタヴェール公爵もさぞかし頭が痛くなったことでしょう。


 こんなどうしようもない矛盾の果てに、ハイデマリーの嫌がらせはとうとうアミーの命すら脅かしかねない程に過激化しました。

 彼女の企みはギリギリで阻止されましたが、この暴走にはクルトも遂に堪忍袋の緒が切れました。


「クルト・アラービ・キーウィンナーの名の下に告げる!

 ハイデマリー・ハクサ・イタヴェール! お前との婚約を破棄するッ!!」


 既に王家にとってすら重要な人材として期待されていた「伝説の聖女の再来」、それを殺そうとしたハイデマリーの所業は、最早国家に対する反逆に等しいと認定されました。

 クルトは正式に、ハイデマリーとの婚約関係を解消しました。


「……嘘よ……ねぇクルト、嘘だって言ってよ……! 私、ただ……あんな女に騙されてる貴方の目を覚ましてあげようと……!!」


「目を覚まさなきゃいけないのはお前だ、ハイデマリー……自分が何をやろうとしていたか、まだわかっていないのか?」


「何よ、まだあんな汚い下民の女を庇い立てして――――」


「何が下民だ! そういう差別的な言葉を平気で使うような奴だから、僕はお前のことなんか元からずっと嫌いだったんだ!」


「……うそ……」


「ああそうだ、お前との婚約関係なんて前々からずっと潰してやりたかった! 今は心の底からすっきりしているさ!」


「クルト……ねぇ、もうやめてよ! 私には貴方しかいないの! 貴方しか……!」


「だからと言って、アミーにあんな酷いことを繰り返したのか?」


「あいつの名前なんか呼ばないでよ!」


「うるさい! いい加減にしろ! さっさと消えてくれハイデマリー! 二度と僕の前に顔を見せるなッ!!」


「ッ……! ……ぅ……っく……!」


 心から愛していたはずのクルトから明確に拒絶を突きつけられたハイデマリーの心は、完全に限界を迎えました。


「うおォォォァァァァああああああああああああああッッッッッッッ!!」


 彼女は両目から涙をボロボロこぼしながら、クルトの顔面に力いっぱいの平手打ちを叩きつけました。

 クルトは床に倒れ込みましたが、そこでまた別の人物が横から介入してきました。


「ハイデマリィィィィィィイイイイイイイイッッッッ!!!」


 クルトの幼馴染である、騎士見習いのルシアという女性です。

 主君に暴力を振るわれて怒った彼女は、握り拳でハイデマリーの顔面を殴り飛ばしました。


「っぐ……!!」


 ハイデマリーも床に倒れ込みました。


「……まったく、イタヴェール公爵も頭が痛かろうよ。一人娘がこんな有様で……!」


「クソッ……クソッ……!」


 涙と鼻血でぐちゃぐちゃになった顔を押さえているハイデマリーに、複数の兵士たちが寄り集まってきました。


「離せ! 私に触るなァッ!!」


 彼女は拘束され、その場から締め出されていきました。


「クルトッ! クルトォォォォォオオッ!!」


 ハイデマリーは何度もクルトの名前を叫びましたが、肝心のクルト自身はハイデマリーの方に視線を寄越すことすらありませんでした。

 最早、元婚約者を憐れむ気持ちも湧きません。こんなことになったのも全て彼女が悪いのですから。


「……じゃあな、ハイデマリー」


 これでもう邪魔者はいなくなりました。

 面倒な政略結婚相手をようやく追い出すことができて心が軽くなったクルトは、改めてアミーに思いを告げ、二人は晴れて結婚の約束を交わしました。


 クルトは次代の国王として、現代に降臨した新しい聖女を妃に迎えることを確約したのです。




 ……ハイデマリーはあまりにも問題を起こしすぎたため、父である公爵にも罪を庇いきれなくなったので、実家にすら見捨てられました。

 彼女はミモレット王国内でもすこぶる地味なド田舎の農村へと追放されました。


 あくまで追放に留めたのは、せめてこの村で真面目に働いて改心してくれれば……という望みをかけた部分が、ほんの僅かばかりに無くも無かったのですが。


 ……しかしそもそも、そんな聞き分けの良い人間であれば最初からこんな事態を引き起こしていなかった、とでも言うべきだったのでしょうか。


 ハイデマリーはとっくに貴族の身分を剥奪されていたにも関わらず、田舎の農民を侮辱するような発言ばかりを連発し、村人全員から早々に嫌われ尽くしました。


「元貴族令嬢だか何だか知らねェが、働かねェ奴に食わせるメシなんか無ェんだよ」


 彼女は村人の男性に一発ブン殴られながらこのように吐き捨てられました。


 またしても顔を殴られたわけですが、やはりハイデマリーは一向に反省などしませんでした。

 何故自分が服や手足を汚す畑仕事など手伝わなければならないのかと憤慨するだけでした。本当に救いようがありません。


 結果、食べ物が得られずに進退窮まった彼女は、村の備蓄を盗もうとする始末でした。まったくもって本当に救いようのない人です。


 完全に怒った村人たちはハイデマリーを袋叩きにした末、村の裏山にある「地獄の入り口」と称される大穴へと彼女を投げ捨てました。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァアアアアアアアア――――!!」


 穴の底が一体どれだけ深いのかは、昔からこの村に住んでいる人たちですら知りません。

 これがハイデマリーの最期となりました。本当に、本当に、最初から最期の瞬間まで、彼女はどうしようもない愚か者でした。


 ハイデマリーの短い生涯は、最初から最期まで自業自得だけで出来上がっていたと言えるでしょう。彼女は滅ぶべくして滅びました。

 もしかすると一番可哀想なのは、苦労して娘と第一王子との婚約関係を結び付けておきながら、その努力が一切報われなかったイタヴェール公爵なのかもしれませんね。




 ……ハイデマリーが追放先でそれはそれはあっさりとゴミのように死んだことも露知らず。


 クルトは無事にアミーとの結婚式を挙げました。ミモレット王国全体が、新しい王と王妃の戴冠を盛大に祝福しました。


 正式に「新時代の聖女」となったアミーは、日々人々のために祈りを捧げ続けました。

 おかげで王国中の人々は怪我や病気の治りが早くなり、みなぎる体力で仕事に精を出し、農作物の実りも大変豊かになりました。


 更に王国領内にはびこる魔物共も聖女の魔力に抑え込まれて弱体化し、人々はより安全に暮らせるようになりました。

 ミモレット王国はかつてない程の平和と繁栄を手に入れたのです。


 国中の人々がみんなみんな幸せになりました。

 誰もが新王クルトと聖女アミーを讃えました。




 王家の関係者は皆一様に……直接表立って口に出すことは流石に避けましたが、陰ではこう言っていました。


 クルト陛下が、ハイデマリーなどという愚かな女を追い出して、聖女アミーと結婚してくれて本当に良かった……と。




 ちなみにハイデマリーが死んだという報せが、クルトたちやイタヴェール公爵の下にまで届いたのは、随分と後になってからの話でした。




 * * * * * *




 ……と、いった具合で。


 ここで話を終わらせれば完全無欠のハッピーエンドで終わっていたのかもしれませんが。


 現実はそこまで甘くありませんでした。


 世知辛いですね。











 やがてクルトとアミーの間には二人の息子が生まれました。


 しかし男子が二回連続で生まれたことに対して、クルトはこんなことを言い出したのです。


「聖女の跡継ぎとなるような女の子を生んでくれないと将来困るんじゃないか」


 ……暗に「男は二人も要らない」と言われたかのようで、アミーは内心で少し傷つきました。

 せめて自分は長男も次男も等しく大事にしようと思いました。




 結局アミーはクルトの要望に従って三人目の子供を身ごもりました。

 今度は期待通りに女の子が生まれてきました。


 クルトはその子を次代の聖女と見定め、無茶苦茶に甘やかし続けました。上の息子二人を差し置いて。


 長男はまだクルトの方の跡継ぎとして多少は目にかけてもらっていましたが、次男の方は完全に冷や飯食いの立場に追いやられました。

 アミーは三人の子供たちをきちんと平等に扱わない夫の振る舞いに心が痛くなってきました。


 末の娘は何をやっても父親に許されるおかげでどんどん増長していきました。

 自分だけが「聖女の跡継ぎ」として王家の期待を一身に背負っているのだと思い込み、兄二人を露骨に見下すようになりました。


 当然きょうだい仲はどんどん悪くなっていきました。

 クルトは構わずに末娘ばかりを溺愛しました。長男はそんな妹といつも喧嘩していました。次男は最早蚊帳の外です。


 アミーは聖女として国のために祈りを捧げる時に、家族仲が修復されることも願うようになりました。

 もう神頼みにでもすがるしかなくなったということでしょう。


 かつて元婚約者のハイデマリーがいかにわがままで鬱陶しい女だったかを強調していたクルトが、

 肝心の自分の娘を似たような方向に突っ走らせているという現状に、どうして自分で違和感を覚えてくれないのか……アミーは哀しくなるばかりでした。


 こんな日々を過ごすうちにアミーは次第に「本当にこの人と結婚して良かったのか」と迷い始めていました。

 そんな気持ちを抱いてしまう自分自身にも哀しくなりながら。




 やがて末の娘は15歳になりました。

 アミーが聖女の魔力に目覚めた時期が丁度それぐらいの年齢だった……のですが。


 彼女はまだ母親のような大きな魔力は発現しませんでした。


 学校での魔法の成績も至って平凡。率直に言って、彼女はごくごく普通の女の子のままでした。


 末の娘は少しばかり焦りを感じましたが、そこはまだクルトが父親として擁護しました。


「まぁ、そんなに何もかも母さんと同じようにいかなくても、いつか時が来ればきっとお前も聖女になれるさ。ゆっくりとやっていこう」


 ……しかし、この頃から長男が「もしこのまま母上のように聖女になれなかったらどうするんだ?」と脅しをかけるようなことを言い出すようになりました。


 クルトはそんな嫌味を覚えた息子を殴り飛ばしました。

 しかし長男ももう十分大きく育っていたので、即座に父親に反撃しました。盛大に喧嘩になりました。


 この時の親子喧嘩はアミーの一喝でどうにか収まりましたが、クルトと長男の仲はそれはもう最悪になりました。


 前々からクルトに冷遇されている次男の方は、政務の補佐役を務めているクルトの異母弟、クラウスを頼るようになっていました。


 ……この一家はどんどんバラバラになってきました。

 アミーは毎晩のように泣きながら眠りに就くようになりました。




 それから更に時は経ち……。


 末の娘は16歳、17歳、18歳……と年齢を重ねていきましたが……。


 いつまで経っても……母親と同じような聖女の魔力は発現しませんでした。


 彼女は年々焦っていました。もし本当にこのまま聖女になれなかったら自分は一体どうなってしまうんだろう、と本格的に考えるようになってきました。

 どんどん未来に怯えるようになりました。大嫌いな長男は逆に妹を見下すようになってきました。かつての意趣返しとばかりに。


 ……そして今まで末の娘一人だけを散々甘やかしてきたクルトの心境も、だんだんと変わってきました。

 こいつはもしや、期待外れの失敗作なのではないか……と。


 父親の目線が明らかに冷たくなってきていることは、娘も感じ取っていました。

 彼女はますます焦りました……焦ったからと言って具体的に何かが起きるというわけでもありませんでしたが。


 そしてアミーも本気で焦り始めました。

 聖女の祈りによるミモレット王国の繁栄は、自分一人のたった一代だけで終わってしまうのだろうか、と……。




 …………王国内の雲行きがだんだん怪しくなってきました。


 国中の農場があれだけ毎年豊作に恵まれていたはずなのに、ここ数年はだんだんと収穫量が減ってきていました。

 人々の自然治癒能力や体力も、なんとなく衰え始めていました。


 そして一番問題なのが……魔物の動きが少しずつ活発化し、人々が魔物に襲われる事件が増え始めていたことです。


 王城にそういった報告が届くことが明らかに増えてきました。


 アミーは尚更焦りました。

 今までミモレット王国の人々を守り育ててきたはずの聖女の魔力が……まさか衰えてきているのか、と。


 彼女ももう40歳です。

 人間……と言うより生物が加齢で衰えるのは至極当たり前の話です。それは確かに、そうなのですが。


 このままではまずいのではないか。

 何か対策を講じる必要があるんじゃないのか。


 アミーはクルトに進言しましたが、当の国王本人は……娘が次の聖女にさえなれば全て解決する、の一点張りでした。


 この期に及んでまだそんな希望的観測にすがっているのかとアミーは呆れ果てました。

 かと言って、娘に聖女の魔力を与える方法なんてものがあるのかどうかもわかりません。


 仕方なく、アミーは現役の聖女として、ただただひたすら国のために祈りを捧げ続けることしかできませんでした。

 それが決して根本的解決になどならないということは重々承知していましたが。




 末の娘はとうとう20歳になりました。


 当然……と言ってしまっては非情極まりないのですが……やはり、聖女の魔力は目覚めませんでした。


 アミーの魔力の衰えは彼女自身も明確に実感するようになってきました。

 国のための祈りを捧げて魔力を解き放った後、大きな疲労感に襲われるようになっていたのです。


 それでいて聖女の魔力が国に及ぼす効果は明らかに弱くなる一方でした。

 魔物はより一層活発に人を襲うようになりました。どんどん死者が増えてきました。


 ミモレット王国の未来は、すっかり分厚い暗雲に覆われていました。そうとしか言えませんでした。




 クルトは末の娘に向かってとうとう断言しました。


「お前を今まで甘やかしてきたのは完全に失敗だった」


 娘は泣きながら父にすがりました。


「嘘よ……お父様、許して……許してよ……あたし、今年こそは……今年こそはちゃんと、やるから……!」


 クルトは娘の頬に平手打ちを見舞いました。


「…………ならば今すぐ自分の価値を証明してみせろ」




 娘は城の地下牢へと幽閉されました。聖女になれたら解放してやる、と言われて。


 彼女は日々、死なない程度に鞭打ちに処されました。

 ……全て、今までずっと自分に優しかったはずの父親の命令です。


 彼女は今までの自分の人生は一体何だったのかと嘆きました。どうして自分は母のような立派な聖女になれないのかと哀しみました。

 どうして……母は自分をこんな無能に産んだのかと、恨みました。




 勿論アミーは母親として、こんな理不尽な仕打ちは今すぐやめるようにと何度も訴えかけましたが、ことごとく退けられました。

 あまつさえ「それでは今すぐ娘を新しい聖女として目覚めさせろ」と突き返される始末。それが出来ていたら最初からこんな事態にはなっていません。


 アミーはとうとう我慢の限界に達し、夫に食ってかかりました。


「クルト! どうしてこんなことをするのよ! あなたの子供なのよ!?」


「……うるさい」


「真面目に答えてよ! あんなことをしてまさかあの子に奇跡が起きるなんて本気で思ってるの!?」


「だったらどうしろって言うんだよ! 俺はお前に聖女の跡継ぎを産めって言ったんだ! なんだあの失敗作は!」


「失敗作!? それが自分の子供にかける言葉!?」


「それ以外にどう言えって言うんだよあんな無能! お前がまともな娘さえ産んでいれば!」


「いい加減にしてよ! わたしの魔力だって衰えてきてるのは知ってるでしょう!? もう聖女任せの国家運営は限界が来てるのよ!」


「じゃあどうするんだ! お前が俺の立場なら!」


「違うでしょう!? そこを最初に考えるのが国王であるあなたの仕事でしょう!? 責任から逃げないで!」


「知った風な口を! やっぱり平民生まれの女如きに俺の苦労なんざわかりゃしねぇか!」


「今更そんなことでわたしを馬鹿にするわけ!? 身分差なんて関係無くわたしのことを愛してるって言ったあの日のクルトはどこへ行ったのよ!?」


「所詮あの時は俺もお前も若かっただけだ! 国を背負う重みなんてまだ知らないだけのただのガキでしかなかったんだよ! クソッ!」


「そんな下らない言い訳ばかりして現実逃避して! 今まで国が上手く回ってきたのは全部わたしの魔力のおかげでしょうが!」


「わかってんならもっと真剣に祈れよ! なんだこの国の惨状は!?」


「祈ってるわよ! 毎日毎日! それでも駄目なものは駄目なのよ! もうわたしもただのオバサンよ! 限度ってものがあるわよ!」


「言い訳ばっかで逃げてんのはお前も同じじゃねぇか!」


「話にならないわね!」


「それはこっちの台詞だ! こんな無駄口利いてる暇があったら追加で祈りでも捧げてこい!」


「じゃあせめてわたしがあと五年以内に過労死でもしたらどうするのかぐらいは考えておきなさいよ! 聖女任せはもう限界って言ってんのよもう本当に!」


「ふざけんな! 無茶苦茶ばっか言いやがって! いいからさっさと行け!」


「わたしのおかげで国が上手く回ってる間だけ全部自分の手柄みたいな顔して!

 わたしが老い衰えて国が回らなくなった途端に全部わたしに責任転嫁するわけ!? 見下げ果てた男ね!」


「うるせぇよ! クソッ! クッソッッッ!!」


「聖女なんてそもそも八百年も大昔にたった一人いただけでしょう!? その間ずっと聖女不在で国は回ってたはずよね!? わたしが現れるより前の政治に戻せばいいだけじゃないの!?」


「あれだけ毎年豊作で人口が増えた今のミモレットをそんな簡単に元通りになんかできるか! 口先だけの机上の空論で国は回らねぇんだよ!」


「だったら尚更これからのことを真剣に考えなさいよ! あの子が聖女にさえなれば全部逆転できるなんて馬鹿な博打にすがってないで!」


「なら娘をもう一人作って今度こそそいつを聖女にするか!?」


「はぁ!? あなた本気で言ってんのそれ!? もっと馬鹿な博打じゃないの! よくそんな気持ち悪い発想ができるわね!?

 妊娠出産にかかる女の負担なんて男のあなたにはどうせわからないんでしょうね!」


「優秀な跡継ぎを産むのが王妃の仕事ってもんだろうが!! お前こそもっと初期の段階から責任を果たしてねぇんだよボケ!」


「ッッ! ……信ッ……じらんないッ……! ここまで酷い男だなんて思わなかった……ッ!!」


「俺もお前がこんな役立たずだとは思わなかったよ! こンの聖女崩れが……ッ!!」


「その役立たずの聖女崩れにまだ頼り続けることしか出来ない大馬鹿野郎がよく言うわ! あなたが自力でやったことなんか最初っから何一つ無いじゃない!」


「黙れ! お前だって王家に入って平民には到底味わえないような贅沢を散々堪能してきただろうが! いいから責任を果たせ!」




 二人の口論は泥沼になり、最後にアミーはこう叫びました。




「わたしだって……わたしだって、こんなどうしようもないことになるぐらいなら聖女になんて生まれたくなかったわよ!! 少なくともあなたと結婚なんてしなければ良かった!!」




 クルトは声にならない叫びをあげながらアミーの顔を殴り飛ばしました。

 もう彼は女性に暴力を振るうことに何のためらいも無いようです。本当に見下げ果てた男ですね。




 …………実の所を言ってしまうと。


 八百年前の伝説の聖女とやらは子孫を残していませんでした。


 共に戦っていた勇者が、最後の邪竜との戦いにおいて相討ちとなって戦死してしまい、聖女が一人だけで祖国に帰ってきた結果。

 まるで勇者の死を好機とでも捉えたかのように、聖女を娶ろうとする王侯貴族の男性が続々と名乗りを挙げてきたことに対して、聖女は世間に失望して失踪してしまったのです。


 歴史上の聖女の足跡はそこで完全に途絶えてしまいました。


 だから現代のこの世界の人々は、一切知らないことがありました。


 そうです……聖女の魔力は、そもそも血縁で遺伝するような物ではなかったのです。


 クルトが末の娘に期待をかけ続け、最後に全部ご破算となったこの一連の出来事は、本当はそもそも一番最初の前提が既に間違っていたというわけです。

 彼女の人生って本当に一体何だったんでしょうね。




 ……しかし、ミモレット王国の苦難はむしろここからが本番でした。




 * * * * * *




「……これはもう駄目だな」


「叔父上?」


 王家が本格的に内部崩壊を起こしてきた頃、前々から家庭内での居場所がロクに無かったことでお馴染みのクルトの次男は、叔父のクラウスと話し込んでいました。


「率直に言おう。あの男はこの先……持って精々五年か……近いうちに反乱でも起こされて終わる。あんな愚物に民がついてくるわけがない」


「えっ…………あの、それって父上のことですよね? そんな言い方って……!」


「無理に取り繕わなくていい」


「貴方は父上の弟なんでしょう!?」


「だからこそだ。君とて、自分の兄とも妹とも……」


「それは……!」


「……それで、もし本当に反乱が起きて、奴が捕まったらどうなると思う? 我々にも連帯責任が降りかかってくるぞ」


「そっ……そこまで悲観しなくても……」


「では何か、王国の現状を一発で打開する逆転の秘策でも?」


「いや、その……そんな奇跡みたいなことは無理でも、何かもうちょっと、こう、地道な努力で着実に改善を……」


「そんな悠長なことをやっている時間と金が残っていると思うか? だから私は今、これから五年以内に一気に終わりが来ると言っている」


「ぐっ……! では叔父上はどうなさるおつもりなんですか!?」


「逃げる」


「はぁ!?」


「もう付き合いきれん。奴が自業自得で滅びるのは勝手にすればいいが、その巻き添えで自分までついでに殺されるなど真っ平御免だ」


「そこまで言いますか!?」


「私はこのまま一生あの男の予備部品として生き続けることにはもう疲れた。うんざりだ。だから全部捨てて逃げる」


「ミモレット王国はこのまま勝手に滅びてしまえばいいと仰るんですか!?」


「その通りだ」


「ッぐッッ!? そこまで……そこまで言いきりますかっ……!」


「庶子の第二王子として生まれてきた私は最初からずっと日陰者だった。この国への思い入れや未練など無い。本当に全てどうでもいい。

 むしろあの男が王位を継いだこの二十年余り、よく今まで無駄にダラダラと付き合ってきてしまったものだと後悔すらしている」


「っ……叔父上は……生真面目な方でしたから……」


「おかげで二十年、奴の尻拭い役だ……反吐が出る」


「……叔父上……」


「国のため民のためなどとお題目を与えられて、馬鹿正直に働けば働くほど、新しく余計な仕事を次々と押し付けられて。

 本来ならあの男が見なければならないはずの案件までこっちに丸投げだ。破綻がすぐ目の前にまで迫ってきた今この状況に至ってもな。本当にくだらん」


「…………どうやって逃げるんですか?」


「それぐらいいくらでも方法はある」


「……どうして、僕にこんな話を?」


「ひょっとすると君はついてきてくれるんじゃないかと思ってな」


「………………」


「なぁ……『第二王子殿下』」


「……っ!!」


 話の終わりに、クラウスは「私は明日『地方の視察』へと出発する」と宣言し、部屋を後にしました。




 …………翌日。

 クルトの次男は叔父に同行し……最近、活性化が著しい魔物の群れに襲われて、二人とも死にました。




 …………という体裁で、ミモレット王国から脱走しました。




 クルトは「何勝手にくたばってんだよあの役立たずの愚弟は」と非常に雑に憤慨するだけでした。

 兄がこういうことしか言わないような人間だと散々思い知らされたからこそ、弟は離れていったというだけの話なのですが。


 ちなみに次男のことも大変適当に受け流されました。クルトは元から「弟」という概念そのものを丸ごと毛嫌いしていたわけです。


 真剣に哀しんでいるのはアミー一人だけでした。

 末の娘はずっと牢屋の中で無駄に痛めつけられているので、それどころではありませんでした。


 政務の補佐役……という名目で実際にはもう政務の大部分を取り仕切っていたクラウスが抜けた穴は、クルトの長男が無理矢理埋めさせられる羽目になりました。

 膨大な仕事量に忙殺される日々が始まって当然彼はブチギレました。


 憂さ晴らしに妹の鞭打ちには彼も参加するようになりました。

 それこそ看守に「それ以上やると本当に死にますよ」と引き止められるぐらいに熱中しました。


 こんな拷問を続けた所で、いつか末の娘が聖女の魔力に目覚める奇跡が起きるなどと本当に信じているような者は、既に全くいなかったというのに。

 それでも皆、今更やめるにやめられなくなっていました。


 アミーは「聖女になんてなりたくなかった」と絶望の涙を流し続けました。ずっと本気で泣いていました。




 もう本当にミモレット王家は何から何までぐっちゃぐちゃです。全員が心を病んでいるとしか言いようがありません。


 もしかするとハイデマリーがこんな所に嫁入りせずに、何も知らないまま死んだのはむしろ幸福だったのかもしれませんね。

 アミーはそんなことを考え始めるようになりました。かつて彼女はハイデマリーに一回殺されかけたことがあったにも関わらず。


 今自殺したら彼女に会いに行けるかな。

 もし本当に会えたら、あなたがずっと恋焦がれ続けた婚約者は、本当はこんなにどうしようもないクソ野郎だったって一から全部教えてあげたいな。


 ……こんな物騒なことすらぼんやり考えてしまうほどに、アミーは追い詰められていました。




 * * * * * *




 …………といった調子で。




 程なくして、ミモレット王国にはびこる魔物共はより一層の凄まじい勢いで強大化し、数も増していきました。


 王国各地の警備隊は連日連夜、大量の犠牲者を出しました。

 それどころか魔物は農耕地帯の人々も次々殺害していったため、王国の食料生産はどんどん停滞していきました。


 各地から避難してきた人々が続々と王国首都に集まってきました。

 街はごちゃごちゃに大混雑して各種設備が次々と機能停止に追い込まれ、どうしようもない勢いで治安が悪くなっていきました。


 特に食料不足が顕著で、街中が盗みと暴力で溢れ、果ては火災まで頻発しました。

 当然のように死者も増え続けました。ただでさえ魔物に人々が殺され続けているというのに。


 首都の騎士団も治安維持に駆けずり回りましたが、あまりの惨状に騎士達も抑えが利かなくなり、犯罪者に対する制裁行為はどんどん過激化していきました。

 その有様を見た難民たちも、国家権力というものに対する不信感がどんどん高まっていって……何もかも、何もかも全てが悪循環です。


 かつてハイデマリーを殴り倒した女性ことルシアは、現在は騎士団の訓練教官を務めていますが、

 自分は王国の民を傷つけるための剣なんか教えているわけじゃなかったのに……と、心の底から嘆きました。




 どうしてミモレット王国はこんなに酷いことになってしまったのでしょうか。

 ……それはもうおわかりでしょう。


 アミーはとうとう聖女の魔力を完全に失ったのです。


 家族がどんどん離散していく様に心が折れて、聖女としての自分を自己否定してしまった以上……こうなるのも必然だったのでしょうか。


 彼女は「聖女の役割を一切果たせなくなった」と判断されると、娘と同様に地下牢に押し込まれました。

 もう涙も出ません。彼女は虚無の表情で、牢の寝台に横たわっているだけでした。




 ……それで、肝心の国王クルトは一体何をしていたのかと言えば。


 複数の愛人を囲い込んで自室に閉じこもり、酒に浸っていました。

 街の惨状を一体どうするのかという話は連日飛び込んできていましたが、彼はどこ吹く風でした。


 クルトが呷っている酒は、王国内で豊作がずっと続いていた頃に収穫された、上質なブドウで作られた高級品でした。

 酒のビンには「聖女アミーに感謝を込めて」と記されています。勿論、今のクルトはそんな所をいちいち見てはいませんが。


 厄介事の処理は全て長男に押し付けました。

 当然、長男は愚かな父親の暗殺計画を本格的に考え始めるようになりました。


 ここまで本格的に取り返しがつかなくなる前にさっさとズラかったクラウスたちのことを思えば、一歩も二歩も遅いと言わざるを得ませんが。




 街中で「この国は聖女アミーの祈りによって守られていたはずではなかったのか」という嘆きが響き渡りました。

 これに対してクルトはようやく一つの声明を出しました。


「かつての聖女アミーは純粋に民の幸福を願い、祈りを捧げていたが、後継者となるはずの娘がいつまで経っても聖女の魔力に目覚めないことに業を煮やし、娘を痛めつけるようになった。

 このせいでどんどん心が歪んでいったアミーは次第に他人の不幸を願うようになり、一転してミモレット王国全体に災厄が降りかかるようになった」


 彼はここ最近の都合が悪いことを全て、徹底的に、何もかも全部、アミーに責任転嫁したのです。


 それ以後、王城の門の前に大量の人々が集まってきて、こう叫びました。


「魔女アミーを殺せ!」


 ……かつて伝説の聖女の再来と持てはやされていたはずのアミーは、遂にその肩書きすら奪われました。




 やがて、アミーの処刑が宣告されました。


 実はここまでがクルトの計算ずくでした。

 民衆の憎悪を丸ごと全部アミー一人に押し付けて、最後に公開処刑を執り行うことで一気に発散させようという魂胆なのです。


 …………まぁ、それで一時しのぎをした所で、その後どうするんだという話ですが。


 牢屋の中で事の詳細を伝えられたアミー本人は、ただ単純に「ああ、そうですか」としか言いませんでした。

 もう彼女も疲れきっていました。処刑当日まで「あの世でハイデマリーに語り聞かせたい愚痴」だけを頭の中でずっと練り続けていました。


「…………あの人、若いうちに死んだからなぁ。こんなカッスカスに枯れたオバサンになったわたしを見て、なんて言うだろうなぁ…………」


 アミーは「これでようやくこの地獄より酷い苦界から解放されるのかな」などと思っていました。


 もう眼前にまで突き付けられた死に抗う気力もありませんでした。

 どうせこんなことになるぐらいなら、いっそあの時ハイデマリーに殺されておいた方がマシだったとしか思えませんでした。




 * * * * * *




 …………一方、すこし時期をさかのぼって。


 その問題のハイデマリーがかつて落下死した、あの「地獄の入り口」と称された大穴の底で、異変が起こっていました。


 実はその穴の底は怪虫の魔物の巣窟となっており、ハイデマリーの死体は女王個体の虫によって食い尽くされていたのですが。


 ある時、並外れて強い自我と凶暴性を持つ一匹の怪虫が生まれてきました。

 凄まじい勢いで別種の虫の魔物を食い殺し続け、いつしか同じ巣の仲間まで喰らい始め、遂には自分の母親であるはずの女王個体すら食い尽くして力を奪いました。


 やがてその怪虫は、アミーの祈りの力が弱まったおかげで魔物が活動しやすくなった地上に進出してきました。

 勿論そこからもおぞましい勢いで様々な魔物を食い荒らし続け、どんどん力を増していきました。


 怪虫はただひたすら「獲物を探し、喰らい、力を奪い、強くなること」に執着していました。異常なまでの貪欲さです。

 獣、鳥、蛇、鬼、妖花……あらゆる種類の魔物を食い続けました。


 怪虫は本当にどんどん強くなっていきました。どんどん、際限なく。




 ……そうこうしているうちに、ごくごく当たり前のように、今度は人間を標的として見定めました。




 怪虫は「旨い」と感じていました。人間を食って。


 …………そこで「彼女」は気づきました。

 物を食って「旨い」と思い、嬉しくなるという……自分の中に明確な「感情」が芽生えていることに。


 次々と人間を食い続けました。

 鎧を着込んで剣や槍を使ったり、攻撃魔法で対抗してくるような者もいましたが、様々な魔物の力を取り込んできた「彼女」の敵ではありませんでした。


 程なくして、視界に映る全ての人間を食べ終えた時。

 心地良い満足感の中で「彼女」は全てを理解しました……いえ、思い出した、と言うべきでしょうか。


 ……その瞬間、怪虫の外殻がヒビ割れ、脱皮が始まりました。


 中から出てきたのは……更に大きくなった怪虫……ではなくて。




「……くぁ……っ……ん……んぅ……」




 ……どう見ても、人間の女性の姿でした。

 頭の触角、背中の翅、針の生えた尻尾など……怪虫の要素も残っていましたが。


「ふぅー……」


 彼女はたまたま近くに湖があったことに気づくと、水面に自分自身を映して姿かたちを確認しました。

 とても美しい女性でした。いわば虫人の美女といったところです。


 全身の動作感覚を確認するように、首を振り、両手を開閉し、腰をひねり、ついでに翅や触角も動かし……。


「…………よし!」


 調子は万全だと理解した彼女は、空に羽ばたいて新しい獲物を探しに行きました。




 ……もうお察しでしょうか。


 そうです。


 彼女は……二十年余りの時を経て、怪虫の魔物として転生した……

 ハイデマリー・ハクサ・イタヴェール、その人でした。


 そう……性根から腐りきっていた彼女の魂は、よほど魔物と相性が良かったようです。

 かつてハイデマリーの死体を喰らった女王個体の中で、彼女の怨霊が循環して新たな子供として生まれてきてしまったということです。




 再誕した彼女は何故こんなにも強くなることに執着しているのでしょうか。


 それは勿論、決まっています。

 極めて簡単な話です。


 復讐するためです。

 かつて自分を陥れた、前世の怨敵たちに。


 …………陥れたも何も、実際はほとんど自業自得で誰からも嫌われて自滅しただけだったというのはさておき。




 ヒト型に進化した怪虫ハイデマリーは新たな技を習得しました。

 尻尾の針を別の生物に突き刺して卵を産み付け、その獲物の肉体を中から食わせて、自分の子供として作り替えて誕生させるという狂気の繁殖方法です。


 まるで幼い頃のハイデマリーを模したかのような虫人の美少女を沢山生み出しました。

 しかし当然のように、可愛らしい見た目に反して、一体一体全てが並外れた力を持っていました。


 やがて怪虫の軍隊とでも呼ぶべき規模の群れが完成しました。

 当然、人間への被害規模も更に更に加速度的に広がっていきました。最早誰にも止められません。


 そうです。

 アミーが聖女の魔力を失ったせいで魔物の餌食となる人間が激増したという話の実態は……流石に全部とまでは言わずとも、結構な割合でハイデマリーの群れがやったことでした。




 そんな調子で暴食の旅を楽しんでいると、ある日ハイデマリーはとてつもなく大きく強烈な魔物の気配を感じ取りました。

 これはきっと素晴らしい「ご馳走」があるに違いないと確信し、大量の子供たちを引き連れて急行しました。


 山奥にアホみたいにクソデカい身体を持つ、真っ黒な竜がいました。

 おとぎ話でしか聞いたこともないような竜の魔物ととうとう対面できたのかと、彼女は感激しました。


 黒い竜は巨体に見合った凄まじい力と、ドス黒い炎の息吹を武器に襲いかかってきましたが、その動作はまるで寝ぼけたかのように緩慢そのもの。

 ハイデマリーは数の暴力に物を言わせて、子供たちと一緒に竜の体表を片っ端からどんどん食い千切っていき、意外とあっさり倒してしまいました。


「……あっはッ! 結構美味しいじゃない! ははッ!」


 そりゃもう、本当にあっさりと。


 すっかり上機嫌になって竜の心臓を食い尽くしたハイデマリーは全身に力がみなぎっていくのを感じ、再び脱皮を果たしました。

 今度は自分の全身を覆えるほどに大きな蝶の翅が生えてきました。今食い殺した竜の鱗のような漆黒を基調としつつも、虹色の光沢を放つ、とても美しい翅です。


 ハイデマリーは物の試しに、残った竜の骨を掴んでみました。

 まるで枯れ枝でも折るかのようにパキパキと砕けました。あんなにすごい力を振り回していた竜の巨体の根幹を成すはずの太い骨が、いとも簡単に。


「……ちょっと強くなりすぎちゃったかしらね」


 勿体ないので粉砕した骨まで子供たちに食べさせることにしました。


「もうこれぐらいで十分かな……」


 より大きな力を得て満足したハイデマリーは、そろそろ最大の目的を果たすべく、再び空へと羽ばたいていきました。




 ……ところでこの黒い竜は結局一体何だったのかと言いますと。

 これも既に察しがついた人はいるかもしれませんね。


 そうです。八百年前の戦いで勇者と相討ちになった、伝説の邪竜そのものだったのです。

 アミーが聖女の魔力を完全に失ったことをきっかけに封印が解けてしまったのですね。


 寝ぼけているかのように動きが緩慢だったのは、復活したてで意識がはっきりしていなかったからというだけの話でした。

 ハイデマリーも容赦無さ過ぎますね。


 ともあれ彼女は結果的には、邪竜が再び人類を恐怖のドン底に叩き落とす脅威として動き出してしまう前に、世界を救ったということなのでしょうか。


 ……いいえ、それは違います。


 邪竜の力すら奪い取った彼女は……今この瞬間をもって、伝説の邪竜すら超越する、最強最悪の魔物として君臨したのです。


 もう本当に……誰にも彼女を止められないでしょう。




「さーぁみんなぁ……またお腹いっぱい食べましょうねぇ……ふふっ……くふふっ……!!」




 というわけで、ハイデマリーたちが次に目指したのは……。




 ミモレット王国の首都、でした。




 * * * * * *











 まぁ、なんと言えばいいか……。


 何だか……思ってたのとちょっと違う、とでも言うべきだろうか。


「ルシア教官ッ! 助け――」


 子供たちと一緒に手近な獲物からサクサク刈り取りながら進む。

 今までの食べ歩きの旅がずっと楽しかったからとは言え、いくらなんでも力をつけすぎたかもしれない。ホウキで塵芥でも掃いてる気分だわこれ。


 なんかちょっと偉そうな女の騎士が剣を叩きつけてきたが、私が指で弾いただけで刃が砕けてしまった。


「……貴様……まさか……!?」


 ところでよく見たら大分オバサンだな、この女。


「ハイデ――――」


 何か言いたげな雰囲気だったが、最後まで聞く前にうっかり潰しちゃった。

 脆すぎんのよ、ニンゲン共。私も昔はそうだったんだけどさぁ。




「んんー……」


 ……率直に言おう。

 街が汚い。すこぶる汚い。こんなにゴチャゴチャしてたっけ。どうにも私の記憶と随分印象が違う。


 まずニンゲン多すぎ。道端にゴミも多すぎ。本当にゴミ多すぎ。

 こんなに汚らしい街だっただろうか? 本当にミモレット王国の一番大きな都の姿か、これが?


 ……国の名前、ミモレットだったよね?


「助けてッ! 助けてェェェッ!!」


「ヒィッ!」


「虫か……!? あれもしかして虫の魔物か……!?」


「騎士団は何やってやがんだ! 早くなんとかしろォッ!!」


「う゛え゛ぇぇぇぇぇぇマ゛マ゛ァァァァァァァッ!!」


「は……話し合いませんか? 言葉は通じますか? ね、ねぇ貴女たち……ねぇ……!?」


「はは……は……すっげぇキレーなお姉さんじゃんか……な、なぁ……?」


「そ、そうね! めっちゃくちゃ美人よね! ねぇお姉さん! そのでっかいチョウチョみたいな翅、とっても素敵ね! ね……! だから……命だけは……ッ!!」


「クソがァァァァァァァァアアアッ!!」


「やめろォォォォ余計なことすんじゃねェェェェェェエエエッ!!」


 突然、炎の魔法を飛ばしてきた奴がいたが、さっと避けたら別のニンゲンに当たっていた。アホくさ。

 別に当たった所で私に効くわけもないのだが、何せ虫の直感が働くもので。


 私を美しいと讃えた奴だけは褒美に卵を産み付けてあげた。良かったわね、私の子供に生まれ変われて。

 元の姿の千億倍可愛くなれた……って、ああ間違えた。ゼロに掛け算しても一生ゼロだわ。




 それにしても……何だかなぁ。

 本当にさっきから、王国首都ってこんなにゴミゴミした街だったっけという違和感が抜けきらない。


 その辺のニンゲンに聞いてみるか。


「んぎッ!?」


 適当に一匹捕まえて、耳の穴から私の触角を差し込んで脳ミソに突き刺す。

 こうして私の頭へと情報を抜き取っていく。


「…………ふぅん」


 採取完了したので手を離してやる。


 大陸歴において「元の私」が産まれた年、「一回死んだ時」の私の年齢、そしてこいつから聞いた現在の年数…………成程。


 いやぁ……マジか……あれから二十年以上経ってたってこと……?

 私ってそんなに長いこと死んでたのか……まぁそもそもよく生き返れたなって話なのはさておき。ニンゲンじゃなくなったとは言え。


「……ぁ……あ゛……ッ……!」


「あら……」


 脳を刺したニンゲンが白目を剥いて泡を吹いている。

 ……敏感な所を長時間いじっちゃったせいだろうか。やっぱりニンゲンって脆すぎんのよねぇ。


「ごめんごめん」


 さっさと潰して解放してあげる。

 私の子供たちの栄養になれることを光栄に思いなさいな。


 ……しっかし、まぁ。

 それはそうとして二十年余りか……そんなに経ってたとは。


 となると「あいつら」の年齢って今頃……うっわ。なんてこったい。もうただの中年じゃない。

 今更退くつもりなんて毛頭ないけどさ。


 とりあえず目につく範囲の「前菜」はあらかたいただいたし、そろそろ「宴」の「主菜」に向かってもいい頃か。


「みんなー、そろそろ行くわよー」


 ……まぁ、私の子供たちは喋らないので別に返事とかは来ないのだが。

 とりあえず一番近くにいた子の頭でも優しく撫でておく。


「ヒュー……ヒュー……ッ……!」


「あ」


 まだ息がある奴が端の方に一匹残っていたことに気づいたので、右手の指で空気を弾いて撃ち抜いておいた。

 すぐに子供たちが四人ほど向かって後始末も済ませる。ニンゲンって骨まで脆いから全部ペロッといけちゃうのよねぇ。


「……行きましょ」


 これでゴミ箱みたいに汚かった街も赤色で彩られて、すこしは綺麗になったでしょ。




 * * * * * *











「逃げろッ! 逃げ――――」


「誰かなんとかしてくれェェェッ!!」


「陛下……たす、け……」


「…………綺麗な人…………」


「人じゃねぇよ! 目ェ覚ませ! 魔物だ! 最悪の魔物だ!」


「あはははははっ! 何これこの世の終わり!? アレってアタシたちをお迎えに来てくれた天使様かしら!?」


「ふざけんなどう見てもバケモンだろ!」


「あんな絶世の美女に食い殺してもらえるんなら悪くねぇかもなぁ!! ははっ!! あはは…………」


「ぼくなんか……たべても……おいしくない……です、よ……」


「うふ……うふふっ……!」


「愛してるよサマンサ!」


「ええ私も愛してるわ! だから私が逃げる時間を稼いできてちょうだいね! ねッ! ほらッ!」


「…………こんなことなら昨日のうちにあのワイン全部飲んじまえば良かったなァ…………」


「……誰かあの女、絵画にでも描けよ……ぜってぇ売れるぜ……くくっ……」


「う……うぇ……ぇ……っ……」


「嫌だァッ! 死にたくないィィィッ!!」


「全部あの魔女のせいだァァァァァァアアアアアッッ!!」




 ……これは一体どういうことなのか。

 出鼻をくじかれた。そうとしか言いようがない。


 私の元々の予定だと、今頃きっと私を差し置いて呑気に幸せに過ごしているであろう「あの女」をとりあえずさっさととっ捕まえて……というところから始めるはずだったのに。


 いや、何が起こってんのよこれ。

 どういうことなのよ。誰か説明しなさいよ。一体何がどうなってこの状況が出来上がったわけ?


 なんで。


 どうして。


 本当に一体どうして。




 なんでアミーが磔にされてて、足元によく燃えそうな藁を寄せ集めてあるのよ?

 何これ、火あぶりの刑でも今からやるところだったの?


 アミー燃やすの? なんで? 伝説の聖女様の再来じゃなかったの? 何事?


 もうすっかり年とってオバサンになってるけど、虫の直感があの女を紛れもなくアミーだと判定している。

 それにしたって随分やつれてない? 計算上は確か40歳をすこし過ぎたぐらいにはなるはずだけど……更にもう十年分ぐらい枯れてない?


 もし私がニンゲンのまま40代になってたとしても、いくらなんでもアレほどは老けないと思うんだけど。

 まぁ今更そんな妄想しても意味無いけどさ。


 アミー、本当に何やらかしたの?




「…………あのさぁ」


「ひィッ!?」


 とりあえず、反対側の「その男」に声をかける。

 私の子供二人が左右から両腕をつかんで取り押さえている、その汚らしいオッサン――――


「クルト」


 ――――に成り下がってしまった、かつての私の婚約者に。


「……チガイマス……クルト陛下じゃありませぇん……僕はただのごくごく平凡な一般人のおじさんでぇ……」


 ……なんか無茶苦茶阿呆な嘘ついてる……。

 気分もすっごい盛り下がってきた。今からが私の宴の主菜だったはずなのに。


「騙されないでハイデマリー!」


 横からアミーが叫んできた。掠れた声を無理矢理張り上げるように。


「あら、私がわかるの?」


「勿論よ! あなたハイデマリーなんでしょう!? ハイデマリー・ハクサ・イタヴェール! 顔でわかったわ!」


「すごいじゃないアミー・オマンジュ、二十年以上経ってるのに私のこと覚えててくれたのねぇ」


「ゴホッ……ええ、わたしも自分の旧姓なんて久しぶりに聞いたわ! あなたもわたしのこと覚えててくれたのね!」


 なんかせき込んでるし……。


「そりゃそうよぉ。だって私、貴女に復讐しに来たんだもの。地獄から蘇ってでもね」


 という具合に皮肉を飛ばしてやったつもりだったのだが。


「嬉しい! またあなたに会えるなんて思ってもみなかったわ!」


「はい?」


 アミーの返事は私の予想とは全く別の次元にカッ飛んでいた。


「ゲホッ、ェホッ…………ハァ…………すっごく綺麗よ、ハイデマリー…………」


「え」


 ……なんか、うっとりしてない? アミーの声色。


「魔物に生まれ変わったの? 蝶みたいな翅がついてるけど……ほんとに綺麗……」


 いやいや何事よ。私は貴女に復讐しに来たって確かに言ったわよね?


「わたしには今のあなたが女神様に見えるわ……素敵……」


 こっちの方がビビるほどにベタ褒めじゃないの……。

 全然彼女の話についていけない。


「……あのねぇアミー、それにクルト」


 とにかく、このままじゃ私の理解がちっとも進まない。


「今どういう状況なのか説明してくれない? なんでアミーは処刑されそうになってて、クルトがそれを特等席で眺めようとしてたわけ?

 貴方たち、私が死んでる間に結婚して、無駄に幸せな夫婦の営みでも送ってるはずじゃなかったの?」


 私が死んでる間に、の部分が自分でも言ってて違和感バリバリだが、純前たる事実なのでしょうがない。


「それは……説明すると長くて……」


 まぁそれはそうでしょうけど、と思っていたら。


「だ、だだだ黙れ魔女アミー!」


 なんか隣からクルトがわけわからんことを叫び出した。今、魔女って言った? 聖女じゃなくて?


「まさか魔物と内通していたとはな! こんなおぞましい化け物を呼び出して街中の民を殺して回らせたのか! いくらなんでもここまでやるか!?」


 ……何の話?


「し、死ねアミー! 今すぐ死ね! 地獄に落ちろ! クソが!!」


 …………語彙力の無い罵倒だ。知性も品性も無い。

 何? あの頃の私って……これに惚れてたの? マジで?


「お、おお、お、おい魔物の女! やるなら早くその魔女を処刑してしまえ! 復讐しに来たんだろ!? なぁ!?」


 言ってることがどんどん支離滅裂になっていく。そもそも子供に拘束されてる状況で何でそんなに偉そうなんだ。

 見苦しすぎる。ここもしかして笑ってあげればいい所?


「息子たちの仇だ! その魔女を早く始末しろォ!」


 ……息子とかいたの?

 そういえばさっき、若い頃のクルトにどことなく雰囲気が似てる雄のニンゲンが一匹いたような気もする。危うくそっちをクルトと誤認するところだったが。


 いやどっちにしろそいつ殺したの私なんだけど。お前の息子の仇、私よ? 

 ……そういえば息子たち、って……二匹もいたっけ?


「は、早くやれ! おい聞いてるのか!? 褒美なら後で好きなだけ取らせてやる!」


 ……それにしてもウザすぎる。そろそろ黙ってほしい。

 仕方がないのでクルトの左腕を押さえている方の我が子に一つ指示を飛ばす。


 …………ポキッ、と小さな音が鳴った。


「ッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァアアアアアアアアッッッッッッッ!!」


 うわ、絶叫気持ち悪っ。


「指がァ! 痛いッ! いだァいッ!!」


 だっせぇ……左手の小指一本折っただけでこれかよ……。


「いだい……いだァ……!」


 反対側を振り返ったらアミーも明らかにドン引きしていた。そりゃそうでしょうね。


「……ねぇハイデマリー」


 また話しかけてくるアミー。


「……何?」


「ミモレット王国はもう散々よ。めちゃくちゃよ。もう何もかもお終い。わたしはもう生きてることに疲れきっちゃった。

 どうぞわたしを好きなだけ召し上がってちょうだい。こんなやつれたオバサンなんか食べても美味しくないでしょうけど」


 こっちもこっちで自暴自棄すぎる。マジで何があったのよ。

 なんかもう……全方位が意味不明すぎて頭が痛くなってきた。


 もうこうなったら強硬手段でいくしかないか。

 私はアミーの方に近寄って……。


「アミー」


 ……うわ、至近距離まで来てアミーの顔に右手を添えてやったら、一層うっとりしてる。

 私に見惚れてんの? いくら進化した私が美しいからって。


 それにしてもこんな枯れたオバサンをここまで近くで直視するの、流石にきついわね。


「ちょっと痛いけど我慢しなさいよ」


「ぅあ!?」


 さっさと用事を済ますべく、アミーの耳の中に触角を突き刺――――





「…………ッ!?」




 ――――おいおい。


 おいおいおいおい。


 何じゃあこりゃあ。


 何やってんのよクルト。今までこの女の人生、こんなにぐっちゃぐちゃに踏みにじってきたの?

 こんだけ自分は何もしないくせに他は全部何もかもアミーに頼りきってきたくせに、そのアミーが弱って世の中が上手く回らなくなった途端にこれ?


 引くわ。本気で心の底から引くわ。なんかもう私の復讐の構想が一気に全部興ざめで台無しじゃないの。


 ……しかしそれより何よりアミーの記憶の凄惨さは元より、である。


 何なの、この感情の渦。


 私は頭の中に直接大量の劇薬を流し込まれてきた気分だった。




『ハイデマリーが来た。来てくれた。あの世から舞い戻ってきたハイデマリーがわたしのところまで来てくれた。わたしを解放しに来てくれた。この地獄より酷い苦界から私を助けに来てくれた。助けに来てくれたんだハイデマリーが助けに来てくれた。お願いハイデマリー。早くわたしを殺して。そしてクルトも殺して。そのクソ野郎をブチ殺して。殺して殺して。早く殺してあげて。そいつは本当にクソ野郎なの。いや野郎なんて言い方したら一般の男の人に失礼よね。こんなやつもう人間じゃないわ。ケダモノ未満のクソの中のクソよ。クソクソクソ。クルトってこんなに酷い奴なの。酷すぎるでしょ。最悪よもう。なんでわたしこんな奴と結婚しちゃったんだろう。完全に人生失敗よ。こんなクズだってわかってたら絶対結婚しなかった。若い頃ちょっと美形だっただけであんなに調子乗って本当に最悪最悪最悪。クズすぎるわ。今すぐ殺してあげてよこんなクズ。ねぇハイデマリーあなたはこんなクズと結婚しなくて良かったわね本当にそう思うでしょ。こいつと結婚したせいでわたしの人生こんなになっちゃった本当に最悪本当に最悪本当に本当に最悪最悪クソクソクソハイデマリー早く殺しちゃってよこいつ早く地獄に落として地獄の底の底の裏面までブッ飛ばして早く殺して殺さないと世の中もっとめちゃくちゃにされちゃうハイデマリーお願い頼むわこいつもう本当に駄目だから生かしておいちゃ駄目だよあなたがここに来てくれたの本当に女神様のお導きだわいや違うわハイデマリーこそが救済の女神様だわ本当に神々しい綺麗美しい綺麗すぎるわハイデマリー最高よあなたいつまででも眺めていたいわああ本当に美しい世界中の宝石をかき集めたってあなたの方がずっと美しい綺麗ハイデマリーハイデマリーハイデマリーお願いクルトを殺してわたしも殺してあなたに殺してもらえるならわたし最高に幸せ絶対幸せ今この瞬間がわたしの人生一番最高の幸せ最高に素敵ハイデマリー愛してるクルトなんかじゃなくてわたしはハイデマリーを愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる』




 ……吐くかと思った。

 

 でも。


 私は完全に気が変わった。私をここまで思い焦がれてくれていたアミーのことを、もう憎む気にはなれない。


 予定変更。




「……ぁ……は……」


「……ごめんなさいアミー」


 ヤバい顔になって気絶しかけのアミーにとりあえず謝っておく。また脳ミソ触りすぎちゃったな。


「今から解放してあげるわ」


 最初、アミーのことは徹底的に苦しめた末に残酷に殺してやるつもりだった。でもあんな酷い思い出を見せられちゃったら……同じ女として流石に、ねぇ。


「お望み通りにね」


 私は……。


 尻尾の針を、彼女の腹に突き刺した。


「ぉ……っ!」


 ……お腹が少しずつ膨らんでいく。


「ほ……ぎ、ぎ、ぎッ……ィィィイイイイイイッ!」


 本当にごめんねアミー。ちょっと痛いけど。


「ィィィィイイイァァァあああああくうううゥゥゥゥゥウウウウウウッッッ!!」


 すぐ収まるから。




「…………うわ……ぁ…………!?」


 後ろからクルトの間抜けな声が聞こえてきたが、まぁそれは一旦放っておいて。




 ブシャアッ……と、大量の液体をブチ撒けながら。


「…………ん、う…………?」


 古い肉体を真っ二つに引き裂いて、中から「新しいアミー」が生えてきた。


「……気分はどう?」


「ぅ……うぅん……」


 ……そう、あくまで「アミーのまま」作り直してあげたのである。

 今までの私の子供たちは私の小さい頃に似せて作ってきたが、この子はあくまで私の記憶にある若い頃のアミーの姿に寄せておいた。


「……すごい……身体がとっても軽いわ……気持ちいい……」


 生憎と手鏡なんかは無いので今すぐ本人に顔を確認させてやることはできないが……さっきまでの枯れたオバサンの姿など面影一つ無い。


「気に入ってもらえたかしら?」


 なかなかいい感じに出来たんじゃなかろうか。結構可愛いじゃないの。自我と声も与えておいたし。

 昔の私はクルトを横取りしていったこの女の愛らしさが憎くて憎くて憎くてたまらなかったものだが、それももう遥か遠い過去の話。


 ……クルトのあんな本性を見せられちゃあね。


「……最高の気分よ。ありがとうママ! ハイデマリーママ!」


「ふふっ、どういたしまして」


 私の娘として新生したアミーに口づけをする。

 向こうも私の後頭部に両腕を回して、ぎゅーっと抱きしめてくれちゃったりなんかして、もっと愛おしくなる。


 いっそこのままもっと深くまでいってやろうかしら。




「あ、アミー……? アミー……!?」


 まーた後ろからクルトの気持ち悪い涙声が聞こえてくる。

 今は邪魔しないで欲しいんだけど。気分が冷めるじゃないのよ。


 私たちは二人揃ってあいつの方へと向き直る。


「……ねぇ、クルト」


「うぁ……ッ!」


 声を一つかけただけでこのビビりよう。本当に格好悪い。アミーの言う通りこの世に生かしておく意味が微塵も感じられない。


「何か言い残すことはあるかしら?」


 かと言って簡単に殺すのもなぁ。勿体ないよなぁ。

 私ってこの日のために人生……あ、いや、怪虫生の全力を賭けるべくこんなに強くなって帰ってきたんだし。


「あ……ぁ……ぁ……!」


 クルトの首に右手を添える。

 私の真横でアミーもニコニコ微笑んでいる。どうやって遊んでやろうかと期待に胸をふくらませているのが見て取れる。


 ……いやしかし、こっちもこっちで至近距離で見るの辛いわ、こんな汚物の顔面。


「は……ハイデマリー……!」


「ん?」


「ぼ、僕たち……僕たち二人……」


 ……なんか嫌な予感がしてきた。


「やり直そう!」


 …………ほら。


「は?」


 あっぶね、首へし折りそうになったわ。


「最初から全部やり直そう! やはり僕は君と結婚すべきだったんだ! あの時の僕は君の本当の魅力に気づいていなかった! まさかこんなに素敵な女性だったなんて!」


 ……再び隣に目配せする。

 案の定、アミーの目つきがすっかり曇っていた。そりゃあね。


「本当に美しくなったねハイデマリー! 何だいその素敵な翅! まるで芸術品だよ! 人間の女如きにこんな魅力は出せないね! ははっ! ははははっ!!」


 何笑っとんねん。


「ぼ、ぼぼ僕はもうすっかりおじさんになっちゃったけどさ! いや、いやいや何、まだまだやれるよ! 二人でこのミモレット王国を新生させよう!」


 ……これ最後まで聞かないと駄目?


「前よりもずっと素晴らしい国になるよ! 絶対できるさ! 僕とハイデマリーならさ! なぁハイデマリー! ひ、人と魔物が融和できるような国をね! ほら!」


 …………あくび出そう。


「アミーは本当に最低の女だった! 僕はずっと騙されていたのさ! あいつはとんだクズだ! どうしてあの時ハイデマリーを選ばなかったのか僕は今本気で後悔している!

 聖女の再来なんて肩書きは完全に詐欺だったな! 本当に最悪だよ! ああもう思い出すだけでも腹が立つよあんな女!」


 ………………本人、ここにいますが。


「いやぁ本当に僕はこの二十年余りすっかり人生を無駄にしてしまったなぁははははは! お願いだよハイデマリー! 今から全部取り戻そう! なぁ!?

 もう君のことしか考えられない! 今度こそは本気だよ! 僕はもう絶対に決して迷わない! 神に誓う!」


 ……………………やっぱり折ろうかな。


「僕が愛してるのは君だけだハイデマリー! そうさハイデマリー!

 ハイデマリー・ハクサ・イタヴェールッ!!

 クルト・アラービ・キーウィンナーの名にかけて誓うッ! 愛してるよッッ!! ハイデマリィィィイイッッ!!!」


 …………………………貴方、さっき自分はクルト陛下じゃありませんって嘘ついてたわよね?


「……ねーぇ、クルトぉ……」


 私は精一杯の作り笑顔で無駄に艶っぽい声を演出した。

 このクソボケ阿呆カスも一瞬だけ表情を綻ばせた……が。


「ざまぁないわねぇ……まだ自分に男として女に求めてもらえるだけの価値が残ってるとでも思ってんの?」


 すぐさま恐怖と絶望に染まりきった真っ青な顔を晒していた。


「ねぇ?」


 ある意味、その表情の方がよっぽど可愛いけど……ね。

















「……アミー、街にはまだまだ沢山食べ物があるわ。お腹いっぱい食べましょうね」


「はーいママ!」


 再びアミーを優しく抱きしめ、唇を交わす。ああもう本当に可愛い。

 まさか私の夢見た宴がこんな展開になるなんて思いもしなかったけど、こんなに素敵な収穫があったのなら、この方が良かったんでしょう。きっとそうなんでしょう。


「私の子供たちとも仲良くしてね」


「勿論よ! みんなの新しい妹のアミーでーす! よろしくー!」


 アミーが近くにいた子を二人ほどまとめて抱きしめる。


 ……復讐は終わり。元の予定からは大分変更が入ったけど。

 これからの私は、この新しい娘も加えた沢山の家族と一緒に幸福だけに包まれて過ごしていく。それで決まり。確定。


「それじゃ、行きましょうか」


 アミーの頭を撫でながら、全員に号令をかける。


「ママ! だーいすき!」


「私も愛してるわ。アミーも、皆もね」


 ……宴は、まだまだ終わらない。




 * * * * * *




 こうして、史上最低の無責任な暗君、クルト・アラービ・キーウィンナーはミモレット王国諸共滅び去りました。


 ハイデマリーは自分の娘として生まれ変わったアミーと共に、王国領の人間を一人たりとも残らず、僅かな期間であっという間に食い尽くしました。

 それはつまり元の自分の生家であるイタヴェール公爵家の人々も含むということですが、今更それぐらいは些細な問題でしょう。


 その後、彼女は魔物だけの楽園と化した王国領で最強無敵の頂点捕食者として君臨し、気の向くままに他の魔物を食い荒らして、ずっとずっと気持ち良く暮らしましたとさ。


「ママ! もっとチューして!」


「ふふっ……大好きよアミー……」


「えへぇ」


 めでたし、めでたし。




 ――――暗黒童話作家 ナムイさん著

 「婚約破棄地獄変 Rebirth」       完。




 * * * * * *









「……叔父上の言った通りでしたね」


「予想よりも遥かに早かったし、予想よりも更に最悪の形でだが……な」


「まさか魔物の襲撃で壊滅するとは……」


「……相手は魔物だ。じきにこのカマンベイル帝国にも手を広げてくるだろう」


「どうします?」


「今の内にお上に話を持ちかけて対策を立てるしかあるまい」


「…………叔父上」


「どうした」


「……いい気味だな、とか思ってたりします? ミモレットがああなって」


「君は思っているのか?」


「…………すいません、やっぱりこの話は聞かなかったことにしてください」


「まぁ、そうだな……」




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