雷鳴峰
「やーーーっっっほおおおおおおおお!」
クラウディア・ヴァル=ザ=イグニスの高らかな叫び声が、険しい山道に響き渡った。彼女の長い金髪は風になびき、鮮やかな赤と金のドレスは太陽の光を浴びて輝いていた。その姿は、雷鳴峰の厳かな景色の中で、あまりにも場違いに見えた。
「クラウディア様、もう少し静かにしていただけませんか?」レオ・グラントは疲れた表情で言った。彼は重そうな荷物を背負い、険しい山道を必死に登っていた。「この辺りは雪崩が起きやすいと聞いています。」
「なにをおっしゃるの、レオ!」クラウディアは振り返り、自信に満ちた笑顔を浮かべた。「わたくしが最強ですわ!少々の雪崩など、この雷鳴剣で切り裂いてみせますわ!ホーーーッホッホッホ!」
彼女の高笑いが山肌に反響し、小さな雪の塊が崩れ落ちた。
「あの…」エルナ・セフィリアが小声で言った。彼女の薄紫色の髪が風に揺れ、神妙な表情で周囲を見回している。「本当に気をつけた方がいいと思います。この山には…何か強い気配を感じます。」
三人は雷鳴峰の中腹まで登ってきていた。浮遊大陸アルメイダの東部に位置するこの山は、常に雷雲に覆われ、頂上付近では絶え間なく稲妻が走っている。伝説によれば、かつて雷神トールがこの地に降り立ち、その力の一部を「雷の断片」として封じたという。
目的地は山頂にある雷神の祠。そこに「雷の断片」が眠っているはずだった。
「ねえ、レオ。あなた、もっと頑張らないと!」クラウディアは軽々と岩場を飛び越えながら言った。「わたくしたちが神兵アポクリュファを集めなければ、この世界はどうなってしまうか分かっていますよね?」
レオは汗を拭いながら答えた。「分かっています、クラウディア様。ですが、あなたと違って普通の人間には限界があるのです。」
クラウディアは立ち止まり、腰に手を当てた。彼女の目には少しだけ優しさが宿っていた。
「レオ、あなたは普通じゃないわ。わたくしが認めた騎士ですもの。」彼女は珍しく真剣な口調で言った。「さあ、もう少しですわよ。」
エルナは二人の会話を聞きながら、少し寂しそうな表情を浮かべていた。彼女の右手には神秘的な紋様が浮かび上がっており、時折淡い光を放っている。
「エルナ、大丈夫?」レオが心配そうに尋ねた。
「はい…」エルナは小さく頷いた。「ただ、この山に近づくにつれて、体の中の何かが…反応しているみたいで。」
クラウディアは眉をひそめた。「まったく、あなたの体に封印されているという力とは一体何なのかしら。煉界教団があなたを狙う理由も、まだはっきりとは分からないわね。」
三人は黙々と山道を登り続けた。道は次第に険しくなり、周囲の温度が急激に下がっていった。高度が上がるにつれ、空気は薄くなり、呼吸が荒くなる。しかし、クラウディアだけは一向に疲れを見せなかった。
「あれを見なさい!」クラウディアが突然叫んだ。
前方、雲間から巨大な石造りの鳥居が姿を現した。それは雷鳴峰の頂上へと続く道の入口だった。風化した石には古代文字が刻まれており、不思議な威厳を漂わせている。
「やっと着いたわ!」クラウディアは誇らしげに言った。「ほら、レオ!エルナ!これが女王様の導きですわ!ホーーーッホッホッホ!」
レオは深いため息をついた。「クラウディア様、私たちはまだ頂上に着いたわけではありません。鳥居の先には、もっと険しい道が…」
「細かいことは気にしないの!」クラウディアは手を振った。「さあ、進みましょう!」
鳥居をくぐると、空気の質が変わったように感じられた。エルナの右手の紋様が一層明るく輝き始め、彼女は痛みに顔をしかめた。
「エルナ!」レオが彼女の肩を支える。
「大丈夫…です。」エルナは震える声で言った。「でも、確かに何かが…呼んでいます。」
クラウディアは静かになり、鋭い目で周囲を観察していた。彼女の直感が何かを察知していたのだ。
「レオ、背中を守りなさい。」クラウディアは低い声で命じた。「わたくしたち、歓迎されていないみたいね。」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、雷鳴とともに空から青白い光が降り注いだ。
「伏せなさい!」
クラウディアの警告と同時に、三人の頭上で稲妻が炸裂した。衝撃波が彼らを吹き飛ばそうとするが、クラウディアは素早く剣を抜き、地面に突き立てて踏みとどまった。
「なんてことだ…」レオが呟いた。その目は、彼らの前に現れた存在に釘付けになっていた。
雷雲の中から、巨大な人影が姿を現した。全身が雷光に包まれ、両眼からは青白い光が放たれている。その姿は人間のようでいて、どこか神々しい雰囲気を漂わせていた。
「雷神の守護者…!」エルナが息を呑んだ。「伝説で聞いていた通りです…」
守護者は雷鳴のような声で言った。「汝ら、何の目的あって此の聖地を穢す?雷神の眠りを妨げる者には、天罰を下す!」
クラウディアは一歩前に出て、剣を構えた。彼女の目には恐れの色はなく、むしろ高揚感さえ漂っていた。
「聞きなさい、雷神の守護者よ!わたくしはクラウディア・ヴァル=ザ=イグニス、七英雄の一人、『雷王』ザゴラス・イグニスの末裔なり!この世界を救うため、雷の断片を授かりに参りましたわ!」
彼女の言葉に、守護者は一瞬動きを止めた。しかし、すぐに雷光がより強く輝き、怒りに満ちた声が響いた。
「ザゴラスの血を継ぐ者…汝もまた、力に溺れし者か。証を見せよ、汝が真に相応しき者ならば!」
守護者が右手を突き上げると、周囲の雷雲が渦を巻き始めた。次の瞬間、無数の稲妻が三人に向かって襲いかかる。
「クラウディア様!エルナ!」レオは二人の前に飛び出し、盾を掲げた。稲妻が盾に当たり、強烈な衝撃がレオの体を貫いた。彼は膝をつきながらも、盾を手放さなかった。
「レオ!」エルナが叫んだ。
クラウディアの表情が一変した。彼女の目に怒りの炎が灯った。
「仲間に手を出すとは…許さんっ!」
彼女の体から金色のオーラが放たれ、髪が風もないのに舞い上がった。クラウディアは剣を高く掲げ、叫んだ。
「雷鳴剣・壱の型『閃電穿破』!」
剣から青白い電撃が放たれ、空気を切り裂いて守護者に直撃した。しかし守護者は、その攻撃を片手で受け止め、笑った。
「その程度の力で、雷神の力に挑むか…愚かなり!」
守護者は両手を広げ、周囲の雷を全て吸収した。その体は一層巨大化し、まるで雷そのものとなったかのようだった。
「これはまずいわ…」クラウディアは初めて焦りの色を見せた。「レオ、エルナ、下がりなさい!」
レオは弱々しく頭を振った。「クラウディア様…一人では…」
「黙りなさい!」クラウディアは叫んだ。「わたくしが最強ですわ!この程度、何でもないのよ!」
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の表情には迷いが見えた。守護者の力は、彼女の想像を超えていたのだ。
エルナは震える手で立ち上がり、前に出た。
「クラウディアさん、私にも何かできることがあるはずです。この紋様は…」
彼女の言葉が終わる前に、守護者が動いた。信じられないほどの速さで三人の前に現れ、巨大な雷の剣を振り下ろす。
クラウディアは咄嗟にエルナを突き飛ばし、剣で防御した。二つの剣がぶつかり合い、激しい火花と雷光が飛び散る。
「ぐっ…!」クラウディアは膝をつきそうになるが、必死で踏みとどまった。「ちょっと、重いわねっ!」
守護者は力を増し、クラウディアを押し潰そうとする。彼女の足が少しずつ地面に埋まっていく。
「クラウディア様!」レオが叫んだ。
彼女の周りに金色のオーラが強く輝き始めた。クラウディアの瞳の色が変わり、金色に輝いている。
「わたくしが…負けるわけには…いかないのよ!」
彼女は全身の力を振り絞り、守護者を押し返した。そして一瞬の隙を突いて横に飛び、剣を横に振った。
「雷鳴剣・弐の型『閃電貫矢』!」
青い電光の矢が黒い影となった守護者の前方に飛んでいった。その矢は地面に突き刺さり、大爆発を起こした。爆発の衝撃で守護者が後退する。
「やったわ!」クラウディアは息を切らしながら叫んだ。
しかし、煙が晴れると、守護者はほとんど無傷で立っていた。
「まだまだ…!」守護者は雷鳴のような声で言った。「汝の力、それだけか?」
クラウディアの顔から血の気が引いた。これまで彼女が戦ってきた敵の中で、彼女の二の型を受けてなお立っていられる者はいなかったのだ。
「どうすれば…」
その時、エルナの声が聞こえた。
「クラウディアさん、この人は試しているんです!力だけじゃなく、あなたの覚悟を!」
クラウディアは一瞬、エルナを見つめた。そして、何かを悟ったように頷いた。
「そうね…わたくしは力だけを誇っていたわけじゃない。」彼女は剣を構え直し、真っ直ぐ守護者を見据えた。「わたくしが求めるのは、真の強さ。そして…」
彼女は一瞬、レオとエルナを見た。
「仲間を守る力よ。」
守護者は静かに見つめていた。
クラウディアは深く息を吸い、剣を頭上高く掲げた。剣の刃が青く輝き始め、まるで雷そのものが宿ったかのようだった。
「雷鳴剣・参の型『天雷落衝』!」
天から巨大な雷が降り注ぎ、クラウディアの剣に集中した。彼女は全身を雷に包まれながらも、苦悶の表情を見せなかった。そして、集めた雷を一気に解き放った。
青白い光が辺りを覆い、轟音が山全体を揺るがした。
霧が晴れていくと、クラウディアは膝をついていた。彼女の衣装は所々焦げ、髪も乱れている。しかし、その目は決意に満ちていた。
守護者は彼女の前に立ち、じっと見下ろしていた。その体の雷光は弱まり、より人間に近い姿になっていた。
「汝、確かに『雷王』の血を引きし者なり。」守護者はゆっくりと言った。「しかし、いまだ力を制御し切れておらぬ。」
クラウディアは息を整えながら立ち上がった。「わたくしにはまだ足りない力がある。だからこそ、雷の断片が必要なのよ。」
守護者は首を横に振った。「断片は力ではない。知恵なり。」
クラウディアは眉をひそめた。「どういう意味?」
「力を求め続ければ、やがて力に飲まれる。汝の先祖ザゴラスも、それゆえに苦しんだ。」守護者の声は静かになった。「汝に問う。何のために力を求める?」
クラウディアは即答した。「世界最強の女王になるためよ!」
「それだけか?」
クラウディアは言葉に詰まった。レオとエルナが彼女の傍に立ち、励ますように見つめている。
「…違うわ。」クラウディアは小さく言った。「わたくしは、守りたいものがある。この世界を、仲間たちを…そして…」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「わたくしの中にある、まだ見ぬ可能性を。」
守護者の目が優しく輝いた。「よく言った。」
守護者は右手を天に向け、雷を呼び寄せた。それは次第に形を変え、小さな結晶となった。青く輝く結晶は、まるで雷を閉じ込めたかのように内側から光を放っている。
「これぞ、汝の求める『雷の断片』。受け取るがよい。」
クラウディアが手を伸ばすと、結晶はゆっくりと彼女の手のひらに降り立った。その瞬間、彼女の体に強烈な電流が走った。
「あっ…!」
クラウディアの体が青白い光に包まれ、彼女の長い金髪が逆立った。そして、その光は次第に彼女の体内に吸収されていった。
光が消えると、クラウディアは新たな力を得たように立っていた。彼女の目は電光を宿したように輝いている。
「これが…雷の断片…」
守護者は頷いた。「汝の血と共鳴し、新たな力を与えた。だが覚えておけ。力は道具に過ぎぬ。それをどう使うかが、汝の真価を決める。」
クラウディアは深く頷き、レオとエルナを見た。二人の顔には安堵の表情が浮かんでいた。
「心配かけたわね。」クラウディアは珍しく謙虚な笑顔を見せた。
レオは頭を下げた。「いえ、クラウディア様の強さを、改めて実感しました。」
エルナは静かに言った。「次は…光の都市ですね。光の断片を求めて。」
守護者は言った。「光の都市バイリオンへ向かうがよい。そこにあるは、かつて『光王』グローリアが遺した断片なり。」
クラウディアは剣を鞘に収め、自信に満ちた笑顔を取り戻した。
「よーし!行くわよ、レオ!エルナ!次なる断片を求めて!わたくしが最強ですわ!ホーーーッホッホッホ!」
彼女の高笑いが山に響き渡った。レオはため息をつきながらも、微笑んでいた。エルナも小さく笑顔を見せる。
守護者は静かに消えていった。その姿が完全に消える前に、最後の言葉を残した。
「汝らに試練あれ。真の力を見出せ…」
三人は雷鳴峰の頂上から、次なる目的地を目指して下山を始めた。クラウディアの胸の内では、新たな力と共に、新たな疑問が芽生えていた。
「わたくしの血に宿る力…そして、エルナの秘密…」
彼女は空を見上げた。遠くで雷鳴が響き、彼女の心に呼応するかのようだった。
「世界最強の女王になる…その意味が、少し変わった気がするわ。」
だが彼女はすぐに気を取り直し、先頭に立って歩き始めた。
「さあ、急ぎましょう!冒険はまだ始まったばかりよ!」
三人の姿は、次第に雲の中に消えていった。彼らの前には、まだ長い旅路が続いている。そして、彼らが知らない場所で、煉界教団の影が静かに動き出していた…。
山の麓、人気のない洞窟の中。赤い装束に身を包んだ男が佇んでいた。彼の左腕は鮮やかな赤色に輝き、まるで炎が宿っているかのようだ。
「雷の断片を手に入れたか…」彼は低い声で呟いた。「クラウディア・ヴァル=ザ=イグニス…なかなか興味深い女だ。」
男の背後から声がした。「赤き腕のレイゼル様、次はどうなさいますか?」
レイゼルは振り向かず、腕を掲げた。赤い光が洞窟内を照らす。
「彼らを光の都市まで行かせよう。そこで『彼』が待ち構えている。」彼は冷たく微笑んだ。「そして、巫女の力を…いや、『鍵』を手に入れるのだ。」
「かしこまりました。」部下は頭を下げた。
レイゼルは空を見上げた。そこには浮遊大陸アルメイダの姿が浮かんでいる。
「古の神よ、あなたの復活の時は近い…」
赤い光が一瞬強く輝き、それから消えた。洞窟には再び闇が戻り、レイゼルの姿も消えていた。残されたのは、これから始まる戦いの予感だけだった。