古代の伝承
夕闇が深まりゆく空の下、アルメイダの古都ノストラドムは静寂に包まれていた。石畳の道は幾世紀もの時を経て磨かれ、青白い魔法灯が通りを照らす。クラウディア、レオ、エルナの三人は、古都の最奥に建つ「知恵の塔」へと足を進めていた。
「ホーッホッホッホ! この程度の古びた街に、真実が眠っているというのですわ?」
クラウディアの高笑いが石造りの建物間を響き渡る。その豪快な声に、道行く人々は振り返り、彼女の派手な衣装と自信に満ちた態度に目を見張った。
「クラウディアさん、もう少し声を抑えていただけませんか...」レオが周囲に謝るような目配せをしながら言った。「この街は学者たちの聖地。騒ぎを起こせば、私たちを追い出すかもしれません」
「あら、強い者が弱い者に頭を下げる必要なんてありませんわ」クラウディアは腰に下げた雷鳴剣を軽く叩きながら言った。「この世界は力ある者が作るものですのよ」
エルナは二人のやり取りを黙って聞いていた。彼女は薄紫色の瞳を「知恵の塔」へと向け、何かを感じ取るように眉を寄せた。
「でも...力だけでは見えないものもあります」エルナはようやく口を開いた。「私たちが求めているのは知恵。そして、私の中にある力の真実です」
クラウディアはふん、と鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わなかった。三人は巨大な石の門の前に立った。門には古代文字が彫られ、七つの星と翼のある剣の紋章が刻まれている。
「ここが...知恵の塔」レオが門を見上げながら言った。「アルメイダで最も古い建物と言われています。古代戦争の前から存在するとも」
「ノックもせずに突入するのは礼を欠くでしょうか?」クラウディアが不敵な笑みを浮かべる。
「やめてください!」レオとエルナが同時に叫んだ。
クラウディアが門をノックすると、重い音が響き渡った。しばらくして、門が内側から開かれ、白髪の老人が姿を現した。彼は青い長い衣をまとい、額には同じ七つの星の紋章が描かれていた。
「待っていたぞ、赤き瞳の娘よ」老人の声は優しく、同時に深い知恵を感じさせるものだった。
「あら?」クラウディアは驚いて眉を持ち上げた。「わたくしのことをご存知なのですか?」
「お前が来ることは、星々が教えてくれていた」老人は三人を招き入れた。「私はアガサー・テフロス。この塔の管理人にして、古代の記録者だ」
「知恵の塔」の内部は、外観よりさらに広大だった。無数の書物が天井まで届く書架に並び、中央には巨大な天球儀が静かに回転している。壁には古代の壁画や図式が描かれ、魔法の光が青く揺らめいていた。
「この塔は、煉界戦争の真実を記録するために建てられた」アガサーは三人を案内しながら説明した。「真実は時に歪められ、伝説となり、そして忘れられる。しかし、この場所だけは変わらない」
「煉界戦争?」レオが尋ねた。「神々と人が戦った古代の戦争のことですか?」
「そう」アガサーは頷いた。「多くの人はそれを単なる神話と考えているが、事実だ。そして今、その戦争の余波がまた世界を揺るがそうとしている」
アガサーは彼らを螺旋階段で上へと導いた。階段を登るにつれ、クラウディアは自分の中に奇妙な感覚が湧き上がるのを感じた。それは血が騒ぐような、何かに呼応するような感覚だった。
「ここが記録の間だ」アガサーは広間に彼らを招き入れた。
円形の部屋の壁には、巨大な壁画が描かれていた。それは神々と人間たちの戦いの様子を描いたものだった。空には七つの巨大な存在が浮かび、地上では無数の人々が戦っている。そして中央には、七人の勇者たちが光る武器を手に戦う姿があった。
「かつて、神々は人間を創造した」アガサーは語り始めた。「しかし神々は完璧ではなく、人間もまた不完全だった。やがて神々は人間たちを試練と称して苦しめるようになった。神々の遊びのために、人々は都市を破壊され、国を滅ぼされた」
「ええ、そんなことが...」エルナは信じられないという表情で壁画を見つめた。
「人々の中から立ち上がったのが七英雄だ」アガサーは壁画の七人の勇者を指さした。「彼らは神々に反旗を翻し、『神を殺す武器』を作り出した。それが神兵アポクリュファだ」
クラウディアは自分の胸が熱くなるのを感じた。彼女の体の中で何かが共鳴しているように感じる。
「七英雄は神々と戦い、そして―」
「勝った?」クラウディアが質問した。
「いいえ」アガサーは悲しそうに首を振った。「彼らは負けた。しかし、最後の力を振り絞り、アポクリュファを使って神々を封印した。その代償として、七英雄は命を落とした。だが、彼らの血脈は生き延びた」
アガサーはクラウディアの目を見つめた。「お前の赤き瞳は、『雷王』ザゴラス・イグニスの血を引く証だ」
アガサーは静かに言った。「お前の持つ雷鳴剣の力、それはザゴラスの力そのものだ。彼の血脈に流れる『神の因子』があるからこそ、お前はそれほどの力を持つのだ」
クラウディアは黙り込んだ。彼女の心の中では、常に抑えきれない力の存在を感じていた。それが「神の因子」というものだったのか。
「しかし、なぜ今になって煉界教団が動き出したのですか?」レオが尋ねた。
「神々の封印が弱まっているからだ」アガサーは天球儀を指さした。「七つの星の配列が、千年に一度の形を作ろうとしている。その時、神々の封印は一瞬だけ弱まる。煉界教団はその瞬間を狙い、神々を完全に解放しようとしているのだ」
「そして、その鍵となるのが...」アガサーはエルナを見た。
エルナは震える手で自分の胸元に触れた。彼女の指の下には、生まれつき持つ星型の痣があった。
「あなたは『神兵の鍵』を持つ者だ」アガサーは言った。「アポクリュファを起動させる力を持つ唯一の存在」
「いいえ...」エルナは顔を青ざめさせた。「私はただの巫女です。そんな力は...」
「だからこそ、煉界教団はお前を狙っている」アガサーは彼女の肩に手を置いた。「彼らはお前の力を使って、神々を解放しようとしている。あるいは、お前を殺して封印を永続化させようとしている」
レオは剣に手をかけた。「彼女を守るのが私の使命です」
「そうですわ」クラウディアは久しぶりに高笑いを上げた。「わたくしが最強ですから、エルナを守ってみせますわ! ホーーーッホッホッホ!」
しかし、その笑いには少し緊張感があった。自分が七英雄の血を引くという事実は、彼女の心に新たな疑問を投げかけていた。
「しかし、どうして煉界教団は神々を解放しようとしているのですか?」レオは疑問を投げかけた。「神々が解放されれば、世界は破壊されるのではないですか?」
アガサーは長い杖をつきながら歩き始めた。「彼らは『浄化』と呼んでいる。現在の世界は穢れており、神々の力によって一度滅ぼし、新たな世界を創造すべきだと考えているのだ」
「狂気ですわね」クラウディアは腕を組み、眉をひそめた。「愚かな信仰のために世界を犠牲にする気ですの?」
「人は信じるもののために死ぬことができる」アガサーは静かに言った。「そして、人を殺すこともできる」
エルナは窓の外を見ていた。彼女の瞳に映る風景は、普通の人々が普通に暮らす穏やかな町並みだった。「私のせいで、こんな人たちが...」
「あなたのせいではありません」レオは彼女の横に立った。「教団の野望が、この世界と人々を脅かしているのです」
「それより、この『神兵アポクリュファ』とやらは今どこにあるのですか?」クラウディアが尋ねた。彼女は自分の雷鳴剣を撫でながら、そこに眠る力の源を思い巡らせていた。
「七つに分割され、世界の各地に隠されている」アガサーは壁の地図を指さした。「最も近いのは、『風の都市ヴェントリア』の地下深くに眠る『風の断片』だ」
「なるほど」クラウディアは微笑んだ。「つまり、教団よりも先に集めれば、神々の封印を強化できるというわけですね?」
「理論上はそうだ」アガサーは頷いた。「しかし、アポクリュファの断片は危険だ。それは神々の力の一部を持つ。普通の人間では触れることすらできない」
「でも、七英雄の血を引くクラウディアさんなら?」レオが期待を込めて尋ねた。
「可能性はある」アガサーはクラウディアを見た。「しかし、お前にも限界がある。神の因子は強大な力だが、人間の体には負担が大きい。既にお前は制御に苦労しているだろう?」
クラウディアは無意識に自分の右手を握りしめた。確かに最近、力の暴走を感じることが増えていた。特に感情が高ぶった時に、体の内側から何かが爆発しそうになる感覚。
「わたくしに限界などありませんわ!」クラウディアは強がりながら言った。「すべてはわたくしの女王としての道のりにある試練にすぎませんの!」
アガサーは悲しそうな目で彼女を見た。「ザゴラスも同じことを言っていたという。彼もまた、自分の力を過信していた。そして最後には...」
「最後には?」クラウディアが尋ねる。
「彼は仲間を守るために自らを犠牲にした」アガサーは言った。「神の力を自らの体に取り込み、封印の核となったのだ」
部屋は静まり返った。クラウディアは自分の力の源が、先祖の犠牲から生まれたものだと知り、複雑な感情に包まれた。
「では、我々はどうすればよいのですか?」レオが静かに尋ねた。
「ヴェントリアへ向かいなさい」アガサーは言った。「そこで『風の断片』を見つけ出し、教団から守る。そして、エルナの力を覚醒させる方法を探すのだ」
「エルナの力?」クラウディアは振り返った。
「彼女は鍵を持つ者」アガサーはエルナを見た。「彼女の力が目覚めれば、アポクリュファを本来の目的——神々の封印を強化するために使うことができる」
エルナは自分の両手を見つめた。「私には...そんな力があるのですか?」
「あなたの中に眠っている」アガサーは彼女の頭に優しく手を置いた。「時が来れば、目覚めるだろう」
月が高く上った頃、三人は「知恵の塔」の最上階にある小さな部屋に案内された。そこには三つの寝台と、古い書物が置かれていた。
「今夜はここで休みなさい」アガサーは言った。「明日の朝、ヴェントリアへの道を示そう」
アガサーが去った後、三人はそれぞれの思いに沈んだ。レオは窓辺に立ち、エルナは本棚の前で古い書物を手に取っていた。クラウディアは部屋の中央に座り、自分の雷鳴剣を膝の上に置いていた。
「クラウディアさん、大丈夫ですか?」エルナが心配そうに声をかけた。
「ええ、もちろんですわ」クラウディアは笑った。しかし、その笑顔には力がなかった。「ただ、少し考え事をしていただけですの」
「七英雄の血を引くということが、あなたを悩ませているのですね」エルナは彼女の横に座った。
「悩んでなどいませんわ」クラウディアは髪を掻き上げた。「むしろ誇りに思いますわ。わたくしの力がただの偶然ではなかったと知って、嬉しいくらいですの」
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の心は揺れていた。自分が何者であるか、その力はどこから来たのか、そして何のためにあるのか——今まで考えたこともなかった問いが、彼女の心を占めていた。
「クラウディアさん」レオが窓辺から彼女を見た。「あなたの力は、あなたのものです。先祖が誰であれ、その力をどう使うかはあなた次第です」
クラウディアは顔を上げ、レオを見た。その眼差しには、彼女が普段見せない弱さが垣間見えた。
「そうね...確かに」クラウディアは小さく頷いた。「わたくしはわたくし。女王になる運命を持つ者ですわ! ホッホッホ!」
彼女は立ち上がり、部屋の中央に剣を置いた。「さて、明日からはヴェントリアへの旅ですわね。わたくしのような美しき女王様が風の都市に降り立てば、きっと町は騒然となることでしょうね!」
レオとエルナは顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべた。クラウディアは元気を取り戻したようだった。
夜が更けて、エルナとレオが眠りについた後も、クラウディアは目を覚ましていた。彼女は静かに部屋を抜け出し、塔の屋上へと向かった。
星空の下、彼女は自分の赤い瞳を月に映した。その目は普段の自信に満ちた輝きとは異なり、不安と疑問に満ちていた。
「ザゴラス...」彼女は小さく呟いた。自分の先祖の名を口にするのは初めてだった。「あなたはどんな人だったの? なぜ神々と戦い、そして自らを犠牲にしたの?」
彼女は雷鳴剣を抜き、月明かりの下でその刃を見つめた。刃には古代の文字が刻まれ、青白い光を放っていた。
「この剣も、あなたのものだったのね」
クラウディアは剣を振るい、静かに型を練り始めた。
「雷鳴剣・壱の型『閃電穿破』」
彼女が剣を縦に振り下ろすと、青白い電撃が夜空を切り裂いた。それは美しく、同時に恐ろしい力だった。
「雷鳴剣・弐の型『閃電貫矢』」
横に剣を振ると、青い電光の矢が夜空へと飛んでいった。それは星々の間に消えていった。
彼女は次の型に移ろうとしたが、突然、体の中から激しい痛みが走った。彼女は膝をつき、苦しそうに胸を押さえた。
「くっ...」
クラウディアの体から青白い光が漏れ出し、彼女の周りの空気が震え始めた。彼女の赤い瞳が燃えるように輝き、髪が風もないのに揺れた。
「制御...できない...」
彼女は歯を食いしばり、何とか力を抑え込もうとした。その時、彼女の耳に聞こえたのは遠い記憶のような声だった。
『力は制御するものではない...受け入れるものだ』
それは誰の声だったのか、クラウディアには分からなかった。しかし、その言葉に導かれるように、彼女は深く息を吸い、自分の中に滞る力を拒絶するのではなく、受け入れようとした。
すると不思議なことに、痛みは徐々に和らぎ、漏れ出ていた光も収まっていった。彼女は再び立ち上がり、剣を構えた。
「雷鳴剣・参の型『天雷落衝』」
彼女が剣を天に向けて突き上げると、空から巨大な雷光が落ち、剣に吸収された。その力は彼女の体を通り、地面へと導かれた。
力の流れを感じながら、クラウディアは初めて自分の力の本質を理解したような気がした。それは彼女の中にある神の因子、そして彼女自身の魂が織りなす独自の力だった。
「わたくしはわたくし」彼女は小さく笑った。「七英雄の血を引こうとも、神の因子を持とうとも、わたくしは『クラウディア・ヴァル=ザ=イグニス』。未来の女王様ですわ!」
彼女は剣を鞘に収め、星空を見上げた。明日からの旅は、きっと彼女の力と存在の意味を問うものになるだろう。しかし今、彼女は恐れていなかった。
「どんな運命が待っていようとも、わたくしはわたくしの道を行く」
クラウディアは高らかに笑った。その笑い声は、いつものような傲慢さではなく、新たな決意と自信に満ちていた。
「ホーーーッホッホッホ!」
夜明け前、アガサーは三人を塔の入り口まで見送った。
「これを持って行きなさい」アガサーはクラウディアに古い巻物を手渡した。「これはヴェントリアへの安全な道を示している。そして、『風の断片』の在処も記されている」
「ありがとうございます」クラウディアは珍しく丁寧に頭を下げた。「ご心配なく。わたくしが必ず教団から世界を守ってみせますわ!」
「油断せぬように」アガサーは彼女の肩に手を置いた。「教団の幹部たちは、ただの狂信者ではない。彼らもまた、神の力の一部を持つ者たちだ」
「どういうことですか?」レオが尋ねた。
「煉界教団の幹部たちは、神の因子を自らの体に取り込んだ者たち」アガサーは言った。「彼らは人の姿をしているが、既に人間とは言えない。神の力によって強化された怪物だ」
クラウディアは雷鳴剣に手をかけた。「怪物も何も、わたくしの剣の前ではただの虫けらですわ!」
「焦りは禁物です」エルナが静かに言った。「私たちはまだ何も知らない。まずは『風の断片』を見つけ出し、私の力を目覚めさせることが先決でしょう」
「よく言った」アガサーはエルナの頭に手を置いた。「あなたの中に眠る力は、神兵を制御する鍵となる。それが目覚める時、全てが明らかになるだろう」
三人は重い門をくぐり、町の外へと向かった。朝日が地平線から昇り始め、新たな旅の始まりを告げていた。
「ところで」クラウディアが突然立ち止まった。「ヴェントリアってどんな所なのですか?」
「風の都市」レオが答えた。「常に風が吹き荒れる断崖の上に建つ都市です。彼らは風の力を利用した技術を発展させ、浮遊する建物や風車を持っています」
「なるほど」クラウディアは髪を風になびかせた。「わたくしの華麗なる姿が風に舞う姿は、さぞかし美しいでしょうね! ホーーーッホッホッホ!」
そして三人は、アルメイダの古都を後にした。彼らの前には、未知の危険と運命が待ち受けていた。
クラウディアは時折、振り返って「知恵の塔」を見た。そこで彼女が得たのは、単なる情報ではなく、自分自身の起源と向き合う勇気だった。
「七英雄の血...」彼女は小さく呟いた。「わたくしの中に眠る神の因子...」
それは彼女にとって、大きな試練の始まりだった。しかし、クラウディア・ヴァル=ザ=イグニスは決して引き下がるような女性ではなかった。
「さあ、行きますわよ! ヴェントリアへ!」
彼女の高らかな宣言とともに、三人の旅は新たな段階へと進んでいった。