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第九話「新たな絆の芽吹き ―― 森の魔女と野生児の日々」

 朝靄が立ち込める深山の隠れ家に、陽の光が差し込み始めた頃、エリザ・ヴァルディエールの瞳が静かに開かれた。彼女の緑の瞳には、いつもの鋭さとは異なる、柔らかな光が宿っていた。昨夜の出来事が、夢ではなかったことを確認するかのように、エリザは隣で眠るルナの寝顔を見つめた。いつしかエリザの手はルナの頭をやさしく撫でていた。


 その瞬間、ルナの瞼がパッと開いた。


「にゃーっ!」


 突如として発せられた獣じみた叫び声とともに、ルナは跳ね起きると、まるで獲物を追う野生動物のように、部屋中を駆け回り始めた。


 エリザは、思わず目を見開いた。


「おい、ルナ!  何をしている!?」


 エリザの声は、驚きと困惑に満ちていた。しかし、ルナはその声など聞こえないかのように、隠れ家の中を縦横無尽に走り回っている。


 ルークは、この突然の騒動に目を覚まし、驚きの表情を浮かべながらも、どこか楽しそうにこの光景を眺めていた。


「エリザ、大丈夫?」


 ルークの問いかけに、エリザは僅かに顔を赤らめながら答えた。


「ああ……なんとかな」


 しかし、その言葉とは裏腹に、エリザの表情には明らかな困惑の色が浮かんでいた。ルークは、普段は冷静沈着なエリザのこのような表情を見るのは初めてだった。


 ルナは、まるで風のように部屋中を駆け巡り、棚の上に置かれた皿や、壁に掛けられた絵画にまで手を伸ばそうとしている。


「あー、もう!  少しはおとなしくしろ!」


 エリザの声が響く。しかし、その声も虚しく、ルナは更に勢いを増して暴れ回る。


「きゃははははっ!」


 ルナの無邪気な笑い声が、隠れ家に響き渡る。その瞬間、エリザの手が届きそうで届かないところにあった古い陶器の皿が、ルナの動きに引っ掛かり、床に落下した。


「ガシャーン!」


 皿が割れる音が、部屋中に鋭く響き渡った。


 エリザの顔が、一瞬にして蒼白になる。その皿は、おそらく彼女にとって大切な思い出の品だったのだろう。しかし、ルナはその様子などおかまいなしに、依然として部屋中を走り回っている。


 エリザは深く息を吸い、目を閉じた。そして、ゆっくりと目を開けると、決意に満ちた表情でルナを見つめた。


「もう少し人間らしくしたらどうなんだ、ルナ!」


 エリザのその言葉に、ルークは思わず噴き出しそうにんった。


(あのエリザが人間の常識を説くなんて……!)


 ルークの心の中で、驚きと共に、微かな喜びのような感情が湧き上がる。エリザの中で、確実に何かが変化しているのを感じたのだ。


 エリザは、全身の筋肉を緊張させ、ルナを捕まえようと身構えた。その姿は、まるで獲物を狙う山猫のようだった。そして、ルナが彼女の近くを通り過ぎた瞬間、エリザは素早く腕を伸ばし、ルナを抱き抱えた。


「捕まえたぞ!」


 エリザの声には、達成感と共に、微かな安堵の色が混じっていた。


 ルークは、その光景を見て思わず声を上げた。


「エリザ、暴力はだめだよ!?」


 その言葉に、エリザは一瞬驚いたような表情を浮かべた。しかし、すぐにその表情は、意味深な微笑みに変わった。


「わかってる。おいたをする悪い子は……」


 エリザの目が、きらりと光る。


「こうだ!」


 言うが早いか、エリザはルナをくすぐり始めた。その動きは、まるで長年の経験があるかのように巧みだった。


「にゃっ!?  にゃは、にゃははは!」


 ルナの笑い声が、部屋中に響き渡る。くすぐったさに耐えられず、彼女は笑いながら転げ回った。そして、やがてぐったりとすると、いつの間にかまたすやすやと眠り始めた。


 エリザは、深いため息をついた。


「ふう……やっとおとなしくなったか……これが毎日続くかと思うとうんざりだな……」


 その言葉には、疲労と共に、微かな愛情のようなものが混じっていた。


 ルークは、優しく微笑みながら言った。


「しょうがないよ、エリザ。小さい子なんてそんなもんさ。僕だって妹が小さかったときは似たようなもんだったよ」


 エリザは、その言葉に驚いたように顔を上げた。


「妹?  ルークには妹がいるのか?」


 その問いかけに、ルークの表情が一瞬戸惑いが浮かんだ。しかし、すぐに柔らかな微笑みを浮かべて答えた。


「そう。妹と両親と四人暮らしだった。でも……今の家族はエリザ、きみだよ」


 突然の告白に、エリザの頬が赤く染まる。彼女の心の中で、温かな感情が湧き上がってくるのを感じた。


「そ、そうか。いつかルークの妹と、父と母にも逢ってみたいものだな」


 エリザの声には、普段には見られない優しさが滲んでいた。


「うん、機会があればいつでも」


 ルークはそう言って微笑んだ。


 エリザは、胸の中に温かなものが広がっていくのを感じていた。それは、彼女がこれまで経験したことのない、新しい感情だった。家族という言葉が、彼女の心に深く刻まれていく。


 窓から差し込む陽光が、眠るルナの寝顔を優しく照らしている。エリザとルークは、その光景を静かに見つめていた。二人の表情には、新たな絆の芽生えを感じさせる柔らかな光が宿っていた。


 三人の幸せな日々が、この深い森の中で、静かに、しかし確実に育まれていくのだった。そして、その日々は、彼らにとって、かけがえのない宝物となっていくのだろう。


 エリザは、ルナの寝顔を見つめながら、心の中でつぶやいた。


(これが……()()なのか)


 その言葉には、戸惑いと共に、深い愛情が込められていた。エリザの心の中で、長い間凍りついていた何かが、少しずつ溶け始めているのだった。


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