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負け組の視点  作者: 敬愛
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第8部

 三ヵ月後、ボクの立場は微妙な位置だった。坂下がメキメキ力をつけ指名を取るようになっていたからだ。桜田さんの特訓のせいだろう。ボクには指名が付かない。


悔しい。

そんな時一人のお客さんとの出会いがボクを変えた。中年の男性のお客様。ボクは治療コースも担当するようになっていた。本来五十分なのだが、一時間かかる。仕事が遅いのだ。相変わらずの指押しでそれまで褒められた事がなかった。

そのお客様は施術後こう仰られた。


「君の手温かくて気持ちが良いね。まるでサウナみたいだ。」


 ボクは生まれつき手汗を良くかく。それが気持ち悪がられているのではないか?と思っていたのだが、その言葉で一つの武器を見つけたような気がした。


 ボクはそれは手汗のみの効果ではなく、手当て、つまり一種の気功に近いものだと解釈した。それから初心を思い出しとにかく一生懸命施術して手に汗をかき

温度を上げるように工夫するようになった。そのお客様はボクを指名するようになった。


「良かったね。文科君。坂下君大分上達したから今度私練習台になってあげるわ。」


 桜田さんがそう言った。彼女はボクが入社する二ヶ月前に入ったのだが、凄まじい練習量で指名もたくさん取っていた。


 それには秘密があって、彼女は北島先生に上手い事取り入って夜中の三時まで練習していたのだ。それはちょっとした噂になっていて「随分仲がよろしいんですね。」と鹿山先生にその大型銭湯の社長が皮肉を込めて言ったらしい。


 今では二人は付き合っているのではないかという鹿山先生の勘繰りもあるほど。特に気にしてはいなかったのだが。


 全くある日突然の事だった。ボクが桜田さんに初めて練習台になってもらった時。彼女の体に触れた瞬間、ボクは顔が真っ赤になっていた。桜田さんにも「顔赤いよ?」と笑いながら指摘され、しどろもどろ。心臓がドキドキする。


 それは今まで体験した事の無い感覚だった。ボクは桜田さんの顔をじっと見つめていた。


「ちゃんとお尻も押してよね。Hな事考えないでよ。」

「はい。」


その日、家に帰って七色美人という詩を書いた。


つかめそうで

つかめない

雲のような君は

七色美人


届きそうで

届かない

空のような君は

七色美人          

          

横なぐりに吹きつける

雪のように 時に冷たく

ベランダの窓から差し込む

太陽光線のように 時に温かく


川があるから 橋が必要なように

橋があるから 人が行き来するように

花粉を求めるだけで 君は

自然と花を咲かせる手伝いをしている


「理屈じゃない」なんて 

今でもこれっぽっちも信じちゃいないけど

メロディーなんていらない

ビジョンなんていらない 今は


雨上がりの丘の上に 

虹の橋がかかって

遠くを見つめる君は

七色美人


 休みの日、実家に一度帰り家中の掃除をした。一年半誰も住んでない家。

子供の頃を思い出す。幸せな普通の家庭を。母が統合失調症になる前。父が自殺未遂をする前。嫌でも涙が溢れてきた。残念な気持ちだった。


 病院に行く事にした。まずは母の病院。母は寝ていた。看護士さんによると、「最近寝たきりなんですよ。お薬の副作用かしら。それにしても記憶力の良い方ですね。あなたの子供時代の事をまるで今起こっているかのように話すんですよ。それは認知症の前駆症状でもあるんだけど、まだ若いからその心配はないんですけどね。ただ起きてる時間が極端に短くてレクリエーション等にも殆ど参加されないんですよ。食事を摂る時もゴホンゴホンむせて、少し痩せたかも知れません。この一年で。まるでもうすぐ死ぬお婆ちゃんみたい。あ、ゴメンナサイ。

こんな事いったら悪いわね。でもまだしばらく退院は無理そうなんです。大変ですね。息子さん。そういえばお姉さん東大なんですってね。凄い!でもその事にはちっとも関心がないみたいなんですよ。息子が救ってくれる。私がお腹を痛めて生んだ子だものと言って、まるでお姉さんは自分の子供じゃないみたい。恋愛妄想というのが時折見られて、あの人私の事好きなんだわ。毎日ラブレターがたくさん来てるもの、なんて言って、でも勿論来る筈ないでしょう?そして最後にこういうの。私の恋人は文科だけだって・・・。」


 父さんの事はどう思ってるんだろう。話にも出てこない。


「そうなんですか。先生が退院出来ると言ったら教えて下さい。姉さんと父と

相談しますから。」

「ええ、わかりましたよ。」


 父の病院に行った。


「父さん。ボク今働いているんだ。整体師の仕事。あまり順調とは言えないけど

 頑張っているから。」


「そうか、大学は行かないのか。将来の為にも大学くらい出させてやりたかったんだが、予備校は合わなかったか。父さんも母さんも入院しているものな。お前が勉強に関してあまり興味がないのは昔からわかっていた。中学の時は弟にみっちり詰め込み教育させたから出来たかもしれないけど、高校ではさっぱりだったんだろ?」


「数学が全然わからないんだよ。留年しそうだったんだ。」


「まぁしょうがないな。佐藤家の家系はみんな頭が良くて全員国立大卒なんだが文科には期待して無かったよ。天然ボケだからな。ハハハ。」


 父さんが笑った……。鬱から回復傾向にあるのだろうか。主治医の先生とお話した。


「だいぶ良くなってますよ。退院出来る日も近いかもしれませんね。仕事は当分止めた方が良いとは思いますが。息子さんは今どちらに住まわれているのですか?」


「函館市です。」


「とりあえずお父様と同居なされた方が良いでしょう。パウチを付けたまま働くのは嫌だと仰られているので、腸内洗浄を毎日行う事になりますが。やり方はもう慣れたもので息子さんが心配するには及びません。」


「そうですか。退院できそうになったら連絡を下さい。今函館市で働いておりますのでそちらでボクのアパートに同居するという形にしますから。父の仕事探しは難しいでしょうが、一応商大卒なので働き口は探せばあると思いますから。」


「大変だね。お母さん統合失調症なんだよね。でもあれは天才病の一面もあるから。だから淘汰されていかないでしょ。鬱も真面目な頑張り屋さんが罹る病気なんだ。君のお父さんの場合がそうだよ。思い詰めて思い詰めて、最初の頃は今度は首でも吊らんばかりの勢いだった。腹を切るくらいだからとにかく自殺願望がよっぽど強かったんだね。紐だの刃物だのは完全に隔離して、少し暴れる事もあったから身体拘束もせざるを得なかったんだけど。でも今は治癒に向かっているから自分の仕事を頑張って下さい。」


「はい、わかりました。ありがとうございます。父の事よろしくお願いします。」

 疲れる。大人とは死に向かっていく。沈む消える月の様に。子供とは死について何も知らない。ただ太陽の様に昇っていくだけ。人それぞれ時期は違うが転換期というのがあるだろう。子供の頃から大病を患っている人なんかは死について少し早めに考えなくてはならないわけだ。それを大人と子供の境界線とするにはあまりにニヒリズムかもしれないが、実際死という物を子供は怖がらないだろう。大人は怖がるかもしれない。お年寄りが「早く迎えが来ないだろうか」なんて言うのは嘘でもっと長く生きたいはずである。と、この頃は若いからそういう風に考えていた。40、50になったら誰でもいずれは死が訪れるという事を受容しているだろうし、しかしそれは日常生活ではジョークみたいな物でいつかはそうなるだろうという程度の認識でしかないはずである。じゃないといつも死の呪縛に囚われて生活する。それではあまりに苦しいだろう。誰にでも死に欲というのはあるらしいが。結局母はもう「世間」というものから隔絶されて生きるしかないのだろう。


 父はもしかしたら勇敢な戦士として迎えられてもよい存在かもしれない。わざわざ自ら命を絶とうというのだから。ボクは死について正確な知識など持ち合わせていないし、持ち合わせたくも無い。ただ時間は過ぎ去っていく、親が歳を取りいずれ死ぬ。それは認識外ではあるが事実として突き付けられているのだ。病院それも精神科、少し心に腐食した毒物を注入されたような気持ちになるのも無理はなかった。


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