第2部
ボクは高校に入学し中学校と同じ部活に入る事にした。ちなみにサッカー部である。ボクは又別の、同じ部活動に所属していて同じ高校に入学していた勇と話していた。
「なんでもこの高校には中学でライバルだった奴らが四人も入学しているらしい。やっぱサッカー部入るんだろうな」「え、あいつら四人が?」「なになに君達サッカー部入るの?」前の席の男の子が話し掛けて来た。「何?君もサッカー部だったの?」どうやらすぐに新しい友達が出来そうだ。
その子はボク達が中学時代一度も勝てなかったI中学のGKだったようで、そういえば何処か見覚えがあった。こいつも相当うまい奴だ。確か……。小・中と一応レギュラーだったので目立つ奴はたいてい見覚えがある。名前は立川君といった。「じゃあ一緒に入ろうか?」ボクは言った。「いいよ」と立川君。「良かったな。早速メンバーが揃いだしたよ」勇は言った。
後は噂の四人だ。そいつらは一年から早速レギュラーだった。ボクと勇は玉拾い。いつかレギュラーになれる日を夢見て必死にサッカーボールを追い掛けていた。
ただ勉強に関しては最初から違和感を感じていた。まず授業のレベルが中学とは違いすぎる。ボクはサッカー部の顧問教師の吉永先生に高校入学試験の結果を聞きに行った。268点。悪くない。しかし順位は38位。入学後初めて行われたテストでは内容は中学校程度の難易度のテストだったのだが、受験の時スラスラ問題が解けた感触や手応えは何だったのだろうか?所々忘れていて解けない問題が多い。順位は100位以下だった。これはショックだった。中学では10位以下に成績が低下した事の無いボク。けれども高校に入ればそれは中等レベルの成績なのだ。このままではいけないと思い進学塾を探したが、その頃まだボクの住んでいた市内には大学受験を専門とする進学塾も予備校もなかったので、中学時代のようにF書店のSゼミ高校講座をやってみる事にしたが、授業内容と乖離している内容のテキストで、読んでみてもさっぱり理解できず、国・数・英しか教材がなかったこともあってすっかりおいてきぼりにされたような、自分の理解力という物はこんなものだったのかという敗北感を味わっていた。
こういうのを教育心理学ではプラトー状態と言って、努力し続けると、次第に右脳と左脳が協働状態になり、急速に学力などが伸び出す前駆状態だそうなのだが、ボクは授業にも身が入らず、すっかり落ちこぼれ根性が沁みついてしまったようだ。増進会にしておけば良かったかもしれない。どちらでも変わらないか。
ボクは勉強は諦め部活動に精を出す事にした。しかし、事件が起こってしまった。ボクが高校一年の夏、三年の先輩達が全道大会へと進出する事が決まった高体連の遠征中、ボクの知っている一人の先輩が一度も試合をする事無く海で亡くなったのだ。顧問の吉永先生が「海では泳ぐなよ、試合前に何かあったら大変だからな。海パンの持ち込みは禁止だぞ」と事前に注意していたのだが悪のりの気があった先輩達は、海があるのに泳がなくてどうすると、レギュラーではない後輩達を誘って海に入ったらしい。そこでまだ高校二年だったM先輩は足をつってしまい溺れてしまったのだ。三年の先輩達は必死で助けようとしたそうだが、その甲斐も無くM先輩は、救急車で市内の病院に運ばれ、そして無限の可能性と数十年という天寿を全うせぬまま亡くなった。若干十七歳。話は勇から部の連絡網を伝って電話で聞いた。
「え、M先輩が?冗談でしょ?」
「こんな事で冗談言う訳無いだろ。海に入って溺れたって」勇が奇妙に冷静だったので信じられなかった。「そんな嘘だろ……」(あのおとなしくて優しかったM先輩が……?)「次の人に伝えておいてくれ。それじゃあ」勇はそう言って電話を切った。ボクはしばらく呆然としていた。そして次の人間にどういう声色で、どんな表情で、どういう言葉を伝えればいいのだろうと考えていたが、ボクは連絡網の最後の順番だった。もしかしたら勇のちょっと突き放したような言い方は「おまえはこの事を他の人に伝える必要が無いからいいよな」というつらい気持ちの裏返しだったんだろうか?正直ボクもプレッシャーから開放されたような気持ちだった。しかし先輩が死んだという事実はボクの心に頭に重くのしかかる青天の霹靂の事だった。
次の日、通夜に参列し、先輩の顔を拝顔し生前のあの大きな目、筋の通った鼻、白い肌に赤い唇、何もかもがそのままでまるでまだ生きているかのようだった。遺体を白菊で装飾しているとき涙が溢れて来た。止まらなかった。一年生の部員は生前の先輩の人柄を偲び、送迎バスの中は静まり返ったまま皆家路についた。
ボクはその晩夢を見た。入部してしばらく経ってからの事。ボクは駐輪場に立ちすくんでいた。自転車の鍵を無くしてしまったのだ。すると後ろから「どうしたの文科君?」M先輩だった。
「いえ、ちょっと……」「ちょっとどうしたの?」
「自転車の鍵をなくしてしまって……」「本当かい?どこら辺で無くしたの?」とM先輩。
「さっきまでジャージのポケットの中にあったんです。たぶんこの場所のすぐ近くだと思うんですけど……」ボクがそう言うと先輩はしゃがみ込み、あたりの小石をじゃりじゃりとさすり始めた。「先輩いいですよ。自分で探しますから」ボクはそれを察し言った。「いや大丈夫。二人で探したほうが早いでしょ」そう言って先輩は立ったり座ったりあたりを見回したりしていた。そうする事小一時間も探しただろうか。M先輩が「文科君。これじゃないかい?」そう言って鍵を渡してくれた。
「あ、たぶんこれです。確かめてみます」
「かちゃかちゃかちん」ボクの自転車の鍵だった。
「良かったね。これで帰れるね」
「ホントスイマセンデシタ」
口をついて出た。
でもボクは本当はお礼を言いたかったのだ。「有難う御座います」と。そこはかとなく他人行儀になってしまったのは、まだ知り合って間もないというのに、親身になってくれた事が嬉しくて嬉しくて、そして少し恥ずかしかったのと、M先輩に小一時間もの間自分の失敗の尻拭いをさせてしまった事に対する申し訳ない気持ちがあったから。お礼を言うという事は謝る事に比べて、どこか自尊心に釘を打つような、ズキズキと次第に心が痛んでくるのに対して、謝ると言う事はそれ程痛みを伴わず、真の反省と言う物がなければ案外容易く、ココロの入れ物から零れ落ちてしまう物なのではないか?ボクはそれまで心から感謝したという事がなかったのではないかという気がしていた。そこで目が覚めた。もう先輩にお礼は言えない。それはただの夢ではなかった。本当にあった事だった。
3年生の先輩達はこの事故の責任を取る為顧問の吉永先生と相談の上、全道大会の出場を辞退する事にし、引退して後進に道を譲る形になった。そして秋が来た。