第1部
とにかく生きるのが苦しくて苦しくてしょうがなかった。そしてとにかく金が欲しかった。株・FX・競馬・パチンコ・パチスロ・麻雀・非合法カジノ・宝くじ。不労所得を得られる物ならば何でもやってきた。そしてそのどれもが失敗に終わった。
高校生の時に友達との今となっては夢のような交遊の時間の隙間をぬってパチンコで稼いだ(その当時はまだ、勝てる店や、攻略法が存在していた・・・
それは今でもまだ存在するのかもしれないが)200万円は全て泡のように消えてしまっていた。まるでボク達の世代に大きな希望となっていた、「バブル景気」の終りと一緒に訪れた一つの小さな破綻のように。
ボクはとうとう大学には入る事が出来なかった。「学歴社会の申し子達の時代」における残党の中において負け組だった。話はまず中学生の時にさかのぼる。ボクは勉強は嫌いで、授業はまともに聞かず、前の席の女の子と恋人の名前の当てっこなどして騒ぎ、授業の妨害ともとれる態度で、それでも先生には存外評判が良く(中間・期末・学力テスト等で学年十位以下に落ちる事はなかったからだろうか)花粉症で目を腫らして保健室に行ったときなんかに、保健室での治療を早々に切り上げてもらい眼帯姿ですぐに教室に戻った時は、「あいつはあんな状態でも勉強しようとしているんだ。偉い事だぞ。」とほめてもらった事もあった。
友達は不良が多かった。不良といっても弱きを助け、強きを挫くという任侠の精神を持った子が多かったと思う。その中でも羽柴君とは仲が良く頻繁に助けられたものだった。
羽柴君は性格が男らしく見た目は色白だったが、喧嘩は強く、ボクが苦手にしている不良君と問題があった時にはとても助かった。一緒にいると心強く、音楽や図工、体育等、別教室に移動するときはボクがトイレに行っていたりしても教室で待っていてくれて、行動を共にする事が多かった。
ボクも学生服の裏のカフリンクスをキラキラしたガラス製の物に変えたり、ボンタンと呼ばれる太腿の辺りが太く、裾が狭くしぼんでいるズボンを履いたりして不良の真似事をしていた。憧れがあったのかもしれない。
ある時、井狩と言う素行の悪い奴がアキラという奴を「お前の話し方なんかむかつくんだよな。」と難癖をつけてビビらせていた。最初はのほほんとした顔でのらりくらりと聞いていたアキラだがその態度が井狩を一層ムカツかせた様で井狩がキレた。
アキラは頬を思い切り殴られ吹っ飛び鼻血を出した。羽柴君はすぐさま井狩の手首を取り、「何してんだよ?アキラ何も悪い事してねえだろ。」ボクも「井狩やり過ぎだって。アキラ大丈夫か?」とすぐさまアキラを助け起こした。井狩は羽柴君の剣幕に少し面食らった様で「だってこいつヘラヘラしてるからムカツクんだよぉ。」と言って「放してくれよ羽柴。もうやらねえからさぁ。」と懇願し、反省の色無く「アキラ早くティッシュでも鼻に詰めろよ。汚えからよ。」
と言って教室を出て行こうとしていた。
羽柴君は立ち去ろうとしている井狩の背後から「井狩、すぐキレるの悪い癖だぞ。良いことないからな。」まるで道徳の先生のようにそう言った。ボクはアキラに持っていたハンカチを渡した。羽柴君はヤンキーの鏡だと思った。
こんな事もあった。ある日教室でハイネの詩集を読んでいると、「おいニヤニヤ。うわこいつ詩集なんて読んでるよ。」ボクは生まれつき唇が右下がりになっていて(視力は左目が悪く、右目の上の眉が左目と比べて上がっていて、心臓も右軸偏位との診断で、手首も左手が細く、とにかく右半身と左半身のバランスが悪かった。)いつも薄笑いを浮かべているように見えるので仲の悪い人達からは蔑称としてニヤニヤという名前を与えられていた。
声を掛けて来たのはタチの悪い不良グループの女達。「ニヤニヤ、お前ゲロっただろ。」「え、何を?」何をゲロったというのだろう。皆目見当がつかず困っていた。「大柴が言ってたんだよ。文科君が教えてくれたんだけどってな。」「うちらお菓子隠れて食ってましたよってゲロったよな。」大柴というのはうちのクラスの担任で中年の女教師だ。「大柴先生?今日話してないけど……」
「嘘吐くんじゃねえよ。お前さっき教室のドアの窓から女子トイレの陰見てただろ。」確かに見ていた、けどそれはトイレに行った様子の羽柴君を見ていたのだが、こいつらに言っても聞く耳を持ってくれそうも無い。其処へ丁度トイレに行っていた羽柴君が戻ってきた。「あれヤンキーっ娘揃って何やってんの?文ちゃんどうかした?」と羽柴君。
「羽柴良い所に来たな。こいつやっちゃってくれよ」「わたしらの事学校内でお菓子食ってたよって先生に売ったんだぜ、こいつ」「ちょっと頭良くて先生のピッキーだからっていい気になるなよ。」 ピッキーっていうのは、えこひいきされている人のことだ。
「まぁ待てって、文ちゃんそんなこと人に言う訳ないだろ?お前らだって人から見えるところでお菓子なんか食ってるから悪いんじゃねえか?なんかおかしいな・・・。俺ちょっと職員室行ってくるからちょっと待ってろよ。」
ボクは言った。
「羽柴君、あと5分で授業始まるけど・・・」
「大丈夫。大丈夫。次図工でしょ。俺あの先生と話せるからさ。少しくらい遅れても怒られないから。」そう言って羽柴君は職員室に行った。
ボクは知っていた。図工の先生は生徒指導も兼ねていて、普段の行いの悪い生徒には目を付けておいて、ひどい時には体罰を与える事もあるという事を。
10分くらいして羽柴君が図工教室に入ってきた。「羽柴、どうした?5分遅れてるぞ。」図工の先生は言った。「いや、すいません。友達と喋ってて遅れました。」と羽柴君。「そうか、お前の事だから何か悪戯でもしようと作戦練ってたんだろ。トイレでタバコでも吸ってたんじゃないだろうな?まあいい、早く座れ。」羽柴君はボクの隣りに座った。
「大柴と話してきた。」羽柴君は言った。「なんか偶然女共がお菓子食ってるの見つけたんだけど、トラブったら嫌だから、文ちゃん優等生でしょ?だからついつい文ちゃんの名前出しちゃってそれで大丈夫だろうと思ったんだって。」
「そうだったの……」
(なんでそんな事するんだ。自分で責任とればいいじゃないか。)
それ以来ボクはその女教師の指導方針に疑念を抱くようになった。「あいつらには、やっぱり吐いたの文ちゃんじゃなかったよって言っておいてあげるからさ。」「うん。頼むよ。疑われてちょっとびっくりしたけど……」「俺に任せておいて。」
羽柴君は本当に頼りになった。このように、男の不良はさっぱりしていて漢気があることが多いが、女の不良はネチネチとしていてしつこく、陰湿でそして例外なくエロかった。
ボクはこの中学で、人生最初の岐路において、自らの要求が教師という医師と並んで一生なれないであろうと思っていた存在(聖職と呼ばれているからだが、今となってはどうだろう。)によって自らの進路を妨げられた。ボクは小学校の時の将来の夢に「サラリーマン」と書くような少し夢のないというか、こまっしゃくれた子供で、大柴先生には実務的で高卒で就職する為の勉強ができる商業系の学校の情報処理科に入りたいと言ったのだが、先生は文科君の成績ならと市内第二の進学校を薦めてきたのだった。ボクは主要五科目はいつもオール5で、合格に必要な得点もその商業の情報処理科の方が高かったのだが、その時はその女性教師の言う事を素直に聞く事にした。「はい。」と口が動いた。心の底では、いやこのどこかネジの一本ゆるみがちな脳みそが信じていいのかと迷い文章を反復して、「何か違う。」とサインを送っていたというのに。この進学における自己葛藤においてはもう一事情あった。
同じ部活・同じ進学塾であった友達二人が「高校も同じ高校に行こうよ」と誘ってきたのだが、中二当時のボクの志望校は市内一の進学校である東高校で、その友達達の志望校は一つ下のランクの高校だった事もあって、ボクは後々後悔するのも知らずに、例のどこか一本ネジの抜けかけている脳みそで迷った末、友達と一緒に過ごせる環境の方が自分にとっても勉強や部活動のやりがいがあると思い、ランクを一つ下げて友達と同じ高校に行くことにしたのであった。
それなのに、この友達二人(その後会っていない。元気でやっているだろうか?)は進路決定日の直前になって、東高に志望校を変更したのである。
これが後々初めての人からの裏切りとして思い出される事になる出来事だった。裏切りと言ってもそれは信頼という片思い的な言葉の悪い結末の一つで在ってボクはその時彼等を完全に信頼していたわけではないのであった。親友だとは思っていたが、前述した通り片思い的なもので実際グループ内ではたまにイジメられていたし。傷付くことに慣れる為と思えば良かったのかもしれない。
結論としてボクは先生の言う通り市内二番目の進学校である、北高校を受験する事になった。合格発表は、同じ塾で同じ高校を受験した別の友達に見に行ってもらう事にした。今思えばその友達が不合格だったらどんな顔をして結果を聞いていたのだろうと思うが、ボクは自分は100%受かっているのだからと稀に見る自己中心性を発揮し、あえて発表を見に行かず少々影の薄いその代理にお任せする事にし、家でのんびりTVゲームをしていた。予定通りボクは無事合格し、友達も心配していたような事はなく、共に合格していた。この友達は今や顔も名前も覚えていない。高校3年間この友達とは一度も会話を交わした記憶がないからである。