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〈3〉


 年月は過ぎ、やがて「願いを叶える魔女」の代替わりの期日が訪れた。

 大人しく看板を継いだノーナのもとへ現れる依頼人は、誰も彼もが恋愛成就を願うものばかりだった。


 これが罰なのだろうか。

 日々のまじないをこなしながら、ノーナは思う。


 彼の為にならば海を捨てても構わないと歌う人魚。

 人間の世界に未練などないとばかりに狐に婿入りする少年。

 堕天の危険を冒してまで悪魔に愛を捧げる天使。

 幽霊でもかまわないから側にいてほしいと願う女。


 恋、愛、自己犠牲に未練。

 毎日毎日、ありとあらゆる世界や時代からノーナの住処に迷い込み、あるいは訪ねてくる客人たち。


「いっそのこと、魔女家業などやめてしまおうか……」


 憂鬱な日々も飽きてしまった。

 どこでのたれ死のうと、生きようと、大差のない余生だろう。

 寝台から脚を下ろし、髪を編む。

 客人の相手をし、まじないをかけ、縁を結ぶ。


 おざなりな気持ちのまま迷い続け、気づけばさらに百年を過ごしていた。

 ある日のこと。疲れた夜に本棚の掃除をしていたノーナは、純白の便箋を見つけた。


 長いこと放って置かれていた埃まみれのそれをなんとなしに開けてみると、流麗な天界文字で、たったの一文が素気なく綴られている。


『あなたの隣人を愛しなさい』

「……はっ、はは、あははは! 馬鹿じゃないの今更!」


 ノーナは涙が滲むほど笑う。笑いすぎて顔がひきつり、涙が頬を伝って流れ落ちた。

 愛すべき隣人はもう居ない。あの安っぽくて気安く賑やかな居場所であった酒場は、とっくの昔に潰れて今や跡形もない。


 皆、居なくなっていく。居なくなった重さのぶんだけ、ノーナの心の重石は比重を増し続ける。

 もうやめよう。頬で凍り付いた涙の粒を払い、ノーナは雪風の吹き荒れる窓辺へ歩いた。


「嗚呼……今年の冬も、厳しいようだ」


 この土地も、そろそろ人の住める場所ではなくなるだろうか。それならそれで、独りで朽ちていくのも良いだろう。

 客人も、家業をやめればわざわざ訪ねて来ることはあるまい。


 冷え切り乾ききった笑みを薄い唇に浮かべ、ノーナは寝台を求めて踵を返した。

 ここで死ぬまで幸せな夢を見ながら眠っていよう。


 ところがその時、木製のドアを叩く音が鳴り響いた。

 若い男の凍えた声が必死に叫んでいる。


「すみません、誰かおりませんか。大雪で道に迷ってしまって、ここが何処かもわからなくて、ええっと人を探して町に来たんですけど」


 ちらりとドアに横目を向け、ノーナは諦めのため息を白く吐く。来てしまったものは仕方がない。

 暖炉に薪を放り投げ、炎を吹き込んで部屋を暖めると、ノーナは無言のままドアを開けた。軋む蝶番。


「ああ、よかった」と、彼は目の前で笑う。


「もしやあなたが、願いを叶える魔女でしょうか。違っていたらすみません、でもなんだかどこかで会ったことがあるような気がして。探していたのは、あなただったんです」


 答えられなかった。ノーナはこの面影を知っている。

 唇が「彼」の名前を言いかけては閉じる。

 柔らかい猫っ毛。優しい言葉。穏やかな双眸。

 陽だまりのような、あたたかで無垢な魂。


 言葉もないノーナの前で、男はどこの世界のいつの時代のものかも判らない古めかしい旅外套を脱ぎ、ばさりと雪を振り払う。


「あちこち時を跨いで探し回ったんですけど、なかなか会えなくてどうしようかと思いました。それで実は……」

「どうして」


 突然襟首をつかまれて顔を寄せられれば、それは驚きもするだろう。


「どうして私を探していたの」

「……えっと」


 耳まで赤く染まった顔。困ったように視線が泳ぐ。

 男は躊躇いがちに襟をつかむノーナの拳をほどき、吹雪くドアを閉めると、そのまま暖炉の前に連れて歩いた。


「僕より手が冷たい」

「それはどうでもいい。なぜ私を探していたと訊いている」

「それは……その、願いを叶えて欲しかったからです」

「…………ああ」


 ああ、それはそうだろう。ノーナは己を嘲笑う。何を期待していたというのか。浅ましいことだ。


「ではあなたが最後のお客ね。閉店ぎりぎりで運が良かった。流石だよ」


 これは神様とやらに与えられたとびっきりの罰なのだろう。

 かつて唯一愛した男と同じ魂を持って産まれ直した人間と、他の女の縁を結ばせるだなんて、本当に意地の悪い事をする。


「最後の客? あの、失礼ですが魔女を辞められるんですか。それは困ったな」

「どうして。あなたには関係ないでしょう」


 ノーナは背を向けると、凍えた客人のために湯を沸かし、茶を入れ始めた。

 ジンジャーをつけ込んだ蜂蜜とともに、身体が芯から温まるようまじないを吹き込む。

 椅子をすすめ、とんとカップを置く。接客の時間だ。


 ところが、客は途方に暮れたような顔で口を噤むばかりだった。

 いつも通りに対面して座ったノーナは、話を促して首を傾げる。


「僕は……願いを叶える魔女に願いを叶えて貰いたくて来ました」

「うん」

「あなたの弟子になりたい。それが僕の願いです」

「……うん?」

「だからその、魔女を辞められてしまうと、僕の願いは叶いそうにない」

「…………」


 今度はノーナが口を噤む番だった。思えばこの青年は、一度も「縁結びの魔女」とノーナを呼んでいない。

 それにしても図太い男だ。願いを叶える魔女に弟子にしてくれと願うだなんて、拒否権が無いも同然ではないか。


「あ、あのもちろんすぐとは言いません、図々しい事を言っていることは解っています。ですからひとまず信頼関係を築くところからでもお願いできないでしょうか。僕、この家の隣に住みますから」

「……隣?」

「わあすみませんすみません、近すぎて嫌だったら隣町でも……あの?」


 ノーナの脳裏を過ぎったのは、百年前に天使が寄越した一文の手紙。

 ──あなたの隣人を愛しなさい。


「ふ、あはは、馬鹿じゃないの……本当にそのままじゃないか、あの糞天使……せいぜい幸せに暮らしてろ、もう」


 テーブルに肘をついて顔を覆い、ノーナはついに笑い出した。

 まったく神様とやらはふざけている。可笑しすぎて涙が出る。

 戸惑う青年を滲む視界の向こう側に見つめながら、いいよ、とノーナは答えた。


「魔女を辞めるのは延期にする。あなたを弟子にしてあげよう。私の名はプシュケノーナ、あなたの名前は何?」


 青年は名前を告げた後、ノーナ、と短く呟いた。

 愛しい呼び声の懐かしさに、二百年余り心に居座り続けた重石が氷解するように軽くなっていく。陽だまりのような魂。


 ノーナは久方ぶりに鼻唄をうたいながら、「縁結びの魔女」として最後の仕事をすることにした。微かなか細い糸を、自身と青年の間に結びつけたのである。


 この縁がどのような結末を迎えるかは、ノーナにも判らない。か細い糸は、呆気なく切れてしまうかも知れない。

 けれどひとつだけ、確固として心に決めた指針がある。

 もう二度と、どんなに苦しい想いをしようとも、彼の無垢な魂から逃げ出しはしない。


 ノーナは密かに大切で脆弱な糸を撫でると、魔女家業の看板を「願いを叶える魔女」へと塗り替えた。

 吹雪は止み、後には澄み切った冬空の朝焼けが新たな一日を祝福している。


 さて、二百年ぶりの恋をしよう。


 


 縁結びの魔女 終

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