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〈1〉

 

 死に別れた恋人ともう一度だけ会いたい。

 陸地で暮らせるよう、人魚の尾を脚に変えてほしい。

 森に住まう白鳥の泉の乙女と、話が出来ないだろうか。


 ノーナの住居には、様々な願いを抱えた依頼者たちが訪れる。

 その殆どが、住まう世界の違う存在に心を奪われてしまった人々だ。


 一族代々「願いを叶える魔女」の看板を掲げ、ノーナはこの魔女家業をやってきた。

 しかし、その看板もいまとなっては変わりつつある。


 勿論、そう簡単に名乗りを変えるわけにはいかないので、努めて多種多様な依頼を選ばずに受けていた時期もあった。

 罠から助けてくれた少年に恩返しがしたいという狐がやってきた時は、ようやく平穏な客人が来たと心底ほっとしたものだ。


 ところが後日、無事に恩返しを終えたその狐は、女の姿に化けて白無垢を着て歩いていた。

 空模様は天気雨、化け狐に寄り添う者は、ようやく十代の半ばをこえたばかりであろう花婿。


 ああ、こんなはずではなかったのに。

 寝起きのノーナは虚無感に暫し浸った後、時空の鏡に枕を投げつけて叫んだ。


「〜〜ッふざけるな!!」


 かくしてこの一件を境に、代々受け継ぎし魔女家業の看板は、依頼者たちの口コミによって勝手かつ完全に塗り替えられたのである。


 すなわち、縁結びの魔女、と。



 ⌘



「それでね、もう彼ったら毎晩はなしてくれないの。あんな聖人づらして情熱的だなんてこんなうれしい誤算ある? もうたまんなァい。まあね、悪魔的にはあの清らかで真っ白な翼をアタシ色に染めたかったっていうかぁ、ちょっと不満? みたいなトコはあるんだけどさーぁ?」


「紅茶とコーヒーと抹茶とワインと麦酒ビールとウィスキーと焼酎とテキーラ、どれにします?」


「血ぃー。んでぇ、もう今となってはアタシのほうが彼色に染められちゃいそうっていうか、悪魔卒業して昇天もアリなんじゃないかなって思ってぇ」


「どうぞ、赤ワインです」

「あんがとぉ、かんぱーい!」


 何もめでたくはない。

 ご機嫌な女悪魔はフルボディのボルドーを一息に飲み干し、ぷはあと一息。

 さっさと地獄へ帰ればいいのに。

 わざわざ惚気に来るとは、この女、もしや喧嘩を売っているのだろうか。


「あな恨めしやぁ……」


 ささくれ立つ自身の気持ちを落ち着かせるために鎮静作用のある薬草茶を入れていると、なにやら重たげな衣を引きずった女の啜り泣く声が、時空の鏡ごしから聞こえてきた。


 まるでノーナの心中の代弁だ。いいぞ、もっと言ってやれ。


「われをお忘れになられたか、よそのおなごのもとへ通ふとは……おおなれど……思ひかね、なほ恋路にぞ帰りぬる、恨みはすゑも通らざりけり。うう、ううう……」


 鏡のなかの重たげな衣の女は、突然一句読み始めた。これだからこの時代の人間は理解できない。

 ノーナは呆れたため息を吐き、薬草茶を飲み干し、そのグラスにテキーラを注ぐ。

 客間に戻れば女悪魔は、二本目のワインをラッパ飲みしている。


「……それでは、ご満足頂けたにも関わらずこちらにいらっしゃった理由を、そろそろお話頂けますでしょうか」

「あーね。それはねぇ、伝言頼まれちゃったからなのよぉ」


 女悪魔の向かい側に座り、テキーラを一口飲む。強い酒を選んだのは正解だったようである。

 地獄からの伝言、となれば相手など決まっている。

 魔女生を終えて地獄で自由気ままに暮らしている親類だ。


「アンタの母さんと婆ちゃんと曾婆ちゃんと曾曾婆ちゃんとその前の婆ちゃんたちその他従姉連中とえーとあと誰だったか忘れたけど、たまには顔を見せに遊びにいらっしゃいって」


 それ見たことか。


「孫の顔が早く見たいわぁ、あの子ったらこの百年男っ気の欠片もない、いつになったら新しい後継の魔女が……ってありゃ、どうかしたの?」

「いえ別に」

「そう言う割には地獄の番犬みたいな顔になってるけどぉ」

「あなたが悪魔で私が魔女であったとしても、言っていいことと悪いことがありますよ」

「そりゃ失敬」


 女悪魔はからになった二本目のボトルをどかんとテーブルに置く。

 キャンドルの揺らめく灯に囲まれたノーナの前に、彼女は「とにかく」と便箋を置いた。


「これ、アタシの彼氏、愛しの天使君からのありがたぁい助言ね。悪魔の言うことは信用できなくたって、神様の使者の言葉だったらお守り程度にはなるっしょ」

「はあ。そうですか」

「んじゃ、これで用事が済んだからアタシは帰るわぁ」


 黒く長い爪でこんと便箋を叩き、女悪魔は席を立った。

 ようやくのお帰りである。速やかに帰れ、とノーナは思う。


「またのご利用をお待ちしております」


 惚気話なんて二度と聞きたくない。

 とはいえ商売だ、思ってもいない営業の台詞を棒読みで述べる。


 女悪魔はドアの前で立ち止まると、何を思ったかちらりとノーナを振り向いた。

 同情めいた目をしている。

 この不愉快極まりない、尊厳を脅かす他者の目が、ノーナは心底嫌いだった。


「男にだらしないアタシが言うのもなんだけど、久しぶりに恋でもしてみたらどうよ。百年前のちっぽけな男のことなんか、忘れてさ」

「…………」


 ノーナは答えることが出来なかった。

 忘れることが出来るなら、どんなに気が楽になるだろう。

 悪魔に何が解るものか。

 本音を飲み込み、ノーナは淡々と告げる。


「どうぞ、帰り道にはお気をつけて」

「そいつぁ脅しかい?」


 けけけ、と笑って女悪魔はカラスの群に化け、彼女の住居である地獄へと帰って行った。

 あるいは、ノーナが縁を繋いでやった「愛しの天使君」との待ち合わせ場所か。


 残されたノーナは、ひとりばたんとドアを閉める。


 ──そうだ、忘れてしまえさえすれば。

 木製のドアに額を押しつけ、ノーナは己の記憶を忘却の箱に追いやろうと目を瞑る。


 忘れたい記憶。


 柔らかい猫っ毛。優しい言葉。穏やかな双眸。楽器を奏でる軽やかな指。ノーナ、と呼ぶ愛しい声。陽だまりのような魂。


「いやだ。忘れたくなんかない」


 忘れることさえ出来れば、どれだけ楽になるだろう。

 しかし同時に思うのだ。その後の人生は、どれほど虚しいものになるだろうか、と。


 忘れたい記憶は、全てが大切な思い出だった。

 女悪魔の置き土産である天使からの手紙とやらを本棚の上に放り投げ、ノーナはベッドに潜り込む。


「……恋か」


 まどろみの中で見る夢をのぞき込み、ノーナは大切な思い出を映し出した。

 古いアルバムを一ページずつ、大切にめくるような夜だ。



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