8話
第3師団に配属されて一週間。オスカーは今日も不貞腐れた顔で街のパトロールをしていた。
あれ以来一度もエリシア城には登城していない。城詰めでもない自分が用もなく城へ足を運ぶなど許されるはずがない。何より、アイエスに合わせる顔がなかった。城詰めとして、アイエスとオルブライトン家を支えるつもりでいた。蓋を開けてみればこの有様だ。羞恥と屈辱が胸を満たして身を焦がす。
父は信用を積み重ねろと言ったが、このような仕事を延々とやったところで、いつ城詰めになるというのか。
有事の際の一つの功績より、平時の積み重ねが信頼を得る事を理解するには、オスカーはまだ若過ぎた。
十年前のような乱世ならともかく、この平和な時代に大きな功を立てる事など滅多にない。せいぜい酔っ払った船乗りや冒険者の喧嘩を諌める程度だ。
不謹慎にもオスカーは、大きな事件が起こることを内心で望んでいた。
「あの、騎士様すみません」
声を掛けられた方へ振り返る。初老の男性が困った顔でこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
オスカーは男性の不安を和らげるよう優しく微笑んで返事をした。身分こそ貴族だが、騎士団員である以上領民へ不遜な態度など取ってはならない。それは尊敬する父の姿から学んだことだった。
「あの……うちの書店に怪しい客が来てまして……」
「怪しい……というと、どのように怪しいんですか?」
「格好と言いますか、佇まいといいますか……」
このテルフィアは港町ということもあり、諸外国からの来訪者も多い。また、帝国内で最大の冒険者ギルドを有していることもあり、多種多様な民族が集まるこの街では、多少変わった様相の人物など珍しくもない。
「すぐそこなんですが、来て頂けないでしょうか。多分見た方が早いので」
書店の店主に促され、案内されるまま店へと向かった。自動扉が開き中へ入ると思わずオスカーはフリーズしてしまう。
(——すっっっっっっっっげぇ怪しい……)
泥まみれでボロボロのコートに、何をそんなに詰め込んだのかパンパンに膨れ上がったリュックサック。そして何より目を引くのが、縦長で楕円型の形状に幾何学模様が刻まれた先住民族風の仮面だ。仮面の縁には血のように真っ赤な羽飾りがあしらわれている。
見るからに珍妙な姿をしたその人物は、書店で本を選ぶでもなく、ただただ目の前の本棚を微動だにせずジーっと眺めていた。
「あ、怪しいでしょう? もう私ゃ怖くて怖くて……さっきからああやって一時間近くも立ってるだけなんですよ。他の客も怖がって帰っちゃうし仕事になりません」
店主が半泣きでオスカーに訴えかける。
あれが一時間もこうしていたのか。それはさぞ恐ろしかっただろう。
「な、なんとかしてみます」
流石にオスカーも恐る恐る、怪しい人物へと近づいていく。そもそもこれに言葉は通じるのだろうか。
「あー……そこの方」
「……」
返事はない。
「何をしているのかな?」
「……」
「お店の人に迷惑ですよ」
「…………」
「あの、言葉わかりますかー?」
「………………」
何を言っても全く反応がない。徐々に声を大きくしてもこちらを見るどころかぴくりとも動かず、オスカーも無視されていることに苛立ってきた。
「おい、聞いているのか!」
声を荒げて相手の肩を強く掴む。
「……ん、僕?」
想像よりも遥かに若い男性の声で反応があった。しかも、フレアランド語だ。
「お前以外に誰がいる! さっきから呼びかけていただろう。馬鹿にしているのか」
「え、ウソ。ごめん気づけへんかった」
「き、気づかなかっただと!?」
「僕、一個のことに集中してまうと周り見えへんくなるねん。ごめんて」
怪しげな男は本当に悪気がなさそうな声色で返答した。言葉にフレアランド帝国西方の訛りがある。
「貴様西方から来たのか?」
「出身はスパーズ州やけど、今回来たんはレッズ州からやね。歩いて来てん」
フレアランドは山岳地帯が多いため他国のように鉄道が発達しておらず、国内遠方への交通手段は飛空艇か、運河を利用した河川船運になる。
しかしこのような怪しげな人物、間違いなく受付で止められて現地の騎士団に捕えられる。なるほど、徒歩で来たと言うのは間違いなさそうだ。
「何をしていたんだ」
「いや、そこの本がめっちゃ欲しかってんけどお金なくてね。どないしよかなーって思ってずっと見ててん」
「そんな理由で一時間も突っ立ってたのか貴様……」
随分と人騒がせな事だが、とりあえず害は無さそうだ。少し詰所で話を聞いてさっさと解放しよう。オスカーがそう判断した矢先——。
「そうやキミ、エリシア城におるヒラリーさんのとこまで案内してくれへん?」
「——なんだと?」
その言葉にオスカーは顔を強張らせる。まさかこんな所であの男の名前を聞くことになるとは思わなかった。解きかけた警戒心を最大に引き上げる。
「貴様、奴の知り合いか」
「そこそこ付き合い長い友人やね」
「何者だ。名乗れ」
今にも斬りかからんほどの敵意を持ってオスカーが凄む。それに気づいてもいないのか淡々と男は口を開いた。
「僕? ペーター・ランパード」