5話
先程までの憂鬱な気分などどこへ行ったのか、アイエスはベッドから跳ね起きて自室のドアを開いた。
扉の向こうではヒラリーがいつも通り気怠げに立っている。
「オスカーが来たの!?」
「ああ、親父さんと一緒に来てるぜ」
「やっと帰ってきたのね。行くわよヒラリー、グズグズしない!」
足早に歩いていくアイエスをヒラリーが追いかける。一年ぶりの幼馴染との再会を前にして、随分とはしゃいでいた。
応接間に着くや否やアイエスは扉を勢いよく開いた。
「オスカー!」
名を呼ばれた赤髪の少年がこちらを向く。アイエスの姿を見るとパッと笑顔になり、ソファから立ち上がってアイエスへと駆け寄る。
「アイエス!」
「一年ぶりね。いつ戻ってきたの?」
「ついさっきだよ」
アイエスの幼馴染であるオスカーは、代々オルブライトン家に仕える騎士の家系で、彼女とは同い年ということもあり、幼少期からよく一緒に遊んでいた。
アイエスと同様に帝都マンティエスタの学校で騎士養成科に属し、卒業後一年間の訓練生期間を経てテルフィアへと戻ってきたのであった。
不意にソファに座っている男性が咳払いをする。オスカーの父、アインだ。
「オスカー、お前もじきに正式な騎士としてオルブライトン家に仕えるのだ。アイエス様に対してそのような言葉遣いをするんじゃない」
「も、申し訳ありません父上」
十年前の戦でも当主アレックスの右腕として活躍した百戦錬磨のオルブライトン家騎士団副団長の姿は堂々として貫禄に満ちている。
それとは対照的に、父に叱責されたオスカーは目に見えてしおらしくなった。
アインはゆっくりと立ち上がりアイエスへ近づいて笑いかける。
「このとおり本日付で我が息子、オスカー・フランク・ジェラードがオルブライトン家騎士団に入団となります。正式な任命は明日、謁見の間にて執り行われますが、ひと足先に皆様に挨拶へと参りました。仕える身でありながら御足労いただくなど失礼とは存じましたが、キム殿に押し切られて応接間に……」
「そんな畏まらなくていいわよアインおじさん。私と二人の仲じゃない」
苦々しく笑うアインに対し、アイエスはけたけたと笑う。
「そう仰っていただけるのは光栄ですが、立場は弁えなければなりません。ましてや——」
アインはそこでギロリとヒラリーを睨んだ。
「出自も定かではない者が、主君に対し不遜な態度を取るなど、言語道断ですな」
「……はっ」
あからさまに敵意を剥き出しにされ、ヒラリーはアインを睨み返して鼻で笑った。
アインはオルブライトン家に仕えて三十年以上になる。忠誠心は誰よりも厚く、それゆえにお世辞にも勤務態度が良いとは言えないヒラリーを誰よりも嫌っていた。部屋になんとも言えない緊張が走り出したその時——。
「アイン」
先程と打って変わった冷たい口調でアイエスが声を発した。その顔からは笑みが消えている。
「いくらあなたでも、私の従者への侮辱は許さないわよ」
歴戦の猛者であるアインに対し、弱冠十六歳の少女は物怖じせずに言い放った。この胆力はまさしくあの両親の子だと思わせる。アインは胸に手を当て、頭を下げた。
「出過ぎた真似をいたしました。申し訳ございません」
謝罪を受け満足したのかアイエスは再び笑みを浮かべる。
「さ、積もる話もあるし座りましょ」
アイエスがそう言うと、アインとオスカーの親子は応接用のソファへと向き直る。ヒラリーがボソリと「お優しいこって」と呟くと、アイエスは踵で彼の爪先を踏んづけた。さすがに激痛が走り、ヒラリーは声にならない声をあげて悶絶する。
少ししてセロリーが三人分の紅茶を運んできて、アイエス達は話に花を咲かせた。
こんなに活き活きとしたアイエスは久しぶりに見るなと思いつつ、ヒラリーは傍らに立つ。時折オスカーがしげしげとこちらを見て来るが、彼もまた父親同様に自分を快く思っていない事を知るヒラリーは、その視線に気付かないフリをした。もっとも、オスカーのそれは嫌悪の他に、嫉妬も含んでいるようだが。
(若いねえ……からかいたくなる)
悪癖が顔を覗かせたがぐっと堪え、ヒラリーは黙って立ち続けた。やがてキムがやってきてクレアの手が空いた事を伝えると、アインとオスカーはそちらへ挨拶に向かって行った。
「そっかそっか、オスカーも明日からエリシア城に通うのか。楽しみね」
「まだ城詰めになるとは限らんぜ」
満面の笑みを浮かべて実に楽しそうだ。オルブライトン家騎士団は、エリシア城に住み込みで働く使用人達とは異なり、城の近くにある詰所か、所帯を持つ者は自宅で普段は生活をしている。街の巡回や番兵などが主な仕事だが、特に優秀な者はエリシア城の警護を任される。この役務は「城詰め」と呼ばれ、兵にとっては大変に名誉な事であった。
「なるわよ。オスカーは並の騎士じゃ相手にならないくらい強いんだから」
その事はヒラリーも承知していた。オスカーの学生時代、長期休暇で帰省していた彼が現役の騎士団員相手に訓練をし、圧倒しているところを何度も目撃していたからだ。
副団長の息子であるからと手加減をされていたわけではない。多少武術の心得があるヒラリーから見ても、オスカーは間違いなく剣において天賦の才を持っていた。
こちらに気付くと毎回近づいてきて「見たか」「これがオルブライトン家に仕えるに相応しい実力だ」「お前にこれだけの力があるか」と絡んでくるのは非常にうざかったが。
あれほど優秀な剣士ならば、入団早々に城詰めとなっても周りから異論は出まい。それにしても——。
「なあお嬢。一つ聞いていいか?」
「ん? なに?」
「オスカーの事好きなの?」
終始嬉しそうにしていたアイエスに対して疑問を問いかけると、彼女は急に真顔になり言い放った。
「全然。タイプじゃない」
ヒラリーは合掌し、オスカーに対して心から同情した。
次回は10/15(日)更新予定です。