3話
エリシア城へと戻ったアイエスとヒラリーを待っていたのは、キムの小一時間にわたる説教だった。普段はお小言などどこ吹く風の二人も、キムの怒りを前にして流石にぐったりと疲弊している。
「今回の件で辞められた家庭教師の数は四人目です。もう引き受けてくださる方などいらっしゃいませんよ。どうなさるんですかお嬢様」
「……要らないわよそんなの」
「本気でおっしゃってるんですか?」
まだ減らず口を叩くかと鬼のような形相を見せるキムに、アイエスは「うっ」と怯んだ。
「もうお嬢様も十六歳です。今後社交の場に出るにあたり、オルブライトン家に相応しい教養と品格を身につけていただかなくては困ります」
このフレアランドという国では、貴族の子息は男女問わず帝都マンティエスタにある国立学校で十五歳まで教育を受けるのが通例だ。
アイエスも七歳から学校に通っていたが、気に入った教師の授業しか真面目に受けないため知識の偏りがひどく、魔術学と経営学については在学中ほぼ毎日サボっており、入学直後に学ぶ知識すら危ういレベルである。
結局アイエスは十五歳を待たず、十二歳で学校を卒業した。退学ではなく卒業であるのは、歴史学や語学数学など他の科目でトップクラスの成績を維持していたため、以後は実家の領地で実務を通じて学んでいくと言う名目があった為だ。
これはアイエスだけに限らず、優秀な生徒はいち早く社会に出て国益に尽力させるべきという校風から、毎年数名が早期卒業を果たしていた。
そのためオルブライトン家では、アイエスの為にダンスやマナー、魔術に各種学問の分野で一流の家庭教師を雇っているのだが、ここでも気に入らない教師相手ならばまともに授業など受けずに何人も辞めてしまっている。社交界デビューも間近だというのにこれは由々しき問題である。
「芸術や文化に対しての教養はあるんだ。ダンスだって人並みにゃできるし、一部の学問が壊滅的なくらい黙ってりゃしばらくバレねぇだろ」
「ヒラリーは少し黙っててくれる?」
「っつかお前、遠回しに主人にバカって言ったか?」
目の前のキムと隣のアイエスにギロリと睨まれ、ヒラリーは目を逸らしてちろっと舌を出した。
「はぁ……ただ、ヒラリーの言うことも一理あります。取り急ぎ、社交界に出てすぐにわかるような欠点ではありません。今後しっかり学んで頂ければなんとかなるかとは思いますが……」
そこでキムは言葉に詰まる。
「経営学はまだアテがありますが……魔術学については、もう依頼できるような方がいません。もうブルーズ州の魔術師で引き受けてくれる方など……」
「……あー、一人アテがあるな」
「え?」
まさかヒラリーに魔術師のツテがあるとは思わず、キムは素っ頓狂な声を上げた。
「魔術に関しては間違いなく一流だ。性格からしてお嬢の悪評なんぞ気にもしない。ただ……」
「ただ?」
「……変わり者でな。歯に衣着せず思ったことを言う奴だから、お嬢のお気に召すかはわからん」
直情型のアイエスにとって、直球にものを言うタイプの人間は火に油と言っていい。魔術師の方が家庭教師を引き受けても、肝心のアイエスがまともに授業を受けなければ意味がない。
「うーん。けど、他に引き受けてくれる人もいないしなぁ」
「はぁ……誰が来たって一緒よ。魔術師なんて皆プライドだけ高くて偏屈でヨボヨボで……」
アイエスが魔術学と経営学を苦手とするのは、その学問そのものへの苦手意識ではなく、教師に高慢な人間が多いからだ。特に魔術が一般に普及しているこの世界で、一流の魔術師の地位は非常に高い。プライドが高く高圧的な人間を何より嫌うアイエスは、アレルギーと言えるレベルで魔術学を嫌っていた。
「少なくともお嬢が想像してる魔術師像とは真逆にいる奴だよ。まあ一回会ってみてくれ。早けりゃ数日でテルフィアに来るさ」
「ふん……」
アイエスは腕組みをしてプイっとそっぽを向く。その様子を見てキムが深くため息をついた。
「はぁ……ともかくヒラリー、その人に連絡を取ってくれる? 俺も直接話してみて問題なさそうなら来てもらおう」
「おう」
キムの説教も終わり、今後についてひとまず決まったところで、この場は解散となった。
アイエスは「流石に疲れたわ」と自分の肩を揉みながら自室へと戻り、キムは憂鬱そうな顔で当主代理であるアイエスの母のもとへ報告に向かった。
そしてヒラリーはアイエスが自室に戻るまで同行し、部屋のドアが閉まった途端、足早に外庭へと向かう。途中でメモとゾルを見かけたが、気に留めることなく歩を進める。庭と言ってもエリシア城の敷地は広大で、植栽や開廊に人工湖まであり、奥の方は庭師が定期的に手入れに来る以外にはまず人が来ない。
そこに、黒ずくめの人物が立っていた。
ロングコートのフードを目深に被り、顔はわからないが若い男のようだ。男はヒラリーの姿を確認するとニヤリと笑う。
「やあ、見つかってないよね?」
「そんなヘマはしない」
ヒラリーは大きな庭石に腰掛けて男の問いに答える。その顔はいつになく真剣だ。
「K。すぐペーターと連絡取ってくれ。まさかこのタイミングで家庭教師が辞めるとは思わなかった。好都合だ」
「あらら、そりゃラッキーだね。動きやすくなるじゃん」
Kと呼ばれた黒ずくめの男は芝居じみたオーバーなリアクションを見せる。見た目の気味悪さとは裏腹に随分と軽薄だ。
「当日のどさくさに紛れて参加させる予定だったが、これで色々とやりやすくなった」
「了解。じゃあ、バートン卿にも連絡する?」
「ああ、伝えてくれ」
ヒラリーは不敵に笑う。
「計画どおり、アイエスの誕生祝賀パーティーの日に襲撃を決行するってな」
次回は10/8(日)の13:00更新予定です。