2話
2話でやっと出てくる主人公。
テルフィアの商業区画に『セントラルエッグ』という酒場がある。酒場ながら出てくる料理も絶品で、いつも常連客で賑わう活気のある店だ。
そしてこの店は給仕が美女揃いなことでも有名で、彼女たちを目当てに来店する者も数多い。手を出そうものなら、元冒険者の店主につまみ出されるが。
そのセントラルエッグの隅の席で、出された料理もそっちのけで給仕に色情にまみれた視線を送る者たちがいた。もはやその視線は獲物を見定める肉食獣のそれで、怪しいを通り越して危険極まりないものだった。
しかし、店主や周りの客がその怪しい客を諌めることはない。それどころか「ああ、今日もやってるな」と笑い飛ばして酒を飲む者すらいる。
「あの新しく入ったショートボブの娘……健康的な美脚がたまらないわね……! しかもなにあの泣きぼくろは。健康美に少しのエロスを演出していて最高だわ!」
「アイちゃん。その子もいいけどメイメイちゃんの破壊力がヤバいよ。いつものお団子ヘアじゃなくてハーフアップ! ちょっと大人びて見えてギャップがたまらないよ」
ハァハァと息を荒げ、よだれを拭いながら自分たちを見る怪しげな二人の女性客に、給仕たちは苦笑いこそ浮かべるが決して嫌悪感は持っていない。
艶やかなヴァイオレットの長髪と、まだ少女と呼ぶべき幼さながら美しい顔立ち。申し訳程度の変装メガネをしてはいるが、この街の人間ならば誰もが知っている。テルフィアの領主オルブライトン家の一人娘、アイエス・エリーゼ・オルブライトンその人である。
彼女はこの店の料理と給仕をこよなく愛し、城を抜け出すたびに決まって足を運んでいた。
「はぁ……やっぱりこのお店はフレアランドNo. 1やで。三ツ星やでアイちゃん。エコは大満足やで」
アイエスの向かいに座るキャスケット帽を被った女性——エコは、乾いた喉に一気にエールを一気に流し込んだ。ぷはーっと一息つくと、亜麻色と白のツートンカラーの髪がふわりと揺れる。
アイエスとは10歳以上も歳の離れた友人だが、生来の童顔のせいかそこまでの歳の差を感じさせない。
腰に刺したレイピアが無ければ、彼女が冒険者だと気づく者はいないだろう。
ともに可愛い女の子と、男同士の濃厚な絡み合いを愛する者同士。歳も身分も違うが二人は親友であった。
「姫さん、エコ。その辺にしとけ。そろそろ出禁になるぞ」
アイエスとエコが座る席のすぐ隣、壁際の席に一人腰掛けてウイスキーを嗜む重戦士が二人を諌めた。身の丈ほどある大剣を壁に立てかけ、重々しい黒い鎧に身を包んだその男は、名をロクスという。エコとは冒険者仲間で、よく共に仕事をする間柄だ
「ロクスさんも、エコたちと一緒にこっち来て可愛い子見たらいいのに〜」
「勘弁してくれ。俺まで変な目で見られるなんてごめんだ」
そう言ってロクスはナッツを一粒口に含み、香ばしい味が舌に広がったところで、ウイスキーをちびりと飲んだ。
「いつもこの店は眼福だけど、今日は特に大当たりね! マスター、私にもエールをちょうだい。今日は飲み明かすわよ」
「流石にそれは見過ごせねぇなお嬢」
ぺしん、とアイエスの頭が軽くはたかれる。どんな不敬者かと後ろを振り返り相手を睨みつけると、そこにはアイエスのお目付け役であるヒラリーが立っていた。
「なにすんのよヒラリー。不敬罪で叩っ切るわよ」
「未成年飲酒の不良娘が何言ってんだ」
「あら〜ヒラリーさん今日はずいぶん早いお迎えですね」
いつの間にやら追加していたエールをくぴくぴと飲みつつ、エコがヒラリーに声を掛けてくる。「よう」とヒラリーが手を上げて挨拶すると、エコはひらひらと手を振り、ロクスも軽く手を上げて応える。
「そうよ、アンタ今日は随分と早いじゃない。まだ遊び足りないわよこっちは」
アイエスはシュッシュッと拳をヒラリーへ向けて威嚇する。ヒラリーはそんなアイエスに近づき「キムがマジギレしてる」と耳打ちすると「——それは面倒ね」とため息をつき、渋々納得した。
「仕方ないわね。ごめんエコちゃん、今日はこれで帰るわ。埋め合わせはまた今度ね」
「いいよ〜十分楽しかったし。ヒラリーさんもまたね〜」
「ヒラリー、久しぶりに今度飲もうぜ」
「今抱えてる仕事がひと段落したら、喜んで。飲みすぎるなよロクス。飲む量を間違えるのがアンタの悪い癖だ」
それぞれ挨拶を終えると、アイエスとヒラリーは店を後にした。「不完全燃焼だわ」とアイエスが体を伸ばしながら口にする。
「この後はショッピングして、ハーベストのパンケーキ食べて帰るつもりだったのに……。ヒラリー、あんたが上手いことやらないからよ」
恨みがましくヒラリーを睨みつけ、理不尽なクレームをつけてくるその姿は、まさにワガママお嬢様の二つ名に相応しかった。
「責任転嫁も甚だしいぜお嬢。いくらなんでも四日連続はやりすぎだ。キムもキレるさ」
アイエスはよく城を抜け出しては放蕩の限りを尽くすが、普段は数日に一回。あっても二日連続だった。
それが今回に至ってはまさかの四日連続。しかも家庭教師の授業を三日続けてサボったのだ。温厚なキムといえど堪忍袋の尾が切れるのも仕方ない。
「……うるさいわね」
「小賢しさが取り柄のお嬢が、ずいぶんと下手な立ち回りじゃねぇか」
「お前今、主に向かって小賢しいっつったか?」
「そんなわけございませんよお嬢様。耳までお腐りなさりあそばされましたか?」
およそ主人にかける言葉とは思えない暴言を吐くヒラリーの脇腹に、アイエスはかなり強めに拳をぶつける。
普通なら悶絶しそうなものだが、ヒラリーはけろりとして舌を覗かせた。むしろ殴ったアイエスの方が痛そうに拳をさすっている。
「ま、ナーバスにもなるわな」
「……ふん」
アイエスは不機嫌そうにぷいっとそっぽを向いた。そのまま、どこか物憂げにテルフィアの街並みを眺めると、スタスタと歩を進めていく。
ヒラリーは「やれやれ」と小さくため息を漏らし、その後ろ姿を追っていった。
暖かい日差しが春の訪れを感じさせる。港町特有の潮風と、賑やかで活気ある人の群れ。すれ違う人々が、アイエスの姿を見ては気さくに声をかけてくる。アイエスはその一つ一つに反応し、笑顔で手を振る。この街で生まれ育ち、幼少の頃から城を抜け出して城下を走り回っていた彼女は、領民達にとっても可愛い娘のような存在であり、アイエスもまた彼らを家族に近しい存在と思っていた。
「……いつまで、こうしてられるのかしらね」
寂しそうに、アイエスはそう呟く。
アイエスは先月、十六歳の誕生日を迎えた。フレアランドでは十六歳から二十歳で貴族階級の子息は社交界デビューするのが通例だ。一週間後にはこのテルフィアでアイエスの誕生祝いを名目にしたパーティーが催される。
そして、その後は月に何度も社交界に顔を出し、国内外の貴族へ顔を売る生活が始まる。やがて相応しい身分の者へと嫁ぎ、この地を後にするだろう。
十年前の戦で父を失ってからは、このテルフィアの地と民が、アイエスにとっての親代わりだった。
ヒラリーは何も言わずにアイエスの後ろを歩く。いつもより、彼女の背中が小さく見えた。
セントラルエッグ……中央卵……なか卵……なかう……ウッ、頭が。
次回は10/4(水)0時に更新予定です。