1話
オルブライトン家執事、キム・オーウェンは、習い事から逃げ出したオルブライトン家の一人娘、アイエスを捜し出すべく場内を駆け回っていた。しかし小一時間ほど走り回っても、アイエスの姿はおろかその痕跡すら見つけられずにいる。
裏庭で、少し焼けた肌に玉のような汗を浮かべ、肩で息をしているキムに、通りかかった料理長のテンプルトンが声をかける。
キムより少し年上で眼鏡をかけた彼は、お互いがオルブライトン家に仕える前からの旧知の仲である。
「またお嬢様の捜索かい? 大変だね毎日」
テンプルトンはそう言って笑い、物置から大きな空の寸胴鍋を運び出した。どうやらもう使わない古い調理器具を外に運び出しているらしい。後で業者を呼んで処分するのだろう。
「笑い事じゃないですよ……三日連続ですっぽかされて魔術学の先生カンカンで……。もう来ないって怒鳴られちゃいました」
今にもトホホと言わんばかりに肩を落とし、キムは深く溜息をついた。その金色の瞳には心なしか涙が浮かんでいるように見える。
「はは……まあ、いつもどおり夕方には姿を見せるんじゃない?」
「そうだといいんですけどね……」
テルフィアの民から『オルブライトン家のワガママお嬢様』と呼ばれているアイエス・エリーゼ・オルブライトンは、その二つ名のとおり非常に自己中心的かつ奔放な性格で、意に添わぬことがあるとすぐに屋敷を飛び出して遊びまわる放蕩娘だ。
それでいて頭の回転が早く、城の従者たちを出し抜くことに長け、キムらがどれほど対策を講じたとしてもそのことごとくを潜り抜け、気が付けばしれっと戻ってきているのだ。
「昨日みたいに裏をかいて屋敷の中に隠れてるのかと思いましたけど、全然見つからなくて……」
「キムちゃーん、お嬢様見つかったー? ……あら、テンプル」
メイド服に身を包んだ非常に小柄な女性——テンプルの妻で侍女頭のセロリーが、こちらに小走りで駆け寄ってきた。夫婦仲が良く、テンプルトンの姿を確認した途端、彼女は顔に喜色を浮かべた。
アイエスの姿が見えなくなって真っ先にキムから協力を要請され、今の今まで他のメイドたちと一緒に捜索してくれていたのだ。
「なんだセロリーもお嬢様を捜してたのか」
「そーなのよぉ、けど全然見つからなくて……多分敷地内には居ないと思う」
「はぁ、ってことはやっぱり城下に出たのか。ありがとうセロ姉」
セロリーは少女のように朗らかな笑顔をキムへと向けて応えた。彼女はその面倒見の良さと明るさからキムをはじめ多くの使用人に慕われており、オルブライトン家からの信頼も厚い。
小柄で童顔なため、その使用人たちの中で一番幼く見えてしまうのが本人の悩みの種ではあるが。
「頭のいいお方だし、危ないことはしないと思うけどね」
「お目付け役のヒラリーちゃんには聞いたの?」
「彼も見つからないんだよね。そもそも彼がマジメに見張っててくれたら毎日こんな探し回ってないんだけどさ……!」
普段は温厚なキムが珍しく苛立ち、傍らのハナズオウの木に拳を叩きつけた。すると上からボトリと人が落ちてきて「うわぁっ!」とテンプルトンが声を上げる。
「痛ってぇ……なんだよ一体」
どうやら木の上で寝ていたようで、落ちてきた男は寝ぼけまなこをこすりながらゆっくりと立ち上がった。
「何してるの、ヒラリー」
呆れ半分驚き半分でキムが落ちてきた男——ヒラリーに声をかけた。キムと同じモーニングに身を包んでいるが、所々着崩しており、見るからに不真面目そうな印象を覚える男だ。
「ここ、いい感じに花が満開だから最近隠れて寝るのに使ってるんだよ」
「諸先輩を前にして堂々とサボり発言するんじゃないよ」
「すいませーん」
そう言いつつ全く悪びれる様子もなくヒラリーは服についた土埃を払う。フレアランド人には珍しい黒髪黒目が際立つこのヒラリー・A・アーノルドという男は、三年前からオルブライトン家に仕え始めた新参で、勤務態度はお世辞にも褒められたものではなかった。新参とは言っても年齢は三十を超えており、ここにいる他の三人よりは年下であるものの、他の若い使用人は彼を諌めることができずにいた。
「やだヒラリーちゃんったら」とセロリーが涙を浮かべながら大笑いする。彼女はヒラリーに対しても友好的だ。
「んで、皆さんこんな所に何の用で?」
「またお嬢様が逃げたんだよ」
「というかヒラリー君わかってて聞いてるでしょ」
ジトっとした目でテンプルトンがヒラリーを睨みつける。ここしばらく毎日のようにアイエスが逃げ出し、その度に大騒ぎになっているのだ。察しない方がおかしいくらいだ。
ましてやヒラリーはアイエスのお目付け役である。彼がちゃんと職務を果たしていたら、皆ここまで迷惑を被っていない。
「まあ、そんな大騒ぎしなくてもお嬢が街中に出てから三時間くらいだ。あとは昼飯食って適当にブラついたら帰ってくるはずだよ」
「なんで知ってんの⁉︎」
「出がけにお嬢が自分で言ってたぞ。いつもサボるの見逃す代わりにいい隠れ場所教えてもらってるんだよ」
「なにしてるの君ら⁉︎」
ちなみに昨日は一日中このハナズオウの木に隠れて爆睡していたらしい。「不覚だ……」とキムは項垂れた。キッとヒラリーを睨むと、そのまま万力のような力で肩を掴む。
「ヒラリー……上司として命令だ。今すぐお嬢様を連れて帰ってきてくれ」
「いや……あと数時間したら勝手に帰ってく」
「い・ま・す・ぐ!」
「……おう」
これ以上は本気でぶん殴られるか、最悪職を失うと察し、ヒラリーは渋々と了承した。行き先までは聞いていないが、大体の想像はつく。
「じゃ、行ってくるよ……あ、そうだセロ姉。メモとゾルどこにいる?」
「ん? あの子達なら多分外庭の方だと思うけど、どうかした?」
「いや。ちょっと頼み事さ」
振り向かずに手をひらひらと振って、ヒラリーはその場を後にした。そのまま真っ直ぐに外庭へと向かうと、ガゼボの中にいる小さな二人の子供が目に入った。
「メモ、ゾル」
「あ、ヒラリーさんだ!」メモと呼ばれた活発な子が返事をすると「……どうも」とゾルも小さく言葉を返す。
この二人はテンプルトンとセロリーの子供で、両親と共にこのエリシア城で暮らしている。外庭で遊ぶのが特にお気に入りで、日中の多くをここで過ごしていた。
「お嬢、今日は『秘密基地』行くって言ってたか?」
「ううん、言ってなかった!」
「……今日は友達と遊びに行ってくるって言ってました」
であるならば行く場所は一つだ。アイエスは好奇心旺盛だが飽きっぽい。多少の寄り道はすれど、最後はお気に入りの場所へと足を運ぶ。しかも『友達』と一緒ならば、まず間違いなくそこにいるだろう。
「メモ、ゾル。しばらくしたらお嬢連れて戻ってくる。その後は——」
「はい! いつもどおりですね!」
「……かくれんぼ」
ヒラリーはニヤッと笑って二人の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「そういうことだ」
そう言うとヒラリーは足早に城下町へと向かっていった。
次回は10/2(月)0時に更新予定です。