11話
アイエスの誕生祝賀会まであと三日。帝国中から賓客や護衛がテルフィアを訪れ始める。街はにわかに活気付いていた。
「いやー、人がいっぱいですねー」
冒険者ギルド前で子猫のようにしゃがみながら、エコは街の様子を眺めていた。
「そりゃ姫さんの社交界デビューともなりゃな。貴族どころか観光客まで集まってくるだろうさ」
「うわぉ、アイちゃん人気者ぉ」
傍らに立つロクスの返答にエコは軽口を返してくすくすと笑う。
ふと一際強い風が吹いた。エコはお気に入りのキャスケットが飛ばない様に手で押さえる。
「今日なんだか風強いですね」
「ああ、近々大雨も降るみたいだな」
「あら〜アイちゃんのパーティーと重ならなきゃいいんですけど」
呑気に世間話をしている二人の横を慌ただしく冒険者やギルド職員が駆けていく。
「忙しそうですねえ」
「商人も大勢来るからな。護衛に荷下ろし、人手はいくらあっても足りないさ」
「働き者だなぁ皆」
「お前が怠け者過ぎるんだ」
「そんなことないですよぉ。ちゃんとお得意様からの仕事はやってるでしょ」
「それしかやらないだろ」
てへっと舌を出すエコを見てロクスは苦笑する。
「ロクスさんだって、今回のお仕事しか入れてないくせに〜」
「そりゃ大仕事だしな」
「エコのこと言えないですよ〜」
「お前と違って俺は普段から仕事してんだよ」
しばらくそのようなやり取りを続けていると、二人の前をやたらと豪華な金色の馬車が通り過ぎていった。エリシア城の方角だ。
「……なんか嫌味なほど豪華な馬車でしたねぇ」
「ああいうのに乗るのは下品な成り上がりと相場が決まってるもんだ」
「なんだか嫌な予感がするなあ」
人一倍勘の鋭いエコは、自分の心がざわざわと波立つのを感じていた。
◆
「やあやあやあ皆様、ご壮健なようで何よりです」
小柄で小太り。胡散臭い口髭。自己顕示の為だけに身に付けられた宝石をあしらった指輪にブローチ。強欲商人を絵に描いたような男は、クレアとアイエスの姿を見てそそくさと駆け寄ってそう言った。
「お久しぶりです。バートン卿」
突然の来訪にも関わらず、クレアは全く動じた様子も見せずにいつもどおり毅然と対応する。その傍らにはエニラが立っていた。
何の前触れも無く現れたこの招かれざる客こそ、イグレシアス・G・バートンだ。商人から貴族へと成り上がり、新参貴族ながら政財界に大きな存在感を示している。
「ええ、ええ。お久しぶりでございます奥方様。相変わらずお美しい。アイエス様も、奥方様に似て美しく成長なされましたな」
急に話しかけられてアイエスは一瞬うっと息を呑んだ。アイエスはこの醜悪なほど卑屈で、そのくせ目だけは獲物を狙う蛇の様にするどいこの男を生理的に嫌っていた。
「あ、ありがとうございます」
「まだまだ未熟な娘ですわ。それでバートン卿、本日はどのようなご用件で?」
今、オルブライトン家は三日後の祝賀会へ向けて慌ただしく準備をしている時期だ。ノーアポイントでいきなり来訪するなど迷惑以外の何物でもない。クレアは態度にこそ出さなかったが、内心怒り心頭であった。
「お忙しい事は存じ上げておりましたが、当日は来賓の方々が大勢いらっしゃってご挨拶する間も無いかと思いまして。ご迷惑を承知でお伺いした次第でございます」
承知しているならば控えれば良いだろうに。と、その場にいるオルブライトン家の人間全員が同じことを思った。裏でイグレシアスと繋がっているヒラリーすら突然の来訪に驚き、呆れた顔を隠さない。
(勘弁してくれ……こっちがどんだけお膳立てに苦労したと思ってんだこのデブ)
三年をかけて入念に準備してきた作戦を台無しにしかねないイグレシアスの暴挙に、ヒラリーは心の内で毒づいた。
「それはそれは。卿もお忙しいでしょうに、わざわざありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそお時間を頂戴いたしまして光栄の至りでございます!」
そこでふとヒラリーの目がイグレシアスの付き人と合う。ヒラリーよりも少しばかり歳上に見えるその付き人は鋭い眼光でヒラリーを見つめていた。無論言葉を発してはいないが、その目は明らかにヒラリーへ何かを語りかけていた。
(首尾は順調だろうな?)
——余計なことをしてかき乱しているのはそっちだろうに。
自分達が何をしようとも、作戦を成功させるべく準備を進めて当たり前。当然の様にそう思っているのだろう。相も変わらず傲慢な奴だとヒラリーは辟易する。
(アンタのご主人サマが余計なことしなきゃ心配いらねえよ)
顎でイグレシアスを指し示したヒラリーに対し、無礼な態度と捉えたのか付き人の顔が強張る。
——主人が主人なら部下も部下だな。
この付き人、ジョーイ・ドリンクウォーターはイグレシアスが商人時代からの腹心で、政務や経営の他、バートン家の私兵団団長も務める万能従者だ。
イグレシアスの信頼は厚いが、その万能さゆえに非常に傲慢で、部下からはひどく嫌われていた。無論、ヒラリーとも犬猿の仲だ。
クレア達がしばらく世間話をした後、イグレシアスの口からとんでもない希望が飛び出した。
「よろしければ少し、城内を見せて頂いてもよろしいですかな。エリシア城の庭園と言えば、マンティエスタのバラ園と並ぶ帝国屈指の名園と評判ですからな」
これには流石にジョーイも面食らった顔をしていた。いくらなんでも調子に乗りすぎだ。パーティーの主催が忙しくしている中、その前に城を案内しろなど無礼にも程がある。
やばいと思いヒラリーがアイエスを見ると、案の定堪忍袋の尾が切れたようで表情に怒りが満ち溢れていた。
「アンタねぇ——!」
「その程度でございましたら、喜んで」
アイエスの怒りの声を遮る様に、穏やかな声が承諾を告げた。その場にいるほとんどの人間が驚いて声の主——エニラ・グラハムの方へと目をやった。
「ちょっと、爺や!」
「簡単なことでございます」
エニラはいつもの口癖を発し、いつもどおり穏やかに微笑んだ。この完璧執事は主人であるクレア同様に取り乱す事がない。こちらも似たもの主従のようだ。
「奥様、よろしいでしょうか」
「ええ。貴方がそう言うなら構わないわ」
クレアまで承諾しては、もはやアイエスが口を挟むことなどできない。苦々しい顔でアイエスは押し黙った。
「おお、これは有難い。名城と名高いエリシア城を見ずに帰るなど悔やんでも悔やみ切れませんからな」
人の気も知らずイグレシアスは大口を開けて高笑いをする。
(品がないにも程があるなこのグズ……)
ヒラリーは今この場でイグレシアスをくびり殺したい気持ちをぐっと堪えて大きく息を吐いた。直後、エニラからイグレシアスらを案内するよう言われ今日一の溜息をついた。