9話
「……」
「……」
いつもどおりモーニングを着崩しているヒラリーと、怪しげな先住民族風の仮面を被ったペーターは、対面するなりお互い真顔に無言でフリーズしてしまった。
「ヒラリーさんなんちゅう格好しとんのん」
「いや、お前にだきゃあ言われたくねえのよ」
どっちもどっちだろ。とペーターをここまで連れてきたオスカーは心の中でツッコむ。
あの後いったん騎士団詰め所まで戻り、通信でエリシア城に確認したところペーター・ランパードという家庭教師を招いたと確認が散れたため、不本意ながらエリシア城まで案内したのだった。
こんな形でエリシア城に来るのも、この男に会うのも御免被りたかったが、他の先輩騎士らに押し付けられてしまった。いくら仕事とはいえこんな格好の鬼人と街中を歩きたくない気持ちは充分わかるが。
「いやー、ほんまにヒラリーさんここで働いとるんやね。似合ってへんわー」
「うるせえな。お前こそなんだその奇抜な格好は」
「これ? なんか南の方の人食い部族が、呪術使う時につける仮面らしいで」
「なんでそんなもん持ってんだよ」
「廃墟になってた魔術師の館を探索したらあったんよ。魔力が上がるらしいから試しにつけてみてん」
「なんでもかんでも拾ってくるんじゃねえよ。脱げ脱げ」
「いやーそれが……これつけて三日経つんやけど取れへんのよね」
「呪われてんじゃねえか馬鹿!」
ヒラリーが力いっぱい仮面を引っ張るが、全く剥がれる気配がない。
「まあ時間経てば取れるらしいからほっといたらええよ。ちょうど三日くらいで取れるらしいし」
「あのなあ……」
ヒラリーは呆れ果てて二の句を継ぐこともできずにいた。ペーターの奇行は旧知のヒラリーでも慣れることがない。常に予想の斜め上の行動をしてくる。
「……では、自分はこれで失礼する」
一刻も早くこの場から離れたいオスカーはそう言って踵を返す。その背中にヒラリーが声を掛ける。
「なんだよ、せっかく来たんだからアイエスに会いに行ったらどうだ。茶くらい出すぜ」
それは明らかな皮肉であった。オスカーは激昂し、振り向きざまにヒラリーへ斬りかかろうとしたが——。
「おおっとぉ」
一瞬で間合いを詰められ、抜刀しようとした剣は柄頭を手で抑えられて動かすことができなかった。
「なっ——」
「そんなに怒るなよ……冗談だろ、冗談」
ククッと嫌味たらしく笑い、ヒラリーは空いた左手で子供をあやすように、オスカーの頭をポンポンと叩いた。それが一層オスカーのプライドを傷つけ、今にも火が出そうなほど頭に血が昇っていた。
バックステップで改めて間合いを取る。今度こそ剣を抜こうとしたその時——。
「なー、二人してイチャついとらんでそろそろ部屋まで案内してや」
空気を読まない奇人の一言で、場に張り詰めた空気が一瞬にしてぷつんと切れてしまった。
「……何をどうしたらイチャついて見えるんだよお前」
「何って、あんなに近づいてたやん」
ヒラリーとペーターがやいのやいのと言い合ってるうちに、オスカーは冷静になっていく頭で己の愚行を後悔した。自分は今、本気でヒラリーに斬りかかろうとした。いくら相手が侮辱してきたとはいえ、城の中で使用人相手に刃傷沙汰を起こすなど正気の沙汰ではない。自身の短慮に背筋がゾッとした。
そこへキムがやって来た。
「ヒラリー、部屋の用意ができたらしいから案内してあげて」
「ああ、了解」
「はー、やっと荷物下ろせるわー」
「その前に仮面どうにかしろよ」
自分の短慮を恥じていたオスカーだったが、ヒラリーに受けた屈辱もまた再燃してくる。しかも、一瞬で自分の剣を封じられた。剣士として、オルブライトン家に仕える者として、この男に劣っているなど認めたくない。認められるわけがない。
オスカーは血が出るのではないかと思うほど強く拳を握りしめた。
「……何かあった?」
尋常ではないオスカーの様子を見て、キムが怪訝そうな顔でヒラリーに問いかける。
「いや、別に」
悪びれもせずにヒラリーが答えるが、キムは何か察したように嘆息する。
「……あまり若い子をからかうもんじゃないよヒラリー」
「あの手のガキはいっぺん鼻っ柱折られねえと使い物にならねえよ」
オスカーの直情的かつ短絡的な気性は、古参の使用人達にとっても致命的な欠点に映っていた。
確かに実力も事務能力も一般教養も申し分ない。しかし、あの性格はいつか大きなトラブルを巻き起こす原因となりかねない。逆に言えばこの欠点さえ克服すれば一皮剥けるのだが。
「下手に優しくするのは逆効果だぜ」
そこでヒラリーはもう一度オスカーに近づく。今なら、アイエスの気持ちが少しわかる。
「よう、お坊ちゃん」
このお子様は、実にからかいがいがある。
「そんなに暴れたきゃ今度稽古にでも付き合ってやるからよ。むやみやたらと剣抜くのはやめときな。冗談じゃ済まなくなるぜ」
オスカーはヒラリーを親の仇を見るかのような形相で睨みつける。「その辺にしときなよ」とキムに諌められ、ヒラリーは踵を返してペーターと共に奥の方へと消えていった。
「オスカー君ごめんね。後でヒラリーにはキツく言っておくよ」
幼少期からオスカーを知るキムが気を遣って声を掛ける。しかしそれに返事をすることなく、オスカーは足早にエリシア城を後にした。