第97話 一筋の希望
桜羽は時羽のいる部屋から出て行ってしまった。時羽はまだ話たいことがあったが、提案されたことが衝撃的すぎて桜羽を止めることすらできなかった。
「おとは……」
か細い声でそっとその名を呼んでみる。返事はない。
(あだがまわらない。おいていかれるの?)
さっきとは違う涙が藤色の目からこぼれ落ちた。近くに手頃な布がなかったから、自分にかけられていた毛布に顔を埋めて、時羽は思いっきり泣いた。それこそ、今までの逃走の日々でもこんなに泣いたことはないほどだ。
「時羽さん……お好きなだけ泣きなさいな。今の貴方は感情がごちゃごちゃになっているのです。落ち着いたらお話し、聞きますから」
今いる家の主である楓の母は時羽のそばによって背中を優しく撫ではじめた。
「大丈夫ですよ。時羽さん。桜羽さんも翡翠さんも面倒を見ると決めたら放り出さない方です。きっと一緒にいるとあなた方が傷つくことがあると苦渋の決断だったのでしょう」
「わたしがよわいから、おとははわたしのことここにおいていくの?」
「きっとそれもあるでしょう。でもきっとあのお二人は貴方に危険なことに巻き込みたくない。守りたい。そんなお気持ちもあるのではないでしょうか」
「わたしたちのせいで、おとはやほかのひとがきずつくのはいやだ。どうしたらおとはといっしょにいられるの」
「ありゃ桜羽が悪いな。言葉が足りていない。時羽、桜羽は何もずっとお前のことを冬井家に預けるつもりはないぞ。俺らのこと、桜羽のことを追ってきている奴らを潰したら一緒に暮らそうと言いたかったんだ。もちろん花凛も一緒だ。それとな、草花のことだが、お前たちとの約束は守ったよ。これだけ伝えておく」
「どうしたらわたしたちはふつうのひとたちみたいにくらせるの?! おわれているとき、ずっとくるしかった。なんでたいせつなひとをきずつけるのか。なんでわたしたちにかかわってくるのかって。にげなくても、かくれなくてもいいようにしたい。でも、それはできないってわかってる」
それから時羽は黙り込んでしまった。
「お辛い経験をされてきたのですね。溢れていた感情は落ち着きましたか?」
「まだぐちゃぐちゃする。でもわたしはおとはとはなれたくない。はなれたらあとでこうかいする、そんなきがするの」
感情はごちゃごちゃしているようだが、芯になる考えはどうやらまとまったようだ。そこで楓の母はいくつかの提案をした。一つ目は、身を守るために武器の使い方を学ぶこと。2つ目は冬井家に伝わる結界術を覚えることだ。
「時羽さん。桜羽さんと翡翠さんは先の戦争で目立ちすぎました。未だに捕獲を諦めていない勢力もあるでしょう。要は貴方が今弱くて近くに置いておくと同じ血を 引く同一族の者として狙われてしまうのでしょう。でも強くなって結界術も使えるとなれば話は変わってくるのではないでしょうか」
「つよくなれば、おとはのそばにいられる? だれにもおわれずにくらせるの?」
「ええ。桜羽さんと翡翠さんが定める基準まで強くなれば、あるいは」
「じゃあわたし、つよくなりたい。たくさんけいこする。たくさんけいこして、おとはといっしょにいれるようにする!」
その目には決して揺るがぬ鉄の意志が宿っていた。
「いいでしょう。役に立つ稽古をつけられる者に声をかけておきます。翡翠さんにも協力していただきましょう。でも焦らないでくださいね。貴方はまず今までの逃走道中で疲れた体を癒してください。つまり寝ること! ほら、寝っ転がって。目を瞑るの。……今はお眠りなさい」
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