第94話 愛されること、愛された記憶
「でも、本人には、時羽には私たちが親だってことは言わないでください。お願いします……!」
桜羽は頭を下げた。いわゆる土下座だ。隣に座っていた翡翠は慌てて頭を上げさせようとする。
「まさか……お前たち子供を売ったのか!!」
「違う!」
悲痛な叫びが部屋を満たした。
「あの子は、時羽は施設で実験される以前の記憶がない。おそらく実験の影響で。集落で暮らしていたことも、親である私達のことも全部、全部忘れていたんだ……!」
「そんな」
翡翠の腕から力が抜けた。翡翠と桜羽が再会したのもつい先ほど。子供のこともまだ話せていなかった。だから知らなかったのだ。子の記憶から自分達が抜け落ちていることも、妻や自分からどれだけ愛されていたかその記憶も無くなってしまったことも。
「私は雪宮の。翡翠は藤村の血を引いている。この血さえ隠し通せれば、無闇矢鱈と追われることはない。だから、時羽が自ら思い出すまで、どうか、秘密に」
子の記憶がなくなっていることを自分の口から発することで改めて突きつけられた桜羽の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。今にも泣きそうな顔をしている翡翠はそっと桜羽を抱きしめる。
紅音は目を大きく見開いた。
「……なんて残酷なことだ。しかし、本当にそれでいいのかい? 死に別れしているならともかく、近くにいるのに親だと名乗れない、時羽は親無し子として生きていくことになる。親からもらう特別な愛情も、親から愛されていたという人格を形成する大事な部分が抜け落ちちまうんだよ!」
「親だと名乗れなくても、愛する。守る。成長を見届ける。それが俺たちができることだ」
泣き崩れる桜羽を抱きしめたまま、翡翠は静かに言った。
「他人としてあの子を愛していくさ」
「それが子供達のためになると」
「この選択が正しかったかなんて誰にもわからない。なら、選択した責任は取る。なんとしてもこの選択が正しかった未来へいく。それしかないだろ」
翡翠はまるでこれが当たり前だと言わんばかりに言葉をこぼす。
「その覚悟。最後まで貫き通せ。では次、黒髪の方のガキだが……」
「その子もなんだが、うちで引き取ろうと思っている。幸い金子には困ってないし時羽との相性もいい。」
「血のつながった本当の家族三人と血縁関係ではあるかもしれないが詳しい事情はまだわからない小娘一人。その小娘がそんな環境に耐え切れるとでも? それも時羽の記憶が戻った時、お前らが親と名乗ることができるようになった後はどうする。」
「それは本人に選ばせる。俺たちは子供達に分け隔てなく十分以上に愛を持って育てる。それでも他の家がいいならば、きっと何か俺たちが察してあげられない繊細な気持ちがあるだろうしな」
読んでいただき、ありがとうございました!
現在物語の流れの中で矛盾となるシーンを発見したので修正を行なっています。とりあえず今は逃走の道中親子であるとの設定を修正しています。時羽、花凛、桜羽は修正前は親子と偽って旅をしていましたが、修正後では桜羽はただの保護者として名乗っているということになっています。
結構勢いで書いている作品なので今後もこのようなことがあるかもしれません。それでも読んでくれる皆様のために書き続けては行きたいと思います。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。




