第42話 洗濯④
「あなたからは桜羽様の匂いがするんですよ。私も人外です。人間以上の嗅覚を持っています。適当なこと言って、誤魔化そうとは思わないことですね」
(桜羽さんの居場所を吐けだと?!)
外部に協力者がいると逃走の計画を持ちかけたのは桜羽だ。逃走当日、その後と彼らを守り故郷の帰路へと返していったのも桜羽だ。薬屋はそんな恩人とも言える者を売れと言っているのだ。
(そんなこと、するわけねえだろ!)
宗次郎が口を割らない間も、左手は容赦なく首を締め付けてくる。呼吸ができない。酸素が脳に行き渡らないから、意識が朦朧としてくる。
「分かった」とただ一言捻り出せば、首を絞めている左手は弛められるのかもしれない。しかしそんな選択肢は宗次郎の中にはない。誰かがいまのこの状況を見ているのなら、そのだれもが宗次郎は絶体絶命だと思うだろう。
奥の手が一つだけあった。化け狸である宗次郎ができる、最後の手。
「知ってても知らなくても情報なんてやらねーよ、ばーか!」
宗次郎は、首が締められているまま叫べる限りの声で叫んだ。そして、自分の右側に落ちていた枯れ葉を拾い、それを使って化け狸の代名詞とも言える変身をおこなった。
ぼふん、と薬屋の周辺は煙に包まれる。次の瞬間には薬屋の左手には掴んでいた首の感触がなくなっていた。
「なっ、どこにいったのです!」
上下左右。周囲のどこを見回しても、どこにも宗次郎が変身したであろう生き物は見当たらなかった。それもそのはず。宗次郎は、枯れているが葉っぱをつかって、それと同じような枯れ葉に変身したのだ。
「軍服きてるお前を信用なんかするもんかよ!」
どこからか声がした。一体何に変身したのか薬屋には分からない。だけど、声がするのだからいるのは確実だろう。いや、もしやこの声も何かの術なのだろうか。化け狸と言っているが、変身が得意な一族であってそれしかできないわけではない。
何度も見たが、もう一度前後左右、全方位を隈無く探す。見つからない。
もう一度左を見た時、その反対側からぼふん、と一つ音がした。ばっとそちらを振り返ると、走り去る狸の姿が見えた。
「本当に情報持ってるか知りたいなら捕まえてみやがれ!」
狸からそう聞こえた。喋る狸の殆どは妖怪だ。おそらく、今走り去っていった狸が一瞬で姿を消してみせた宗次郎なのだろう。
「そこの狸! 待ちなさい!」
「捕まったら洗いざらい吐かせられるのに待つ奴がいるかー!」
出遅れた薬屋を置き去りに狸はどんどん加速して森の中を縫うように走り抜けていく。
「絶っ対に捕まえてやるからなクソ狸!」
もう胡散臭い笑みも丁寧な態度さえも薬屋はかなぐり捨てて、荒々しく地面を蹴る。体制を立て直した薬屋は、狸に化けた宗次郎の後を追った。
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