チェス盤の準備その4
薄暗い部屋の中で一人モニターに視線を向ける少年がいた。彼は垂れ切った脂肪を揺らしながら、背後に控えている人影に対して、いきなり罵声を浴びせた。
「ちっ、まさか僕のパートナーがこんな不良品だとはなぁっ。おい聞いてんのかぁ?」
「はい。聞こえております」
少年の背後には水色の長い髪をした美しい少女が立っていた。ガラス細工のように精工ですぐに壊れてしまいそうな危うさを持ったその少女は、少年の言葉に眉一つ動かすことなく、ただそこにいた。
「神器も無い。自分の名前も分からない。お前は一体何なんだよ」
「私に名前などありません。ただあの方にお仕えするのみでしたので」
「ちっ、それよりさぁ、今日もするぞ。ほら脱げよ」
少年はそう言うと椅子から立ち上がり、下卑た笑みを浮かべた。そして、ポキポキと指を鳴らしながら、目の前の少女を舐ぶるように観察した。
見た目は悪くない。いや、実を言えば今まで見た女性の中で一番美しく見える。スタイルも良く、胸と腰のみを覆っているビキニのような甲冑は唆るものがあるし、胸も豊満だ。思えば、こんなに美しい戦士風の女が武器一つ無いのは、そもそも自分の慰みものになるためでは無いかと、少年は都合よく解釈した。
「どうした。恥ずかしいのかよ。早く脱げよ」
目の前の少女が羞恥に苦しんでいるのだと思うと、彼は嬉しくて堪らなくなる。しかし少女の反応は、そんな彼の喜びを不意にするどころか、すっかり冷ましてしまうものだった。
「上から脱ぐのか、下から脱ぐのかの指示がありませんでしたので、どちらを先にするべきか思案していました」
「ちっ、そのぐらい好きにしろよ」
このロボット女が。少年は舌打ちした。この短い間にも彼は思い付く限りの責苦を少女に与えたつもりだったのだが、少女はそれに対しても至極冷淡で、少年の燃え上がる加虐心に冷水をぶちまけるのだ。
「ああ、もう良い萎えた。それよりお前の渇望は何なんだよ。僕に呼ばれて応じたということは、それなりの目的があるんだろ?」
「私の目的は、そうですね。この戦いの中にある。この戦いに参加している、ある方を止めること。それができれば、この命など…」
言い掛けたところで、少年の平手打ちが飛んだ。彼女は後ろによろめくと、右側の頬を赤く腫らし、唇の端からは僅かに出血していた。しかしその表情に変化は無い。相変わらず真っ直ぐ正面を見据えたまま、瞬き一つしない無表情だった。
「はぁはぁはぁ、行こうぜ。ステージを移そうぜ」
地下室で鞭を打つ音が聞こえて来る。少年は額に汗を流しながら、黒革の鞭を振り上げて、少女の尻を打った。
「オラオラ、どうしたんだよ」
ビキニ風の甲冑からはみ出した尻肉は真っ赤になり、所々紫色のミミズ腫れや内出血が見られた。それでも少女は眉一つ動かそうとはしない。
「どうだ、はぁはぁ、僕の力を思い知ったか。お前は僕の愛玩人形なんだよ」
責められている少女よりも、鞭を振り上げている少年の方が額に汗を流して、肩で呼吸していた。
「朝からお盛んですわね透お兄様」
「ああ?」
透と呼ばれた少年は鞭を置くと、背後にいる幼い少女がニコッと微笑んだ。
「由香か。何だよ。何か用かよ」
「用も何も、またマリンを虐待していますわね。全く朝から騒がしい。そういったプレイがお望みならば、自分のお小遣いでそういうお店に行きなさいませ」
「僕は自分の趣味でしているわけじゃない」
透からすればこれは躾であった。この戦意の無い神もどきに巻き込まれて死ぬのはごめんだった。召喚してしまったからには勝ち残る以外に生き延びる術は無い。しかし現れたのは神ですら無い存在、ただの女、しかも他はオーディンにロキと最上の神を呼び出している。勝てるはずが無い。
目の前に迫っている死の恐怖が、ただでさえ卑屈な透をより悪い方向に仕向けたのだ。
「由香、お前は召喚できたのか?」
「ええ、勿論」
由香は手をパンパンと叩いた。同時に黒い粒子が彼女の背後に集まり、一匹の竜の形を成した。
「あ、ああ…」
透は腰を抜かした。6枚の巨大な翼、ルビーのように赤い双眼。突き出した白い牙に、漆黒の巨大な体躯。規格外の化け物がそこにはいた。
「邪竜ファヴニール。よもや私の声に応じたのが、神では無くこの竜とは」
「ぐっ、ぐぐ」
「ご安心なさいませ透お兄様。この竜の牙の狙いは今のところあなたではありません。他の敵を全て駆逐し、生き残りが雪村家の人間のみになった時、あなたの前に再びこの邪竜を披露することになりましょうが」
最もそれまで透が生き残る確率は限りなく低いだろう。だがそこまでは言わなかった。