3:第3話
今日は野営をしながらの実地訓練の日だ。魔物が出るという森にテントを張って、泊まりがけで訓練をする。
戦闘があまり得意でないセリクは、実地訓練も好きではなさそうな感じがするけれど――意外なことに、彼は今輝いていた。
「はい、ララム。遠慮せず食べてね」
「ありがとうセリク! うわあ、すごくおいしそう!」
野営をするとなれば、食事は質素なものになりやすい。けれど、セリクは手元にある食料を使って、一段上の料理にするのが得意だった。
しかも、今日の夕食はララムが好きな辛めの味付けをしてくれた。セリクは辛いのが苦手なはずなのに、どうしてなのだろう。
不思議だ。自分の好きな味付けにしても良かったのに。
(よく分からないけど、まあ良いか。これ、すごくおいしいし。ああ、幸せ! セリクは料理の天才なんじゃないかなあ?)
ララムはなんだか感動し、だんだん彼が神に見えてきてしまう。
「……ララム? なんで拝んでるの?」
「いや、こんなにおいしい食事が食べられるのがありがたくて。ふふ、セリクが料理上手なこと、お姉ちゃんにもしっかり伝えといてあげるね!」
「え、いや別に、ララムさえ喜んでくれたら、僕はそれで充分だから……」
セリクは顔を赤くして、俯いてしまう。日が暮れた森の中、たき火の明かりがその赤い顔を艶っぽく照らし出していた。
――この子ときたら、いくつになっても謙虚というか、照れ屋というか……。
(こんなすごい特技があるんだから、もっと自信を持てば良いのになあ)
セリクの作ってくれた料理をもきゅもきゅ頬張りながら、ララムは思う。
セリクはよく「男として見られていないから」と言い訳じみたことを言うのだけど、そんな風に自分を卑下するのはもったいない。
ララムはセリクの良いところを、たくさん知っている。
王子様みたいに綺麗な容姿をしているし、傷の手当ても丁寧で上手だし、料理だってお手のものだ。
がさつで不器用なララムと比べれば、自慢できるところだらけに見える。
「まあまあ、遠慮しなくて良いから。私に任せておきなさいって」
セリクの手料理を全て綺麗にたいらげた後、ララムはどんと胸を叩いた。
姉ももう二十歳。そろそろ結婚とか真剣に考えても良い時期だ。敬愛する姉が「行き遅れ」みたいに言われないよう、さっさとセリクとくっついてもらわなくては。
でも、セリクはへにゃりと眉を下げ、困り顔をする。ぱちぱちと爆ぜるたき火の光が、紫水晶の瞳をもの憂げにきらめかせていた。
「あのさ、ララム。僕、ずっと言おう、言おうと思ってたんだけど」
「ん? なに?」
「もう、ミレディさんに余計なこと言うの、止めてくれないかな……」
「え」
ララムはきょとんとして、セリクを見つめた。セリクはこちらを見ず、視線を下に落としている。
たき火の爆ぜる音が、一際大きく感じられた。
「僕だって、いつまでも小さな子どもじゃないんだよ? ララムにいちいち世話を焼いてもらわなくても、もう大丈夫なんだ」
「ええ? でも、私がいないと……」
「ララム、ごめん。でも、本当に、もう良いから」
セリクの声は固い。冗談や照れなんかじゃなく、本気で言っている言葉だ。
ララムの笑顔が引きつってしまう。
「なに、それ。私が、邪魔だってこと?」
「そうじゃないよ。ただ、ミレディさんには」
「なによ、セリクの馬鹿! このヘタレ! 意気地なし! 弱虫ー!」
ララムは立ち上がり大きな声で叫ぶと、暗い森の奥へ向かって駆けだした。
はっきり言って、腹が立った。善意を思いきり踏みにじられたと思った。
なにより――セリクに裏切られたような気がした。
こういうのを青天の霹靂というのだろう。あまりに急なことで、セリクに言われた言葉が上手く飲み込めない。
なんで今頃になってそんなことを言うのか。この十年、本当はずっと迷惑だと思っていたということ?
気付かなかった。全く、予想すらしていなかった。
暗い森を夢中で駆ける。淡い月の光に照らされた道なき道を、落ち葉を踏みつけながら走っていく。
「馬鹿! セリクの、ばーか……」
ずっと、セリクはララムより弱い存在だった。
ララムが守ってあげなくてはいけない、庇護すべき対象だった。
ララムは、これからもずっと、セリクを守っていくつもりだったのに。
森の木々の間から見える青白い月。見上げていると、その輪郭がぼやけてくる。
走り疲れて少し冷静になると、後悔が押し寄せてきた。
セリクを守ると言いながら、依存していたのはララムの方なのだと思う。
お気に入りの幼なじみと縁が切れるのが恐くて、姉とくっついてくれることを願っていた。
姉とセリクが結婚してくれれば、セリクと親戚になれるから――。
(馬鹿なのは、私の方だ……)
この十年、ずっと傍でセリクを見てきた。
一途に姉だけを想い続けるその横顔に、憧れを抱いていた。
彼を、尊敬し続けてきた。
ララムもそんな風に「誰か」を想ってみたかった。
そして、そんな「誰か」に想われてみたいと思っていた。
でもきっと、その「誰か」というのは、セリクなのだ。
セリク以外の「誰か」なんて、嫌だった。
(私って、本当に馬鹿だ。こんな時にセリクのことが好きだって気付くなんて。セリクが好きなのは美人で非の打ちどころのないあのお姉ちゃんなのに。あのお姉ちゃんに私なんかが勝てるわけないじゃん。気付いた途端、失恋確定だよ……)
ララムはしゃがみこんで、膝に顔を埋めた。
もうどんな顔をしてセリクと会えば良いのか分からない。自分の気持ちに気付いてしまったから、セリクの恋を応援するのも、もう無理だ。
――私はセリクの味方だよ! ずっと、ずーっと、ね!
十年前の自分の言葉に、頭を抱える。
なにが味方だ。今までも、これからも、ララムはセリクの味方なんかじゃない。
(もうセリクとは関わらないようにしなきゃ……)
失恋は痛いけれど。それでもララムはセリクを嫌いになんてなれないから。
だからせめて、セリクの邪魔はしないようにしようと決意する。
鼻をすすって涙をぐいっと拭うと、ララムは立ち上がった。改めて周囲を確認してみると、ここは随分と森の奥のようで、人の気配がまるで感じられない場所だった。
月明かりを頼りに、とぼとぼとテントの場所へと戻り始める。
(とりあえず今夜は同じクラスの誰かのテントにお世話になろうかな。今、セリクに会うのはさすがに辛いし)
ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていると、突然背後で木の葉が揺れる音がした。反射的に振り返ると、そこには――。
「嘘でしょ! なんでこんな時に……」
ララムの背丈の二倍はあるかという大きさの魔物が、牙をむいてこちらを威嚇していた。
腰に手をやるけれど、武器になりそうなものは携帯していない。
万事休す。
冷や汗が背中を滑り落ちた。