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壱:董鶚と云う男―前

 とある宮からの帰路。日干し煉瓦で造られた通路にて、董鶚(とう がく)は複数の足音から懸命に逃れていた。休日であるにも関わらず、しつこく付きまとう男たちに、董鶚は大きな舌打ちを鳴らした。


「も~! しつこいんっすけど!」


 董鶚が声を荒げると、男たちは「じゃあ止まっておくれ!」やら「話を聞いてほしい」だの自分勝手な主張を口々に言い始める。


「……聞く気が無ぇから逃げてんだろ」


 ぽつりとつぶやき、後ろの様子を伺う。懸命に追いかける男たちは息を切らし、これ以上距離が離れないように今の速度を保つので精一杯のようだ。一方、董鶚は体力にも余裕があり、引き離すことは可能であった。


 何かきっかけがあれば……。


周りを見渡すと、目の前に十字路が見える。この先には壁の切れ間があり、宮があるのだろう。しめた、と董鶚は速度を上げる。背後の男たちを引き離すと、身を隠したい一心で宮へ飛び込んだ。

 宮の出入り口は十段にも満たない階段があり、外回廊と併せて欄干で覆われている。董鶚は長い足で二段飛ばしに段差を掛け上げると、外回廊から更に奥へ向かおうとした。

 しかし、段差を上りきったところで、扉から出てきた人物と鉢あう。慌ててかかとに力を込めて立ち止まろうとするが、勢いを殺しきれずに向かい合う人物とぶつかった。


「す、すまない! ちょっと匿ってもらえな……ん?」


 見慣れた顔が、目を丸くして董鶚を見上げていた。




 男たちに追いかけまわされることしばらく。董鶚は今、机の前に向かっていた。

 近くにあった宮に飛び込み、董鶚がぶつかった人物によって無事匿われた。ただ部屋に閉じこもるのも暇なので、彼が主催している金文を読む会に参加することになった。


 宮の一室で行われていた会は、既に多くの官人が着席している。座席の八割方が埋まっており、董鶚は何処に座ろうかと悩んでいたところ、知った顔と目が合った。


「董鶚殿が来られるなんて珍しいですね」


 知った顔こと劉巴が小声で尋ねる。彼は皇太子府の宿直の一人だ。

先の皇太子暗殺未遂の際に知り合ったが、劉巴の所属する皇太子府に同僚の弟が在籍しているため、その後も何かしらと顔を合わせる機会が多い人物の一人だった。


「いや、訳あって楊武殿に匿ってもらったんだが……」

「匿う?」


 顔を顰める劉巴に董鶚は乾いた笑いを返した。


「まあ、後で話すわ」


 董鶚が正面を指さすと、金文を読む会の主催であり同僚の弟である楊武が教壇に立とうとしていた。



 楊武と言う男は、一言で言えば異例の出世人だった。

 痩せぎすの身体、目の下にこさえた隈、艶のある髪は手入れがされているものの毛先は右往左往している。見た目は下流貴族のようだが、実家は数多の武人を輩出している名門・楊一族である。

 尤も、彼を”異例“の出世人と呼ぶのは大家の出だからではない。彼自身が自らの力で現在の地位までのし上がったことが評価されている。


 董鶚は肘をついてぼんやりと青銅器の解説を始める楊武を眺めていた。

 董鶚と楊武の関係は、顔見知り以上友人未満と言ったところだろう。同僚である楊毅の弟で、楊毅が皇太子府まで楊武の様子をよく見に行くので顔を合わせることも多い。また、劉巴との出会いでもある皇太子暗殺未遂の一件では、楊毅を通して董鶚も暗躍していた。


 とは言え、二人の共通の話題は楊毅と言う男しかない。楊武自身、ひいては彼の研究している嘉の歴史について興味のあった董鶚は、偶然とは言え、今回会合に参加できたことを好機だと思っていた。


 董鶚は武官ではあるが、楊毅ほど机に向かうことが嫌いではない。嗜む程度ではあるが、兵法以外の書物にも造詣があった。


「今日は”頌簋蓋(しょうきがい)“の銘文を読もうと思います」


 楊武は自身がとった拓本を広げ、解説を始める。


「これは(しょう)と言う人物がもらった()と言う先祖に食物を供える青銅器の(ふた)に刻まれた文字です。おそらく前寛後期の製造かと思われます」


 部屋の全員に見えるよう左右に動かし、拓本を降ろした。


「全部で百五十二文字、一族が代々受け継いでいる職務を王が頌に任命したと言う内容になります」


 すると楊武は手前に座る官人に紙を配り始めた。「後ろに回してください」と言う言葉と共に手渡されたのは頌簋蓋の書き下し文であった。


「なあ、楊武殿って毎回この書き下しを人数分用意してんのか?」

「そうですよ。この会、楊殿への負担が半端ではないと思います」

「宝物殿の資料として木版作らせちまえばいいのに……」

「全く同感です」


 小声で劉巴に問いかけると、予想通りの返事に董鶚はめまいがしそうだった。少なく見積もっても二十枚、おそらく予備も含めると二十では足りないだろう。毎回、楊武はこの私的な会合の為に同じ文章を書いて準備をしていることになる。一体、何処にそんな時間の余裕があると言うのだ。相変わらず化け物揃いの一族だと、董鶚はため息をついた。


「頌簋蓋は北西の宝物殿に保管されていますが、同銘で蓋と簋がどちらも現存している青銅器が他の宝物殿にもあります。次回はその銘文を読む予定です」


 紙を配り終える間に青銅器の概要を説明し、頃合いを見て楊武は銘文の書き下し文の解説を始めた。

 銘文の内容は、王が即位三年五月に正殿で頌と言う男の任命式を行わせたことから始まる。頌の一族は代々、都の貯蔵庫の役人を任されていた。その責務を正式に引き継ぐ儀式の様子が細かく記されている。そして、末尾には自身の父母への謝意でこの青銅器が作られたこと、青銅器で祖先祭祀を行って一族の繁栄と安寧の祈願し、頌簋を末永く大事にせよと言う言葉で締めくくられていた。


 史書に学の無い自分でもすらすらと頭に入ってくる。程よい口語体の訳を紡ぐ楊武に、董鶚は感心していた。難しい単語や、嘉王朝では使用しなくなった制度の解説も合間に挟まれており、銘文から儀式の様子がありありと想像できる点も興味をかきたてられていた。

 一見、肘をついてやる気の無さそうに見える董鶚ではあるが、見下ろす紙面には単語の解説や訳がびっちりと書き込まれている。


 劉巴が退屈そうにしている董鶚の紙面を盗み見て、目を丸くした。武官は皆、楊毅のように机に座るのが苦手なのではと思いこんでいたが、そうではないらしい。よく顔は合わせるが人となりを知らない分、劉巴は董鶚に少なからず関心を抱いた。

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