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玖:勝気な公主と北衙禁軍

 見張り台を埋め尽くしていた異民族は、今や誰一人として立っていない。


 楊毅は遼煌を再度抱きかかえると、戦闘が比較的少なかったであろう出入口近くの塀に座らせた。

 なるべく相手を斬りつけないように心がけていたが、なりふり構っていられない場面も多々あった。人の血で穢れた地に公主を立たせるわけにはいかなかった。

 遼煌が一人ではよじ登れないような高さの塀は、体躯のよい楊毅でも流石に遼煌に見下ろされる形になっていた。


「公主様、二度とあのような真似はやめてください」

「でも、楊毅さまは助かったわ?」


 楊毅は先ほどの遼煌の機転、もとい奇行を憂いた。

本人はあっけからんとしているが、命の危険に晒してしまったと自責の念を抱いた楊毅にとっては肝が冷えるどころが心臓がいくつあっても足りないとさえ思っていた。最悪、遼煌に何かあれば自分も自害する心つもりだった。


「それでも、あの時……もし公主様にお怪我でもあれば……俺は……」

「……」


 震える声で話す楊毅の姿に、遼煌は目を丸くする。まるで壊れ物に触れるようにそっと肩に添えられた大きな手にぎこちない動きで視線を移した。


 央晧と言い、遼煌と言い、聡い子供であった彼らは、幼い頃から見えなくてもいい汚い部分が沢山見てきた。自身の地位を理解しているからこそ、都合のいい言葉ばかりを吐き出す官人は信用できなかった。勿論、楊毅がそれらと同類だとは思ってはいない。

 それでも、一人の人間ではなく公主と言う身分しか見られていないかもしれないと不安は、突如として遼煌の胸中で蜷局を巻く。遼煌は自信を無くし、らしくもないがおそるおそる楊毅の方へと顔を向けた。


「ご無事で何よりです」


 楊毅は、遼煌の杞憂を軽々と吹き飛ばした。

 涙目でまっすぐと遼煌を見つめる姿に、遼煌は息を呑む。そして一瞬でも彼を疑ったことに罪悪感を感じた。

 公主と言う肩書ではなく”朱 遼煌“の無事を喜ぶ楊毅を見て、遼煌は改めて好きになってよかったと頬を緩める。


「楊毅さま」

「はい……ってうお!」


 涙を隠すために俯いていた楊毅が顔を上げると、遼煌は塀を飛び降りて首元に抱き着いた。

楊毅は突然の出来事に反応が遅れたが、すぐに膝裏に片腕を回す。遼煌は楊毅の腕に座る体勢となり、腰を屈めて楊毅を見下ろした。

先ほどの戦闘中よりも更に近い、今までで一番近い距離で楊毅の双眸を見つめる。


「私、やっぱり貴方が好きだわ」


 今の状況を全く把握が出来ていない楊毅は、当然何を言われているかも理解できず、ただ目を白黒させているだけ。反応のない楊毅に、遼煌は目を細めて言葉を言い換えた。


「お慕いしております。こういえば流石にわかるかしら?」

「……え、え」


 えええええええ!? 遼煌の告白に楊毅が声を上げた。

知らないのは当人のみ。遠巻きに二人の様子を伺いつつ、張恙と異民族を拘束していた董鶚は片耳に指を突っ込んで顔を顰めた。


「ようやく理解したか」

「先輩、相変わらず鈍感だったっすね」


 流石に俺でも空気読んだっすよ、と張縣は縄を縛り上げる。


「……ま、脈はあったんだろうよ」


 顔を赤らめて硬直する楊毅を見て、董鶚は微笑む。あの怒気の中に、遼煌はちゃんと含まれていたと胸を撫で下ろしていた。

 ――二人の行く末を誰よりも楽しみにしているのは、案外この男かもしれない。


 楊毅の声が都護府中に響き渡ると、南衙禁軍や都護府の衛士たちが見張り台へ集う。ようやく遼煌誘拐未遂が明るみとなり、都護府内は騒然とした。


 その後、無事に事態は収束し、馬付馬(ふば)の一件は取り消され、張恙は後日罰せられることとなった。張恙の罪状が決まるまでの間、都護府の長官は空席となり、しばらくは中央から別の役人が派遣される。

 諸々の引継ぎを見ていた楊毅と董鶚は、都護府を取り仕切る張縣の姿に「後任はおそらく張縣だろう」と口を揃えて話していた。新しい都護府長官の就任の知らせが入るのもそう遠くはないだろう。


 ひと段落ついた時点で、主の無事を知らせるべく、楊毅は遼煌を抱えたまま宮女たちの待つ遼煌の私室へと連れて行った。遼煌の姿を見た宮女たちは一瞬だけ驚きで静まり返ったが、すぐに黄色い声を上げて主人の恋路を祝福した。

宮女たちの圧で困ったように笑う楊毅も素敵だったと、後日遼煌は央晧に惚気ていた。


 ともあれ、後始末を都護府と中央政府に任せると遼煌一行は一足先に洛陽へと帰還した。



「あの異民族、結局は河北で戦っていた部族と内部紛争を行うために嘉の力が欲しかったらしい」

「なるほどな」

「張恙の方は取引を迫られ、異民族の押しに負けたらしい」


 洛陽に戻って一月ばかり過ぎた。少しずつ明らかになった事件の真相を、董鶚は伝手を使って情報収集していた。

 董鶚の言葉に、楊毅は顎に手を添えて考え込む。今の言葉の何処にひっかかりを覚えているのか。董鶚は首をひねった。


「どうした?」

「……父上がな」

「楊勝殿が?」

「今回の警護が決まった時、俺たちが選ばれた理由を尋ねたんだが、”行けばわかる“の一点張りだったんだ。

 てっきり張縣と会えることかと思ってたんだが、もしかしてあの異民族のことまで計算して俺らを護衛にしてたのか? と思ってな」

「……だとしたらバケモンだな、お前の親父さん」


 董鶚は楊毅の言葉に恐怖を覚えた。両肩を冗談交じりにさすっていると、聞き慣れた声が楊毅の名を呼んでいた。


「あ、居た! 楊毅様! と、トーガクドノ」

「こ、公主様!」


 楊毅を見つけるなり、飛びついてきた遼煌を受け止めた。すりすりと胸に頬を寄せる遼煌に、楊毅は顔を赤らめている。


「……明らかに呼ぶ気に差がありすぎる」


 そんな様子を傍から見せつけられて居る董鶚は、いつものようにうんざりとしていた。


「公主様! また後宮を抜けられたのですか!?」

「いやぁねえ。もう今更咎める奴なんて居ないわよ! それに後宮から武英殿まで抜けるよりよっぽど近いから大丈夫よ!」


 そういう問題ではないのだが。董鶚は思わず言い返しそうになったのをこらえた。いつも謎理論で論破されてしまうと嘆いていた博麗の気持ちがよくわかる。


「楊毅様、今日も素敵ね!」


 今や北衙禁軍の日課とも言える、遼煌による北衙禁軍の詰所を訪問に対して誰一人として驚いていない。

未だ世代交代をしていない年老いた禁軍たちの間では「やっとあの公主にも馬付馬(ふば)が……」と安心すらされているらしい。


「必ず、絶対、楊毅様を落として見せるから!」


 腰に手をあてて楊毅を指さすと、遼煌は片目を閉じてにやりと笑った。どこかの皇太子が悪巧みを考えている時と同じ表情に、部外者の董鶚が顔を引きつらせていた。


 当の本人と言えば、たじろぎはするが前ほど拒絶することは無くなった。北衙禁軍の誰に聞いてもそう返答される。楊毅の胸中も少しずつ変わり始めているようだ。


 ばたばたと後宮から複数の足音が近づいてくる。今日も遼煌と宮女の追いかけっこは続く。

遼煌が捕まるのが先か、それとも楊毅の心が捕まるのが先か。


 楊一族から初めての馬付馬(ふば)が現れるのは、もう少し先の話である。

馬付馬…本来は馬へんに付の一文字で「ふ」と読みますが、環境依存文字のため、この通りに記載しております。

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