さいしょ①
その日見た久々の故郷は、相変わらずの田舎とも都会とも言えないよくある郊外の町。
1時間に4本しかない鈍行列車が到着したのは、経年劣化で亀裂の入った古いコンクリートのホーム。
ホームの端にある駅の無人改札を抜けると、道を挟んで天幕の破れた暗いアーケードが口を開けている。
ここまでほとんど人とは会わないが、家路であるアーケードの中に歩を進めると、小さいころに母に手を引かれながら、白いタイルばかり選んで歩いた道は、ところどころめくれてデコボコに、小学校の時に塾の帰り道に寄ってコロッケを買っていた肉屋はシャッターが降りている。
中学生の頃、初めてメガネを買った近所のおじさんの営む店は、無期限休業の張り紙が貼られて中は真っ暗......
僕の記憶の中の商店街は人に溢れていた、というはこと無かったけど、それでも常に人が行き交っていたし、大人も子供もそれなりに歩いた。
少なくとも、こんな寂しいゴーストタウンじゃなかった。
なんとも言えない気持ちで、ふと視線を感じて顔を上げると、眼鏡屋のガラスに大きなリュックを背負った幽霊みたいに生気のない顔のメガネの男が映り込んでいた。
「すごいひどい顔だな......」
顔の持ち主の名前は和泉 俊次、絶賛無職となって2ヶ月めの僕。
その間何をするでく生活リズムは昼夜逆転し、まさに惰性で息を吸うだけの引きこもりを続け、今や髪もボサボサの自他ともに認めるダメ人間。
元はチェーン店のメガネ屋を8年務めていたけど、休日出勤当たり前の薄給サービス業とブラック上司の合わせ技で、先日ついにしがみついていた仕事を辞めることになった。
辞めた末に僕に残ったのは、常連だったお客様方からの手紙と、日々の売上の補填のために買った大量のメガネ。
そりゃあまぁ、暗い顔も仕方ないかと振り返ると疲れた顔の男性が立っていた。
薄暗いアーケード、鏡がもう一枚置いてあったのか、なんて思ってしまったが、話しかけてきたその疲れた顔の男は僕とは別人だった。
「もしかして、キミはイズミさんとこの」
「お、おじさん! お久しぶりです」
着古したポロシャツとチノパンで、記憶より老けてしまっているが、相変わらずの優しい笑顔。
僕がメガネチェーンを選んだきっかけの人。
つい僕はテンションが上がり、安いパンパンに膨らんだ荷物カバンを足元に置いておじさんに両手で握手を求めていた。
おじさんもニコリと笑って両手で応えてくれたが、平日の夕方、それも大きな荷物カバンを背負っていた僕の身なりには何も触れず、「お茶でもどうだい? 」と、店の裏口へ案内された。
時間なら充分に有り余っているし、久々の話し相手に飢えていたのもあったのか、僕はおじさんの後を着いて行った。
古いシリンダー錠の鍵を開けて店内に明かりを灯した久々のフクロウ堂は、僕にとってはまさに異世界だった。
丁寧に管理された本べっ甲のメガネ、金縁にハンドメイドのフレーム、有名メーカーから珍しい海外メーカー、親しみやすい手頃なメガネと、業界に居たからこそ分かる異常な品揃え。
さながら眼鏡屋と言うよりかはメガネ博物館の方があっているほどだった。
キョロキョロと店の中を見て回る僕をよそに、おじさんは水道から鉢に水を入れて、ショーケースの中にしまっている。
「それは、何をしてるんですか? 」
「ん? あぁべっ甲や金は生きてるからね、こうして湿気をあげないとダメになるんだよ」
落ち着いたおじさんを見ていると、表の休業中が嘘のように店内はホコリ一つ落ちていないことに気づく。
きっとおじさんが毎日こうして手入れをしているのだろうと容易に想像できる。
そうして眺めていると、おじさんが昔僕も母と座ったことのある接客テーブルにコーヒーを入れて持ってきてくれた。
「コーヒーでよかったかな? 若い人はジュースの方がよかった?」
「おじさん僕ももう30ですから、おっさんですよ」
笑って答えた僕の年齢を聞いて、すっかり驚いてるおじさんは、家族が居たらおじいちゃんなんて孫に言われてていい歳なのかも知れないなんて思ってしまった。
確かに記憶のおじさんより、ずいぶん老けてしまっている。
1人で店を切り盛りするのは大変だろうと僕が考え込んでいると、「イズミ君は都会の眼鏡屋で働いてたよね、どうだった? 」とおじさんが話を振ってきた。
たぶん僕が辞めたのは気づいているだろうから、わざわざ辞めたと伝えるのも野暮だ。
そう考えて僕はコーヒーを口に運びながら端的に答えた。
「楽しかったです」
僕の返事におじさんはニコニコしながら、自分のコーヒーにミルクを入れてスプーンでかき混ぜている。
「でも、大変だったね」
おじさんの一言に上司からのパワハラのことを言われたのかと、僕が頷いたところ、
「お家も壁割れちゃってたもんね」と続けられた。
先日起きた地震は対した被害もなかったが、それでもこの辺りは停電したし、瓦が割れた地域もところどころある。
僕がこうして地元に帰省したのも、その後片付けを口実に親に帰ってこいと言われたためだ。
「この商店街もさ、停電でね。うちはどうにか大丈夫だったんだけど冷蔵庫を使ってたところは、どこもあれから店を閉めたままなんだよ」
もう地震からひと月経つが、アーケードがゴーストタウンと化しているのはそのせいだろう。
僕は改めてニュースに上がらない被害を知った。
「だからみんな店閉めちゃってね、おじさんも歳だろ? いい機会だからうちお店売ってね、田舎にでも.......て考えててね」
いつも通り優しく話すおじさんを見て、おじさんも誰かに話したかったんだと理解した。
家と店の往復で、そんなに近所付き合いもないおじさんだから、きっと誰かにこうして話したかったんだろうと、それはそうだ、これだけ大事にしてる店、なんの感情もなく閉めれるわけがない。
地震とか、みんなが閉めるとか、年齢とか、そんなことを理由にして必死に考えて決めたんだろうと、仕事を辞めたばかりの僕は自分のことのように物悲しくなった。
コーヒーの中でスプーンを回し続けるおじさんの手を眺める。
僕はしばらく言葉に詰まって、何か話題を探していた。
「じゃあ.......じゃあ僕がこの店継ぎますよ」
「え? 」
驚くおじさんだが、それ以上に僕が驚いていた。
「ほら、僕も眼鏡屋で働いてたし、まだ若いと思うんですよ。それに地元だし、無職だから時間とかも全然大丈夫だし、お客さんだって今はネットとかもありますし! 」
自分でも不躾だと分かっているし、唐突なのも分かってる。
なのに口が止まらなくて、感情のまま言いたいことを話していた。
当然おじさんも困り顔になっているし、身を乗り出して話してただけに僕自身すごい空気を作ってしまった。
今更、冗談でーす! なんて誤魔化そうかとか思ったけど、こんなに素敵な店を売ってしまうのに耐えられないのは僕の心からの本音だし、たぶんここを通る度に僕はこの店を思い出して悲しくなると思う。
おじさんはしばらく固まったままだったが、またゆっくりとスプーンを回しだした。
「なら、お願いしちゃおうかな」
「え? 」
自分で言っておきながら、おじさんの返答に僕は驚いてしまった。
「ただしまずは1年を目安として、ちゃんと営業できるか見させてもらうというのはどうかな? こんな老人の趣味にキミみたいな若者を何年も付き合わせるのは申し訳ないからね。それでお店が軌道に乗ってるならそのままお願いして、難しいようならここを売るっていうのはどうかな? 」
「あ.......はい、それで」
「うん.......それで一応、オーナーって形で、イズミ君を店長として雇わせてもらう。給料は年齢と同じ.......こんなので良かったら考えて――」
「――お願いします! 」
僕は興奮し、立ち上がった勢いでもつれた足を滑らせ、気づけば天井を見上げながら寝転がっていた。
「はは、じゃあ、僕もよろしくお願いします」
おじさんはそう言って、転がる僕に手を差し出してくれた。




