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第1話 ここは異世界眼鏡屋フクロウ堂


「ここに魔女がいるのか」


「そうです隊長、人族に限らず獣人に亜人と多くの者から酒場で」


「嘘みてぇだが、本当ならとんだ話だ。島一番の大捕物だぜ、手柄になりやすぜ旦那」


「ふむ.......街の外れと言えど、治安の維持も我らの仕事か」


微かな潮の香りを、渇いた風が運ぶ美しいレンガ作りの街の一角。

昼下がりの大通りでは大小、それこそ容姿から人間離れした様々な人々の生活音が、雑踏に混じって騒がしいが男たちが声をひそめて話すこちらの通りは人影も無いに等しい。

その中で、見た目もあべこべな3人の議題は眼前に佇む見慣れない商店についてであり、街の治安についてである。


「隊長、自分は反対であります。この店は嫌な臭いがするのでありますよ」


「バカを言ってんじゃねーぞドグ! いつもいつも情けねぇ、デカいのは図体だけか」


泣き言を漏らすのは灰毛の犬の頭に人の体、2メートルの巨体を丸めて話す狼男ウェアウルフのドグ。

それを唾を飛ばしながら叱りつけるは、身の丈1メートルほどの筋肉質な体に老けた顔をした土老人ドワーフのダロスである。


その言い争いの中で、 2人に隊長や旦那と呼ばれるのは、落ち着いた振る舞いの青年。


青年は、衣類からも立場の違いが分かるほどに、上質な革鎧と拵えの良い長剣を腰に下げている。

赤みがかった茶髪に緑の瞳、伸びた背筋に正しく騎士を絵に書いた様な堂々とした雰囲気を感じるが、狼男とドワーフの止まらない口論に少々困惑しているようだ。


「あぁ.......仕方ない。2人はここで待機しておいてくれ。魔術などと言うものは信じていないが、万一ということもある」


まるで予想してなかっただろう青年の言葉に、狼男のドグとドワーフのダロスの2人は一瞬言葉を失った。


「.......勘弁してくれや旦那、あんた1人で向かわすわけには行かんだろ」


精一杯の言葉を絞り出したダロスの眉間には刻まれた深いシワで彼の困惑具合がよく分かる。


「なぁに、荒武者ユアスと高名な俺が、1番この視察に適役だということさ」


朗らかに語る青年ユアスに対してバツが悪そうにドグとダロスは、お互いに「むぅ」と漏らし押し黙った。

その様子を眺めたあと、いたずらっぽく笑ってから青年は、単身で問題の魔女がいるという噂の商店のドアに手をかけた。


そもそも見るからに魔物じみた狼男などがいるのに、どうして彼らが魔女などというものに過剰に反応しているかというと、彼らの認識では「魔女=魔法を使う」と言うことが原因だ。


魔法なんてものは存在しない、あってもそれは絵物語か狂人の戯言で、鼻で笑えば済む話。


しかし例え噂でも、絵物語の中で呪いや悪魔を使役する禍々しい存在を放置することは、治安を乱すことに繋がってしまう。

街と民を守る立場では、一応の調査はしなくてはならない。


そんなことを考えながら店に入ったものの、警戒心をそのままに、ユアスの手は剣の鞘にかかったまま。

しかし彼の目が店内の明るさに慣れるにつれて、正に狐につままれたよう不思議な光景が視界に広がる。


そこは一見すると小物屋のようであるが、商業通りのいずれとも違う。男向けとも女向けとも言えない色とりどりの品揃え。


店の内装も、床は木材でなく大理石のような石の切り出し、壁には布が貼られ、棚は木材とも石材ともつかない材質で組まれ、貴族の屋敷でもそうは見ないほどに高価なガラスを随所にあしらった豪華な造り。


「これは......ずいぶん明るい店だな。それになんだこれが商品か、初めて見るが.......?」


ユアスの腰の高さほどの什器に、隙間なく並べられた針金のような細い金属細工の数々。

彼は腰を曲げて、顔を近づけまじまじと眺める。


それらはそれぞれ大まかには同じなのだが、色なり形なりが微妙に違う。

木を削り出したようなものもあり、細かなネジに精巧な作りと、そのどれもが見た目の想像より幾分か軽い。


不思議な工芸品の数々は、ユアスが手に取るいずれも、細かな意匠を凝らしていることが実によくわかった。


「用途は不明だが、これらは西の商国あたりの新しいアクセサリーだろうか?」


ユアスは眼前に並んだ小物にすっかり夢中になり、いつしか警戒心もずいぶん薄らいでいた。


「――いらっしゃいませ」


突如、店の奥から若い女の声が響く。

ユアスは咄嗟に警戒心を取り戻し、一気に剣の柄に手を伸ばしながら、同時に足を肩幅まで滑らせて腰を落とした。


「何者だ、魔女か!!」


緊張するユアスの視線の先、店の奥からの声の主は長い銀髪にメイドの服装をした、一見すると人形にも見える綺麗な顔立ちの華奢な少女。

少女の顔には、ユアスが先程まで眺めていた工芸品と同じものが乗せられているが、しかしそれにしても無表情のようだが、いささか不機嫌にも感じる。


ユアスが警戒をそのままに、腕に力を込め剣の柄を握りむが、それと同時に人形のような少女はユアスへまっすぐ歩み寄る。


「失礼なお客様ですね、私は魔女なんかじゃありません。100歩譲って魔法少女なら許しましょう。私はまだ16の乙女ですが」


少女は顔こそ人形のように無表情のままだが、声音には怒気が含まれ、ユアスの警戒に対して実に無遠慮だ。


「それをなんですか、そんなに私が悪魔と姦淫にふけっていると思うのですか、それとも私に姦淫と言わせたいのですか。変態ですか? フェチですか? 」


尽きることの無さそうな少女の悪態にユアスが動揺していると、少女の背後の小部屋から、フラフラと歩く人影が覗く。


「リコくん? リコくん、 やめてあげてください。久々のお鴨様.......お客様が困ってらっしゃいますから」


人影の一声に、リコと呼ばれた銀髪の少女はムスッとした顔のまま小さく舌打ちをし踵を返した。


「ねぇリコくん今舌打ちしなかった? したよね? 怖いからやめてね、本当泣きそうになるからね」


「シテマセンマスターキノセイデス」


現れた人影は、頭髪は長めの短髪で黒髪、銀髪の少女に似た四角い枠を顔に乗せている頼りなさそうな、不健康そうに見える痩せ気味の男。

背丈も標準といったくらいだろうか。


男の制止があと少し遅ければ、リコと呼ばれる少女とユアスの顔はくっつく寸前の距離まで来ていた。


「魔女などと失礼な物言い、すまなかったご婦人」


魔女と言う陰鬱なイメージとは程遠いハッキリとした物言いの少女に、ユアスは詫びを告げる。

剣から手を離し、姿勢を正してからユアスは、ニコニコと微笑む不健康そうな男に向き直る。


「して、マスターという事は貴方が店主か.......人.......だろうか?」


「えぇ、まぁ、はい」


不健康そうな男はハッキリとしない物言いだが、ユアスの腰から下がる剣を見るや、背筋をまっすぐどころか反らすほどに伸ばす。


「ぼ、僕は屍人ゾンビでも吸血鬼バンパイアでもない普通の人間ですよ!」


急な言い訳なのか、潔白を主張してるのか、男は切りつけられると勘違いしたように緊張しているが、どちらにしろ小物じみた男の振る舞いに、半ば呆れる形でユアスの警戒をすっかり解かれた。


しかしながらこの不健康そうな男、日差しの強い海上にあるこの島国、特に海に面したこの街では珍しいほど手足も日に焼けていないし、衣服もキレイで新しいものである。

そうなると恐らく市民や労働階級ではない、衣類を着潰すことも無いような地方貴族か、豪商の放蕩息子の道楽商売だろうかとユアスは考えた。


「いやすまない、私はユアス。この海上都市の衛兵隊長を任されているものだ。ところで店主殿、ここは一体何の店なのだ? どうにも私はこういった物に疎くてな」


ユアスは部下に接するように笑顔を保ち、理性的な問いかけを店主に向けた。

反対に店主の方はと言えば、衛兵隊長と聞いた辺りから、怯えというより役職に対して腰が低くなったのが伝わる。

どうやら大変意味わかりやすい性格の持ち主ようだ。


「これはこれはご丁寧に! えっと、僕は店主のイズミ、彼女が従業員のリコです。ここは僕の店、眼鏡屋のフクロウ堂です」


店主の男イズミの紹介に、リコは無表情のままペコリと会釈する。


「眼鏡、メガネとかサングラスとか。とにかく目に携わるものをご用意してまして、メガネをかけたら顔の印象も変わりますし、特に美少女のメガネ姿とか――」


「マスター!」


過剰な説明を始めるイズミの弁に熱が入ってきたところで、リコが静かに制止する。


店主と従業員の慣れたようなやり取りを見た後、ユアスは改めて什器に並んだメガネに視線を向ける。


「おぉ、眼鏡か。それなら知っているぞ、父も書物を読むのに使っているからな、しかしイズミ殿.......メガネとはレンズは1つが常であろう? それにこれらは度も入ってないようだが? 」


手に取ったメガネを顔に近づけたり離したりとしながらユアスは不思議そうに首を傾げる。


「当店のメガネは顔にかけるものですよ変態ユアス様。私やマスターがかけてるのもそうです、それに度はお一人ずつに合わしております」


「リコくん口が悪いよ、せっかくのお客様が帰っちゃうじゃないか。それにキミのは検査用の仮のフレームだから、そろそろ返してね」


まだ魔女扱いされたことを根に持ったようなリコは冷たい笑顔をユアスに向けている。

そんなリコの応対に、イズミは店主として一応の指導を行っている.......はずだ。


「セミオーダーか、それはすごいな。しかし.......」


言い淀むユアスだが、彼にとってのメガネとは机の据え置きか、手持ちで掲げて使う物である。

それが顔にかけれるならば、確かに手が自由になり便利なのはわかった。


しかしメガネなどは、学者かそれこそ領主や地位のあるごく一部の人間の使うものだし、老眼で手元が見えない人間のためのものだか、それこそ彼には縁遠い。


それに、そもそもが魔女の噂の元となったであろう銀髪の少女だが、しばらく見てる限り店主とのやり取りの雰囲気も悪くない。


とてもこの少女が疫病を流行らしたり、治安を悪化させるようには見えないことからも、部下の仕入れてきた魔女の噂はデタラメだったと、調査を切り上げることにした。


「いや、すまないイズミ殿、メガネであれば冷やかしになってしまったな。何せ私は書類に目を通すことには苦労もないのでな、客にはなれぬのだ。また出直させてもらうとするよ」


客と勘違いさせ、イズミにぬか喜びさせたことを謝罪したユアスは、軽く頭を下げてから店を出ようと振り返った。


――パンッ!


いきなり背後から響いた破裂音にユアスが振り返ると、音の発生源はイズミの赤く充血した両手の様で、当人も思ってたより力を込めたらしく少し涙目になっている。


「ユアス様、あなたには悩みがあると思うんですよ。違いませんか?」


「いきなりどうしたのだイズミ殿? 占い屋の真似事も貴方はできるのか? 」


相変わらず落ち着いた様子で、イズミに対し子供をあしらう様に話すユアスに対し、「ふむ」と考えてから、イズミは寄れたシャツのポケットから1枚の紙を取り出した。


イズミはそのまま二、三歩後ずさりしたあと、紙をユアスに向けてシワを伸ばす。


「ユアス様はこれに書かれた記号がわかりますか?」


「.......丸だろう、何を言うかと思えば」


「これでもですか?」


目を細めたユアスに、慣れた様子で近づいてきたイズミは突き出した紙をユアスの眼前1メートルほどまで近づける。

そこには、ブサイクに崩れた鳥の落書きが描かれていた。


「これは記号ではないな。イズミ殿は占い屋でなく奇術の真似事の方が好きなのかな? 」


いきなり強引に呼び止められ、言いがかりのような謎かけをしてきたイズミに、ユアスの緑の美しい瞳も少しだけ厳しく細められる。


しかしユアスの圧に対し、イズミは先程までとうってかわり動じることなく、むしろ不思議と落ち着いた存在感さえ放っている。


「ユアス様、あなたは遠くがハッキリとは見えていませんね? 例えば物を近づけたり、目を細めたりとするのは、ぼやけて見えるてる方の典型なんです」


「私を魔女と見間違えたりもですね」


落ち着いた様子で説明を始めるイズミに、リコの嫌味。


不思議な店主と店員の言だが、視界がぼけているということは、衛兵隊長として治安を守るユアスにとって周囲に広めたくない弱みの1つであった。

しかし、眼前の店主にこうもハッキリ落ち着いて言い当てられると、全て気づかれていると思い、もはや隠すこともはばかられる。


ユアスは軽く息を吐く。


「かなわないな.......いかにもその通りだ。周囲には知られてないし、隠れて医者にもかかったことはあるのだが、どうにもね。それでも声や色などで大抵の区別はつくのだよ.......」


少し言い淀むユアス。

見える見えないなら、見えるに越したことはないが、何か事情があるのかとイズミが言葉を選ぶが。


「煮え切らない物言いですね、男らしくない。ハッキリ仰ったらどうですか、童貞くさい」


「やめようか、リコくんそういう発言よろしくないよ。相手はお客様だからね」


イズミの言葉を待たず、リコがストレートに悩む様子のユアスに問いただす。


「別に私はお客様だとは名言してませんよ。マスターだっておりますし、決めつけはどうかと思われます」


「そういう話じゃないし、そもそも僕は童貞じゃないし、そうなったら消去法でお客様だって思うでしょ! ね? ねぇ?」


何かを見透かしたような冷笑を浮かべる少女に、店主イズミの必死な様子は落ち着きも何も有ったものでは無い。


コロコロと変わるイズミの様子に、ユアスはクスリと笑い気づけば顔が明るくなっていた。


「すまない......そうだな、君たちも知っての通りこの国は海に浮かぶ小さな島国だ。今でこそ交易も盛んで平和となって久しいが、我々はそれでも戦の備えは怠れぬ」


ゆっくりとユアスが話し始めると、2人の店員は静かに彼の話に耳を傾ける。


「そんな我ら兵士には、海上戦闘に備え常に弓の実力が求められる。代々島を守ることを生業としてきた我が家も、それに倣って弓の遠当てで家督.......次の家の主人を選んでいるのだ」


「弓.......でもユアス様はそんなよく見えてないのでは? 」


イズミの質問にユアスは静かに頷く。


「まぁ、そうなると次の候補は年の離れた弟でな。弟は利発で弓もうまく、今は教練の身だが、いずれは耳長種耳長種(エルフ)や幼顔種幼顔種(ホビット)と肩を並べ射手部隊ともなれる我が家の誇りなのだ」


「エリートですか、マスターのような倒錯した人間とは大違いですね」


「メガネをかけた女の子が好きで何が悪いか」


ユアスの話の裏で、店員2人は小さな声で不毛な言い合いをしている。


「一方の私は前線で狼男や土老父たちと剣を振り回すしか能がなく、気づけば荒武者と呼ばれるようになっていたよ」


ユアスは相変わらず優しい表情で笑っているが、今の彼の笑いは自虐的なものにしか見えない。


「つまりエリートの弟に負けるのが怖くて、ヤる前から言い訳をしてるんですね、この意気地無しの変態童貞様は」


「リコくんやめてあげなさい、真実は人を傷つけるんだから。.......でもまぁ、世の中逃げるのも悪くはないですし、それでも隊長なんて立派じゃないですか」


「いや、リコ殿の言う通りかも知れん。まだ幼い弟に家督という重責を背負わす後ろめたさ、目を患っていることを隠したまま婚約を結んだ妻となる者への後ろめたさから、私は目を逸らそうと......」


力なく微笑むユアスだが、彼の発した「婚約」の一文字に、イズミの顔は憎悪に包まれた般若の面のように歪んでいる。


「どう見ても年下のお客様に負けてしまいましたね変態童貞様」


「リコくん、ユアス様の代名詞を僕に言わないで、あと僕は変態じゃないからね? メガネっ子が好きなだけで物凄く一般的で健全な男性だからね」


「まぁそういったわけでな、ここしばらくで徐々に見づらくなっていてな。医者にも見せたがどうにも出来んと言うわけだ」


「どうにも.......ですか」


「あぁ、まじないや薬も試したが効果はなかった。しかし、弓を忘れれば不便もないものだ」


「ここ数年.......不便もそうない.......そうなるとやはり典型的な近視ですかね」


イズミの自然な話口は、力なく笑うユアスと比べずいぶんと自然で、その後ろではリコがスタスタと奥の小部屋に入っていく。


「キンシ?とな」


「えぇこの国には老眼、遠視の方が随分多いので珍しいかも知れませんが、ユアス様のそれは近視と言いまして......いわゆる遠くが見にくく近くが見やすいというものです」


聞き慣れない言葉に戸惑うユアスに、イズミはさも当たり前なことのように話を進める。


「.......すまない。よくわからんのだがそれは私の目が悪い、患っていると言うのではないのか? 」


「いえいえいえ! そんなことないですよ! 近視とは近くを見るに優れた目でして、決して悪いなんてことありません。当店に来られる方の半分はユアス様と同じ近視で、まぁだいたいメガネをかけて矯正されてますよ」


「矯正だと? メガネでそんなことが可能なのか!......」


「恐らく、可能だと思いますよ? 」


「安心してくださいユアス様。マスターはこの通り矮小で社会生活に向いてないように見えるでしょうが、生粋のメガネバカです。きっとユアス様の力になるとお約束します。」


余りにも自然なことのように話すイズミに、ユアスは知らず知らずのうちに声も大きく、半信半疑ながら、期待もまた大きく膨らんでいた。


「えぇ、リコくん準備を.......て、早いですね」


イズミの呼びかけに、さも当然と言った風のリコは、奥の小部屋から持ち出した自身のかけているメガネと同じ検査用の枠に、2枚のガラス板をはめ込んだものをトレーに乗せてユアスの元へ持って来ていた。


「どうぞ、ユアス様」


「これを.......かけるのか」


リコに差し出されたメガネを前に、ユアスは改めて、今までどうにもならないと思っていた目を、いきなり治せるなどと言われたことに騙されているような不安になる。

しかしダメで元々、意を決しユアスはメガネをゆっくり顔に運んだ。



――かけてしばらく、緊張で下を向いたままのユアスがゆっくりと目を開く。


何も変わらない。


足元はそのままだし、空を飛んでいるわけでもない。


こんなものかと自分の靴を眺めたままだが、ユアスの中は安堵と残念さが占めていた。


しかしよくよく見ると、ボヤけていた靴紐がハッキリと結び目まで見える。


驚きの余りにユアスは顔を上げた。


「なん.......だ、これは」


そこに広がっていたのは、まるで霧が晴れた景色のように、ハッキリとした輪郭の世界。


ユアスにとっては、まるで暴龍のような不幸が突如拭われた、奇跡や魔法にも思えた瞬間であった。


「すごい.......すごいな! まるで魔法のようではないか!!」


落ち着きなく喜ぶユアスは、自身の手の平のシワどころか見えてなかった服のシワや靴の汚れまで眺めてしまう。

首を回し、店内をくまなく眺めながら、イズミの手に持たれた先ほどの落書きも見直した。


「.......イズミ殿、そのように崩れたフクロウは見えていても答えれぬではないか。やはり貴方はとんだ詐術士だ」


驚きのせいか、イズミに話しかけるユアスの緑の瞳は軽く滲んでいた。


「旦那ぁ!!無事ですかい」


「隊長ーー、やっぱり俺たちも隊長と戦います」


焦った様子で手に武器を握にしめたドワーフと尾を丸めた狼男が店内に飛び込むが、ドワーフにつまづいた狼男に巻き込まれるように2人は団子になって店に転がった。


それを見て笑うユアスと焦るイズミに、2人の兵士は顔を見合わせて寝転んだまま疑問符を浮かべていた。



動揺するドワーフと狼男に、ユアスが事の経緯を話し、ユアスは部下の2人にイズミとリコを紹介した。


ドワーフのダロスはすっかり安心しきったように胸を撫で下ろしているが、狼男のドグはまだ半信半疑で怯えた様子のままビクビクしている。


「ユアス様、一応そちらはお試しですので、あちらの測定室でマスターの手で細かく調整させていただきたいますから、こちらへお願いします」


「うむ、よろしく頼むリコ殿」


説明を終えたユアスは、リコに促されるまま店奥の薄暗い放物線や数字が描かれた部屋に移動する。


「ま、魔女め!!その奇怪な物を隊長から外せ.......た、隊長もこちらに!!」


「ドグ、説明しただろう、そのような失言を」


「キャンキャンうるさいですね、毛皮を剥がれたいのでしょうか、この犬っころは」


「キャイン」


衛兵の中でも体力自慢のドグだが、メイド姿の華奢な少女に尻尾を捻りあげられ涙目になりユアスがため息をつく。



隊長補佐のダロスはその横で、ショーケースに張り付き、金属細工の数々に目をキラキラと光らせている。


「いや、こりゃあ、てぇしたもんだぁ」


「わかりますか? お客様それは僕の国のメガネでして金属を鎖状に編み込み弾力性を持たせていまして.......」


「すげぇな! こんなに細けぇネジもどうやってんだ? 」


「それは削り出しですね。金属片を機械で直接削り出してるんですよ、安物だと型に流し込む鋳造があってですね! 」


「金属は鉄か? 銅、いやそれにしては軽いな」


金物の扱いに長けたドワーフの特性か、先程までの動揺も忘れダロスはイズミとメガネの質問会を始めている。


「あぁもう! 諸君落ち着いてくれたまえ! ドグは魔女などと揶揄したことを詫びるんだ。イズミ殿も私の測定をしてくれないか」


ユアスの一声で我を取り戻した一行は、黙って店奥の測定室へ入室した。



しばらくして、測定を終えたユアスに部下の2人はその光景を不思議そうに眺めていた。


「やっぱりユアス様は典型的な近視ですね」


「じゃあ旦那は家を継げるかも知れんのか!」


「良かったよ!隊長、俺ら心配してたんだ」


イズミの落ち着いた口調に、部下の2人の顔が大きく綻んだ。


「お前たち、気づいていたのか」


「そりゃあ隊長、遠くから手振っても気づいてないし」


「旦那が酒場で壁のメニュー指さして、ミルクばっかりサイズ違いで頼んだときは隊員全員して朝まで相談したもんさ」


それまで誰にも気づかれてないと思っていただけに、ユアスは驚きバツが悪そうにしている。


「そ、それでイズミ殿私のメガネはいつ仕上るのだろうか1週間、いや1ヶ月であろうか」


「えーと、明日の昼頃にはできてますよ」


「そ、そんなに早いものなのか.......そうだ会計だな、支払いをせねば」


話を切り替えようと会計の話にすりかえたユアスだが、そもそも今は任務の調査である。

当然メガネなんて高級品を買う予定などなく、持ち合わせに自信がないことをユアスは思い出した。


彼は以前、父の書斎にあったメガネについて、彼の年収に相当する価値と教えられたことがある。

しかし今彼の懐にあるのは、今朝まとめてもらった今週の俸給である大銀貨が10枚と銅貨が僅か数枚。

おそらく手持ちでは30分の1いや、50分の1も払えるか怪しい。

それでもユアスは、この魔法のような体験をさせてくれるメガネを可能な限り、それこそ一刻も早く持ち帰りたいと頭を悩ませた。


「すまないイズミ殿、任務中だったゆえ手持ちがこれだけしかなく.......残りは明日の受け取りの際には用意するということも構わないか? 」


そう言って革袋の財布を広げたユアス。


そんな彼の後ろでは、2人の部下もカンパできないかと財布を覗くが、昨晩の酒盛りでお互いの財布の中身は、銅貨が数枚と子供の小遣いほどしか残ってなく静かに懐に戻していた。


「あー......では、こちらで丁度いただきます」


ユアスのメガネを選び終えたイズミは、彼の広げられた財布の中から大銀貨を1枚手に取った。


「な、イズミ殿それは何かの冗談か? メガネがそのように安いわけがなかろう」


「では、不肖私リコめがお駄賃としてもう1枚ほど」


驚くユアスの横から手を伸ばそうとするリコをイズミが捕まえる。


「こらこら.......ユアス様このメガネの値段は私の国での適正価格はこれほどなのです。それに私は暴利で稼ぎたいのではなく、よりこの国でメガネを多くの方に広めたいのです」


「本音はどうなんですかマスター?」


「もちろん可愛い女の子たちにメガネをかけさせて遠くから眺めていた......リコくん何を言わすんですか」


「そ、そうなのか。.......しかしさすがにこれでは申し訳なく私の気持ちが治まらない。せめて何か別の形でも私の感謝を受け取ってはくれないだろうか? 」


焦るユアスを見つめ、イズミはしばらく考えた後、ユアスの右手にはめられた黒くくすんだ古い指輪に目がいった。

「これならばさほどの価値はないだろう」と、とりあえずユアスに納得してもらうために、イズミはその指輪を選ぶことにした。


「ではそちらの指輪を」


『何ッ!?』


明らかに驚くドグとダロス、そんな部下2人とは反対にユアスは満足気である。


「そうか、これならば釣り合いもとれるだろう。さすが、イズミ殿の慧眼恐れ入る」


顔を青くし何か言いたげなドワーフと狼男を見ながらイズミは「まずいものだったか? そのうち返却しよう」と、満足気なユアスに断る勇気も持てず営業スマイルでなんとか受け取ることにした。


「ではイズミ殿メガネはまた明日受け取りにくる。」


「ありがとうございますユアス様」


「ありがとうございましたお鴨様」


イズミとリコに見送られながら、3人の衛兵は少し暗くなった街道へと戻った。


「良かったんですか旦那? あれは大旦那、領主からのいただきもんでしょう」


「そうだよ隊長、家紋入りで大事にしてたじゃん」


閑静な街道を進みながら、困り顔の部下達はユアスに何度も話しかけるが、当のユアスはそれほど気にも留めていない。


「良いのだ、これでもまだ足りないほどだ。それにあの指輪があれば、今後あの店に魔女の住処など不利益な噂は立つまい。何せ領家のお墨付きになるのだからな」


「隊長がいいなら、そうなのかな」


「まぁ、確かに領主の家紋入りの指輪を置いてるとこで魔女なんて言ったらバチが当たるわな」


「それに、メガネがこれだけ手に届きやすい価格ならば、いずれ街中に広がるだろう。そうすれば誰もが読み書きを学び、多様な種の入り乱れるこの交易都市は一層発展すると思うのだ」


ユアスの瞳が落ちる夕陽で明るく照らされる。

狼男とドワーフは顔を見合わせてから、ユアスを挟むように走り寄った。


「さすが旦那、お供しやすぜ」


「お、俺も! 俺もですからね」


大声で笑う老け顔のドワーフと、落ち着いた身なりの良い青年、それに誰かに掴まれたように毛並みの乱れた尻尾を振る狼男の3人組は、笑顔で調査の報告のため街の中央の詰所へと戻って行った。



それからだが、街の外れ、閑静な通りにある眼鏡屋フクロウ堂は今日もヒマなものである。

店主はカウンターでメガネのカタログとにらめっこ、女中の格好をした従業員は接客用のテーブルで拷問具の図鑑を熱心に読み込んでいる。


「リコくん今日もお客様来ないね」


「マスター、今日でそのセリフ4回目です。私はそれよりお腹が減りました」


「僕も腹ペコだよ何か作ってくれないかい」


イズミは無気力そのもの、体をカウンターに預けて完全にだらけている。


「わかりました。お湯を入れて3分待つものでよろしければ」


食事に反応し、リコはテキパキと棚からイズミが買い付けてきた大盛りのインスタントラーメンとカップ焼きそばを取り出し、慣れた手つきでコンロに火をかける。


「あぁうんお願いします」


「そういえばマスター」


あとは湯を注ぐだけの状態まで準備を整えたリコは、髪が食事にかからないよう後ろで結わえながらイズミに話しかけた。


「なんだいリコくん」


「なんでも最近、領主の息子様が弓の腕を急に上げられて、それまで縁遠いと言われていた家督を継げるかもしれない.......街で噂になってました。まさに家柄よし、顔よし、性格よしだとか」


「あーだめだめ、そういうのは絶対裏で悪いことしてるよ。パワハラとかで部下に嫌われてるよ。昼飯賭けてもいいね」


コンロのヤカンから沸けた湯を注ぐリコに、イズミはだらけたまま返事をする。


「本当に昼食をかけるんですね」


「そりゃあね、僕のサラリーマン時代からそんな奴はいなかったからね。ところで醤油ラーメンと焼きそばにしたの? どっちも良いよね、悩むなぁ」


「なるほど、分かりました。ありがとうございますマスター、おかげで今日のランチは豪華になります」


髪を結わえたリコは勢いよくラーメンを口に流し込んだ。

額から一筋の汗を流しつつ、ものの数秒で醤油ラーメンの容器は空になる。

続けてリコはソースの香りを湯気と共に振りまく焼きそばに箸をつける。


「どうして? リコくん? やめて、やめてぇぇぇ僕のお昼ぅぅ!!」


香りに気づいたイズミが振り返った頃には、リコが結わえた髪を揺らしながら残りの一口をすするところだった。


わけもわからず打ちひしがれるイズミを見て、口元に青のりを付けたリコは優しく肩を叩いて何も言わず微笑んだ。

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