Aパート
「えっ、愛ちゃんのそれ伊達メガネなの?」
ふぅちゃんは驚きの声をあげた。
何気ないお昼の会話でのことだ。
わたしとふぅちゃんは春の日差しも暖かい校庭の一角で仲良くお弁当を拡げていた。
「そだよ。
こう見えて、わたし、視力3.0あるから」
「3.0ってどこのマサイの戦士ですか。
でも、なんでそんなに目が良いのにメガネなのさ?」
「う~ん、それはねぇ」
わたしはメガネを外してふぅちゃんのほうをじっと見つめた。
とたんにふうちゃんの口から「うっ」という小さな声が漏れる。
「ほら、わたし、黒目がちっちゃいのよ。
三白眼って言うのよね。
これで相手を見つめると睨み付けてるように見えるの」
「た、確かに……
なんか、ヘビ女みたい。
『お母さんが怖い』を地で行ってるのな。
私、今、軽く引いちゃったよ」
「でしょ~」
わたしは肩を落として、はぁ~とため息をつく。この目のお陰で何度揉めごとに巻き込まれたことか。
「でね、さらにこうすると――」
「うわっ、うわっ。
その焦点の合ってない目……
やることやっちゃったヤンデレになってる。
夜中に斧もって現れたらオシッコちびりそうだ」
「それな~。それそれ。
でも、これ。わたしのナチュラルなのよね」
わたしはメガネをかけ直す。
「な、なんでそんな不気味な邪眼がナチュラルモード?」
「邪眼言うな!」
と言いながら、わたしは答えに窮する。
「うんとっ、子供の頃から躾られたって言うか、ほら、あれよ、あれ、ファミリービジネス?」
「疑問形で言われても、意味わかんないんだけど……
ま、いっか。
ひとんちって、色々あるからねー。
良く分かんないけど、分かる、分かる」
分かるのか、分からんのか、良くわからない相槌のふぅちゃん。
「いいや。説明。めんどくさそうだし。
私、他人様の家庭の事情には口出さない主義よ」
ふぅちゃんはひょいと卵焼きを口に放り込んだ。って、それ、わたしのやつ!
あんたは他人様の家庭には口出さなくても、弁当には手を出すんかい。
そう言おうとしたわたしの言葉は、ふぅちゃんの一言に遮られた。
「で、その邪眼を隠すためのメガネなわけだ。
でもさ、だったらカラコンにすればいいじゃん」
カラコン?
カラコントハナンデスカ?
美味しいの?
たちまち頭に?が3つほど並んだ。
「カラコンってなに?」
「ふえ?!カラコン知らないの?
カラーコンタクトレンズ。
つけると目の色が変わったり、黒目が大きくなるよ」
つけると目の色が変わったり、黒目が大きくなる……
なに、それ怖い
世の中にはそんな魔法のようなアイテムがあるの?
「ほら、こんなのよ」
ふぅちゃんはスマホの画面をわたしに見せてくれた。
「ほーー」
色とりどりのカラコンの世界がそこに広がっていた。わたしは興味津々にスマホの画面に見入った。
□□□
「カラコンかぁ……」
一人、学校からの帰り道。
わたしはお昼のカラコンのことが頭を離れなかった。高校に進学する時にこの町にやって来た。そこでイメチェンを兼ねてのメガネをかけることにしたのだけれど……
「っ?」
わたしは後ろを振り返る。
ずっと先まで一本道が続いている。
誰もいない。
でも、わたしにはわかる。
「隠れていないで出てきたら?」
わたしは林に向かって声をかけた。
反応はない。
道の両脇は疎ら林で見通しは悪いけど、気配がだだ漏れだ。
重ねてわたしは声をかける。
「なにがしたいかは大体察しがついてますから早いところ済ませませんか?」
う~ん、久々だなぁ、このピリピリする気配。
中学時代はたまにあったけど、この町に来てからは初めてかな。
でも、まあ。いつかあるかとは、覚悟はしていた。
じっと林を睨み付けているとやがて、藪が揺れて人が姿を現した。
マスクで顔半分を隠して、上半分も灰色のフードを目深に被っている。男か女かも良くわからない。ただ黒い両眼だけが爛々と輝いている。
とてもキモいです。大変萎えます。ハイ。
とりあえず、気を取り直して聞いてみる。
「一人です?
名前、教えてもらっても良いですか。
えっとぉ、初めてさんですよね?」
あっ、無言で構えたよ。
もーー、ほんとこういう人居るのよね。
武者修行か辻斬りのつもりかしらね。
身長はわたしより高い。拳一つか二つぐらいかな?
構えは空手。
本土?
いや、沖縄か。
「一手御指南賜る!」
わっ、来た、来た、来たよ。
5メートル程の間合いを一気に詰めて来た。
軸のぶれも予備動作もほとんどない。
この人はきっと強い。
正中線が右に少しぶれた。右正拳突きか。
反射的に突きを左で押さえようと考えたその刹那、わたしは頭に警報がなる。
微かな軸足の力のかかり具合。
体重の移動。
ほんの少しの手順の違い。
なにか違う。
フェイント?!
相手の左足が不意に土を巻き上げながら弧を描く。
本命は左回し蹴りかっ!
わたしはとっさに上半身を後ろに反らす。
ピシッ!
わたしの鼻先を稲妻のような衝撃が走り。
メガネが宙を舞う。
かすってもいないのに頬がビリビリと震えた。
怖い。
こんなの喰らったら、一発で寝ちゃうよ。
そんなわたしの感慨をよそに、頂点まで繰り上げられた足が、鷹が獲物を狩り取るために急降下するように急角度で軌道を変えて振り下ろされた。
!!
膝を抜き、わたしは後ろに倒れ込む。
倒れる寸前に足を継ぎ、倒れる力を殺さずに体全体を後方へ移動させる。
しかし、相手は逃げるわたしを猛追してくる。
しつこい!
この踏み込みと寄り足は……
って、速いわ。これ。
こいつは逃げれない。
「くっ!」
わたしは足を踏み込み、制動をかける。
間合いを開けて、仕切り直すのは無理!
ならば、このまま、カウンターで迎え撃つ!!
相手の左正拳が打ち出された。
それに合わせて、わたしも右拳を内側からねじ込む。
瞬間、二人の拳が交差する。
「ちぇいあぁ!」
内側から捻りこませた右の肘で相手の正拳を外側にいなし、わたしは右の掌底を気合いとともに相手の顔面に叩き込んだ。
相手は一瞬凍りつき、次の瞬間、慌てて後ずさった。懸命に構えを維持していたが、長くはもたない。顔をおさえ、がっくりと膝をついた。
それは、そう。あの打ちは下手をすれば眼底骨骨折する。
当たる瞬間にとっさにスリップしてダメージを軽減してたけど。それにしたって、とんでもなく痛いはず。
なのに、一言も声を上げないのは大したものだ。
わたしはゆっくりと間合いを開け、相手の様子を見る。
相手は立ち上がるがもう、さっきみたいに遮二無二突撃する気はないようだった。
もしも、まだやる気なら右に回り込む。
多分、右目の視界は大分制約されるはず。
相手は構えたまま、じりじりと後退する。
あれ、逃げるの?
少し覚束無い足取りで謎の襲撃者はわたしとの距離をあける。安全圏までに間合いをとると、今度は脱兎の如く逃げた。
去るものは追わず、がわたしの信条なのでなにもしない。
「ふぅ」
完全に相手が視界から消えるまで見送ると、緊張を解くように息を吐き出した。
簡単に諦めてくれてなによりだ。
わたしは放り出した鞄を拾い、ついでにメガネを探す。
「あちゃー、ひどいなぁ」
藪に転がっていたメガネを見て、わたしは嘆く。
メガネというより、メガネの残骸だ。
右側の耳にかける部分とレンズをつなぐ部分、テンプルって言うらしいけど、そこがきれいになくなっている。レンズも同様にどこかに吹き飛んでる。これは修理のレベルではなさそう。
「こりゃ、買い換えないとダメか」
それにしても……
試しすがめつメガネを見ながら、わたしは逃げていった相手のことを思い出す。
あの寄り足と踏み込みはかなりの使い手だ。
わたしはもう一度謎の襲撃者が消えた林を見つめた。
□□□
次の日の早朝。
道場。
わたしは静かに呼吸を整えながら、両足をぴったりと合わせる。肩の力を抜き、だらんと両手をたらして立つ。
体の正面でゆっくりと左手を右手に重ね、息を吸う。
そして、一気に吐き出しながら、顔だけを右に向ける。と同時に右足に重心をかけながら一気に腰を落とす。
そして、左足を軸足の右足の前に重ね、ゆっくり重心を左足に移動させながら右手を左の脇へと持っていき――
ダンッ
右手と左手を力一杯交差させながら、右足を踏み込む。同時に右手を左脇から右に振り抜く。
ピシッ
右背刀受けが空を斬る。
ついで、左手を胸に引き寄せ、体を右にひねりながら肘を振る。逆に背刀受けした右は左に引き寄せる。
パン
わたしの左肘と右手がぶつかり小気味良い音を道場全体に響き渡らせる。
顔を左に向け、そのまま、左下段払い。
素早くその左腕を腰に引きつつ、同時に右カギ突き。
右足を引き寄せ、軸足になっている左の前に交差させる。
と、重心を右に移し、左足を横に踏み込む。
ダンッ!
騎馬立ちになり、右中段腕受け。そこから、右手を左耳、左手を腰へ運び、両腕を交差させるとそのまま一気に左右の腕を同時に動かし、それぞれ右下段払い、左上段受けへと変化させる。間髪をいれずに、左裏拳!
左を向くと、左足を股のところまで引き上げる。片足になったわたしの体は左に倒れる。
ダンッ!
波返しと呼ばれるその形から左足を踏み込み、倒れる体を支えつつ左中段内受け。
今度は右を向き、右足を上げる。右波返しから、踏み込んでの左中段外受け。
「はぁあ!」
気合いを込めて左に双手突き。
正面を向き、ぐっと腰を落とし、重心を左足にかける。右足を前に重ね、足刀が少し床に接するようにする。ゆっくりと右足に重心を移動させながら――
わたしの名前は神凪愛。
高校2年生。
わたしの1日は形の鍛練で始まる。
神凪流古武道の宗家、それがわたしの家だ。
そして代々神凪流を今に伝えている。
源流は沖縄、というより琉球空手にまで遡るらしい。本土に渡ってから柔術や剣術を取り込み、打つ、投げる、極める。果ては刀や槍で斬ったり突いたりと何でもござれの総合武術に進化した。
私は跡取り娘ではなく跡取りとして育てられた。物心つく頃には陽も明けぬ時刻から鍛練をさせられている。
なんだろうここまで突き抜けると、辛いとか嫌だっていう感覚はとうの昔に超越してしまう。
鳥が空を飛ぶように、人が空気を吸うようにわたしは稽古をする。
神凪流は男女分け隔てのない開放された武道だとおじいちゃんは笑いながら言っているが、代々受け継がれたDNAのせいなのか、別に空手を嫌いと思ったことはない。むしろ好きだ。天性の素質もあるらしい。
確かに瓦を叩き割った瞬間や拳が人の体にめり込む、あの独特の感触はぞくぞくす……はっ、いや、何でもない、何でもない。
そんなわたしもたまに空手が嫌だなぁ、と思うことはある。
昨日のように、訳のわからない輩に襲われるような時だ。
正直、うざい。
神凪流は業界(なんの?)では有名らしく目の敵のように色んな流派の人が挑んでくる。
父さんも月に1度ぐらいのペースで挑戦をされていた。
神凪流の次期継承者と目されるわたしも頻繁に訳のわからない挑戦を受けた。
2メートル近いごつい兄ちゃんやら鎖鎌振り回すおっちゃんとかがいたいけなJCに野試合挑むとか正気の沙汰ではない。
特に逆恨みされて不意討ちで拉致られた時はヤバかった。あれは本当に運が良かったのだ。ほんの一瞬の隙をモノにできなかったらどうなっていたか。
あと時のことを思うと良く生きてこれたと我ながら感心する。
…………
……
はっ、少し遠い目をしてしまった。
何にしても、そんな生活に嫌気がさしたから高校に進学するのを機会に、父さんたちから離れて隠居しているおじいちゃんのところで厄介になることにした。
メガネをかけるようにしたのも三白眼を誤魔化すだけじゃなくて素性を誤魔化す目的もあった。
「あーー、でも、これも昨日までかぁ」
わたしは声に出してぼやいた。
どこで嗅ぎ付けてきたか分からないが、わたしの素性はバレてしまったようだ。
これからは昨日みたいな訳のわからない挑戦者がまた頻繁に現れるのだろうか?
そう思うと、ちょっと鬱になった。
まっ、くよくよ考えても仕方ないけどね。
わたしは思い直して、形に集中する。
頭の中に仮想の敵の姿を思い浮かべる。
敵が打ちかかってくる。
「ふん!」
気合い込め、わたしは仮想敵が繰り出す打ち込みを左背刀で受ける。受けた相手の腕に沿って左手を伸ばし、相手の首をとり、引き寄せる。体を左に捻りつつ、肘を想像する敵の顔面にエンピ、肘を打ち込む。
パンッ!
わたしの左手と右肘がぶつかり、再び小気味良い音を道場に響かせた。
2019/05/02 初稿
2019/05/09 文章を少し修正




