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この時間のバスは遮光窓だから

作者: 白沢 衣

 4年間付き合った恋人に振られた。しかも、別れ際の車の中で。

 ごめん、遠距離もう終わりにしたいと言った遙人の表情には、他に好きな人ができたという意味合いが含まれていた。3ヶ月ぶりに会うために、新しい洋服を買って化粧品も遙人が好きなピンク系のものをそろえたのに。そういえば、本当なら新調しなくても良かったヒールだって買ったのに。唇をぎゅっと片側だけ結ぶような仕草を見たのはこれで2回目だ。

 遠距離がはじまってすぐ、共通の友人から聞いて遙人が他の女の人の家に泊まったのかを直接問い詰めに行った時も同じ表情をしていた。

 どうしてと尋ねる気持ちももう残っていなかった。後から後悔することは分かっていたけれど、うん、分かったと返すのが精一杯だった。唇は乾ききっている。


 彩佳が悪いわけじゃないんだ。遠距離の間もずっと親身になって話を聞いてくれて、休みの日だって俺に合わせてこっちまで来てくれて。仕事が忙しくてかまってあげられないときも文句一つも言わないでいてくれて。本当に感謝してるんだ。

 遙人は私の顔を見る様子もなく、ハンドルにもたれるようにして話している。聞こえてくる言葉はどれも私の中で響いていない。

 本当に感謝していると言っておいて、理不尽にもふられるのは私のほうだ。感謝の気持ちが少しでもあるのなら、結婚を考えたりしなかったのだろうか。私が甘やかして大人の余裕なんかかましているからこんなことになってしまったんだろうか。

 まだまだ続きそうな言い訳を、もういいよと遮る。聞いたところで、遠距離は終わりだ。相手の気持ちが無い状態での恋人関係なんか意味がない。離れて暮らしているのなら、なおさら。


「彩佳は俺に優しすぎたんだ。だから、他の人ともっと幸せになれると思う」

「そうかもしれないね。今まで、ありがとう」

後に続く言葉も聞かず、荷物を後ろの席から下ろすと一言も話さずにバスの待合所へ向かった。後ろから足音は聞こえてこない。


 あぁ、4年の間ずっと遙人が好きだったのにな。遠距離でも楽しかったし、十分幸せだったのにな。さみしくなって電話したくなって、でも仕事が忙しいだろうからって沢山我慢して。だけど、そんな時間のおかげで遙人を愛しいと思ったのにな。


 いつかの日に遙人に言われた、彩佳がドラマの出演者だったら、振られるけど前向きに幸せになろうとする女の人役だよねという言葉を思い出す。今思えば、デリカシーのかけらもない言葉だ。

 泣いても良いくらいのセリフだから、おそらく私じゃない同世代の女の人だったら友人に泣きながら相談するレベルだろう。


 バスセンターの電光掲示板に、私の乗るバスの案内可能ランプが付く。乗ったら、泣いてしまうだろうかと心配になった。けれど、私のプライドは年下の遙人と付き合っていた4年の月日のおかげでとんでもなく高くなってしまっている。

 私がどれくらい遙人のことを思っていたのか、日常に戻って気づかされて、それで、遙人も同じような目にあって落ち込めばいいのに。

 最後くらい、彩佳の優しさは強がりだったんだよねって抱きしめてくれても良かったのに。


 乗り込んだバスは、はじめて遙人に会いに来た時にも乗った遮光窓のバスだった。光が差し込まない窓なんて、今の私の状況にぴったりだと心の中で毒づく。

 バスの乗り場の近くで、茉莉ちゃんまたね、と嬉しそうに笑って手を振る男の人の影がうっすらと見える。バスに乗ろうとする女の子は彼に小さく手を振り返していた。

 さみしいだろうなと思ってすぐ、そんな風に考える余裕があることに驚いてしまう。

 遙人と遠距離が始まってから今までもずっと、遠距離の恋人と離れ、また自分の生活する場所へと向かう時間は地獄だと思っていた。けれど、今日はその地獄すら味わうことはない。

 同じバスに乗っていても、私と今の女の子は別々の地獄を抱えて日常に戻る。それでも、救いようがない地獄を抱えているのは私の方だ。

 

 移動時間が長いほど、離れるとき寂しいでしょ、だから飛行機できなよと嬉しそうに話す遙人の笑顔が浮かぶ。

 早く自分の家に着いてほしいと願う気持ちはなかった。

 もうこの際、遮光窓のバスに揺られて泣いてしまおうと思った。

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