1話 半年後
1話 半年後
ジェイクとユナが出会って半年ほどが経過し、ユナはすでに人間の4歳児ほど大きさにまで成長していた。
子犬のようにちょこまかと走り回り、ころび、疲れるとどこでも構わず寝てしまい、そして相変わらずの旺盛な食欲でよく食べる。
非常に成長が早いのを除けば、どこにでもいる元気な子供である。ついさっきまで街の外で鍛錬をするジェイクの近くで、先日与えたスコップ――どういう訳かそんなものが非常に気に入っている様子――を使って何が楽しいのか夢中で掘っていた穴のそばで、ユナがくたりと横になり尻尾を揺らしながら寝てしまっているのを抱きかかえる、その重さを実感しながら街での生活が始まったころを思い出していた……。
§§§
ジェイクがユナとの生活でまず最初に解決しなければならないと考えたのか住む場所についてである。部屋が狭い、というのはそれほど苦にはならないが、危険物である武器が所狭しと置いてあるのはさすがに問題であった。
そこでジェイクは大家に部屋の借り換えができないか相談に行くことにした。
アパートの大家は20代後半に見えるすらりとした長身の黒髪美女である。
ただし、向かいの住人であるリビェナの話によれば10年以上前から容姿が変わっていないというからただの人間ではないのだろう。
「大家さん、今日はちょっと相談があって来たのですが……」
「あら、なにかしら?」
ジェイクが自分の部屋がある同じアパートの中とは思えないほど雰囲気の違う――まるで別世界に入り込んだような――大家の部屋を訪ねてそう切り出すと、彼女は妖艶に微笑んで先を促す。
「実は、子供を引き取ることになりまして。それがまだ小さい子なので俺の商売道具が置いてある部屋ではちょと危ないので部屋の借り換えができないかと……」
「あら、それは大変。でも、申し訳ないけど大きな部屋はすべてうまっているのよねぇ……」
大家がその形の良いあごに手を置いて思案顔になるが、すぐに何か思いついたというように顔を上げる。
「そうだわ、貴方の部屋の隣が同じ間取りだけど空いているから、そこを物置にでもすると良いわ」
「もう一部屋借りる、という事ですか?」
「ええそうよ。ああ、ふた部屋目は貸し賃は半額で良いわよ」
「……それは流石に相場より安すぎるのでは?」
ジェイクは今の部屋でも環境の割に安いというのに、その半額とは流石に安すぎるのではないだろうかと思い、その旨を伝えるが
「大家である私が良いと言っているのよ、何の問題あるのかしら?」
大家は意に介さずにそう答える。
「……わかりました、それではありがたくお借りします」
変に遠慮をしても良いことは無い、そう考えなおしたジェイクはありがたく恐らくは大家の好意であるこのことを受け取ることにした。
「そうそう、部屋の鍵は今もってるかしら?」
「あ、はい」
「ならちょっと貸してちょうだい」
なぜ今の部屋の鍵を、という疑問が一瞬浮かぶが、逆らい難いものを感じたジェイクは素直に懐から取り出した鍵を差し出す。
「ちょっとだけ待ってね。――3bk^7kted@94zet―― はい、良いわよ。これでこの鍵でどちらの部屋も開けられるようになったわ」
大家は何やら初めて聞く、妙に聞き取りづらい呪文を唱えるとあっさりとした様子でそんなことを言う。彼女が何者かは判らないが相当な魔術の使い手であるのは確かな事だろうとジェイクは驚きつつも認める。
「新しい部屋は最近使ってなかったので埃っぽいと思うから、そこはごめんなさいね」
ジェイクは、己の驚いた様子なんぞ知らぬ風にそんなことを言う大家から鍵を受け取り、改めて礼を言うと大家の部屋を出て新しい部屋へ向かった。
§§§
住む場所の次に取り掛かったのはユナの着る服であった。人間の子ですら1年か、精々2年もすれば服が合わなくなるものだが、犬人に至っては3、4か月かそこらで着れなくなる恐れがあった。ジェイクは当初、古着屋で次々に買い替え、着れなくなったものはその場で売ってしまえばよいと考えていた。
食事に行ったときにのようなことを話題に乗せると、女将のアマンダはそんなにも右から左といった感じで買い換えていたら物に対する愛着が湧かなくなるのではないかと言い出した。
「かといって長く着せようとあまりに大きさの合わない服を着せるのも可哀想だが……」
「それなら経験者の聞くのが一番だと思いますわ」
「経験者?」
「ええ、知り合いに犬人の女性がいますので、その方の子供のころのお話を伺えばどのようにしていたか分かるのではないでしょうか」
ジェイクはなるほどと感心した。ジェイク自身にも犬人の知人は居るが、子供のころの服装の話なんかはしたことが無かったし、己が知る限りこの街には居ないはずなので今回のところはアマンダの知り合いとやらを紹介してもらう事にする。
§§§
「貴女がアマンダさんのお知り合いの方ですか」
「ええ、今日はお忙しい所をありがとうございます」
「まぁす!」
後日、アマンダの紹介でジェイクが訪れたのは夫婦でやっている一軒の仕立屋であった。人間の夫は寡黙な性質なのか、先に挨拶したときにも無言で会釈をしたのみである。
そんな夫の横でにこにことした笑顔を浮かべて出迎えてくれたのがモニカというふっくらとした犬人の女性であった。モニカは夫に何か二言三言話しかけるとジェイクと連れてきたユナを奥へと誘う。
「あの人は昔からあんな感じなの、悪く思わないでね」
「ええ、もちろんです。 ああ、これを皆さんでどうぞ」
確かに無口ではあったが、こちらを歓迎する雰囲気を感じていたジェイクは問題ないと答え、手土産として持ってきた――事前にアマンダに好みを聞いていた――キャラメルシロップを挟んだ焼き菓子を手渡した。
「あ、これ大好きなのよ!」
「それはよかった、それで早速なのですが……」
「ええ、話は聞いているわ、そこのユナちゃんの服をどうにかしたいという事ね」
「なぁにぃ?」
なんとなく自分の事が話題になって居るのを感じたユナがなんだという目で小首をかしげて見上げてくる。
「ふふっ、可愛らしいわね。でも私達犬人はすぐに大人になっちゃうから、こんな時期が短いと思うとなんかもったいない気もするわね」
「俺はおかげで育てる決心が付いたんですけどね。ユナが別の種族の子なら他の道を選んだかもしれません……」
一時会話が止まるが、その空気を払うかのようにモニカが口をひらいた。
「そうそう、犬人の子は知っての通り成長が早いの。だから『巻き服』と呼ばれる格好をしているわ。どんなものかというとね…… 実際に見せた方が早いわね、ちょっとユナちゃんに着せてみてもいいかしら?」
「ユナ、このお姉さんに服を着せてもらおうか?」
「ふくぅ?」
「もっと可愛くしてあげるからこちらへいらっしゃい」
ジェイクがユナを床におろし、モニカの方へ向けてそっと背中を押してやるとぽてぽてという音が聞こえてきそうな感じで歩いていく。
そしてモニカは足元まできたユナを抱き上げると、傍に置いていた1枚の長い布を巧みに巻き付けていく、そして可愛らしい装飾のついたピンでとめるとあっという間に1着の服になってた。
「なるほど、それなら成長併せて大きさが自由に変えられる訳ですね」
「あんまり体に合わないほど長い布だとやっぱり問題があるから、ずっと同じ布、というわけにはいきませんけどね」
モニカはそう言いながらユナに自分の姿を鏡で見せてあげた。
「ユナちゃんどうかしら?」
「きえいー!」
青と黄色で構成されたその布地は体に巻き付けたときの印象も考慮されているようで、ユナの銀灰色の髪に良く似合った。
「これはどちらかというと余所行き用ね、他には汚れが目立ちにくく、洗いやすい生地のものもいくつか用意した方が良いわね。犬人の子は汚すのが得意だから……」
モニカは私もそうだったと苦笑するように言う。
それからジェイクは巻き方やピンを止める場所などを丁寧に教えてもらい、着せてもらったもののほかに、いくつか普段用の生地も購入してモニカとその夫の仕立屋を後にした。
§§§
「おはよ!」
ジェイクが随分と重くなったユナを抱きながらそのような事を思い出していると、ユナが目を覚まし、ぎゅっとだきつく。
「おはようって時間じゃないがなぁ」
「じゃ、なんての?」
そういわれると朝以外に目を覚ました場合の挨拶は何だろうと、ジェイクは考え込む。
「おろしてー」
ジェイクが考えているとユナが下ろしてくれとせがむので下ろしてやる。
「ユナは穴掘りがすきだなぁ」
「うん!」
「それで掘った後にどうするかの約束も覚えているか?」
「うめるー!」
ユナは元気よく答えると地面に転がっていたスコップを手に取り掘った穴をせっせと埋め始める。
掘るのはいいが掘りっぱなしにすると街道の上ではないとはいえ、他の人が足を取られる心配もあるためちゃんと埋めるように躾けていた。
ただ、ユナは埋めるのも好きらしく、言われずとも楽しげに掘った時に積んだ土を穴に放り込んでいく。
「とんとんとーん」
ユナは土を放り込み終えると、そのうえで飛び跳ねて踏み固めている。
それが終わったのを見計らってジェイクは水の入れた革袋を取り出すとユナに声をかける。
「それじゃ、手を出しなさい」
「はーい!」
革袋を逆さにして水を出し、ユナに手を洗わせる。後で湯屋に行くにしても手や顔くらいは綺麗にしておいた方が良いだろうと思い、最近は大きめの革袋を持参するようになっていた。
「おなかすいたー」
「俺もお前も汗やら土だらけだから先に湯屋にいくぞ」
「はぁい……」
目いっぱい遊んだら、すぐに食べたくなるユナである。
ひと月前ほどからジェイクは昼過ぎに街の外でしばらくの時間武器を振い、ユナはその周辺で穴を掘ったり埋めたり、虫を追いかけまわしたりして遊ぶのが日課になっていた。
そしてやっとここ数日である程度カンが戻ってきたかなと感じてきており、これならそろそろギルドの親父に頼まれていたこともできるかなと考えていた。
「おとちゃん! かたぐる!」
「はいはい、登っていいぞ」
そんなジェイク考えなんて露知らないユナがこれまた大好きな肩車をせがむ。
許可を出すと、あっという間にジェイクの体をよじ登り、自分の場所だといわんばかりの慣れた様子で肩に座る。
「うふふふふ」
「楽しいか?」
「たかくてたのしー!」
ジェイクはユナの足から伝わってくる体温に幸せを感じながら街へと帰って行った。