2話 リエージュの街
朝、目覚めるとユナが母親を求めて泣き出したりといった事もあったが、時間がたつにつれて落ち着いたので朝食を用意し――ユナは相変わらずの食欲であった――それも済むと再び歩き始めた。
ジェイクに抱かれて頻繁に寝入るユナだが、起きると幼子特有のよくわからない言葉で盛んに話しかけてくる。
それがまたなんともそして可愛らしくジェイクの笑みを誘う。
そうこうしているうちに太陽が一番高い場所から落ち始める時間になると、よくやく目的地であるリエージュの街が見えてきた。
「おちゃい! おちゃい!」
「これは、大きいと言ってるのか?」
ユナが遠くに見える街の城壁を指さして大興奮の様子で指をさしながらその大きさをジェイクに訴える。
リエージュは東から流れる川が南に折れ曲がる角にあたる部分にあり、北と西を川に面している人口が1万人には少し届かない程度の小都市である。
その都市を囲む城壁はせいぜい3mを超える程度でこの種の中では特別に高いものではないが、見慣れぬユナの眼には巨大な壁に映ったのだろう。
§§§
「よう、ジェイクじゃないか! 2か月ぶりくらいか?」
「……ローラン隊長、また門衛をやっているんですか」
街に入るため、東門へ向かうと気さくな様子で中年の人間のやや小柄な、しかしがっしりとした体つきの守衛がジェイクに声をかける。
「門を守ることこそが、ひいては街を守ることになるんだからな」
「しかし、守衛隊長がそうそう頻繁にやるものではないと思うんですがねぇ」
「まぁ、それはいいじゃないか、がっはっは!」
ジェイクにローランを呼ばれたその男は豪快に笑う。
ローランはリエージュの街の守衛隊長であり、50人からの部下を持ち、本来ならば守衛詰め所に陣取っているべき存在であるが『門衛こそが街の守りの要』という持論のもとに頻繁に門衛をやっている変わり者である。
むろん門衛は軽んじられるような仕事ではないが、戦時でもなければどちらかというと下っ端の仕事である。
「ところでお前さん、その胸のところにいるのは……」
「……俺の子じゃないですよ。別に攫ってきたわけでもないですが……」
「まぁ、法に触れるようなことをしてなければ詮索はせんよ」
当然、ユナに気が付いたローランがジェイクに訊ねるが、正直に話すと間抜けな善人みたいなことになってしまい、ジェイクは言葉に詰まる。
「おじ! おじ!」
「おお、おじさんだよ。坊主……じゃなくて嬢ちゃんか。名前はなんていうんだい?」
自分が話題になったのが分かったのか、ユナは人見知りせずにローランに手を伸ばす。
その様子に相好を崩しつつ名を問うローラン。この男は厳めしい顔つきに似合わず子供好きなのである。
「ゆ、ゆあ?」
「……なんで自分の名前が疑問口調なんだ、こいつはユナっていう名前だ」
小首をかしげつつ微妙に違った答えを返すユナに代わってジェイクが名を教える。
「ユナか、いい名前だ!」
ローランが名を聞きうんうんとうなずいていると。
「隊長、あまり長話をしますと後ろがつかえてしまいます」
「ああ、そうだな詳しい話はまた今度頼むぞジェイク。それでは通ってよろしい」
もう一人の門衛が、後ろに列ができつつあるのを察して促すとローランはあっさりと通行を許可した。
(……初めて見る守衛だな、しかも若い女とは珍しい)
ジェイクが門を通り抜けつつ後から声をかけた守衛にちらりと目をやると、まだ少女と言ってよい年頃の人間の娘であった。守衛は男の仕事、と決まっているわけではないが確か50名ほどの守衛のうち、女はほんの3、4人程度であったと記憶していたため珍しいなと感じたが、その時はそれ以上興味を引くことはなかった。
§§§
「いぱい! いぱい!」
「そうだな、人も建物も一杯だな。ほら、あんまり乗り出すと危ないぞ」
ジェイクはとりあえず荷物を置くために長期借りしているアパートへと大通りを抜けて向かう事とした。借りているアパートは街の東門から入り、大通りを200mほど西に進んで北に折れ、さらに100mほど行った先の右手にある3階建ての1階が石造りで2、3階が木造のよくある建物であり、ジェイクの部屋は3階にある。
その大通りをゆっくりと進むジェイクの胸からときどき抱き紐から転げ落ちそうになるくらい身を乗り出して、あちこちをきょろきょろ見回すユナ。
ユナが今までどのような暮らしをしていたのかを知ることはもう出来ないが、それでもこの興奮ぶりからしてリエージュのような都市に来たことはないのだろうと察することはできる。
「あえなに? あえなに?」
ユナにはなにもかもが珍しいのであろう、ことあるごとに指さして質問してくるが、ジェイクは嫌な顔一つせずに丁寧に教えてやる。
「あれは銀行だ」
「ぎいこー? おいち?」
「美味しくはないな、あそこはお金を預かってくれる場所だ。なんと説明したものかなぁ……」
しかし、花屋や食堂のような店ならともかく、銀行のような場所はどうやって説明したらよいか途方に暮れてしまう。
そんな風に二人であれこれ話しているとやがてアパートに到着する。まずは1階の住む大家に挨拶をしようと思ったがあいにく留守であったため3階の自室へと階段を上っていき、そしてジェイクは階段を上がってすぐの部屋の扉を叩いた。
「リビェナさん、ジェイクです。ただいま戻りました」
ジェイクがそう扉に声をかけると、トトトっと軽い足音が近づいてきて、かちゃりと鍵の開く音とともに目の前の扉が開いた。
「おや、おかえりなさい」
扉の先にはジェイクがリビェナと呼んだ鳥人の女性が立っていた。
リビェナは小柄な種族である鳥人のなかでも特に小さく、身長は130cmそこそこであろう。人間の中では大きめの部類の180cmあるジェイクと並んで立つと頭二つ分は違う。
また鳥人は長命であり、あまり老いを感じさせぬ種族でもある。ジェイクの記憶によればリビェナは今年で80歳のはずだが、人間であれば60歳くらいにしか見えない。
「きい! きい!」
胸に抱いたユナとちょうど同じくらいの高さにあるリビェナのふわふわとした鮮やかな黄色の髪が気になるのか、つかもうと小さな手を伸ばす。
「こら、やめろ」
「あらあら、いいんですよ。それにしても可愛らしい子ね。どこの卵を盗んできたのかしら?」
髪をつかもうとするユナをジェイクが制止しようとするが、リビェナはにこにこと笑ってされるがままにする。そして鳥人特有の言い回しで――鳥人も卵から生まれるわけではないが――ユナの出自を訊ねてくる。
ジェイクは一瞬考えこんだが、善良な隣人には打ち明けたほうが良いと思いありのままを話すことにした。
「仕事の帰り道の街道で行き倒れていた犬人の女性にこの子を託されました。そして女性はユナという子の名前だけを伝えると逝ってしまいました。持ち物などを見ましたが身元が分かるようなものはなかったのでとりあえず連れて帰ってきた次第です」
「そう……」
話を聞いたリビェナは小さく鳥人の神に祈りをささげる。
「これからどうするつもりかなんて、そんな早々には決められないでしょうけど。何か助けが必要ならなんでもおっしゃいなさいな」
「……はい、ありがとうございます」
「あ、そうそう! 鍵をお返しするわね。ちゃんと3日に一度は部屋に風を通しておきましたよ」
「いつも助かります、それでは今日のところはこれで」
「お互い様でしょう、それじゃまたねユナちゃん」
「きい、まぁ!」
ジェイクは改めてリビェナに礼を言うと預けていた部屋の鍵を受け取り、すぐ向かいの自室鍵を開けて中に入る。鍵を開ける際に一瞬扉に魔法陣が浮かび上がるのは大家によれば鍵をかけるとちょっとした結界が部屋に張られるからという。こんな安いアパートにそんなものが本当にかけられているのか魔術に疎いジェイクにはわからないが、記憶にある限りこのアパートで窃盗などが起きたことはないのであながち嘘というわけでもないのだろう。
ジェイクの部屋は幅3m、奥行き4mほどの小さなものであり、炊事設備などはない。自炊したい場合は1階の共同炊事場を利用することになるが、ジェイクはもっぱら近所の酒場宿で食事をしている。
「……なんとかしないとダメか、これは?」
「だぇ?」
部屋にはベッド、小さな衣装棚の他には鎧かけが2つ、壁際には様々武器、そして戦利品その他を放り込んでおくチェストが所狭しと言った感じで並んでいる。
必要な武器や鎧は仕事の内容によって変わるため、どうしても種類が多くなってしまう。ちなみに今回の仕事は隣国の国境のいざこざに傭兵として参加しており、鎖帷子に上半身が隠せるほどの円形盾、幅広の剣に短槍とかなりの重装備であった。
「おまえさんを置いておくにはちと危ない部屋ってことだ」
「こおだ!」
ジェイクは言葉尻を真似して楽しそうなユナをいったんベッドに下すと、己の武装を解除していく。
「手入れはとりあえず後にして、まずはギルドに報告に行くか」
そして平服に着替えると、傭兵のたしなみとして短剣だけは腰に差し込み、ベッドの上でぱたぱたと手足をばたつかせて遊んでいたユナを再び抱き上げる。
「置いていくわけにもいかないし、連れていくしかないか……」
ジェイクはリビェナに預けることも少しだけ考えたが、帰ってきてそうそうにそんな迷惑ばかりかけるわけにもいかないと思いなおし、ユナを抱き紐は使わずに腕で抱えるようにして部屋を出た。