1話 出会い
ある研究者によれば、この世界には人間と、それに類する存在だけで100を超える種族があるという。
大雑把に分けると、神族、魔族、人間族、エルフ族、ドワーフ族、ノーム族、竜人族、そして獣人族である。
このそれぞれの種族の中でもさらに細分化されるのだが、とりわけ獣人族は種類が多く、主だったものだけでも猫人、狼人、虎人、熊人、鼠人、鳥人、兎人、馬人、犬人など、一説によれば獣の種類だけ獣人族はいるというが、全てを知るものは居ない。
また、信頼に値する統計は未だにないが、人口のおよそ半数を人間が、四分の一をエルフ、ドワーフ、ノーム、竜人と呼ばれる亜人が――もっとも竜人からみれば人間こそが出来損ないであり、そのようなものに『亜』人などと呼ばれるのは片腹痛いという話だが――そして四分の一を獣人が占め、神族、魔族はほんの一握りだと言われている。
これはそんな多くの種族が入り混じった世界でのお話。
§§§
「……だ……んか……」
(……今、何か聞こえたような)
昨日の朝に国境の砦とも街ともつかぬ場所を出て一日と少し、昼下がりの街道をひとり歩くジェイクがどこか小休止する場所とないかと足を止めた時、どこからかか細い女性の声が聞こえた気がした。
あたりを見回すと、街道から30歩ほど離れた場所に生えている樹木の陰からわずかに人の足先が出ているのが見て取れた。
哀れさを誘い、人をだまし、襲うのは世の常とう手段であるからして、周囲を警戒つつ腰に佩いた剣の柄に手を置いて女、と思わる人のもとに近寄っていく。
「だ、だれか、いませんか……」
ジェイクが木の後ろに回り込むと、そこには一見すると若い女性とみえる人物が何かを大切そうに抱きしめ横たわっていた。また、その頭には犬のものによく似た耳が付いているのが見て取れた。
(……狼――いや、犬人か?)
一瞬、狼人かとも思ったが、狼人の成人ならばほぼ確実に成人の証としてその特徴的な耳にピアスをしているはずだが、その様子が無いことから犬人と当たりを付けた。本人たちは一目で同族が分かるらしいが、ただの人間が狼人と犬人を見分けるのはなかなかに難しい。
そして、犬人ならば成長が非常に早く、青年期が長い種族であるため見た目通りの年齢ではないかもしれないが、それでも体つきからして人間にあてはめてみると20代後半くらいのように思える。
「おい、どうした?」
「……ああ、よかった……。 旅のお方でしょうか?」
少なくとも周囲に人の気配がないのを確認したジェイクが声をかけると、うわごとのように人を呼んでいた女は難儀そうにこちらに顔を向けた。思ったより若く、そして整った面差しの女である。しかし、その顔は明らかに病に取り付かれており、死の影が色濃く表れていた。
(……これは、死病か)
病の事に詳しくないジェイクだが、それでもこの犬人の女の命が今にも尽きそうな事は一目で理解できた。そして本人もその事を理解していることも。
「……何か言い残すことは無いか?」
「こ、この子を頼みます、なにとぞ、なにとぞ……」
ジェイクの言葉に、女は大事そうに抱えていたものをぶるぶると震える手で差し出す。それは幾重にも布で巻かれた犬人の幼子であった。
旅の果てに病に倒れて土に還る。それは珍しくとも何ともない光景であり、そのような者にいちいち情けをかけていたらすぐに自分も死者に仲間入りしてしまう事をジェイクは十分に理解していたが、それでも命尽きようとする母親の最期の願いを無下にすることはできなかった。
「わかった、どこか身寄りが居る場所は無いか?」
「こ、この子の名はユ、ユナと申します…… さようならユナ……」
幼子を受け取ったジェイクが身寄りを訊ねるがもはやその問いが聞こえていないのか、子の名を告げると母親は安心したように微笑み、息を引き取った。
母親の死をいまだ知らない幼子は安らかな表情で眠っているが、それがいっそう哀れさを誘う。
(……せめて埋めてやるか)
ジェイクはこのまま野犬や魔獣などに亡骸が食い散らかされるのも哀れに思い、背嚢を下し、中から小型のスコップを取り出しすと、幼子をそっと母親のそばに置き穴を掘り始めた。
§§§
あたりの土が柔らかかったおかげで、ジェイクは幸いにしてさほど時間をかけずに女を埋葬することができた。
(……安らかに眠れよ)
そして、容易に掘り返されぬよう踏み固めたうえで片膝をつき祈りをささげる。
(さて、問題はこいつか……)
ジェイクはひと段落したところで、改めて眠り続ける幼子――ユナを眺めた。
年のころは人間でいうと1歳は超えていそうだが、2歳に満たぬくらいであろうか、犬人ならば数か月というところだろう。姿は幼いわりに整った顔立ちに、銀灰色の柔らなそうな髪をしており、髪の色よりやや濃い毛におおわれた三角の耳が犬人であることを主張している。
(金をつけて教会付きの孤児院にでも放り込むしかないか)
ジェイクの故郷はここから遠く離れた地にあり、それも出たきり10年以上一度も戻っておらず頼ることはむつかしい。
また、拠点としている街に見ず知らずの幼子を預かってくれるような心当たりもなかったため、必然的にそのような考えとなった。
勝手に捨てていくならともかくも、まっとうに孤児院に預けるとなると相応の金額が必要となる。
ジェイクが赤の他人の子のためにそんなことをするほど己は善人であったかと疑問に思いつつユナを抱き上げたとき、突然金色に輝く目をまんまるに見開いた。
「わああああああああああっ!」
そして、まるで火が付いたかのように泣き始める。
更には、埋めるところを見ていなかったはずの母親の埋葬場所に必死に手をのばそうとする。
(……これが親子の繋がりというものなのだろうか)
体をねじるようにして泣きながら手を伸ばすユナをなだめながらジェイクはそのようなことをぼんやりと考えていた。
§§§
泣きつかれて再び寝てしまったユナを手慣れた様子で、体にありあわせで作った抱き紐で固定する。
(このように子供を抱きかかえるなど10年以上ぶりだが、意外と覚えているものだな)
ジェイクは13歳まで農村で暮らしており、そして農村では幼子の面倒をみるのは働き手になれぬ歳の子供の役目であったため、久しぶりであっても体が覚えていた。
そして背嚢を背負うと、とんだ小休止になったものだと思いつつ街道へ戻っていった。
§§§
その後、ジェイクは西へ向かい歩き続けたが日が傾いてきたため野営を行うことにする。
天気の良い春の日であるため、使い古された毛布を地面にひくだけで寝床の確保は終わり、続いて夕食の準備を始めた。
(人間ならもう乳以外も口にできる年ごろだろうから大丈夫かな)
普段よりもゆるく作った麦粉のかゆに少し考えて豆と干し肉はやめてチーズのかけらだけを落とし込んだ。
すると、不安になるくらいずっと眠っていたユナが匂いにつられたか目を覚まし
「まんまっ! まんまっ!」
と騒ぎ始めた。
「現金な奴だな」
ジェイクは苦笑しながらも人見知りせずに大人しく抱かれたままのユナに程よく冷ましたかゆを匙ですくって口に近づけてやる。
「おいちっ!」
すると食べるかどうかという心配など吹き飛ばすように匙にむしゃぶりつき、食べ終わるとお代わりを要求するようにこちらを見つめる。
「よく食べるなぁ」
ジェイクは感心とも、あきれともつかぬ言葉をつぶやきながらかゆを食べさせ続ける。そしてユナが満足することにはふたり分として作ったはずのかゆがすっかり無くなっていた。
「ぽんぽんっ!」
「うーむ、これが早い成長の秘訣なのだろうか……」
ジェイクは満腹でご機嫌になって尻尾を揺らすユナを眺めながら、犬人は生まれて5年ほどで成人するという話を思い出す。
確かに幼子のうちからこれだけ食べれば成長も早いだろう、と。
「ねむねむ……」
そして、そんなジェイクの感慨をよそに、食べ終わったユナは再び眠りの世界に落ちていった。
すっかり寝入ったユナを毛布の上に横にすると、夕食を喰いはぐれたすきっ腹をおさめる為、塩抜きしていない塩っ辛い干し肉をかじりつつ後片付けを始める。
§§§
「俺も休むとするか……」
大した手間もなく片付けを終えたジェイクがすやすやと眠るユナの寝顔を覗き込むと、ただの厄介者だという思いとは別のものが胸にこみ上げてきた。
「俺も村に残って結婚でもしていればこのくらいの子供がいたのかねぇ…… まったく、人の気も知れずに気持ちよさそうに寝やがって」
25歳となった己のあったかもしれない別の未来を思いつつジェイクがユナの頬を指先でつつくと、眠りながらイヤイヤするように首を振る。そんな微笑ましい様子をしばらく眺めたあとユナを抱きかかえ、幼児特有の高い体温を感じながら眠りに落ちていった。
約2年ぶりの投稿となります。
序章~1章まではのんびり子育て、2章からはもうちょっとアクティブな内容になる予定です。
なお、作中のユナという名前は上橋菜穂子さんの鹿の王という作品からキャラ名をお借りしました。
鹿の王は傑作ファンタジーなので未読の方には是非お勧めします!