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11話 職場見学

「これで一通りこの本の内容は教え終わったか。なんか釈然としないが大分読み書きができるようになったな」

「うん、むつかしくない本なら読めるようになったよ!」


 共に暮らしてから2年ほどが経過したある日、ジェイクが以前購入した珍妙な教科書の最後のページの内容をユナに教え終えた。

 ユナはだいぶ身長も伸びて見た目が人間の10歳くらいとなり、幼子から少女へと変わる境目の年頃となって居た。


「でも、書く方はちょっとまだ苦手か?」

「……うん」

「ま、1年でこれだけできるようになったは大したもんだぞ」

「お父さんはどうだったの?」

「俺か……。俺が覚え始めたのは傭兵団に入った13歳のときに習いはじめて、今のユナくらいになるには2年以上はかかった気がするな」

「そうなんだー」


 ジェイクが昔を思い出すように言う。ジェイクが入っていた団は団長、副団長が元貴族だったらしくやたらと教育熱心であった。傭兵団とひとくくりにいっても、盗賊団と紙一重というような団もあれば、武芸一般に知識教養まで教え込むような団まで様々であった。そんな中ではジェイクの傭兵団は相当恵まれていた部類に入るだろう。


(団長は傭兵なんて商売は若い頃だけにして、将来は別の事をやれ。そのためには武器を振り回す以外の知識が必要だとか言ってたな……)


「ユナは将来どんなことをやりたい?」


 団長の言葉を思い出したジェイクは、普通なら2歳を過ぎたばかりの少女に問うような事ではないが、犬人の成長は早く、そろそろ希望くらいは聞いておくべきだろうと思いそう問うた。


「お父さんと同じことがしたい!」

「俺と? って冒険者か?」

「うん!」


 ユナと共に暮らすようになってからは傭兵の仕事を受けていないことを考えると、おそらく冒険者なのだろう。

 しかし、冒険者は最初の5年で半数が命を落とし、更に5年でそのまた半数が命を落とすと言われている恐ろしく死亡率の高い職業だ。

 ユナが自分と同じものを目指したいと言ったことには嬉しさもあるが、それよりも失う恐怖を感じてしまう。


「うーん、冒険者かぁ」

「だめなの?」

「駄目って訳じゃないが、ユナは他のどんな仕事があるかあんまり知らないよな? この街には何千人も住んでるから色々な仕事があるんだ。世の中にはどんな仕事があるか見てみたくないか?」

「見てみたい!」


 とりあえず他の職業を見せることになりジェイクは内心ほっとする。

 本気で冒険者になりたいというならユナの成長速度を考えるともう訓練を始めてもいいが、ただ単にほかの仕事をよく知らないからというのなら選択肢を与えてやりたい。



§§§



 とりあえず最初はアマンダの店を見学させてもらうことにした。毎日通っている店だが客として出てきたものを食べるだけなので厨房や、ユナが足を踏み入れたことがない2、3階の宿泊階などを見せてもらえるようアマンダに依頼すると快く受け入れてくれた。


「ここでいつもユナちゃんたちが食べているものを作っているのよ」

「思ったよりせまいね」

「そうね。ロレッタと二人だけでやってるお店だからそんな広さは必要ないのよ。それにふたり一緒に作業することも少ないしね」

「そうなんだ」

「ユナちゃんはお料理したことないの?」

「くだものの皮をむいたことがあるくらい……」

「そうね、別にお店をやらなくてもちょっとくらいは覚えたほうがいいかしらね。お父さんに作ったものを食べたもらいたいでしょ?」

「うん!」


 厨房ではアマンダと、なにやら話の方向がずれていってる感じもあるが、調理のあれこれを教わる。



§§§



「宿泊者のお世話は、シーツの洗濯、取り換えと部屋の掃除が主な仕事ね」

「お洋ふくは洗たくしないの?」

「どうしてもって頼まれたときはすることもあるけど、基本はしないわね」

「どうして?」

「初めて見る服は洗濯の加減がわからなくてあまり汚れが落とせなかったり、生地を傷めてしまうことがあるのよ。それにねー、もとからそうだったのに、ボタンが取れて無くなったとか、穴が開いたとか騒ぐお客さんがいるのよね。文句をつけて宿泊代を浮かせようって魂胆なのよ!」

「へー」


 客室ではロレッタからは宿泊客相手の仕事とともに、宿泊業の黒い部分も教わってしまう。



§§§



「どうだった?」

「大変そうだった」

「ははっ」

「むー」

「ま、どんな仕事も大変だがな」


 見学した感想をユナに尋ねると、真理ではあるが単純極まりない返事が返ってきてジェイクは思わず笑ってしまった。

 そして自分としては真面目に答えたのに笑われたユナが不満そうに頬を膨らます。

 そんなユナをなだめるためにジェイクが頭をなでると、ユナは少し恥ずかしそうにする。最近はこうやって頭をなでると恥ずかしそうなそぶりを見せることが多くなってきており、もうすぐこんなこともできなくなるのかなと寂しくも感じる。


「次はオリガの雑貨屋に行くか」

「丸いおばちゃんのお店だね」


 セルマの魔法具屋の方がアマンダの店からは近いが、前にセルマにユナの魔力を見もらったら『残念ながら魔術師の才はないようだねぇ』という事であったので見学からは外した。

 ユナは魔術や魔法具には大分興味がある様子だったので少々残念であるが、魔力の大小は生まれながらの部分が大きいためにこればかりはどうしようもない。妖精の生き血を飲むと魔力が増えるなどという言い伝えもあるにはあるが、そんなものにすがるわけにもいかないだろう。



§§§



「いらっしゃい、待ってたよ」

「よろしくおねがいします」

「おねがいしまーす!」

「それにしてもお前さんがこんな子煩悩になるとはねぇ」

「自分でも驚いていますよ」

「まあまあ、それはいい事さね。それじゃユナの嬢ちゃんに色々教えてやろうかね」


 その後ユナはオリガからどうやって品物を注文するのかや、売れやすくするための陳列方法などの説明を熱心に聞いていた。その中で雑貨屋がやってはいけない決まり事という話がでてきた。


「ユナの嬢ちゃんは雑貨屋がやっちゃいけないことってなんだか分かるかい?」

「うーん…… しょうひんにらく書きしたり?」

「そういうものもちろん駄目だけどね。それは雑貨屋以外でも禁止だねぇ」

「……あとはわかんない」

「職人から直接仕入れたものを他の雑貨屋とか行商人なんかに売っちゃいけないんだよ」

「売りものなのに売っちゃいけないの?」


 売るためのものを売ってはいけないという理屈がユナにはわからない様子である。それを見てほほ笑んだオリガが理由を教えてやる。


「ウチが職人から買うときは、普通の人が職人から買うよりも安くしてもらってるんだよ。例えばそうだね…… この手袋は私が職人から買うときは銀貨3枚だけど、ユナの嬢ちゃんがその職人から買おうとしたら銀貨4枚くらいになるんさ」

「どうしてねだんが違うの?」

「その辺は長いことの付き合いとか、いくつかまとめて買うかとかで段々と安くなるんだよ。だから誰かが同じ職人のところに行って、今日から雑貨屋をやるから銀貨3枚で売ってくれと言っても売ってくれないだろうね」

「ふーん。わかった」


 とりあえずそこまでは納得した様子のユナをみてオリガは話を続ける。


「もし、その雑貨屋をやりたいって奴がうちに来て、手袋を銀貨3枚半で買ったとするとウチは銀貨半枚のもうけが出るからいいけど、職人は銀貨4枚で売れるはずのものがウチに売った値段の3枚になっちまうわけだからもうけが減るのさ」

「でも、それなら私がおばちゃんの店で買っても同じじゃない?」


 オリガは良い質問だというように頷く。


「そうさ、でもね大抵の職人っていうのはひとりか、精々ふたりで作業してるようなところが多いのさ。だから物を作ってるときにいちいちひとつだけ売るのに作業を中断したくないのさ」

「へー」

「それだからいくつかまとめて買う私みたいなのには面倒が少ないので安く売ってくれるのさ。それにこっちもなるだけ作業の邪魔にならない時を見計らって行くようにするしね。でも人が沢山いるような大きな工房や商会を経由して買ったものにはそういう制限はないよ」

「ふくざつだね……」

「慣れれば大したことはないがね」


 オリガはそう言ってカカカと笑った。



§§§



 その後もオリガから様々な決まり事などを教わってから店を出た。

 そして今度は職人が多く集まる区域へと行くことにしたが、こちらは作業場所を見せてもらえるような伝手は無いため、通りから眺めるという程度になってしまうだろう。


「それじゃあ次は職人街に行ってみるか」

「どんなしょく人さんがいるの?」

「そうだなぁ、鍛冶職人や毛皮職人、石工、靴職人とか街で使うものは何でも作る人がいるぞ」

「へぇー」


 ジェイクの説明に、いままで職人街に行ったことのないユナがわくわくした様子になる


「それじゃお父さん速く、速く!」

「腕を引っ張るのは良いが、どこにあるかわかってるのか?」


 ジェイクはそう言いながらユナに合わせて足を速めてやった。



§§§



 しばらくしてたどり着いた職人街は住宅街や商店街の賑やかさとはまた違った音や、独特の匂いに満ち溢れていた。


「にぎやかだねー、あと、ちょっと臭い……」


 毛皮職人やろうそく職人などが使う独特の薬品や獣脂の匂いは人間でも慣れないうちはなかなかにきついのに、鼻が利く犬人では尚更だろう。


「でも、もしここで働こうっていうなら慣れなきゃ仕事にならないぞ」

「わかってる。……けど臭い」


 ジェイクは足の止まったユナの手を引くとまずは鍛冶屋の集まる一角へと足を向けた。

 そこには刀剣類を専門に打つ鍛冶屋の他に鎧専門、ナベやカマ、クワなどの生活品を主に打つ鍛冶屋や馬の蹄鉄を専門に作る蹄鉄鍛冶など、作るものが全く違う鍛冶屋が軒を連ねているが、どの鍛冶屋にも共通するのは炉から発せられる熱気と鉄を打つ槌の音である。


「すまんが職人の事はあんまり詳しくないんで通りから仕事ぶりを眺めるだけになってしまうぞ」

「わかった」


 ユナは答えながらも興味深げに鍛冶屋の中を見ているが、時折大きな音が響くとびくりとして耳を伏せるのがなんとも愛らしい。


「次は皮関係の方だが、特に匂いがきついんでやめとくか?」

「……ううん、見る!」


 一瞬考えこんだユナだが、意を決してジェイクの後について歩きだす。


「まず、いろいろな革製品の元となるなめし皮を作ってるのが皮なめし職人で、主に服の材料となる毛皮を作っているのが毛皮職人」

「なんの皮なの?」

「なめし皮の材料になるのは牛、豚、羊あたりが多くて、毛皮はキツネ、イタチ、オオカミあたりが主であとは水の中の獣の皮も多く使われるらしいな」

「へー」


 そうした皮素材の職人の店を過ぎると今度はそれらを使った製品を作る店が並んでいる場所になる。


「皮を使うのはやっぱり服が一番多いだろうな、あとは敷物や鞄、靴、他にも身に着けるものには大抵皮が使われるな」

「たしかにお店が多いね」


 ふんふんとうなずくユナを連れて、ジェイクはうろ覚えだったり怪しい知識を披露しつつ、その後も職人街を案内し終えた。



§§§



「ねえ、お父さん」

「どうした?」

「しょく人さんって一人前になるのにどのくらいかかるの?」

「そうだな、種類によるだろうけど10年くらいかかるのはざらみたいだ」

「そんなにかかるんだ……」


 職人街からの帰り道にユナに職人として一人前になる期間を聞かれた答えたときに、ふと犬人の特性を思い出した。


(人間やほかの獣人は20歳前後に大人となるから、10歳くらいから見習いとして親方に弟子入りすれば大人になるころには一人前になれる。しかし犬人はたったの5年で大人になるから今から弟子入りしてもすぐに大人になるが、当分少年たちに混ざって見習いをするしかないのか……)


 本人の覚悟次第かもしれないが、子供がやっている作業を大人になってもやり続けるのはなかなかに辛いものがあるだろうと、そして犬人とはなんとも特殊なのだろうとジェイクは思った。

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