7話 新人の狩り
「おとうさんあらってー」
湯屋の洗い場でジェイクが体を洗っていると、湯船から出てきたユナがてててっと走り寄ってきた。
やめろと言っているのに聞かなかったのか、湯船に潜ったようで髪までびっしょりと濡れている。
「ユナ、また湯船に潜ったんだろ」
「……あ、ごめんなさい」
返事は良いのだが、このところ言いつけを守らないことが出てきているようだ。これが反抗期というものなのかとジェイクは考える。
「まったくしょうのないやつだ。ほら座れ」
「はーい」
ユナの頭を軽くコツンと叩くと自分の前に座らせて洗い始めた。
服を着ているときは気が付きにくいが、こうして裸になると人間とは体毛の生え方に結構な差があることがわかる。
特徴的な犬耳と尻尾の他にも、肘の付近、背中の背骨沿いの部分、そして下半身は全体的にふさふさとした獣毛に覆われている。
まず、石鹸で洗った後に頭、尻尾、獣毛部分は果実酢をつけてよくなじませてからきれいに洗い流す。という手順で洗っていく。
当初は石鹸だけで済ませていたのだが、リビェナにユナの毛をゴワゴワにさせていると怒られて、勧められたというか、半ば強制された果実酢になにやら香油が混ぜてあるものを以来使うようにしている。これを使うと乾いた後も酢のツンとくるような匂いもせうずに毛がふわふわとなる。
「えへへ、きもちいー」
ジェイクは気持ちよさそうに洗われるユナを見ながら、一緒に入るのもそろそろ終わりだろうかという気持ちになる。
遠い異国では男女混浴という場所もあるようだが、このあたりではそれなりの年齢になれば男女に分かれることになっている。
「ユナ」
「なあに?」
「ユナはそろそろ女湯の方にいかないといけないな」
「おとうさんといっしょがいい!」
ユナはジェイクの方に振り向くと石鹸まみれのままぎゅっと抱き着いてきた。
「でもな、ほらよく見ろ。こっちにはユナよりお姉さんの子は居ないだろ?」
「……うん」
ユナは周りを見渡すとしぶしぶといった感じでうなずいた。
「別に明日からすぐにって話じゃないが、ずっと一緒って訳にはいかないんだぞ?」
「……わかった」
ジェイクは返事はしたもののそれきり黙ってしまったユナを見ながら、とりあえずだれか女性に頼んで一緒に女湯に行ってもらおうかと考えた。
これが人間の子ならばまだ2年かそこらは猶予があるのだろうが犬人の子では精々半年くらいだろう、成長が早いのも良いことばかりではないようだ。
§§§
ジェイクがユナと風呂の男女を別れないといけないなどと考えていた翌日、とある山のふもとに3人の男女の冒険者の姿があった。
ここは数百年前に大陸全土を手中に収めながらも、あるとき忽然と滅んでしまったという古代魔法帝国の遺跡であり、朽ちかけているのでわかりにくいが元は小さな砦だったようだ。
すでに金目のものはとうの昔に持ち去られているが、古代魔法帝国の遺跡付近にはどういうわけか魔物が集まりやすいことが知られていて、住み着いている魔物の種類によっては冒険者にとって絶好の狩場となっている。しかしなぜ魔物が集まりやすいかについては様々な説が魔術師や歴史学者などから出ているが、いまだに定説は生み出されていない。
ただ確かなのは、遺跡付近には魔物が多く、しかも規模の大きな遺跡ほど脅威度の高い魔物が出没するという事である。
「思ったより魔物が少ないな」
「最近他に誰か来て掃討してしまったのかな?」
「問題はアラクネが居るかどうかよ!」
アラン、ニコラス、ジェシカの3人はアラクネ討伐に――正確に言うならばアラクネの巣糸の採取に――来ていたが、前回来た時よりも遺跡付近の魔物の姿が少ないことに戸惑っていた。
今回、遺跡に侵入してからはぐれと言われる単独行動のゴブリンを3体倒しただけで、これは前回の3分の1にも満たない数である。
なお、アラクネとは下半身が大蜘蛛、上半身が人間の女性ような形をした魔物である。下半身は強靭な外殻に板金鎧さえ突き通すこともある毒を持った爪をもつ脚が8もあり、そこだけを見ると難敵であるが、上半身はもろく、まともな攻撃手段も持たないという恐ろしくいびつな構造である。
ゆえに戦いは、いかに下半身の攻撃を避けつつ上半身に打撃を与えられるかにかかっているといえよう。
「魔物が少ないのはいくつか理由は思いつくけど、あまりあれこれ考えても仕方ない気がするね」
「そうだな、別に魔物が少ない理由を探りに来たわけじゃーねーし」
「とりあえず前回アラクネが居た場所まで行ってみましょう」
疑問はあれど、アラクネの有無が問題ということもあり探索を続けることとなった。
§§§
「普通にいたな」
「そうだね」
「あれは、ゴブリンかコボルトあたりを食べてるのかしら?」
3人の心配をよそに、アラクネは前回と同じ位置に巣を張っており、現在は何かを捕食中であった。
「それじゃさっそく……」
「まった」
「なんだよ。注意がそれてる今が好機だろ?」
「それはそうだが、ジェイクさんに言われたことを忘れたのか?」
「戦う相手を選べるなら、その相手に対して必要な武器や道具がそろっていることを確認しろってやつね」
「んなの出発前にやったろ」
「まあまあ、もめてる間に確認しちゃおうよ」
アランはさっさとやろうという勢いであったが、ニコラスとジェシカにそれをいさめて装備の確認をすることになった。
「近接武器は大丈夫だ」
「弓も問題なし」
「解毒ポーションも割れたりしてないわ」
確認を終えたところで風下から慎重にアラクネに接近していく。どうやらまだ食事中らしく3人に気が付く様子はない。
しかしあと20mといったところで身を隠すものが無くなりこれ以上気が付かれずに接近するのは難しくなった。
3人とも弓は持っているものの、長弓をもっているニコラスと違ってアランとジェシカは短弓であり、腕前も大したことはないため、できればもう少し接近したいところではあったが、気が付かれずに先制するためにこの位置から攻撃することにした。
「上半身がほとんど見えねーな」
「背中を向けてる上に覗き込むようにして食事中だからね」
「どこだって矢をぶちこめばいいのよ」
アランを中心にして左右に3m程度距離をとってふたりが配置につく。
「アランに合わせて射撃開始、アランは1発撃ったら接近戦の準備」
ニコラスの言葉にアランがうなずく
「ジェシカは2発撃ってから接近戦の準備だけど、なるべく見つからないように」
「わかったわ」
最後の打ち合わせを終えると、3人とも無言となり、アランが弓を引くのに合わせてニコラスとジェシカも弓を引き絞った。
そして一呼吸後にアランの弓から矢が放たれると、わずかに遅れる形で残る2人の矢が追いかける。
空を走った3本の矢のうち、アランの矢はアラクネを飛び越えてしまったがニコラスの矢は下半身に突き刺さる。ジェシカの矢も命中はしたものの威力が足りなかったか、それとも角度が悪かったのかはじかれてしまう。
「キイィイイィイ!」
アラクネは食べていた何かを放り投げると振り返る。そしてこちらを見つけると金切り声を上げながら猛烈な勢いで接近してきた。
一見端正な顔立ちをしてるだけに奇声を放つその姿が一層恐ろしく見える。
続いて放たれた第2矢のうち、ニコラスの矢は脚の1本に弾き飛ばされたがジェシカの矢が右肩に突き刺さり一瞬アラクネの足が止まる。
「この蜘蛛野郎! 俺が相手だ!」
そこに円形盾に片手半剣を構えたアランが跳びかかっていった。
しかし8本の脚の内4本を激しく振り回して攻撃してくるアラクネに対しては手数が違い過ぎ、防戦一方となる。
「アラン! 下がれ!」
ニコラスの声が飛び、それに呼応するように攻撃の隙をついてアランが後ろに飛びのく。そしてその間合いが開いた瞬間にニコラスが放った矢がアラクネの右胸に深々突き刺さった。
「ギィイィイィイイイイイイイィイィイイィイィッ!!!」
痛みかそれとも怒りかはたまたその両方か、耳を塞ぎたくなるほどの大音響でアラクネが叫び声をあげると、攻撃対象をニコラスに変えようとする。
「俺が相手だっていってんだろうがっ!」
すかさずアランが割り込もうとするが、アラクネはまるでそれが分かっていたかのように再びアランに体を向けると鋭い爪をもつ足を4本同時に振り下ろした。
「ぐあぁ!」
盾で2本受け止め、とっさに1本を剣で弾き飛ばしたが残り1本が防ぎきれずにアランの右腕に突き刺さる。
「クソッ! アランッ!」
誤射を覚悟でニコラスが再度矢を放とうとしたとき、アラクネの尻から糸が放射状に吐き出されて弓ごと体をからめとらしてしまった。
「しまった!」
「右手うごかねぇ!」
なんとか反撃しようとするアランだったが、爪から侵入した毒で右手がしびれてしまい剣を取り落としてしまう。
糸にからめとらてもがくニコラスに左手の盾だけで必死に攻撃をしのぐアラン。
「キキキキキキキ――キギャアアィアア!」
今までの叫び声と違い、まるで勝ち誇ったようなアラクネの声が途中で絶叫に変わる。
アランの目にはアラクネの腹から生えた槍の穂先が映っていた。密かに背後に回り込んでいたジェシカの渾身の一撃の結果である。
「きゃあっ!!」
しかしアラクネは血を吐きながらも後ろの脚を振り回してジェシカを跳ね飛ばすと、倒れこんだジェシカに止めを刺そうと後ろ脚を振り上げる。
「やらせねーっ!」
その時、盾を捨てて剣を左手で拾ったアランが捨て身でとびかかる。後ろを振り向いていたアラクネは一瞬反応が遅れ、そしてそれが命取りとなった。
ずぶり、とアランの剣がアラクネの心臓の位置に深々とめり込む。
「キィイイィィ……ィイ………ィ………」
ついに致命傷を負ったアラクネは弱々しく声を上げながら、それでもしばらくはもがいていたがやがてその命の灯が消え去った。
§§§
「ああ、アラン! 早く解毒剤を!」
アラクネが動かなくなった後、3人ともしばらくほうけたようにしていたがニコラスが思い出したようにアランに解毒剤に使うよう言う。
「そうだった、うわやべ! 右手の感覚が全然無いっていうか意識が遠くなってきた……」
「なにやってるのよ、ほら早く飲みなさい!」
起き上って駆け寄ってきたジェシカが解毒剤をアランに飲ませ、更に治癒魔法で傷を治していく。
「ふいー、なんとか勝てたね」
こちらもやっとで糸から抜け出せたニコラスがふたりのそばにやってくる。
「やばかったわ」
「うん、私も」
「矢でもっと弱るかと思ったんだけど、想像以上に打たれ強かったね」
「しっかし盾持ちに変えてよかったわ。両手剣だったら多分速攻で死んでたぜ」
「私も槍持ってなかったらただ殺されるの見てただけだったかも」
「反省することも色々あるけど、とりあえず他の魔物が寄ってくる前に貰えるものを貰っちゃおう。俺はアラクネの腹の中に残ってると思う糸を取り出すからふたりはあっちに見える巣から糸を回収しておいてね」
「りょーかい」
「わかったー」
役割を決めた3人はそれぞれ作業にかかっていった。
「この辺りに魔物が少なかった理由はコレかもしれないね」
一通り回収作業を終えた頃、ニコラスがアラクネの割いた腹の中を指さして言う。その指の先にはアラクネの卵があった。
「繁殖のために食いだめしてたってことか」
「こんなのがうじゃうじゃ居たらやばいわね」
「ほっといても孵らないとは思うけど、念のため燃やしておこうか」
「そうね。でも繁殖を防いでも魔物っていつの間にか増えてたりするらしいわね」
「俺らがんなこと気にしてもしゃーないって。それよりも今回は結構儲かりそうだな」
「糸の品質は僕じゃ判断できないからはっきりしたことは言えないけど、この量なら金貨5枚以上は余裕でいきそうだね。もしかしたら10枚くらいになるかも」
「そんだけあればしばらくゆっくりしたうえで装備もそれなりに更新できそうね」
「だな、っても帰りも3日かかるんだよなぁ」
そうして3人は最後に卵に油をかけて火を放つと意気揚々と遺跡を後にしたのであった。