3
その日は、朝からあいにくの雨だった。他の学生たちも講義が始まるまでの時間つぶしとして図書館を利用している学生が数多くいた。
蒼依が行ったときには、もう席はほぼ埋まっていた。かろうじて見つけた六人用の席がひとつだけ空いていたが、その席には男女の学生が五人。四人は椅子に座り一人は机に座って談笑している。うるさいなと思いつつ蒼依は、席に着いた。本を開いて声のする方を睨んでみたが騒いでいる学生たちはつゆ知らず、話を続けている。雨のじめじめした空気と騒がしさにイライラが積もっていく。蒼依は、思わずとげのある咳をした。騒がしかった声が一瞬だけ止み蒼依たちの方を見た。
蒼依の向かい側に座っていた青年は、少し顔を上げ人差し指を口元に持っていった。静かにしろと言いたいらしい。まわりを見ると騒ぐなら出ていけよという視線に気まずくなったのか騒いでいた学生たちは文句を言いながらも出ていった。
蒼依は、青年にお礼を言おうと思ったが、はっと息を飲んだ。数日前に本の内容で意見が真っ二つに分かれた件の青年だった。
蒼依がとげのある咳をしたときにこの青年も顔を上げたので気がついていないわけがなかった。
机の上には、ハードカバーの新刊。装丁からして先日、蒼依が読んでいたものだった。
『なんで?偶然?それとも……』
同じ作家が好きならば、あり得ないことではないのかもしれない。だが、思い返してみればこの青年は、蒼依が読んでいた本を写真集や画集、専門書や軽い読み物を後追いするように読んでいた。初めは、偶然だと思っていたが段々と確信へと変わってきた。気持ち悪さ半分。好奇心半分が入り交じっている。そんな思いが、好奇心で大半が埋め尽くされてきた頃、蒼依は思いきって青年に尋ねてみた。
「どうして私の読んでいるものばかり真似をしているんですか?」
心の中でこんな言い方をするんじゃなかったと後悔した。自意識過剰な女だと思われたらどうしよう。
「知りたいから」
「知りたい?なにを?」
蒼依をじっと見つめ、やはり抑揚のない声で、
「人間を」
人間を知りたいと口にしたがその言葉はまるで、蒼依を。私のことを知りたいと言われているように感じた。そんな都合のいいように解釈してしまったことに苦笑いしそうになる。
「名前、なんて言うんですか?」
「ただの……ジン」
「只野……ジンさん」
「いや、そういう意味じゃ……」
ジンと名乗った青年は、少し困っているようだった。
「ジン。そう呼んでもらえばいい」
「わかりました。私は、柊 蒼依です」