私の見る世界
この世界はなんて苦しいのだろうか。幻想的な光も、風景も、綺麗すぎる空気もない。私には、苦くて辛くて仕方がない…。
恋をすれば変わるだろうか?この景色が過去になれば幻想的な綺麗さがにじみ出てくるものなのか?私にはまだ分からないが、私は夢を見る。こんな世界とは何もかもが違う綺麗な世界を。こんな世界…何ていうのは、この世界に失礼だ。だが、私にとっては夢の世界が一番のものなのだ。ぜひ、聞いてほしい。私の唯一無二の夢を。
キラキラ輝き儚く散る夢を。
私は、夢を見る。
「待ってた。行こ」
黒色の男の子に手を引かれる私。夢の中での私は白い。別人の私は夢の間は白と名乗っている。
「今日はどこへ行こう?私は綺麗なとこに行きたい」
わくわくドキドキと、小学生以来の期待を胸に膨らませて黒の男の子の後ろ姿を見つめた。
「うん。お気に入りのとこある。一緒に行こう」
夢のようにふわりと浮く心に私は酔っているのだろうか。待ちきれなくて走り出してしまう。黒の男の子は
逆に私に引かれる形となった。
「そこ、右だ」
「黒は、そこがどんな場所か知っているの?」
小さな丘を越えて、虹が掛かる野原を二人きりで走る。走りながら質問すると、黒と呼んだ男の子は顔だけをこちらに向けた。吸い込まれそうな程の真っ黒な瞳がこちらを見透かすようにじっと見つめている。
「君と出会った場所。覚えてないか?」
「え…と、あ!シャボン玉の丘ね!私が迷い込んだ所」
「うん、今日だけはどうしても行きたくて。白と二人きりで」
いつも二人しかいないこの世界で、黒は特別であるようにそっと優しく言葉にした。それを見ていた私も何だか特別に思えて頬を赤らめて頷いた。
「じゃあ、行こう」
野原を走り続ける。虹の丘、雲の丘、飴の丘、オーロラの丘…いろんな丘を走り続けて、私達はやっと目的の場所に着いた。
「わぁ…!綺麗」
どこまでも広がる空に数え切れない程のシャボン玉が風に乗って流れている。途切れることのないシャボン玉は、様々な大きさや反射の色で鮮やかに景色を彩っている。私の視界一杯に広がるその景色に私の心は奪われていた。
「初めて出会った場所。白はここで泣いてた。覚えてるか?」
「…うん、思い出したくもないことがあったから」
黒の言葉に少しだけこの景色が色褪せたような気がした。私の大嫌いなあの世界。夢のない世界。戻らなければ行けないところだけど、今だけはせめて忘れさせてほしい。
「それよりも、黒は私に言ってくれた言葉を思い出すな!」
「なんだ?」
黒は静かに前を見つめながら、聞いてくる。その横顔はどこか嬉しそうで。私と同じように思い出してくれているのだろうか。
『泣くな。前を向け』
急に掛けられた言葉。いつも一人ぼっちの夢の中で突然現れた男の子に言われた。存在のないようなちっぽけな私を見てくれてる。そう思ったら、私は夢の中の綺麗な景色を見つけたのだ。シャボン玉の中に広がる、私の願う夢を。
「ありがとうね、黒。あっちの世界はどうしようもなく苦しい時があるけど、黒のおかげで綺麗なものを見つけたよ」
「そうか。なら良かった」
素っ気なくて、でも一つ一つの言葉は私の中に響いて輝いた。黒は、私が作った理想だったとしても。私はそれに救われたのだ。
「僕も、救われた。白の涙で。僕は泣けない。感情が乏しいとも言われる。本当のことで、本当のことじゃないと、僕は葛藤してた」
黒の話に、私は驚いたが聞かなければと耳を傾けて丘に座る。私と同じように黒も迷い込んだのかもと思って。なら、今度は私が聞く番だ。
「心の中ではとっても苦しい。でも言えないし、伝わらない。心ばかりが壊れていって、もういっそのこと、僕が人形になってしまえばいいと家に閉じこもった」
一人の男の子が、外では必死に自分を保とうと頑張る姿が浮かび上がる。嬉しくて、笑おうとして、うまく笑えない男の子。言葉にしたくても、できないもどかしさ。自分の扉を閉めて、布団に閉じこもる姿。
「そこで、夢を見た。何にもない真っ暗な闇の中、僕だけがぽつんといる夢。何故夢の中でこんな思いをしなければならないのだと叫びたかった。泣きたかった」
ふっと黒の方へ顔を向けると、幼いその顔にヒビが入っていた。自分の顔にも、同じようなヒビ。だが、不思議と怖くはなかった。話を聞かなければと前を向く。
「そんな時だった。急に丘が現れて、女の子の姿が見えた。僕は走っていた。そしたら、シャボン玉が地面から湧いてきて、女の子の夢が見えたんだ」
私の前のシャボン玉には、看護師になった自分、友達と笑い合う自分、家族と冗談を言いながら怒る自分がいる。もちろん、その中の自分は幼い女の子ではなく、本当の自分だ。
「僕は知った。こんなにも感情が溢れる人生を送りたいって。僕は逃げてたんだ。優秀な自分を演じることで。気持ちさえも隠したまま、闇の中で閉じこもってたんだと」
丘の向こう側に、太陽が隠れてシャボン玉も見えづらくなる。真っ暗になるかと思えば、星々が夜空を煌めき、光の川が生まれた。シャボン玉も光の川をなぞるように、流れていく。
「でも、女の子が見せてくれた夢を、女の子自身が見ていなかった。ずっと下を見て、あんなにも美しい世界を否定するんだ。だから、僕は決めた」
ハッとして顔を上げると、笑みを小さく浮かべる黒の姿が暗闇の中でもはっきりと見えた。
「この景色を見せて白が綺麗だというのなら、もっと素敵なものが目の前にあるんだと伝えようと」
ビキリ、と世界にヒビが入った。ボロボロと崩れゆく私の夢の世界は、解放されたように静かに、ゆっくりと散ってゆく。
「やっと、前が見れたな。白、改めて言う。本当にありがとう」
「…ありがとう!ありがとう…くろぉー。私、やっと本当の世界が見れた…」
お互いの顔は仮面が剥がれるように崩れて、本当の自分がさらけ出した。
「白、夢ではお別れだけど、現実で会おう。僕の名前は青井春斗。白は?」
「私は中島雪。…あはは、これでお別れなんて思わなかったな。…でも、黒…いや、青井くん、また会おうね」
シャボン玉が割れていく。細かい光の粒子となって、私たちに降り注ぐ。私たちはお互いを見つめたまま、夢から覚めることとなった。
あれからもう夢は見ない。本当にあった夢だとは信じていても、こうもあの男の子を見つけられないとは思わなかった。会えないのかもなぁ、と若干諦めつつも探している自分に笑えてしまう。
「そうだ、シャボン玉吹いたら気づくかな?」
そして一人で公園でシャボン玉を吹く。すぐに割れてしまうシャボン玉を見ながら、私は恥ずかしさに周囲をキョロキョロと見回してしまう。
「子供の時以来だから、恥ずかし。届くわけないよね、どこにいるのかも分からないのに」
「虹丘公園。まさか本当にいるとは思わなかった」
「むっ!?」
後ろから声がした。シャボン玉の液を吸いそうになり、慌てて口を放す。
「あ、ごめん。やっと逢えたね、中島さん」
「あ、あ、あ、青井くん?」
黒という男の子が大きくなったような容姿。まさに最後に見た青井春斗だった。見透かされるような、黒い瞳に、静かな佇まい。
「短い夢の中だったから、忘れられちゃったのかと思ってた所だったよ」
少し印象が変わった。少し笑うようになったからか、柔らかくなった気がする。予想に過ぎないけれど。
「忘れられないよ、あの夢はね。ただ、会えないかと思ってた。…会えたんだね」
「うん、中島さんが予想より大人しい人に見えたから人違いかと思った」
「なんか、失礼?」
なんだか締まらない雰囲気に、私は思わず笑ってしまう。ベンチに座る私の横に彼は座ると、大きく息を吐いた。
「インターネットで検索したり、遠くの方へ行ってみたりしても全然会えなかった。まさか、隣町の公園にいるだなんて、世界は狭いなんて思ったよ」
「そんなに探してくれたの?…まぁ私も電車に乗ったりしたけどね。お礼が、言いたくて」
お互いに話していると、青井くんが驚いた様子でこちらをパッと見る。
「夢の中で貰ったよ?」
「いや、それは前を向けたお礼で。あの夢での出来事のおかげで、将来の夢に向かって歩けてて。今、資格取るために頑張ってるから」
「看護師の?それは良かった。僕も両親とも話し合って自分を伝えることができた。ありがとう」
再会してお礼を言い合うと、恥ずかしさが募る。夢の中では私の我儘?に付き合ってもらって、今では私なんかを一生懸命探してくれて。少し前のお小遣いをはたいて電車に乗る自分を思い出して、私は顔を覆いたくなる。
「それで、僕は君に会ったら話したいことがあって」
「え?」
考え込む私に突然立ち上がった彼は、こちらに振り返り手を出した。
「僕のお気に入りの場所があるんだ。時間があるなら、一緒に来て欲しい」
「遠くなければ…」
手を伸ばされれば、手を取らないと失礼だ。でも、夢の中とは違って、私達は子供にしては大きくて、気恥しい。
「行きます」
ちょこんと彼の手のひらに指先を乗せるとすぐさま立ち上がる。彼は緊張した表情で優しくキュッと握ると歩き出した。
「ど、何処に行くんですか?」
「綺麗な所。すぐそばにあるんだ。でも、僕達しか知らないと思う」
カチコチと固まった動きで、でも置いてかれないように付いていく。公園を出てすぐ側の茂みを越えたところに、それは見えた。
「あ、似てる」
丁度高い位置にある公園から見下ろせる位置で、下の街並みが良く見えて綺麗だ。でも、それよりも目を引いたのは、夕日が覗く山だった。緩やかな曲線を描いた形は、あの丘を思い出せる。
「ね、僕達にしか分からないだろ?」
「うん、綺麗な丘」
「……ずっと君に言いたかった事があるんだ。出会ったその時から。聞いてくれる?」
心臓が急に跳ねる。でも私は前を向いたまま、コクリと頷いた。何となくこう言われるのかなって期待して。
「僕はーー」
これは、夢から始まった鮮やかな世界のお話。夢もいいけれど、やっぱり自分自身が見る世界が唯一無二のものだと気づいた私の話。