弐話
目が覚める。
それに至っては何ら普通の事だった。
しかし、今の私には異常であり異端であった。
確かにあのとき私はトラックに跳ねられ意識を失っていたはず。最後に見た救急隊員の顔、動かなくなった四肢あんなリアリティのある夢なんてあるはずがないと今の私は信じていた。
信じたかった。
「朝.....」
自分の声が甲高くなっている事に気がつく。
目を開けると視線は狭く、視線の先には知っている天井、昔住んでいたアパートの天井、カビ臭い部屋、エレベーターがあると信じていたクローゼット、私の描いた家族の絵、走馬灯で見た幸せな家族が過ごした風景がそこにはあった。
「おはよう。ご飯出来てるから早く布団からでなさい」
「うん.....」
母さんだった。それもうんと優しい母さん。
私の胸を締め付ける終わりのない切なさは、むなしくもあったがどこか心地の良い物だった。
「飲み物牛乳でいい?」
「他には?」
「オレンジジュースかな」
「オレンジジュースがいい」
「分かったよ」
優しい母の笑顔に思わず涙が出そうになる。
「どうしたの?どこか痛いの?」
「ううん。大丈夫」
自分の気持ちを押し殺しテレビの方へ視線を向ける。知っているテレビだった、10年ほど前に見ていた戦隊物の特撮のオープニング。
私は現状を理解するため他になにかないかとまわりに目を配る。
私はテレビのよこにカレンダーがある事に気がついた。
カレンダーには確かに10年前の日付が書かれていた。
「母さん今って何年?」
「なに?いきなり、テレビでなにかやってたの?」
「ちょっと気になって」
「今は2008年よ」
おかしい。私が居たのは2018年、なぜ10年前に居るんだ。
私はここに至るまでの経緯を再び遡る事にした。
事の発端は2018年のあの日、激しい雨が降っている日だ。非常な日常とはかけ離れた何もない日常に嫌気がさしていたあの日、ながらスマホの女子高生、ずぶ濡れのサラリーマン。傘をさしても濡れる自分の体。居眠り運転のトラック。
あのとき確かに死んだはずの自分。
そして、10年前にタイムスリップしてきた。
「分かんないな」
「なにか言った?」
「ううん。何でもない」
私はオレンジジュースを口に含み、かき込むように朝食を食べ終えた。
手がかりを探すために先ほどまで自分が寝ていた布団のある寝室に足を運ぶ。
慣れない歩幅と、目線の高さ、届きそうで届かない自分の腕の長さは、気持ち悪さよりも懐かしさが勝っていた。
寝室の布団の枕元には一通の手紙が置いてあった。
私は恐る恐るその手紙を手に取り様子をうかがう。白い封筒にはなにも書いておらず、簡素なものであった。
封を開け中の手紙を読むことにした。
『やあ、元気かい?まあ元気な訳無いか、なんせ君は死んだからね。ところで、君は今この状況に戸惑っているだろ?そりゃあそうさ。君を過去に送る事が決まったのは君が死んだ直後だからね、抽選の結果きみは過去をやり直す権利を獲得したんだ。そんな事言われても理解できないと思うがまあせいぜいがんばってくれ、私は陰ながら応援しているよ。気まぐれな神より』
「はあ?ふざけてんじゃねーぞ。何が過去だよ、それもこんな中途半端な時間に戻しやがって。本当に何なんだよ」
「どうしたの?また泣いてやっぱりどこか痛いの?」
私の目からは怒りで涙が出ていた。
「いや、何でもないんだ」
「本当に?」
「うん」
「ならいいんだけど。そうだ早く着替えなさい。これから映画見に行くんでしょ?」
「そ、そうだったね。忘れてたよ」
映画?今日は何日だ?
私は再びカレンダーに目を配る。
カレンダーには大きく分かりやすい文字で映画を見に行くと書かれている日付があった。
「7月8日か」
私は日付を確認すると昔よく着ていたお気に入りの服に着替える。
今では良くこんな服着ていたと思ったが、昔の自分は母が選ばず自分で選んだこの服がえらく気に入って小さくなっても肩見放さず保管していた。
今着てみるとサイズはぴったりで、自分が過去に戻った事を再び認識できた。
過去に戻る事は確かに嬉しい事だが、未来の自分の人生が終わってまでくり返す物なのか、過去の私があったからこそ今の私が存在する。
ここで起こすアクション一つ一つが未来を変えてしまうのではないか、不安は一つ出ると幾つも出てくるようで今の自分がここにいて良い物かと考え込んでしまった。
「ほら早くしなさい、バスに乗り遅れるよ!」
「はーい」
そんな不安を忘れさせてくれたのは昔好きで好きで仕方なかった母の姿だった。
元々居た未来でも変わっては居なかったが、やはり自分が好きだったのは昔のこの母だった。
私の目からは不意に涙がこぼれる。
思えば過去に来てから泣いてしかいないような気がした。
それも当たり前かと開き直りぐっと心臓のあたりで右手を強く握りしめた。
気がつけば時刻はもう9時を回り私も母も出かける支度を終わらせていた。
「準備できた?ゲーム機持った?」
心配する母に私は笑顔で鞄の中身を見せる。
「ばっちしおっけー」
「よっしゃ!じゃあ出発進行!」
この時代の母、もといた時代の母。同じ母でもこうも違うのかと比べてしまっているようだった。
二人とも私のったった一人でかけがえのない母、比べる事すらおかしい事だと思い私は家の扉を開けた。
外は日が刺し乾いた暑さが肌を刺激する夏の良い一日だった。




