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第九話 心の裏側

病室から看護婦が去ったあと、静寂に包まれた空間の中は驚くほど平穏だ。

音葉は真剣な眼差しで大和の様子を観察しながらある物に目を通している最中だ。

手元にある神埼大和についての詳細が記載された資料が丁寧にまとめられている。

部下の影蜘蛛が至急に届けてくれた物だろう。

備え付けの椅子に腰掛けながら、ページを静かにぺらりと捲り内容を熟読していた。


一方、大和は病室のベットの枕に顔を埋めながらゆったりと目を閉じて、この先の出来事に関心を寄せていた。栄光都市の監視対象となったことにより、日常生活にまで彼らの見えざる影響や接触は避けられず、絶対的な命令や指示に逆らうだけの選択肢など存在しないはずだ。

ならどうして、牢獄にぶち込まれても仕方がない状況にも関わらず、曖昧な対応で手をこまねているのか。

栄光都市の思惑が理解できたところでそれに抗うだけの力もなければ従うしかない。

結局は個人よりも巨大な組織の大きな存在に飲み込まれてしまうだけだった。



見ず知らずの人物達によって管理される能力者に真の自由などない。

今の大和が考えられる自由とは誰にも束縛されず、なおかつ誰かに操られて生きる必要のない世界なのだ。だが、心の底では最初からわかりきっていた。


(そんなものは存在しないよな。俺を含めた能力者がこうして生活できるのは栄光都市って居場所が作られたおかげで許されてる。まったく、世間に興味もない俺がこうして考えるようになったのも能力者としての自覚のせいかもしれないな。……栄光都市様って奴は俺をどうするつもりなんだか)


これから無関心のまま何の変哲のない高校生としての生活は終わりを告げたのだろう。

もしかしたら普通の日常を送ることもできたかもしれないが、考えるだけ時間の無駄だ。

これまでの自分の生活を振り返れば、自堕落な目標のない生き方であることは理解していたし、なんとなくな毎日ばかりだった。


理不尽な出来事に引き起こされた能力の覚醒は今後の人生に多大な影響を与えることは間違いない。不可思議な力を持つ能力者の高校生として、期待の目を向けられるだろう。

だが、現状は能力者としての人生は最悪の始まり方を迎えたと言ってもいい。

大和は上半身を起こして視線を送ると目が合うと、きょとんとした表情に目を丸くして音葉は見つめ返してくる。


「難しい顔をしているね、大和君。何か不安や困りごとがあるなら私がちゃんと聞いてあげるよ。答えられる範囲の質問であればになってしまうけれど、どうしたのかな?」


「ねーさんが読んでる資料みたいな物には何が書かれてるんだ? やけに薄っぺらいけど気になってたんだ」


「君についての情報がまとめられた資料。全てが詳細に記載されてるとは言いがたいけど十分に役に立つ。個人情報はしっかりと守られているから心配はしないでいいよ。必要のない人物に知られることはないし、不満そうな顔してどうしたの?」


「別に……俺のことを隅々調べつくしたその忌まわしい文章には作り話と嘘が混ざってないか心配なの。

そんな紙っぺら数枚で大和様を理解しようなんて無理な話じゃんか、ねーさんもそうは思わないのか」


窓から見える景色に視線を移してぶっきらぼうに答える大和。


「その通りだよ、あくまでこれは君を判断する目安であり、判断材料に過ぎないんだ。ここには私の見解も入ってくるからね、私にもそれぐらいの権限はあるから助かったよ。有無も言わせずに拘束する必要もない」


「ねーさんはそれなりに偉い立場なんだな」


「そうだね、だから君の前にこうして姿を現すだけでも特殊なケースと見られてもおかしくないよ。それだけ君に対する注目度、関心は非常に高いと言えるかもね。それよりもまずは最初に疑いの目を晴らさなきゃいけない。私の判断では君自身に対する危険は薄いと結果を出しているんだ。改めて認識を変える可能性も否定できないけれど」

彼女の判断には大和に対する同情の姿勢を見て取れる。願わくば問題など起こさずに平穏な日常生活を送って欲しいと内心に抱いているのだろう。それでも能力者の扱いには不正があってはならないし、悪行を働けば規律に基づいて裁きを下さねばならない立場。

数多の能力者を相手をしてきた音葉は例外など許すわけにもいかない。目の前の少年に対しても同様に。


「つまり、俺が問題を起こせばねーちゃんが現れるってこと?」


「私には仕事が他にもあるけれど、君の監視も含まれるだろうね。他の管理側に任せるわけにもいかない。私を含めた部下達が君を保護することになるだろう。君は既に会っただろうけど影蜘蛛と呼ばれた男。彼を中心に君の監視や保護を担当してもらう手はずだ」



「げっ……あいつかよ。できればねーさんに構ってもらいたいんだけどな。だめなの?」


「ふふっ、露骨に嫌そうな顔しないでよ。影蜘蛛はあれでも面倒見はすごくいいんだよ? 私も信頼を置いている人物なんだ。君のそういう正直なところは嫌いじゃないけど。君と触れ合える時間は少ない、我慢しなきゃだめだよ。どうしても私の傍にいたいと願うなら……君は栄光都市に認められるような立派な人物になったときだ。そして私の元に訪れる。うふふふ、無理な話だろうけど」


「ねーさん、俺はやる。ねーさんみたいな人といられるならやるぜ」

曇りのない真っ直ぐな声を張り上げて決意を表現した。

普段は見せることのない熱心な瞳には無謀な若気の至りを感じさせる。

大和の音葉に対する強い想いに偽りはなく心の底から出た言葉だ。


けれど音葉は悲しみと嬉しさを混ざり合わせた微笑を浮かべて首を横に振る。


「そういってくれるのは嬉しいけれど、君の様に純粋で優しい子にはあわない仕事ばかりだ。

素直な君はきっと他の誰よりも傷ついてしまう。大人の私だって辛いことも嫌な思いはたくさんしたんだよ。……他の人には言っちゃだめだよ。君はもっと違う道を探した方がいいよ。能力者であることを自覚してしっかり振舞えば未来は明るいんだ。それでも君を妬み非難する者は現れるだろう。どうやっても角は立つかもしれないけれど、一時的なものだから」


「どうしてもダメなのか?」

叱られた子供が駄々をこねるような弱々しい声で大和は尋ねた。


「駄目なものはだめだよ。いい子だから私の話は聞いてほしいな。君と私の生きる世界は違う。こちら側に来てはいけないよ。私は君の無実を証明するだけで、短い付き合いにはなるはずだから、私のことは忘れてしまった方がいいんだ」

きっぱりと答える姿には何を言っても無駄だった。

食い下がったとしても大和のわがままは届くことはないことも十分承知していた。

それでも言葉が漏れてしまうのはどうしてか。


「俺はただ……」


「大和君、私の振る舞いは誰に対してもこうなんだよ。特別扱いしてるわけじゃない……最初に勘違いされないように断っておくね。私は恋愛をしているほど暇などないんだ。気持ちはとっても嬉しいし、できるならしっかりと受け止めてもあげたい。でも、栄光都市には私が必要なんだよ。わかってくれとは言わない、でも理解してもらえると助かる。私達に関わること自体がとてつもなく危険な行為だから。君には栄光都市の疑いから開放されて平和な日常を生きて欲しい」


彼女の言葉は真実だった、どうしようもないぐらいに変わることもない。

能力者だとか、未能力者だとかではなくて、自分自身は結局のところ少しだけ力を手にしたちっぽけな少年に過ぎない。

能力者の枠組みの中にぽつりと現れた存在はまた別の孤独を感じとった。


きっと今度は能力者の中で比べられてしまう。誰が優秀で、誰が劣等で、誰が一番なのか。

特別の様に感じていたのは最初だけで、錯覚だったと気がつけば面白みもない。

過去の自分と現在の自分は何も変わっていない。


「……ねーさんにとってこの街はそこまでして守る必要があるのか?」


「もちろんだ」

彼女の口調には、迷いがない。


気高き思想に身を捧げた姿は騎士のように輝きを放つ。

澄んだ瞳には悪を断ち、未来の善を見出している。

彼女の存在がいる限り、栄光都市は守られていると実感できた。

自分とは遥かに遠い場所に立つ彼女にはきっと手は届かない。

理由もわからず指が震えていた。


今更、彼女の容姿よりも彼女の振る舞いや心構えに憧れを強く感じてしまったのだと理解した。

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