第四話 影蜘蛛
神埼大和は自我が強い人物だ。
理不尽な出来事や堪えるべき状況になったとき、感情的になって行動する。そのせいでトラブルを引き起こすことも、巻き込まれることもある。大和は確かに周りの人物達とは少し違う。
場所をわきまえない行動に対する理解など考えたこともない。愚考と言えるほどの意思の強さを兼ね備えていた。
この時でさえそうだった。特に何か理由があったわけでもない。周囲に挑発をした結果、短気な男の一人に力任せに銃床を叩きつけられた。大和の中にあったはずの恐怖心は一変して逆上へと変わる。爆発的な感情の高ぶりに制御などできるわけもなく、大和はすぐ行動に起こして反撃を開始した。隙だらけの背中に全力で飛び蹴りを叩き込んだのだ。
仕返しだと言わんばかりに。
流石の男もこれには驚きを隠せないでいたが、振り返るときには既に引き金を引いていた。威嚇射撃のつもりで撃ったはずだが、冷静さを失った射線の先は大和を撃ち抜いてもおかしくはなかった。そして男は引き金からゆっくりと指を離していた。息遣いは荒く、己の失態に困惑しながら体は震えている。部隊の隊長らしき男はすぐに弱々しく握られた銃をすぐに取り上げて叱りつける。
「いつ、私が発砲許可を出した。間違えでは済まされない事態なんだぞ、民間人を射殺したらどうなるか。これまでやってきた訓練の結果がこれか? すぐにでもお前を除隊させたい気分だが、すぐに救急車を手配しろ」
「……隊長あれを」
静かに向けた指先に視線を動かすと何やら歪んだ空間が大和の前方に出現していた。亀裂が生まれ、無理やり引き裂かれた、一筋の線が内側から飛び出してきたように。形は不安定な代物で綺麗な放物線などはなく、ガラスが割れた時の刺々しい形状をしている。空間の中身は絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた景色だけが広がっており、どんよりとした空気を感じることができる。
この異空間には終点らしきものはなく、永遠と続くのではないのだろうか。
何もない空間が確かに存在しているのだ。そして、大和を守る盾の役割を十分に果していた。
放たれた弾丸が大和の肉体を貫く前に果てしなく続くこの空間に吸い込まれたに違いない。
不可解な現象を目前にして理解できる者は少ない。だが、説明の付かないことを説明できるように定義した言葉が栄光都市にはある。
「能力者か……」
隊長は部隊に目配りすると警戒態勢に入り、以前と変わらない状況へと戻った。
流石は訓練された部隊だ対処が素早い。こちらをどんな手を使ってでも捕らえる気だろう。
大和は自分の起こした現象を受け入れる暇もなく、逃げることを選んだ。不可解な力を使ってしまったからには言い訳など通用しない。
この瞬間、大和は能力者として判断されたのだ。
人とは異なる力を得た新しい人類の一人として。それは不幸か、幸運か。
望んだわけでもない力のおかげで命拾いした大和は呼吸を整えて、深呼吸した。
周辺に散らばった部隊の人数は五人。そして目の前に二人。
撃たれる危険性を考えたとしても、この能力があればなんとなかなるはずだ。
逃げ出す準備はできている、あとはタイミング次第。
緊張で額から汗が流れ落ちるが、恐怖心は嘘のように消えていた。
そればかりか、逆境に立たされて楽しんでいる感覚。能力者としての自覚に目覚めたゆえに、余裕が生まれたのか。それとも力を手にしたことによって酔いしれているのか。
一つだけ分かることがある。ただ、愉快な気分だった。
「発砲許可を出す、大人しく投降すれば丁寧に扱ってやろう。さもなくば」
―――これが最後の警告。馬鹿馬鹿しい遊んでやろうじゃないか。
「俺が素直に言うこと聞くように見える? あんたらのせいで俺は殺されかけたの。今更信用なんかでき―――なッ!?」
話を終える前に銃撃が始まった。滑り込むように近くにあった鉄骨に身を隠したが、囲まれてる限り全ての攻撃から身を守ることなど不可能だ。
鉄骨を背にして正面に亀裂の盾を生み出せば時間を稼げるかもしれない。右手をかざすと力の制御が出来ていないのか酷く震えてしまう。
左手で震える腕を押さえつけながら、意識を集中させる。僅かだが亀裂が少しずつ生まれ、破片となって一枚ずつ剥がれ落ちていく。
パリンッと砕けた音。無限に広がる異空間。存在を飲み込む力。
「これであの頭の悪そうな部隊から逃げられるかもな。どのみち怪我じゃ済まないなら、最後までやってやるよ……! 撃ちたいだけ撃ってなよ、バカみたいにさ。こっちだよこっち!」
「殺すなよ、足を狙え。重要な情報を持っているかもしれない、訓練の成果を見せてみろ」
「へー……んじゃ見せてくれよ。その訓練の成果。子供相手に通じないんじゃ意味ないぜ」
「威勢のいい子供だ。いつまでもそうやって余裕ぶっていられると思うなよ。我々の部隊から逃げられることなどできはせん。少なくとも君みたいな子供じゃよっぽど不可能だ」
「子供子供ってうるさい奴だな。そんな子供にまじになっちゃってるのあんたらだろ。負け犬は良く吠えるんだってな!」
いつまでも同じ場所にいられないと考えた大和は近くにいた部隊の一人に突撃を試みた。
銃弾が足元をダンスのように舞うがそれでも駆け抜ける。
判断さえ間違えれば怪我を負わせられるのはわかりきっている。
力強く踏み込んでバネの如く、飛びまた走る。避けるよりもかく乱することを考えながら。
不規則な動きを混ぜながら、右へ、左へ。銃弾を避けることなど不可能に近い。
「能力者……手加減はせんぞ。これでも食らえッ!!」
「……」
正面の男捉えて強く拳を握る。
頬を目掛けて一直線に。綺麗な弧を描き。
大和の拳が炸裂した。
「一発も当たらな――ガッあっはぁぁぁあ!?」
めり込む拳に絶叫しながら吹っ飛ばされていく。
撃ち抜かれることなく正面の男を殴り飛ばすことができた。
この驚異的な脚力のおかげだ。あの男に打ち込まれた薬はどうやら身体能力まで向上させるようだ。
首筋を舐められた時の感触が甦りそうになり、寒気を覚える。
鳥肌が立つのを我慢しながら己の拳を見つめた。
殴り飛ばされた男は大和の場所から数メートル先に倒れこんでおり、気絶していた。
しばらく、目を覚ますことはないだろう。
「なーんだ、この程度かよ。悪いな、撃ってきたのあんたらよ。これでおあいこな」
足を撃たれる激痛に比べたら優しいぐらいだと思った。後ろからは相変わらず残りの部隊が迫っている。仲間の一人が派手にやられようと諦めるつもりはないようだ。
二人一組で能力者に恐れをなして逃げるどころか、勇敢にも突撃を試みる。
離れた隊長の男はどっと構えたまま何もせず、観察していた。
こちらの能力が判明するまで手を出す気はないのかもしれないが、他の者に比べて威圧感が凄まじい。能力者相手に向ける視線は氷のように冷たく突き刺さる。
思わず目をそらしてしまいたくなりそうだった。それでも大和はあちこちにある遮蔽物を盾にしながら廃棄された建物にたどり着く。しつこく銃声が鳴り止まない背後に舌打ちを漏らす。振り返れば部隊との距離の差は数十メートル離れているが、銃火器があるかぎり落ち着くことはできない。
ここからでも十分な射程距離内であるのは間違いない。
休む暇も与えられず建物の中をくぐり抜けて反対側の市街地を目指した。彼らのような部隊が人々の生活を無視してまで発砲するような野蛮な輩でなければ上手く逃げ込むことができるはずだ。
これで命懸けの追いかけっこは終わりを迎えるはずだった。
突如として潜伏していた隊員が逃げ道を遮るように四方八方から出現した。
引き返すしか道はない。
慌てて来た道を駆け戻る。
「まだ他にも隠れてんの? あのさ、追いかけられるなら女の子の方が喜べるんだけど。しつこい奴等だよ、まったくなぁ!」
建物内に紛れ込むがほとんど隠れる場所など見つからない。埃まみれの床に足跡を残しながら目に入った階段を駆け上がる。あれこれ考えている場合ではないが思いつきの行動で階段の進路を塞ぐように右手を構えた。成功すれば異次元の空間が時間稼ぎの役割を果してくれるはずだ。震えが止まらない腕を再び押さえつけて一筋の裂け目が現れて具現化していく。
無理やり切り裂かれた内側から異空間は出現し大人一人分の大きさにまで広がった。軽い眩暈を覚えたが、立ち止まるわけにも行かない。能力を使うたびに僅かながらの疲れが蓄積されるようだ。
これで無闇やたらに能力を使うわけにもいかなくなった。
階段を阻まれた部隊は立ち止まって解決策を探し始めた。正体不明の能力に対して危険な行動などもってのほかだ。流石に異空間に飛び込む勇気を持つ者はいない。
「進路を塞がれたぞ、他に階段はないのか」
「外階段を使え、あちらからなら追いかけられる。ついてこい、行くぞ」
大人数の足音が離れていく。厄介なことに外階段の存在をすっかりと忘れていた。大和は外階段を塞ごうしたが既に数人がこちらに向かってきている。
その上、外に待機した隊員が数名こちらに銃を構え準備万全。大和は能力を発動させる前に撃たれてしまうのを恐れて内階段を上る。騒がしい足音が忙しそうに廃墟の建物を鳴り響かせた。
三階からはほとんどの外壁が剥がされており、外壁の代わりに大きな青いビニールシートが側面に被せられているのがわかる。五階から垂れ下るように被せているが少しボロボロである。
ここからだと市街地の人々が歩く姿が小さな蟻のように確認できる。こんな状況でなければ見晴らしが良いと思えた。人々はこんな場所で銃撃戦が起きるなんて考えられないだろう。
どうにかしてこの危機を抜け出さなくてはいけないが、希望は僅かしか残されていない。大人しく捕まってしまう方が現実的に感じてきた。
最初からこの機会を伺っていた隊長の男はゆっくりと歩きながら近づいていた。その姿は罠に嵌った獲物を仕留める蜘蛛に見える。逃げ場をなくした獲物は張り巡らされた糸によって振りほどけなくなる。もがけばもがくほど絡みつく糸によって獲物は身動きできなくなる。
手の平で踊らされていた大和はまたもや舌打ちするしかなかった。それが彼のやり方だと気づいてからでは遅いのだ。五階に辿りついた大和は静かに舞台が整うのを見守ることしかできずに抵抗する手立ても失った。
最後の賭けに挑むことを決心した。
しばらくして、部下の数人が屋上に揃う頃には隊長の男も大和をじろじろと見ながら親しげな笑みを浮かべた。
「君との追いかけっこは楽しめたが、こちらは仕事なんだ。大人しく付いてきてくれないか? 怖がらせることなどしない」
「銃火器で発砲してきた奴等を信用しろって。あんたらはいつもこうやって能力者と追いかけっこしてるわけ? 被害者なの俺は。巻き込まれただけだって言ってるじゃんか」
「不本意だが君の事を信頼できるだけの情報を得ていないんだ。手荒な手段は使いたくはない、もう一度だけ言う。私達は君ら能力者を傷つけるつもりはない、自己防衛だ。君みたいな若い子は丁寧に扱おう」
「簡単に引き金引いちゃう癖に? 最悪こっちは殺されそうになってんの。男に囲まれて誰が喜んでついていくかよ。あの気持ち悪くてイかれた科学者のおっさんも最悪だったけどさ、また思い出しちまった……」
またもや首筋を舐められた感覚を思い出して身震いしてしまう。
「君は状況があまりうまく飲み込めていないようだ。残念ながらな」
一歩前に踏み出た隊長の男は拳を構えた。
部下達は期待の眼差しを向けて武器を下ろす。これから始まろうとした決闘にその場にいた者達が息を呑んだ。張り詰めた空気に緊張が走るが、それに対してへらへらと笑いながら大和は後ろに下がっていく。
背後に待っているのは数十メートル下にある硬い地面だけだ。場に似合わない態度に周囲は不快な表情を浮かべていたが相手も察したようだ。
空を舞う覚悟ができるまでの時間は十分に噛み締めた。
「俺は最後まで諦めないんだ。俺はピンチをチャンスに変えるの。お分かり?」
「おい、待ちたまえ!」
駆け寄る男に背を向けて飛び降りた。
「ひゃっほーう! 最高ォォォォォォォォオ!」
鳥の様に空中に身を投げ出した大和は大袈裟に両手を広げてある物見つめる。
建物に被されていた青いビニールシート。
それに手を伸ばしてしっかりと掴み引き寄せる。
古くてボロボロな命綱に身を任せて、地面に着地する。あまりにも危険な方法だが最初の段階では成功だった。ビリビリッと破けていく愉快な音に合わせて凄まじい速度で落下していく。体が浮かび上がるような感覚を楽しみながら地面との距離は急速に接近して止まる気配はない。飛び降りた勢いと重力のせいだ。
これは困った、あとは運命に任せるしかない。
落下中の大和はひたすら祈りながら無事に着地できることを願う。
天にその思いが僅かに通じたのか二階と三階の間を過ぎようとしたとき、一時的に急停止した。宙ぶらりんのまま揺れ始める大和を上から男は見下ろしていた。
「五階から飛び降りるなんてイかれてるとしか思えん。あの少年は一体何を考えているんだ」
「ど、どうします? ここからでも狙えますが……」
「いやいい、弾の無駄になるだけだ。彼には少しきつい罰を与えてもらおう。こちら、影蜘蛛。標的の確保に失敗し、代わりに能力者と思われる少年を発見。今までにない種類の能力者の可能性がある。近くの市街地への逃走を開始しました。対処はお任せします、特徴は金髪の生意気な少年」
最後に添えた言葉は大和の第一印象に対する感想であることがはっきりと示されていた。口調からは少し嫌味が感じ取れる。小型の無線機で連絡に応答したのは女性の声。笑い声交じりに了解と一言だけ残したのは、男の心情を察したからだろう。
「ほら、新人。銃は大切に持っておけよ。我々が相手にする能力者は予測不可能ことばかり起こすんだ。あの少年の様にな。いいか? 自分の意思を貫き通す為なら、他者の考えを握り潰すことだって躊躇わない狂人もいる。相手が悪ければ殺されているところだ。次は問答無用で除隊命令を出す。二度とあんな馬鹿な真似はするなよ」
「す、すみません」
目を伏せながら小さな声で謝ると、返してもらった銃を大事そうに抱えていた。
その下では宙ぶらりんの大和は振り子の真似をしてながら、左右に何度も大きく揺れて足で空気を蹴っている。体重が片側に集中するたびに破ける音が聞えてきた。
この動作を繰り返しながら下りていこう。我ながらいい考えだと感心してしまう。
前を足を大きく突き出して、今度は後ろにお尻を突き出していくイメージ。
順調に下っている時に悪戯な強風が大和の進行方向に合わせて吹き荒れた。
その結果、予定よりも大幅に片側へ体重を乗せる形となる。
この瞬間、聞きたくもない音がはっきりと耳に伝わった。
「やめろやめろやめろまじで……マジで? 嫌だぁぁぁぁぁあああああッッ」
悲鳴と共に命綱であるビニールシートは大和の体重を支える限界を超えた。ふわりと浮かんだ瞬間に手放すまいと腕を伸ばし爪を食い込また。
そのままの遠心力を利用して体を半回転させた。ビニールシートがぐるぐると巻きついてきたが、洗濯機の中にぶち込まれたような視界の移り変わりにも耐えなければならない結果となった。
更に落ちる速度に比例して圧迫感が増していくが気にしている暇はない。
地面との衝突に備えて歯を食いしばる。地面と顔が触れそうになったとき、グイッと何かが上の方で引っかかり停止する。
しばらくしてからドスンッと地面に転げ落ちた。
青い芋虫になった大和はくねくねと身をよじらせて、横に転がりつつ巻きついた物を体から外した。汚れた土を払い落としながら見上げると満足そうに大きく手を振る。
「なんとかなるもんだな、俺ってばラッキー! それじゃあばよっ」
無邪気な少年の笑顔で市街地へと駆け抜けていく。自分の鞄を回収するのを忘れずに。