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トリスの日記帳。  作者: 春生まれの秋。
帰路~耶都~
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4、帰路~耶都 4~


4、帰路〜弥都 4〜






「ようこそ。おにいはんがた。うちは芸妓の吉野と申します。畏れ多くも、『太夫』の称号を名乗らせてもろとります。本日はどうぞよろしゅうお頼申します。」


 白いうなじも艶やかに、凛とした、けれど甘い響きを含ませた和かな声で、吉野太夫が挨拶する。


シャラン。


 と、簪を揺らし、伏し目がちな瞳を開き、吉野太夫は座敷を見渡す。

 そして、はんなりと微笑むと、すっと姿勢を正した。

 おにいはんがたの、はっと息を飲む気配が伝わる。

 吉野太夫は、この座敷の主導権を握った様だ。


 ぴんっと張り詰めた空気の中、



「ほんで、こっちが本日初座敷を飾ります、舞妓見習いの、」


(ほれ、恥ずかしがっとらんと、挨拶しぃ)



と、吉野はん姐さんに目線で促された私は、ゆっくりと面を上げ、内心の驚きを表に出さないように、ふぅわりと微笑む。



「本日よりお座敷に上がらしてもらいます、『千早奴』と申します。おにいはんがた、よろしゅうお頼申します。」



(何とか、噛まずに言えた。)



と、教えられたセリフを言えた事に安堵する。


 すかさず吉野はん姐さんが、



「お見苦しゅう場面も御座いましょうが、千早奴共々、案の定、可愛がって戴けると嬉しゅうございます。」



とフォローをしてくれた。


 しっかりと前を見据えると、目の前には、ゆったりと寛ぐお客様、本日のパトロンである所の『おにいはん』がいる。



(彼らが、私の愛しい人。)



 私は私に暗示をかける。


パンパン


 と、軽快な手拍子を打って、吉野太夫が言う。



「さぁ、先ずは大事なおにいはんがたに、おもてなしや。お膳をお運び。」



 禿達により、お膳が整うと、吉野太夫は、



「さぁ、おにいはんがた、太夫と謂われるこの、吉野の舞をとくご堪能あれ。」



と、おにいはんがたに宣言した。


 私は、吉野はん姐さんの邪魔にならない位置に移動して、箏の準備をする。


 そして、吉野はん姐さんの呼吸に合わせて、楽を奏で始めた。



♪〜


…幽玄の舞が、座敷を満たす。


儚く、艶やかで、匂い立つ色香の漂う、濃密な時間が流れる。



♪〜



…シャン…。





と、最後の音色が鳴り響き、ピタリと動きを止める吉野太夫。


 それを見て、おにいはんがた、アリス・トートスとカイル・オニッツは、息をするのも忘れて吉野太夫に、吉野太夫の舞に、吉野太夫の造り出す空間に、酔いしれ、魅了されていた。





 …。



 どれ程見知った仲であれ、『お座敷』という、結界の中では、『おにいはん』というお客様は、妓女にとっては、全身全霊で、『恋慕う相手』、である。

 今の私は、『千早奴』という、彼等の知らない、初めて相対する一舞妓に過ぎない。

 吉野太夫と共に、妓女として、オンナとして、異性である、との認識を込めた視線を、だからこそ、初めて受ける事が出来た。

 その『恋慕う相手』(アリ君)が、『自分(千早奴)』(トリス)以外を見詰める空間に居るという事が、視界の端にも留めて貰えない、という事が、心をどれ程締め付け、切なくさせるのか、この時、私は『千早奴』という領分を越えて、嫌という程、感じていた。


(これが、色町で生きる妓女〈おんな〉の苦悩の一端ですか…。苦界、とはよく言ったものです…。)



 吉野はん姐さんの偉大さを噛みしめながら、体験とは言え異文化の奥深さに触れ、驚嘆する。




 そんなトリス個人の苦悩は表に出さずに、私は千早奴としての領分に専念する。



 アリ君が、吉野はん姐さんにお酌をされて。



トリスには、そんな視線は向けてくれないのに…』



 と、意識する自分を感じながらも。


 しなをつくって、カイル君に



「そちらのおにいはんも、どうぞ楽しんでおくれやす。」



と、お酌をする。


 誰よりも、ワタシを見て。と。


 何よりも、ワタシを選んで。と。


 そうする事が、この、花街と呼ばれる場所での心得と心底理解出来てしまったから。

 私は、ソレを実行した。

 …痛む心を置き去りにして…。









 そんな努力が実を結んだのか。私が、千早奴として振る舞っていた間。


 アリ君とカイル君は、私には全く気付く事なく、吉野太夫と、一舞妓としての私〈千早奴〉に酔いしれてくれた。


 お座敷遊びの醍醐味を、存分に堪能してくれていた様である。


 それは勿論、吉野はん姐さんのお力があっての事だったが、私もその一助になっていたと、その一翼は担えたと思いたい。



 ともあれ、存分に遊び、存分に飲み食いした彼等は、私達妓女を下がらせて、睡眠を取る事にさたらしい。

 吉野はん姐さんや女将さんに、床には侍らさないと確約して貰ってはいたが、私も含め、他の誰も、寝所に呼ばなかった事に、私、トリスティーファ・ラスティンは心底安心したのだった。

 旅の仲間の、下の話題なんて、出来ればそんなプライベートな話題は遠慮したい所だし、それに。これ以上の想い人|(アリ君)の男としての目線を、他の誰かに向けられる視線を、私は感じていたくは無かったのだ。






「よぅやったな。初舞台にしては上出来や。吉野も千早もお疲れやったな。吉野、千早のフォローありがとうな。」


 舞台裏に下がった吉野はん姐さんと私に、女将さんは、労いの言葉をくれた。


「いいえ。おかあはん。この娘、ミスも少のぅて、遣り易かったわ。初めてとは思えん馴染みっぷりやったで?」



 と、座敷の様子を吉野はん姐さんから、その出来映えを伝えられたおかあはんに。



「なぁ、あんた。ほんまにうちで働かへんか?あんたやったら、一流になれると思うんやけど。捨て置くには惜しい才能や。」



との、名誉あるお言葉を頂いた。今度こそ、完璧なる太鼓判を押されたのだ。


 私は、



「今はまだ、自分を探す旅の途中です。機会があれば、その時こそ、本当の意味で、宜しくお願いいたします。」



と、返事をした。




 将来を見据えて。



 末路を、決める、選択肢の一つと定めて。







 翌朝。集合場所になに食わぬ顔で足を運び、アリ君達に昨夜の話を聞いてみた。



「昨夜は祇園で過ごしてな。吉野太夫の舞を見てきた。あれは一見の価値があるな。」



 楽しかった様で、今までにない上気した様子を冷静さを装って語るアリ君。



「千早奴さんって異国の舞妓さんのデビューにも立ち会えてな?すごく弥都情緒溢れる一夜だったぜ!」


 アリ君とは対照的に、覚め遣らぬ興奮を全面に押し出して語るカイル君。

 楽しそうに、興奮気味に話す彼等を微笑ましく迎えいれて。

 私の弥都での初めての旅は終わりを迎えたのだった。







耶都編、終了になります。

ありがとうございました。

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