14 帰路~セリカにて.13~
間に合いました。
どうぞ、お楽しみください。
14、セリカにて 13
頭目らしき男を昏倒させ、ジェンユ君を救出できた事にホッとして、私は、私達は、正直油断していた。
ハイルランドでは、これでお仕舞いだから。
でも、セリカでは違った。
「ねぇちゃん達、危ない!」
ジェンユ君の声に即座に反応したのは、カイル君で。
振り返ると、熨した筈の頭目らしき男が、にわかに立ち上がり、こちらを目掛けて奇襲を仕掛けるのが見えた。
咄嗟に動けない私達を他所に、鮮やかに動く影があった。
カイル君である。
振り向き様に、綺麗に男の鳩尾に入る、カイル君の左肘鉄。その勢いのまま、男の顎を捕らえた右掌の打ち上げ。最後に仰け反った男の鳩尾に再度上から叩き付けられる、右肘。
カイル君は、神拳寺で習い覚えた『アーツ』、『外門頂肘』を放っていた。
お手本の様な技を極めると、カイル君は、地面に叩き付けられた男の胴を、容赦なく踏み付けた。
余りの速業に、私は言葉が出なかった。
「ふぅ。ジェンユ。ありがとな。お蔭で、油断大敵だって事を思い出したぜ。」
いともあっさりと頭目らしき男を熨すと、カイル君は事も無げに言った。
そういえば、老師も仰っていた。セリカの強敵には、いずれかの奥義『アーツ』を発動させた一撃で倒す事が必要だと。
カイル君が相手にした男は、そんな強敵の一人だったのだろう。
今更ながら、私はそんな事に思い至った。
そんな中で、
パチパチパチ。
と、場違いで、やる気がなく、気だるげな拍手が響く。
「いや、異国の方にしては、お見事です。お客人方。どうぞ、お話でもしませんか?歓迎しますよ。」
扉の奥から、出てくる人影があった。
黒くて裾の長い民族服を纏い、影から現れる様に出てきた男は、そう言った。
「貴方は…?」
ジリジリと警戒しながら問う。
「一緒にお越し頂ければ、お話ししますよ。何、悪いようには致しません。皇帝陛下のご友人に、無体な真似をするなんて、そんな恐ろしい事はわたくしの様な小者にはとても出来ませんよ。」
クックックックッと、口の中だけで笑うその男は、私の目から見て、とても胡散臭かった。
「…何故、そんな申し出を?」
「皇帝陛下のご友人たる貴女に、裏社会で行われている闘争を見届けて頂く為ですよ。勿論、貴女方ハイルランドの冒険者、《宿せし者》に、無闇に場を荒らされたくない、という事情もありますがね。」
いともあっさりと、此方の事を把握している、と示し、要求を突き付けてきたこの男。
(このまま、問答すべきでしょうか…?裏路地で、誰の耳目があるか分かったものじゃないここで、すべきでない問答を、私はしているのでは…?)
本能的警戒心のままに、問いを発し続ける私。答えを出せないでいる私に、私の優秀な軍師は、私の惑いを正確に読み取っていた。
「よかろう。彼女だけでなく、我々の身の保証をすると言うのならば、着いて行こう。」
私の男への警戒心を宥める様に、背後からアリ君の手が、私の肩を掴んでいたのだ。
「トリス。カイル。ジェンユ。それでいいな?」
(トリス。ここは、情報漏洩しない場所に案内されてから問いを発するべきだ。先の発言で、相手の情報収集能力の高さが伺い知れるからな。無駄な問答をするより、相手の懐に入り込む方が、お前らしいと、私は思うが?)
肩越しに、耳元で私にだけ聞こえる様に呟かれたその台詞に、私の緊張は、一気に和らいだ。
ふぅ。
と、一つ、溜め息を吐いて体から強張りを追い出すと、私は、素直にアリ君の提案に乗った。
「分かりました。アリ君。確かに、此処で問答していても、仕方ありませんもんね。ただ…ジェンユ君の裏社会からの足抜けを認めて頂けると、嬉しいのですが。」
一番の目的を果たすべく、私は要望を口にした。
「トリスが行くっていうなら、俺に異存はねぇよ。それから、」
カイル君は賛同を表明した上で、踏んづけている足に力を込めながら続ける。
「こんだけ熨されてるんだ。当然、ジェンユは解放、だよな?」
グハッ!と、カイル君の足元で悶える、『紅蠍』の頭目(推定)。
冷ややかな眼差しをカイル君の足元に注ぎながら、黒衣の男は笑顔で言った。
「弱者は要りません。弱者の抱えている下端がどうなろうが、上としては問題ありませんねぇ。弱い組織は喰われて終わり、ですよ。」
男はそう言うと、パチンと指を鳴らした。すると、あちら此方から、わらわらと黒装束の集団が現れた。
「『紅蠍』の強化の計り直しです。連れていきなさい。」
男が命じると、音も無く黒装束の集団は、倒れ付していた『紅蠍』の一団を何処かへと運び去ってしまった。
私は、目の前で起こっている事態を理解出来なかった。
「…今のは…?」
自然と、疑問を口にしていた。
「裏社会の、けじめって奴ですよ、お嬢さん。表の人間が気にする事じゃあありません。」
背筋にヒヤリとしたモノを感じさせる物言いだった。
「…。トリス。まぁ、気にするな。ジェンユは自由になった。それでは不満か?」
私の硬直っぷりを見兼ねて、アリ君が告げる。私は、彼の言った事を反芻すると、漸く、事態を把握する事ができた。
「そうですね。分からない部分より、分かる部分を考えましょう。ジェンユ君。自由獲得、おめでとうございます。」
「うんっ。ねぇちゃん達のお陰だね。ありがとよ。」
そう言って笑うジェンユ少年の顔は、とても清々しく、苦労が報われる様な清涼感を私にもたらした。
当初の懸案事項だった、ジェンユ君の自由も保証され、安心した私は、一先ず黒衣の男の提案を受け入れ、移動する事にした。
男の後を追って、元『紅蠍』本部の建物へと足を踏み入れる。中は、細い通路が幾つも交差しながら、複雑に入り組み、地下へと降りていっている様だった。薄暗い通路は、ガス灯が設置されているらしく、男が進む方向に明かりが灯り、私達が通過し終わると、ふっとその明るさを消した。下りだけだと思っていた通路には、次第に上り坂や階段まで表れ、随所に何処かへと通じているらしい扉がある事にも気が付いた。
幾つもの扉を無視して、幾つもの階段を上下し、曲がりくねった通路を右へ左へと曲がり、方向感覚も、上下感覚もあやふやになり、時間感覚も分からなくなってきた頃、男は漸く、一つの扉の前で止まった。
「お待たせしました。此方が、我が組織、『蛇禍』(じゃか)へと通じる扉になります。お入りください。」
その言葉に、私は、おずおずとしながらも、室内に入る。
室内に入ると、そこは天然の洞窟を利用した、広い空間になっていた。
壁面には、やはり特殊なガス灯が設置されていて、特定の位置へと的確に光が届く様に設定されている。その証拠に。
手合わせ出来るだけのリング状の舞台を中心として、滝の水が、左右に別れる様に流れている様子が、部屋の何処からでも見れる様になっていたのだ。
私達が驚きながら、中に入れると、音も無く後ろの扉が閉じた。
男は、舞台の真ん中に歩を進めながら、黒衣を脱ぎ、話始めた。
「さて、わざわざご足労願いまして、ありがとうございます。わたくしは、罹瘟(りおん)。今、このセリカに於ける裏社会の覇権を得んとする、『蛇禍』のNo.2です。此方にお出で頂いたのは、先程も申しました通り、ハイルランドの《宿せし者》たる貴女方に、覇権争いの邪魔をして欲しくないからです。トリスティーファ・ラスティン殿。」
すっかりと衣装を脱いだ彼は、白い民族服に、青緑色の刺繍の入った、動き易そうな格好になっていた。
「邪魔するも何も、私達は、只の冒険者ですよ?邪魔なんてしませんよ。」
舞台に進む彼の話を聞き漏らすまいと、私達も、舞台へと進む。
「貴女は分かっていらっしゃらない。その指輪の持つ、力の意味を。」
全員が、舞台に登ったのを確認して、罹瘟さんは、タンっと右足を鳴らした。
「そんな事を言われても、ウラディミカ陛下と友人として話せるってだけの代物でしょう?」
やれやれ、と呆れた様に首を横に振り、彼は続けた。
「分からないのなら、不要でしょう。どうです?わたくしに、それを譲っては頂けませんか?何。陛下には、無くしたとでも伝えれば、不便は無いでしょう?」
ねっとりと、絡み付く様な、粘着質な空気が部屋を支配している。
微かに、地揺れの様な震動がした。
「嫌ですよ。だって、大事な友人からの贈り物ですから!」
私は、彼の要求を撥ね付けた。
すると、どうだろう。後ろにあった筈の、舞台への道が、対岸の壁面に収納されていったのだ。
「分かっていました。貴女がそう仰るだろう事は。しかし、わたくしにもプライドと言う物がございましてね?ボスを前にして、収穫なし、ではお話にならないんですよ。お分かりでしょう?ですからね。ハイルランドの《宿せし者》とやらの強さが如何程か、試させて頂きましょう。」
「それ、受けなくてはいけませんか?私にメリットは何もなさそうなのですが。」
乗り気でない私に、罹瘟さんは続けた。
「なら、そちらの貴方。カイル・オニッツでしたか。彼に相手をして貰いましょうか。まさか、逃げませんよね?坊主。」
「いいぜ。あんたからは、強者の匂いがする。手合わせ願うぜ!」
「嬉しいですねぇ…。私も、実は貴方と手合わせしてみたいと思っていたんですよ。」
そうして、カイル君と罹瘟さんの対決が始まった。