大学での生活
これは、彼女の成長の物語。
2、
私、トリスティーファ・ラスティン(14歳)は、今まで屋敷の者達や、一部の例外を除き、人の世界というものに慣れていない。それでも、どうしても出席しなくてはならない貴族としてのパーティーであるデビュタント…つまり社交界デビューの御披露目の舞踏会…には出たが、それもお父様と一曲踊ったら、すぐに庭に避難して、お父様達の帰る時間までをやり過ごしていたくらいだ。
そんな私にとって、最初の試練は、この入試会場の人の多さである。
会場まではお母様が送ってくださった。極度の緊張からか、私には、景色を楽しむ余裕はなかった。風がとても心地好かった事だけを覚えている。
会場についた私は、余りの人の多さに、お父様からいただいたケルバーソード(水路の交易都市ケルバーで産出される貴重な水晶を磨いて作られた儀礼剣)をきつく握り締め、心を落ち着けようと努める。
『大丈夫、予習はちゃんとしてきたもの。挨拶の仕方や人付き合いのマナーは、きちんと本で確認したわ。平気よ、私。』
ワザワと賑わう会場。
うごめく人々。
私は人に酔い、壁にもたれながらも、試験の開始を待った。
待つ事暫し。
壇上に立つ理事長先生の説明で、学力と体力、そして総合力をテストする、と説明があった。
まずは学力。
これは問題無い。
予習はバッチリだし、集中してれば、人の気配なんて意識からは出ていく。
私はサラサラと筆を走らせ、次々と問題を解いていく。
次は、体力。
裏庭(森)で過ごす日常を送る私には、ちょっと簡単すぎる。
というか、皆さん、あんまり障害物走は得意ではないのかしら?ゴール出来ない方出来ないがいらっしゃるのが不思議だわ。
最後に、総合力。
即席でパーティーを組んで、簡易ダンジョンを突破するらしい。
私は、レヴィさんとレオさんという、お二人と組む事になった。
早速、私はお二人に挨拶をする事にした。
「はじめまして、ご機嫌よう。私、トリスティーファ・ラスティンと申します。武具の事を知り、きちんとお客様に合う逸品をお渡しできる人材になるべく、大学を受験する事に致しました。人との接し方など、まだまだ不慣れなふつつか者ですが、よろしくお願いします。」
私がカーテシーを決め、礼儀正しく、自分から挨拶を申し出ると、シスター服の女の子が、にっこり笑って、挨拶を返してくれた。
「こちらこそ、よろしくね。私はレヴィ。家が嫌いでここに来たの。」
初めて見る、家族以外の同年代の女の子の、親しげな笑顔。
これが、学園生活で親友となる、レヴィちゃんとの出会いだった。
やや遅れて、少し歳上に見える少年が、興味深そうにこっちを見ながら声をかけてくれた。
「ああ、よろしくな。俺はレオ。剣士志望だ。それじゃあ、行くぜ?」
彼の合図に頷くと、私達は、慎重にダンジョンに踏み込む事にした。
試験会場だという、このダンジョンは、どうやら此処は古代遺跡の一部らしく、見馴れない様式の石壁が所々はがれた土の合間から覗いていた。
薄暗い洞窟の様な通路で、私達が手にしているのは、支給されたカンテラ。
心細いまでに細やかなその明かりに照らされた道。その薄暗い道を一歩一歩慎重に歩んでいく。
道に迷わない様に、地図をノートに描きながら、内心どきどきしながら歩を進める。
試験用ダンジョン、という事で、危険な箇所には試験官の先生が立っていて、命の保障はされている、と説明を受けた。
怯えず、暗いダンジョンを抜けて、最終部屋での出題に答えられればクリアなのだそうだ。
もちろん、途中幾つかの部屋を抜け、最後の部屋にたどり着くまでの態度などが審査対象ということになる。
寄り道など、以っての外。戦闘など起こしたことのない私には、戦う方法が分からない。こういう時は、試験官の制止は真摯に受け止め、無難にゴールを目指すのが一番である。
私達即席パーティー三人は、時に力を合わせ、時に知力を尽くして、試験の問題を一つ一つ慎重にクリアしていく。
そうして、幾つかの部屋を潜り抜け、漸く私達は
『最終問題。心してかかるように。』
と朱いペンキで書かれた扉の前にたどり着いた。
「ここが最後の部屋みたいだね。」
レオさんが言う。
「意外と楽勝でしたわね。」
レヴィさんが答える。
コクコクと頷く私。
最終問題の出される部屋。
そう聞いて、私はすぐに、この扉の先に試験官の先生がいて、面接の様なものがあるのではないかと思った。今まで人間社会の予習として読んできたどの物語の本でも、試験の最後には、礼儀作法や来歴、そして、その人の人間性を試験官が直接面接をして判断する、という描写が描かれていたからである。そうした人間社会の予習の末に、私は、これが、あの入試試験の最後の問題の真髄であると判断したのだ。
(ここからが肝心ね。試験官の先生に、失礼があってはいけないわ。しっかり対応しなくちゃ!)
私は、内心のドキドキを抑えながら、すぅっと息を吸い込んだ。そうして、脳裏にマナーの作法を思い出し、誠意を持って試験に臨むべく、扉をノックした。
コンコンコン。
「第15班、レオ、レヴィ、トリスです。入ってもよろしいでしょうか?」
…。
決意を持って挑んだのだが、残念ながら、中からの返事はなかった。
(どうしましょう…?返事がありませんわ。何か失礼をしてしまったのでしょうか?)
私は不安にかられ、涙目になりながら、二人に振り返った。
視界の先には、驚愕の表情を浮かべた、臨時のパーティーメンバーが、肩を落として佇んでいた。
「トリス…マジか…」
「トリスさん…」
二人は、頭を抱えて居るようだった。
私は呆れ顔の二人を見て、不安になった。
私は何か重大なミスを犯してしまったのだろうか?いや、でもマナーの本に書いてあった通りなのですが…。
と、私がオロオロしていると、扉が開いた。
上の方から、理事長先生の、
「あらあらあら、面白い反応ねぇ。そのまま入っていらっしゃい。試験が出来ないわ。」
という、声がした。
結局、私達は言われるがまま、扉の先に進む事になった。
そこは、15m四方の部屋が広がっていて、奥の方に、木でできたゴーレムがいた。それ以外には、理事長先生や試験官の先生の姿はなく、ゴーレムの向こう側に、別の部屋へと続く扉を確認する事ができた。
「部屋の奥に、扉が見えるかしら?貴方達には、その扉から、この部屋を抜けてもらうわ。ゴーレムはそれを阻止しようと動くから、上手に対処してね。もちろん、死に至るような攻撃はしないわ。安心してね。」
という声が響いた。
私達は、ゴーレムの様子を観察する。
ゴーレムは
グギギギギィ
という、木でできた関節を軋ませる音を立てながら動き始める。さらには、ガラスのような目から、
キュピーン
という光を放つと共に、こちらに向かって向きを変えた。私達を敵と認識した様だ。
「あれはウッドゴーレムですね。私が残って囮になります。お二人はその隙に駆け抜けてください。多分、私はあのコよりは速く走れますから。」
私は今まで読んできた、魔物に関する本に載っていたウッドゴーレムの項目を思い出しながら、即座に指示を飛ばした。もちろん、『倒す』ではなく『回避』して部屋を抜ける為だ。
理事長先生は、『命に危険は無い』、『部屋を抜け出せ』とおっしゃっていた。戦闘を避けても問題ないはずだ。
だが、私の甘い希望を嘲笑うかの様に、ここで予期せぬ事態が起こった。
グオオオオン
という轟音とともに、突如突進してきたウッドゴーレムが、腕を振り回したのだ。
その先には、動けずにいるレヴィさんがいた。
危ない!!!!
考える前に、私は、レヴィさんをその場から突き飛ばしていた。
こふっ。
私の口から、赤くてドロッとした液体が溢れる。口の中が鉄臭い。左脇が熱い。
おかしいな。
身体が、動かない。
レヴィさんは無事かしら…。
私の意識はどんどんと遠ざかり、今にも消えようとしていた。
…………。
意識が、段々と闇に包まれようとしている、私の心に、微かに聴こえる声があった。
『…する為の、力が欲しい?』
年齢のわからない女性の声に、私は安堵を覚えた。暖かく、包み込む様な、存在の全てを赦してくれる様な温もりを感じる。その声に応えたいとぼんやりとした思考が浮かぶけれど、私には、その声が何を言っているのかの、判別がつかない。
『…。神々の欠片を空に還しなさい。…する、力をあげるわ…。』
圧倒的な存在感を持つソレは、私の意思を確認する事もなく、私に使命を課した。
《神々の欠片を空に還す》、と言う。
カッと一気に身体が熱くなったかと思ったら、急激に意識が浮上した。
ふっ、と目を開くと、新しい力が、戦うための力が、身体に宿ったのを感じた。溢れる力に翻弄されながらも、周囲を見回すと、今にもウッドゴーレムにやられそうなレオさんがいた。
私も戦わなければ…。
今まで、思いもしなかった思考が、私に目覚める。
私は、痛む身体を引き摺って、剣を構えた。
と、そこに、バサリと舞い降りる、一人の影があった。
「お前達、無事か!?」
そのヒトは、翼を広げ、ふさふさの毛並み豊かな凛々しい体躯をした獣人で、人里では目撃する事の珍しいとされる、狼鷲族の方の様だった。予習してきた本によると、この珍しい種族の方が人間社会に居ると言う事は、伝承で言うところの、『神々の欠片を宿す者』でもあると言う事である。
驚愕に目を見張る私達を余所に、彼は尚も続けて言った。
「私はグリーンヒルと言う。お前達の監視員だ。すまんな。こちらの手違いで、ウッドゴーレムが暴走した。現時点を持って、生き残っている君達は合格だ。唯一目覚めて居なかったトリスも、神々の欠片に目覚めた様だしな。良いことである。さぁ、新入生諸君!講堂へ行きたまえ!」
そう話す間にも、グリーンヒル教官は、鋭い蹴りで、ウッドゴーレムを粉砕していた。
呆気に取られていると、
「心配しなくても、これで終わりだ。」
と言う言葉と共に、きらきらと神々の欠片が空へと昇っていった。
「…綺麗…」
私は思わず呟いていた。
この光景を、これから先、何度も体験する事になるとは、この時の私は、想像だにしていなかった。
その時の私に分かっていたのは、どうやら入学試験には合格できたようだ、という、その一点のみだった。