【7】木漏れ日の火蜥蜴亭
「本当はバフ……戦闘を有利にする効果があるから、出かける前に食べるらしいんだけど」
「食事をして強くなるってなんだか不思議です」
夕暮れ時を迎えた王都の一角、建物がオレンジ色に染まり、人々の足元に長い長い影が横たわる。
その中で一際大きく揺れる影――、ルチアの召喚獣であるアロマはぴょんぴょん跳ねて移動していた。
召喚主であるルチアの歩調に合わせるように腰を振り、振り子の要領で器用に進む。その度にくせっ毛のある緑の長髪が宙をはしゃいで舞っていた。それは小さな子が必死に親の後を追うようで、見ていて微笑ましい気持ちになってくる。
目抜き通りを行き交う往来はプレイヤーや召喚獣、そしてNPCが混ざり合い、濁流のような無秩序さの中で活気に溢れていた。
「そういえばこの子たちって何を食べるんだろう」
「どうなんでしょう……?」
お互いの召喚獣と目を合わせて、マリーは首を傾げた。
琥珀はなんとなく肉でいい気もするが、精霊種であるアロマはよくわからない。
それ以前に召喚獣も食事をするのかといろいろ考えていると、肉の焼ける匂いに引き寄せられたのか琥珀の鼻が小刻みに反応していた。
視線の先にはあったのは一つの屋台だ。
丸焼きにされた胴が一本の太い鉄串によって貫通され、炭火で回し焼かれている。
ちょうど大楯を背負ったプレイヤーが注文しているようで、店主が肉包丁で薄く削ぎ落していた。バゲットに包まれて提供された一品はとても美味しそうであり、釣られてマリーの喉もゴクリと鳴る。
「いやいや、駄目だからね。最初はちゃんとしたお店で食べるから」
どうやら召喚獣にもちゃんと食欲はあるらしい。
自身も誘惑を振り切り、琥珀にも抑制するよう促す。シュンと表情を曇らせた琥珀は不満そうに小さく鳴いた。
なんだか、こちらが悪いみたいだった。事実そうなのだけれども。
「……今度買ってあげるから」
僅かばかりの罪悪感に駆られて呟いてしまう。
――最初の一食くらいは料理店で!
これはマリーの我がままでもあるため、どこかで折り合いはつけなければならない。そのための妥協点だ。
その言葉を聞いて、琥珀がこちらを見上げる。ゴロゴロと喉を鳴らしてこちらへ寄り添ってきた。
それで手打ちにしてやろうという意思が伝わってくる。暫くは愛い奴めと気を許していたのだが、いつまで経っても離れる気配がない。
「もうっ、歩きにくいんだけど!」
「マリーさんと琥珀ってほんと仲良いですよね」
王都の内部MAPを表示させながら歓談を弾ませ、目抜き通りを探索する。
ちょうど夕食時なこともあって通りにある飲食店はどこも盛況な状況だった。
「宿屋が多いのかな。ちょっと行き過ぎたかも」
様々な香りや店構えに目移りしてしまう。決められないまま歩みを進めていれば、次第に道なりが細くなっていく。どうやら脇道にズレていたようだ。
この辺りは通りに比べて小さな店造りが多く、個人や家族単位で経営しているものが多いのだろう。
「あ、でもいい匂い」
「あら、寄っていくかい?」
場所は王都の西区にある木漏れ日の火蜥蜴亭と立て掛けられた看板前。外見はこじんまりとした石造りの二階建て。
下宿屋ではあるが、聞けば昼と夜には食事を出しているらしく、王都に住む冒険者向けの店らしい。
料理は全て女将の気まぐれで賄いに近いものが出ると説明され、店前で腹の虫がぐぅと鳴く。そのうえ笑顔で応対されれば断ることなど出来なかった。
「四人分用意するから、さあ入った入った」
召喚獣も人数に含まれていることに安心する。
ついでに精霊は何を食べるのかと尋ねると、女将は目をぱちくりさせて「何でも食べるんじゃないのかい? 好き嫌いでも?」と聞き返されてしまった。
どうやら深く考えすぎだったらしい。
店内はカウンターと四つの丸テーブルが置かれ、客付きは五割といったところ。冒険者が好んで利用するといわれた通り、筋骨隆々の男たちが傍らに得物を立て掛け、武勇伝を肴に酒と料理を楽しんでいる。この中にプレイヤーの姿はカウンターに座った青年がニ人。残りはNPC達だ。
プレイヤーとNPCの違いは頭上に表示されるLPバーの有無くらいのものであり、表情や仕草からは判断が全く付かない。愛想よく招いてくれた女将にもLPバーは付いていなかった。
喧騒とした店内の中、マリーとルチアはテーブル席へと案内された。
「そうそう、宿はどうするんだい? 今なら二部屋ちょうど空いてるよ」
「ならお願いしよっか?」
ルチアに尋ねるとコクリと頷く。
「ちなみに料金は?」
「食事は別で一泊200Gの前払いさ、と言いたいんだけどあんたたち来訪者はいつ帰ってくるかわからないからねぇ。とりあえず三泊500Gでどうだい?」
「あー……」
現実世界で仮に十二時間過ごすとグリムニールでは三十六時間が経過しているのだから、女将からしてみれば突然消えて突然帰ってくるという印象かもしれない。
そもそもNPCはゲームの仕様をどのように理解しているのだろう。
疑問に思いつつも宿泊した期限を超えてからログインで復帰した場合の処置がわからないため、とりあえずは言葉通りに三泊することで了承する。幸いというべきか、明日は週末なので早くからログインできる。家事など済ませていると昼以降になるかもしれないが、時間的には問題なさそうだ。
「あはは、なんだかすいません」
「ああいや、あんたが謝る必要なんてないよ。詳しくは聞かないけど来訪者にも事情があるんだろう? 数日利用する来訪者の部屋を用意してるからそこを使っておくれ」
そう伝えると女将は上機嫌で厨房へと戻っていった。
来訪者。
その呼び名を最初に聞いたのはキャラクターメイキングの時だった。キサラギが別れ際に呟いた来訪者マリー、という言葉。
プレイヤー達が NPCを判断しているようにNPCもまた何らかの手段でプレイヤーを判断しているのだろう。彼らにとってその名称が異世界より来訪せし者というわけだ。
「あの人もNPC? ですよね?」
「そう。ほんと凄いよね」
『この世界に住まうNPC達もちゃんと生きてますし、それぞれの感性があり思考があります』
これはキラサギの言葉だったが、ちゃんと生きているということはNPCにも生活史があり過去があるのかもしれない。
ここにいる冒険者たちだってそうだ。
彼らの得物は擦り切れたような跡が見受けられ、衣服は染みて肌には傷跡が残っている。長年命を懸けて仕事に費やしてきた様子が節々と伝わってくる。
プレイヤーは死んでも復帰できるが、NPC達はきっとそうではない。ゲームの設定上仕方ないとはいえ、遊び感覚でモンスターと立ち向かうプレイヤーを彼らはどのように捉えているのだろう。
不思議と、そんなことを考えていた。
何とも言えないもどかしさが胸の底に詰まっていく感覚。
「ひゃうっ!?」
暫く店内の喧噪を聞き流していると突然、マリーは妙な音を発した。
足首に生温かい刺激。ルチアが驚いたように反応し、首を傾げる。
「琥珀ぅ――ッ!」
足元でごそごそとしているのは気づいていたが、どうやら琥珀がぺろりと舐めたらしい。今は座席の後ろで伏せており、両目を閉じて知らん顔。暫くじっと睨みつけていると片目を開けて視線を合わせ、つまらなさそうに顔を背けてしまった。
「はあ……もういい」
「琥珀もマリーさんに構って欲しいんですよ」
「お腹が空いて私の生脚が食べたくなったのかも」
琥珀がぴくりと反応する。誰が、と言いたげに床へと尻尾を二度叩く。
「それは流石にないと思いますけど」
「そこは断言してよー。ルチアちゃんも食べられちゃうよ」
「マリーさん。からかって楽しんでるでしょ」
「んー、前にも言ったけど、妹がいたらこんな感じなのかなって。嫌だった?」
「……なんだかくすぐったい感じです。じゃあアロマは三女ですね」
当のアロマは小さな身長を隠すかのように空いた丸椅子に乗り、上半身をテーブルの上に乗り出していた。ルチアとマリーを交互に見比べ、きょとんとした表情を浮かべている。感情の起伏が薄いらしく、長い髪で目元も隠れているため、表情から会話の内容を理解しているのかわかりずらい。
「可愛いよね」
「アロマは可愛いです」
料理が来るまで二人してそんなアロマにちょっかいをかけ、顔をほころばせていた。
「はい、角兎の香草パイ包み三つとパンのセットね。で、その後ろの子はこっち」
十五分程待って出来上がった料理がテーブルの上に並べられる。
目の前には厚みのあるグラタン皿に乗った一品とパンの詰まったバスケット。
琥珀には小ぶりな肉の塊が二つ。あれも角兎だろうか。丸焼きにされたものが提供された。
「わぁ……っ。ところで角兎ってキッカ平原でよく見るあの角兎ですか?」
「そうさ。最近来訪者の方が増えたおかげで市場に沢山出回ってね。おかげで安く仕入れることが出来たよ」
数時間前に戦った角兎がこうして食卓に出るとは思わなかったが、どんな味がするんだろうと純粋に興味をそそられる。
「もう食べてるし」
アロマは既に匙を使ってパイ生地を破り、黙々と食べ始めている。柄を手掌部で握りこんでいるせいか口の周りがソースに塗れていた。まあ、初めての食事にしては中々器用だと思う。
「じゃあさっそく」
「いただきます」
グラタン皿の上から包まれたパイはこんがりとした焼き色を見せていた。
匙を刺すと包まれたパイがサクッと心地よい音を立てる。中は幾つかの青葉と小ぶりなぶつ切り肉で赤く煮込まれているようだった。刺した隙間からは芳醇なトマトの香りが溢れ出て、鼻腔へと広がり突き抜けていく。
薄い一枚の青葉を器用に織り込み、肉と合わせて口の中へとぱくりと放り込む。
「んっ」
目が見開く。兎肉の触感はどちらかというと鶏肉に近い。癖もなくもちもちしているためトマトの酸味が口の中へと広がり、後から仄かな肉の甘みが浮かび上がっていく。青葉は芯が残っているのもポイントが高い。シャキシャキとした瑞々しさは噛みごたえがあり、酸味と甘みを程よく中和する。
「はう」
続いてスープを一口、胃袋に満ちた暖かさを吐き出すようにため息を一つ。
美味しいものを楽しく食べて食欲を満たすことは今までの疲れを吹き飛ばしてくれる。頬が緩み自然と笑みが零れ、マリーは合間に落としたパイのサクサク感とモチモチとしたパンの感触を味わいつつ、ルチアへと声を掛けた。
「ルチアちゃん」
「?」
「一緒に食べると、もっと美味しく感じるね」