冬と巡る旅人
童話(童話とは言っていない)
しかし個人的には自信作なので、肥やしにするのも勿体ないと、出すだけ出しました。
文句は童話をちゃんと定義しなかった運営に言って下さい。
いつもの作風とは違います。ご了承下さい。
ゴウッ、と冷たい風が吹き付けると、地面に積もっていた雪が舞い上がり、白い雪煙となる。
吹き付ける雪の結晶が、冷たく縮こまった肌をひっぱたく。
雪煙、痛い吹雪に、白景色。
視界は殆どが真っ白で、太陽は顔も覗かない癖に、世界は嫌に眩しく光っていた。
旅人は吹雪を手で掻き分けるように進む。一歩踏む事に、旅人の足は膝の上まで埋まった。重く沈み込んだ後ろの足を、大袈裟に引き抜いて、目の前の積雪に突き刺す。
牛歩の如くであるが、慣れた風に旅人は引っこ抜いては突き刺すを繰り返す。旅人の後ろには、雪の抉れた痕が残っていた。
吹雪の合間にちらりと覗いた石壁を見て、旅人は背負っていた袋のようで使い込まれたボロボロの鞄から、一枚の地図を取り出す。強風にはためく地図を横から覗き込むように見ると、もう一度石壁の方を見た。それから何度か視線を行き来させると、一つ頷いて先程と同じ様子で進み始めた。
旅人は漸く石の壁に辿り着いた。
門がある壁の窪みに入ると、厚着に積もった雪を叩いて落とす。
木製の重厚な扉は、ピッチリと閉じていて動く気配もない。何人も中に入れまいと、堂々座っているようである。
旅人は見回すが、門兵は外に居ない様であった。門の横にある小さな扉と手引きの鐘を見つけ、カランコロンと鳴らす。
「誰か。誰か」
転がるような鈴の音と旅人の声は、門の窪みの天井に良く響いた。
暫くして、吹雪の雑音の隙間から、物音が聞こえてくる。物音は鐘の横にある、小さな扉の中からであるようだった。
旅人が扉の前に立つと、ガチャンと大きな音を鳴らして、扉が開く。ゆっくりと細く開けられた扉の中から、髭面の男が顰めっ面で覗いた。扉の隙間から、ムワンとした熱気が流れていく。
「誰かね」
「旅人だ。門を開けてくれ」
男は眉を一層顰めて、少し待て、と言い残し、また扉の中へ引っ込んでしまう。
再び扉から出てきた髭面は、可笑しいほどに厚く上着を着込んでいた。男は体を震わせながら門に行くと、ズボンのポケットから鍵の束を取り出した。
男は門の穴に鍵を差し込もうとするが、手がかじかんで上手く行かない様であった。くそ、と男は呟く。体は一層細かく震えていた。
「貸してくれ」
旅人は髭面から鍵を引ったくると、さっさと穴に差し込んで、持ち手を回した。門の大きく重い扉を力一杯手で押すと、軋む音を響かせながら、ゆっくりと門が開いた。
「有り難う」
旅人が礼を言いつつ男に鍵を返すと、男はフンと鼻を鳴らして、さっさと行けと手で追い払うような仕草をした。
旅人は軽く会釈してから、門の中に入る。旅人の後ろで門が閉まり、暫くガチャガチャと鍵に手こずる音が聞こえた。
門の中、街の様子は、外とあまり変わりなかった。
相も変わらず風は雪を叩きつけていて、路にも屋根にも深く雪が積もり、どこもかしこも真っ白である。
旅人は見渡すが、どの店も固く扉を閉めているようであった。路には小さな子供の姿もない。足跡の付いていないまっさらな雪面が縦に延びている。
旅人はぶらぶらと彷徨いた。角を三度右に曲がった所に、『open』と札を下げた扉があった。旅人はその酒場の扉を開けて、中に入った。
どうも暖は程々であるようで、酒場の中は外ほど寒くは無いが、空気は冷たかった。暖をとっている魔法に、あまり魔力を使っていないようだった。
主人は旅人の入店に気づくと、笑顔で応対する。
「いらっしゃい」
「何がある?」
「こちらに」
主人はメニュー板を旅人に渡したが、旅人は良く勝手が分からなかった。
「主人のおすすめを」
「畏まりました」
短く告げると、主人はグラスを白い布で拭く手を止め、準備にかかった。
旅人は店内を見渡した。幾つかあるテーブルには何の姿もなくて、広い店内がより寂しかった。
「旅人ですか」
準備をしながら主人が旅人に問い掛けた。
「ええ」
「珍しい。わざわざここに?」
「三年前に一度来た。その時は余り寒くなかったが」
旅人が主人に言うと、主人はああ、と納得した様子を見せる。
「寒くなったのは、二年前からですよ」
「何故?」
旅人が聞くと、主人は右手で酒場の壁を指差した。壁は掲示板のようになっていて、何時の物かも知らぬ貼り紙がそこかしこにあった。主人が指を指していたのは、王の触れ書きであった。
主人が言うには、冬の女王が二年前から塔に閉じこもり出てなくなったと。他の女王に交代しようとせず、冬が終わらなくなったという。そこでこの街に住む国王が、女王を交代させた者に褒美をやる、と触れ書きを出したのである。
「でも、今ではやる者は居ません」
「何故だ。良い報酬だが」
「塔が何処にあるかご存じですか」
旅人は頷く。
「ええ。塔は山に立っています。冬が終わらず、今は雪山に」
「ああ」
厳しい雪山となったそこには、誰も登ろうとしない。触れ書きが出た直後は挑戦者がいたが、誰もが諦め、今となっては忘れられた物である。
主人は旅人に酒を出した。透明な酒が、綺麗なガラスのコップに入れられている。旅人はそれを喉に流し込んだが、すぐに咽せる。
「これ、強いじゃないか」
「寒いですから」
主人は旅人の責めるような目線に苦笑する。
「暖まるでしょう?」
「焼けるようだ」
「それは、良かった」
もう一度、今度は少しだけ口に含むように、旅人は酒を飲む。
「この街の食糧は?」
「溜め込んでありましたが、もうじき尽きるでしょう」
旅人は自分が飲んだ酒をじっと見た。
「酒はまだ店に溜めています。寒いので、良く保つ」
旅人はあまり納得していない様子だったが、諦めたようにさらにもう一度酒を飲んだ。
「少ししか飲んでいないのに、酔いそうだ」
「酔って下さいな。酒は酔うものです」
「誰も塔には行かないのか」
「ええ。今は誰も」
「なら、酔った勢いで行ってみるか」
旅人の言葉に、主人は少し驚いた様子を見せた。
「危険ですよ?」
「旅は慣れてる。この街には今日来たところだ」
「それはそれは」
主人は店の外を窓から伺った。朝から収まらない吹雪が、雪煙を舞い起こしている。
旅人はコップに残っていた酒を飲み干して、席を立って外に出る準備を始めた。
「本当に行くのですか」
「行くさ」
「報酬ですか?」
「いいや」
旅人は主人の言葉を、首を振って否定した。
「春の街を見に来たんだ」
「冬はお嫌いですか?」
「好きだよ。静けさと寂しさがね」
何でもない足取りで、旅人は酒場を後にした。主人はカウンターのテーブルのコップを手に取ると、丁寧に洗い始めた。
旅人にとって、登山は比較的容易であるようだった。
山を乗り越え、影深い針葉樹の森を抜けると、氷の塔が見える。
旅人の記憶では、塔は石で出来ていた。今の塔は氷に覆われた、何処と無く妖しい建物である。
旅人は氷の塔の前に立ち止まった。塔には入り口らしき物が無かったのである。旅人は塔の周りを一周してみたが、氷の壁があるだけだった。
顎に手を当て、旅人が悩んでいると、氷がガラス細工のように歪み、氷穴のような入り口が現れる。
旅人は驚いても一歩後ずさったが、すぐに一人で納得すると、さっさと塔の中に入ってしまった。
塔の中は螺旋階段であった。旅人は一歩一歩、氷で滑らないように踏みしめて、登っていく。
随分と登り続けて、漸く旅人は扉の前に立った。
扉の奥から、涼やかな声が聞こえてくる。
「こんにちは旅人さん」
「こんにちは女王様」
旅人は女王の声に答えた。女王は扉を開けようとはしない。
「説得しに来たの? それとも責めに?」
「さあ。来たいと思ったから」
「報酬? それとも、冬が嫌い?」
「金はいらない。冬は好きさ」
女王の質問に、旅人は軽い調子で答えていく。
「あら。皆、冬は寒くて嫌いというのに、変な人」
「物好きはいるものさ」
「失礼ね」
女王の声は、微かに笑いを含んでいるように聞こえた。扉越しで、くぐもっている。
旅人は聞く。
「何故、交代しない? 何故冬を終わらせない」
「良いじゃない、私の勝手よ」
「勝手の理由を聞きたいのさ」
旅人が言うと、その後ろから光が降ってきた。旅人は後ろを振り向くと、驚いて目を見開く。何もなかった壁に穴があいていて、窓のように外を見渡せた。
吹雪は既に止んでいた。雲の隙間から透き通るような青空が覗き、白い日光が閃く。
白と黒のモノクロームの世界であった。積もっている雪の下には、深緑の針葉が姿を見せている。広大な山と森とが広がっていた。
「綺麗でしょう」
女王は見とれている旅人に言った。
旅人は素直に頷く。
「そうだな」
女王は満足そうに、扉の向こうでクスクスと笑った。
「知ってた? この森ね。毎年冬に伐られるのよ。うんと広く」
「それは?」
「次の春には畑よ。毎年広がっていく」
森の街に近い端の方は、深く雪が積もっているものの、畑になっている様である。
「ずっと冬なら、畑は増えないでしょ?」
「だから交代しないのか?」
「森が可哀想だもの」
「だが、冬で幾らか枯れている」
森の中には茶色い枝葉の枯れ木も目立った。冬の寒さに耐えられない木は、落とした葉を再びつけることなく、死んでいく。
「動物も。幾らか死んでいるだろう。巣も壊れている」
「ずっと冬なら、木も動物も変わるわ」
「そんなに人が嫌か」
「森は綺麗よ。街や畑になるのは、いや」
旅人は一つ頷くと、廊下を歩いて行った。先程開いた窓と反対側の壁をたたいて、少し声を大きくして女王に言った。
「こっちにも、窓を作ってくれないか」
「いやよ。そっちは街しかないじゃない」
「我が儘なお嬢さんだ。いいから」
女王は渋々、旅人の目の前に窓を作った。まだ雲に覆われている空は、灰色の陰影が目立つ。積もっている真っ白な雪の下から、建物の石の灰色や、屋根の赤色がチラチラと見える。
「綺麗じゃないわ」
「変わらないように見えるね」
「全然違うわ」
「そうかな」
旅人は、森が見える窓を指差す。
「あっちは、森と動物の巣だ」
身を翻した旅人は、今度は街の窓を指差した。
「こっちは、人間の森と人間の巣だ。変わらない」
「巣? 街や家じゃなくて?」
「そうさ。なにも違わない」
旅人の自信満々な声に、女王はため息をついた。
「人って、巣って言われるのは嫌なんじゃないの?」
「リスは自分の家を巣と言わない」
「そういうものかしら」
「そういうものだ」
旅人はそう言うと、再び扉の方に歩いていく。コツコツと言う音が、氷の壁に跳ね返った。
「女王様。冬の女王様」
「何? 旅人さん」
「我が儘なあなたはきっと、他の女王より優しいのだろう」
「皆は私のことを、冷たいと言うわ」
「そうだろうか」
窓の方に向き、旅人は雪山と森を眺めた。もうだいぶ青空は広がっていて、陽光が雪面を照らしていく。
「他の女王は、森のことなんか知らんぷりさ。人のことも知らんぷり」
「知らんぷり」
「季節を巡らすだけなのさ。あなたは違う」
近寄ると、旅人は冷たい氷の扉に手を当てながら、言う。
「森が可哀想だと言った、あなたは確かに優しいのだろう」
「皆は私を冷たいと言うけれど」
「その冷たさの下に、芽を包むような優しさがある」
「そうかしら」
「そうだとも」
「変な人ね」
「物好きはいるものさ」
「失礼ね」
女王はクスクスと、可笑しそうに笑う。笑い声は、扉を介してくぐもって聞こえる。
「でもきっと、あなたが冬を終わらせなくても、森は戻るさ」
「そうかしら。街が広がるだけじゃない?」
「暫くは広がる。でもすぐに縮まるさ」
旅人は苦笑する。
「人間は考え無しだから。しっぺ返しを食らう」
「食らうかしら。いつ頃?」
「あなたにとっては、直ぐだろうさ。すぐに人も森も変わる」
「動物と木のように?」
「その通り。そしてそれは、巡るものだ」
ヒュウ、と音を立てて、冷たい風が塔の中に入る。廊下を回るように過ぎていって、反対の窓から抜けて行った。
「巡るのが良いんだ。人も森も」
「季節も?」
「そうさ。無理に止める必要はない」
旅人は扉に向けて、その奥に向けて笑いかける。
「止めちゃ駄目だ。止めなくても、勝手に巡るから」
「そういうものかしら」
「そういうものだ」
「結局、交代しろって言うのね」
「是非、そうするべきだ」
女王の声は、いつしか扉の近くから聞こえていた。
小さい声で、扉を挟んでも十分聞こえる距離で、女王は聞いた。
「最後に聞かせて」
「なんだ?」
「春が来た方が、良い?」
「春の街を見に来たんだ」
「じゃあ、冬は嫌い?」
旅人はまた、窓の方に振り返る。また、外の冷たい空気が流れ込んできた。冬景色は、殆ど何も変わらない。
「我が儘なお嬢さん。冬は好きだよ」
「そう」
「冬の静けさと寂しさが好きだ」
「そうなの」
「そうとも。秋の後の冬の寂しさが、何にもない静けさが」
振り向いて、再び旅人は扉に手を当てる。氷の扉が、旅人の手をどんどん冷たくする。
意に介さず、旅人は言う。
「春の前の、包むような優しさが」
「皆は私を、嫌いというわ」
「冬は好きだよ」
「不思議な人」
「物好きはいるものさ」
本当に可笑しそうに、愛おしげに女王は笑いながら、扉の鍵を外した。
「失礼ね」
扉が開かれる。
旅人は女王の手を取った。
冷え切った旅人の手は、微かに暖かな女王の手に包まれた。
いつの間にか、季節は巡っていた。街は賑わうが、誰が冬の女王を交代させたのか。それは一向に分からず、報酬の話は何処かへ消えた。
ただ酒場の主人だけが、グラスを拭きながら嬉しそうに笑っていた。
春になり、雪に包まれていた芽が開き、若葉をふく。
夏になり、葉が艶々とした緑に染まり、蝉が鳴く。
秋になり、黄や赤に色づいた葉が、枝から落ちていく。
冬になり、森を雪が覆い、白黒の景色を生み出した。
何度も何度も季節は巡り、冬の女王はそれを楽しむように見つめた。目の前で巡り、変わっていく様は、静寂の冬とは一味違う面白さがあった。
旅人は冬になる度にこの街に寄り、塔に登っては彼女と話した。声がしわがれ、深い皺が顔に刻まれていくのも、冬の女王は愛おしげに眺めた。
冬の女王は足を丁寧に折りたたみ、地べたに座る。
花の代わりにふきのとうを供える。まだ雪に包まれていたそれは、これからの季節を待ち望んでいるようであった。
彼女は寂しげに、悲しげに、愛おしげに墓石をなでた。一通り墓参りをすますと、ゆっくりと立ち上がって、どこかへ行った。
彼女が座っていた後は仄かに暖かく、小さな種が芽を出していた。