78.腹の中の天子
次の話も速く更新しないといけないなぁ。
――何が起きたのかわからなかった。
来栖に突き飛ばされて床へ倒れるノノア。同時に自分の体へ襲い来る痛み。
防弾ジョッキなどを着ていたというのに“それ”は自分を貫いたばかりか、庇った来栖の体を貫いている。
――“それ”の現れた先は。
「何……あれ」
テルセイロの下腹部。
腹から伸びている複数の触手。
その奥、血まみれの服の奥、肉の中に“何か”がいる。
ビクビクと不気味に痙攣しているテルセイロの遺体。
そこから現れたのは細い手。
白く、透き通るような手だがテルセイロの血が台無しにしている。
レイピアを握りなおしながらノノアは立ち上がる。
「来栖!」
「だい、じょうぶだ」
お互いに致命傷は避けている。
「(動きは鈍るうえに、無駄に動けば血が流れる!!)」
防弾服を貫いた触手のようなものはするするとテルセイロの腹の中へ戻っていく。
何かが腹の中から出てこようとしている。
出てくれば、何が起こるか。
そんなことは容易に想像できた。
「逃げるよ」
「同感。あれはマズイ」
来栖は脇腹を押さえながら倒れている勇吾を抱きかかえようとした。
「来栖!」
振り返り際に来栖がみたのは自分へ伸びてくる白い手。
伸びてくる白い手に反応が間に合わない。
視界が白一色に染まる。
浮遊していると気付く暇もないまま、地面や天井へ体がバン!ババン!と叩きつけられていく。
ノノアは痛む肩を無視してレイピアを投擲する。
細すぎる腕にレイピアの刃が刺さった。
「ギ、ギギィィイイイイイイイイイイイイ!」
腹の中から壊れたスピーカーのような悲鳴をだしながら手が来栖を離す。
来栖は派手な音を立てて倒れた。
「立てる?逃げるよ」
「視界がグラグラだよ。くそっ、何なんだ」
「考えるのは後、逃げるのが最優先」
悪態をつきながら来栖は今度こそ勇吾を抱える。
二人はわき目も降らずに走り出そうとした。
――Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!
「え?」
「何だよ……これ」
前へ一歩踏み出した時、全身を気持ち悪い感覚が走る。
体中を調べられるような気持ち悪さ。
あまりの吐き気に来栖はその場に胃液などを嘔吐する。
下腹部を掴まれたような気持ち悪さに手を伸ばす。
それは一瞬のことだったが二人にとっては長い時間のように思えた。
嫌悪感が抜けると二人はそろって膝をつく。
その原因が後ろにあることに気付いた二人が振り返る。
血まみれの白い何かが廊下に立っていた。
高身長の白い人の形をしている存在。
口や鼻はなく、開かれた二つの目はとても赤い。
その姿は前に遭遇した異形ととても酷似していた。だが、それよりも恐ろしく感じる。
体から流れている血はテルセイロのものだろう。ポタポタと流れていく血が廊下を濡らしていた。
一歩、踏み出す。
それだけのことなのに気持ち悪い感覚が二人に圧しかかる。
嘔吐と眩暈を感じながらも辛うじて意識を保っていられるのは裏で活動していたおかげなのだろう。
だが、武器を握り締めて反撃する気力まではない。
このまま向かい合っていることだけで精いっぱいなのだ。
――殺される。
確信めいたものが二人の頭の中を過った。
「へ~、珍しいものがいるじゃないか」
この場のものではない声が廊下に響きわたった。
▼
「誰だ、あれは?」
廊下の向こうから現れたのは細身の女性。
黒い髪は踝まで届きそうな長さで揺れている。
神父のキャソックと呼ばれる祭服を纏っているために体のラインがはっきりと浮き出ていた。
揺れる髪の隙間から覗くオッドアイの瞳が興味深そうに廊下の中央へ立っている白い存在へ向けられている。
しかし、二人は歩いてくる人物にどうしようもない恐怖を覚えた。影として、裏の世界に身を置いてきたからこそわかるもの。
手を出してはいけないもの。
決して、踏み込んではいけない領域。
やってきている人物はまさにそれだった。
「うーん、よもや、こんなところでコイツに出会えるなんて幸運だなぁ。いや、不幸かな?ふむふむ、普通の人にすれば不幸だろうな。じゃあ、ボクにとっては幸運なんだろう」
観察しながらぶつぶつと独り言を漏らす女性。
現れた女性に来栖は困惑し、ノノアはどういうわけか青ざめていた。
「おい、どうしたんだ?」
ノノアの様子に気付いた来栖が尋ねる。
「マズイよ。あれはマズイ………………マズイって」
「え?」
「ノワールだよ」
「ウソ……だろ?」
その一言で来栖は理解する。
信じられないという表情で来栖は自分達の横を通り過ぎていく女性を見た。
――ノワール。
本名、年齢、過去の経歴の一切が謎。
わかっていることはキルスコアが歴代トップであること、ホルダー、人、要人であろうと狙った相手は必ずキルしてきた。最狂のホルダー。
カツンカツンと杖をつきながら彼女は二人を通過する。
幸いにもノワールの目に二人のことはなかった。
本当に幸せだっただろう。
もし、彼女の視界に入っていたら迷わず殺されていたのだ。二人は知らないだろうが道中、武装した使徒の配下やミミズのような怪物をノワールは“処分”している。
「いやぁ、こんなところで天子に会えるなんていいねぇ~」
興味深そうに白い存在――天子と呼んだ相手を見ている。
ノワールは手を伸ばす。
手が天子へ触れるという時、白い手がノワール心臓目がけて伸びる。
「あ?」
天子が目の前で回転――したように二人はみえた。
立っていた天子がいつの間にか地面へ倒れている。
「何が起こったの?」
「さ、さぁ」
茫然としている二人からみえないがノワールは先ほどまでの興味で輝いていた瞳から一転して何も映さない無機質なものに変わっていた。
「たかが天子風情がボクへ触れようとしたね?ボクに触れていいのはあの子だけだ。それを勝手に、てか、よくよく考えたら天使の下位互換風情がなぁに触れようとしているのかな?ホント、触れていいのはあの子だけだ。ボクのすべてはあの子のもの、あの子のものはボクのものなのに」
首を横へ傾けながらノワールは尋ねる。
起き上がろうとした天子の頭に靴を踏みつけながらノワールは言葉を漏らす。
「勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に、勝手に!勝手にぃ!」
タンタンと踏んでいたものがダンダンと大きな音へなっていき、地面に小さなクレーターができて、その中に天子の頭が沈んでいく。
目の前の光景に来栖やノノアは言葉が出ない。
逃げるということすら忘れていた。
それほどまでにノワールの狂気は異常すぎる。
「ああ、いけないね。久しぶりに興味深いものをみたから柄にもなく興奮してしまったよ」
小さく笑みを浮かべながらノワールを後ろへ下がる。
ピクピクと痙攣しながら天子はゆっくりと陥没した地面から顔を上げた。
その前にノワールの顔がある。
「まさか、使徒の中から天子が生まれるなんてねぇ。死体から生まれているわけだから、生きている間は生まれることがないってことかな?天使とはまた違う生まれ方だよなぁ……でもまぁ、そんなことをするなんて……まあ、奴しかいないか、でも、悪趣味なことをするねぇ……だから、使徒の男女比率が2:8なのかなぁ。納得。男はあくまで兵器として、女は兵器であり器として考えられているわけかな?いやぁ、面白い。面白いけれど、とてもつまんないなぁ」
冷めた目でノワールは起き上がった天子をみる。
「模しただけなんだろうけれど、全然ダメ、本当にダメ。オリジナルの一割も至っていないし。こんなものじゃあ、要らない」
起き上がった天子が奇声をあげながらノワールへ襲い掛かる。
「あと、弱い」
コロコロと来栖達の方へ転がって来る。
視線を下すと先ほどまでノワールを襲おうとしていた天子の頭がそこにあった。
「ヒッ!?」
いきなり天子の頭が転がってきたことで流石の来栖も小さな悲鳴を漏らす。
グルンとノワールの頭が動いて目が合う。
彼女の瞳の中に二人の姿が映る。
「ん~?キミ達……」
何かを思い出すようにコンコンと額を叩くノワール。
「(マズイ……このままじゃ、全滅だ)」
彼女に悟られないようにゆっくりと退路を作る。
黒土から一度だけ聞いたことがある。ノワールは黒、宮本夜明へ異常な執着を見せている。彼に関わっていると知れば容赦なく殺されると。
来栖の背中を指で叩いて指示しながらじりじりと動く。
ポン!と思い出したように手を叩く音が聞こえる。
それが二人にとっては処刑宣告に思えた。
「あーあー、思い出した。思い出したよ。キミ達、彼の仲間だよね?そうだ、そうだ、確か来栖来駕と寺小屋ノノアだよね?うんうん、思い出した、思い出した」
ノノアは言葉を失う。
あろうことか目の前の彼女は自分達の本名を言い当てた。
ノワールに個人情報を知られるということは彼女の気分次第で自分達の命は消されるという意味に繋がる。
首筋に刃をつけられているような感覚が長い時間、続いたような気がした。
このまま何もせずに去ってほしい。
心の中で思っていたノノアの気持ちは――。
「うん、邪魔だから始末しよう」
あっさりと裏切られた。
「全力でダッシュ!振り返らずに逃げる!」
何が何でも生き残る。
ここでノワールに殺されてはすべてが無駄に終わってしまう。
「逃げられるわけないじゃん」
目の前にノワールがいた。
一言にすれば簡単だが、二人にとっては絶望によって頭が真っ白になる事態だ。
「じゃあ、さようなら――」
笑顔で処刑の鎌が振り下ろされる。