69.闇からの招待状
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
空が夕闇へ変わる時刻。
水崎姫香達と別れて家へ帰っていく。
「今日は楽しかったですね!泥棒猫たちと出会うまでは」
「パパ、また遊園地行きたい」
「そうだな、また、遊園地に行こうな」
楽しげに笑うキリノの手を握り返す。
後は家へ帰って休むだけ。
そうすれば、今日の楽しい時間は終わる。
悲しいかもしれないが俺にとって大切な記憶になるだろう。
夜空を見ていた所で俺は動きを止める。
「夜明さん…」
隣にいる吹雪も警戒している。
「吹雪、キリノを後ろで守れ、俺が前に」
指示して袖口に隠し持っていたナイフを取り出す。
「お待ちしておりました。宮本夜明様」
暗闇の向こうから執事服を纏った初老の男性が現れる。
それだけで俺達の警戒心が増す。
黒い執務服に隠れてわからないが鋭い目つき、変化のない口調。
少し歩く際の動作。
それだけで俺達は理解する。
――こいつは強者だ。
無駄のない動きに加えて、服越しでもわかる鍛え抜かれた肉体。笑みを浮かべてはいるが一切の油断のない瞳は”何か”をしようものなら即座に動くことがわかる。
「俺に何の用だ?」
「貴方にお会いしたがっている方がおられます。ご足労いただけないでしょうか?」
いつの間にか男の傍に黒いリムジンが停車している。
「……断れば?」
「無理やりにでも」
一歩、踏み出す。
それだけで俺達に降りかかる重圧が増す。
もし、目の前の男が戦う気になれば俺達は死闘を演じなければならない。
何より、キリノがぶつけられた重圧で荒い息をし始めている。
「吹雪、キリノを連れて“集まって”おいてくれ」
「……わかりました」
「パパ」
不安そうな顔を浮かべているキリノの頭を撫でる。
「大丈夫だ。すぐに帰る。待っていてくれ」
こくりとキリノが頷いたのを確認して男の方へ向かう。
「感謝します」
小さく謝罪してリムジンのドアを開ける。
その中へ俺が入ると静かにリムジンが走り出した。
リムジンの中は思った以上に広く、小さな冷蔵庫まで設置されている。
「しばらく時間が掛ります。よろしければドリンクでもお飲みください」
「どこへ連れていく?」
「行先を教えるなといわれております」
黙ってついて来いという事か。
リムジンの中で俺は考えている。
当然ながら今回の呼び出しという事をやらかした相手の事だ。
一瞬、黒土の事が頭を過ったが奴はここまで“無駄”なことをしない。
行先を告げない、自分が来ない。
人を弄るが目的達成の為において、こんなことは無駄だ。
ならば、誰の仕業か?
俺に恨みのある人物か?それなら闇討ちを仕掛けるだろう。
最後に行きついた考えに思考回路が冷水を浴びせたように動きを止まる。
「飲み物に毒は入っておりません」
「喉が渇いていない。余計なお世話だ」
「そうですか」
運転席で小さく笑う声。
ミラーから見える顔を見ると男は笑っていた。
「何がおかしい?」
「いえ、話に聞いていたとおりの方ですな」
「呼び出した相手は俺の事をよく知っているという事か」
「そうですね、最低限の情報は与えるようにと指示を受けております」
「……」
男の言葉に冷蔵庫を開ける。
中に置かれているのはミネラルウォーター。
置かれているワイングラスを手に取る。
グラスにミネラルウォーターを注ぐ。
臭いをかぐ、異臭の類もない、普通のミネラルウォーターのようだ。
口に含む。
少ししてグラスに戻して窓を開けて外に放り投げた。
「飲まれないのですか?」
「あぁ」
窓を閉める。
「これから向かう先は国際ホテルか」
「景色を見て判断されましたか?」
「あぁ」
「そうですね、まもなく目的地へ着きます」
男の言葉通り、リムジンが音を立てずに止まる。
ブレーキを踏む際の揺れも発進することも気づかさせないほど正確な運転技術。
この男、運転手としてのスキルも高い様だ。
ドアを開けられて中へ入るように促される。
そこは少し前に建設された国際ホテル。
四十階という高さを持ち、様々な娯楽が置かれている。
海外から日本へやってきた要人が利用する施設だ。
そこにいる人物?
疑問を浮かべている前で男が俺に手を伸ばす。
「その手は?」
「持っている武器類を預からさせてもらいます。入口に金属探知機もありますので」
「余計な騒ぎはご法度か?」
「ここは日本であり日本ではない場所ですので。貴方も組織に所属する者として余計な騒ぎは避けたいでしょう?」
そういわれては仕方ない。
隠していたナイフ類を取り出す。
男はそれらを回収すると懐の中に仕舞う。
では、こちらにと言われてホテルの中へ入る。
エレベーターに乗り込み、到着したのは最上階。
「では、このまま奥にお進みください」
ちらりと男を睨んでから奥に進む。
エレベーターから直結して部屋に繋がっていることから最上階はワンフロア全てを利用できるのだろう。
そんなところを利用できると考えると、俺を呼んだ相手というのはかなり面倒――。
小さな音と共に置かれている花瓶を手に取る。
ヒュンと音を立てて花瓶が二つに割れた。
破片が飛び散る中、繰り出される手。
空いている方の手で手刀を掴む。
襲撃者は一気に距離を詰めて俺に膝をぶつけようとした。
くるりと背を向けるようにして掴んでいる腕を前に伸ばす。
相手を投げ飛ばす。
空中で受け身を取らせる暇も与えず容赦なく地面に叩きつけた。
「グハッ!」
衝撃と小さな悲鳴。
手を放して警戒する。
相手は先ほどの背負い投げが効いているのか起き上がる様子はない。
黒い執事服、手は白い手袋、
金髪は乱れて、白い肌には汗が浮かんでいる。
乱れた呼吸の相手を俺は静かに見下ろし、落ちていた破片を相手の片目に向けた。
「大人しく、俺の言われたことに答えろ」
「……ぐっ」
「貴様が俺を呼んだのか?」
「……」
「答えないならその目を抉る」
「そこまでだよ」
聴こえた声に動きが止まる。
全身の機能が停止したような気分になった。
ありえない、と俺の頭が訴える。
奴は此処にいない。
こんなところにいるはずがないのだ。
鉛のように鈍くなった体を無理やり動そうとする。
それよりも早く、細い腕が俺の首元から伸びてきた。
普段なら払いのけようとする行為もできない。
背中に伝わってくる温もりを俺は“知って”いる。
だからこそ、否定したいのだ。
否定したかった。
「やっとキミに触れることが出来たよ」
抱きしめられたままの状態で振り返る。
そこにいたのは美女だ。
漆黒のパーティードレスに身を包み、長い髪は後ろで束ねている。
顔は化粧をしているのだろう。今までよりも白く見えた。
赤と青の瞳は真っすぐに俺を見て、はにかんだ笑みを浮かべている。
永遠の監獄にいるはずのノワールが俺の前にいる。その事実をどうしょうもないくらい思い知らされた。
「お前、どうして」
「キミならわかっている筈だよ?ボクならあの程度の牢獄、簡単に抜け出せる。いや、牢獄ともいえない休憩所みたいな場所だったし」
大きなソファーへ腰かけて話すノワール。
俺が倒した執事服姿の人物が起き上がり部屋の奥へ消え、入れ替わるように現れた別の執事が置かれていたワイングラスに白ワインを注いでいく。
「此の白ワインは中々においしくてね。キミも飲むといい」
「俺は未成年だ」
「この国の法律などこんなところで通用しない。この最上階は日本であり日本ではない。そのことをしらないキミではないだろう?」
沈黙を貫いていると対面するように置かれていたワイングラスを隣に置く。
ノワールはぽんぽんと隣のソファーを手で叩いた。
「対面で座るのが嫌かな?ならば、ここへ座るといい」
「結構だ」
断り、向かい合うように座る。
するとノワールは立ち上がり俺の隣へ腰を下ろす。
「つれない態度はやめろ。キミとボクの関係はそんなもんじゃないだろう?これ以上、冷たい態度をとるなら」
懐から取り出したのはナイフ。
狙いがどこかわかる前に投擲されるものを掴む。
「流石だね」
ニコニコと微笑みノワール。
手の中にあるナイフのグリップを掴んで俺は地面に叩きつける。
「毒を警戒してグリップを掴む、少しでもタイミングがずれたらナイフに手が届かず、彼は命を落としただろうね」
ナイフは先ほどワイングラスを届けに来た執事服の男へ向けられている。
男はまるで人形のように動こうとしない。
「彼は不治の病でね。命は残り少ないんだ。投薬で苦しむより一発であの世へ行くこと、まぁ、死ぬことは本望だろう」
大きく舌打ちする。
死んでも構わない人間をコマとして用意する。
ノワールの常套手段だ。
忘れていたわけじゃない。ただ、脱獄した短い期間の間にそんな人物を用意する奴の動きの速さを楽観視していたようだ。
「……」
「まぁいい、今日のボクは気分がいいんだ。この程度の事なんてどうでもいい」
ニコニコと微笑みながらこちらへなだれかかってくる。
長い髪が服の上や肩に流れてきた。
肩に伝わってくる人の温もり、だが、それは吹雪やキリノとは異なる。
全身が針の筵にさらされているような不気味な感覚だ。
それは少しでも油断すれば――殺されてしまうという威圧感。
「やっぱり、キミは素質がある」
隣へ視線を向ければニコニコとけれど殺意を持っている目と合う。
「これだけされれば人間は少なからず油断する。仮にも女、美女から接近されたら、けれど、キミはどこまでいっても変化がない。氷のように溶けることもないし水のように染まることもない。闇のように暗い、まさに深淵のようなもの」
きらきらと瞳を輝かせている。
少しでも変な動きがあれば、殺し合いに発展する。
そんな張り詰めた空気だ。
「殺してしまおうと考えるかな?まぁいい、ボクはキミを殺す事はしないよ。今日は特別な話があってきたからね」
「こんな回りくどい手を使ってまで呼び出す事か?」
ウフフ――と笑いながら俺の手と自らの手を重ねる。
「再会というのは刺激的なものほど良いじゃないか。ボクとキミが触れ合う時、出会うときは素晴らしい刺激が欲しい。そういうものなんだ」
片方の手が伸びてきて頬へ触れる。
冷たく刃のようなものと錯覚してしまいそうだ。
「キミは他の誰のものでもない。ボクのものなんだ。ボクだけがキミの所有者であり最愛の人なんだ」
さらさらと伸びていた手が頬から首、そして心臓の部分へ触れる。
「鼓動の音が聞こえるよ。キミの心臓だ。あぁ、素晴らしいね」
愉悦を含んだ笑みで彼女が顔を近づける。
「この心臓を止めることなんていくらでもできる。でもね、そんなことはどうでもいいんだ。キミはボクから逃れることはできない。どれだけ力をつけようと大切なものをたくさん得たとしてもそんなものは一瞬だ。すぐになくなる。あぁ、その時の顔を”もう一度”みていたいと感じる自分がいるよ」
「……」
「沈黙していれば終わると思っているのかな?残念、このやり取りを永遠に続けることだってできる。いつだって主導権はこちらにあるんだよ?まぁいいや、さっさと本題に入ろうか」
視界が揺れる。
一瞬でソファーの上に押し倒されたのだ。
俺の上からのしかかるような姿勢でノワールはこちらをみる。
「近々、世界各国の英雄が招集される。勿論、キミもその場に呼ばれるよ?覚悟するといい、本格的な変化が起こる。壊れかけている世界に亀裂を、さらに壊すような衝撃がやってくる」
ぺろりと舌を舐めて彼女は微笑んだ。




